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山形情報ガイド・んだ!ブログ

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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

2016年04月25日

東北のオアシス


2007年の、ちょうど今ぐらいの季節にわたしは
東京からこの仙台へ引っ越してきたので、
そろそろ仙台10周年目が始まる という事になる。

『ゴールデンカムイ』に、北海道の季節について、
「冬が一年の大半を占め、春と秋はほとんどなく、
 夏は瞬時に過ぎ去る」
と語られる場面がある(うろおぼえ まだ単行本化
されてない箇所なので)

仙台に時たま在住(笑)の作家・伊集院静が
仙台で感じた季節の特性として「夏の短さ」を
あげていた。
わたしの場合はもうちょっと補足して
「冬は長め。春と秋は一瞬で、夏は短め」
という印象になる。

東京の場合、
「冬は短め。春と秋はそこそこ、夏は長い地獄」
という印象。
仙台と東京の間は、冬と夏の比重が逆転する
転換点と言えそうだが、わたしとしては、
夏と冬はどこも厳しいものだから、むしろ穏やかな
春と秋の短さが、仙台に来ての思いがけない印象
なのだった。

仙台はよく、「暑すぎず寒すぎず、暮らしやすい気候」
と言われるが、正直わたしはそうは思っていない。
それというのも、やはり過ごしやすい季節である春と秋
が、短いからだろう、と思う。
具体的には、東京では3・4・5月が春だとはっきり言える
のだが、仙台ではっきりと春らしいのは5月のみである。
まあ、東京の6月はもう蒸し暑くて戦慄するけれど、仙台
の梅雨は涼しいところ、確かに暮らしやすい点ではある。

ところで、意外なようなのだが、わたしは「公園」という
ものに関して、仙台より東京のものの方が気に入っている
ところがある。

わたしは吉祥寺にある井の頭公園に親しんでいたが、
こうした林の中を歩くような場所が、仙台にはなかなかない。
仙台の公園で最も古いという西公園はなんだか荒れ果てて
いるし、勾当台公園や錦町公園は小さすぎる。
北の七北田公園、東の榴ヶ岡公園は整備され過ぎている。
一番近所の、台原森林公園は林ではなく「森」過ぎて、
とても樹々の間を散歩する、という感じではない。

極めて小さな敷地ながら、最も雰囲気として近いのが、
勝山館に隣接した勝山公園だろうか。大正期までに
「森(杜)の都」の異名の元となった、屋敷杜の名残とも
言われている。ここがもっと広ければなあと思う事、しきりだ。

もちろん、井の頭公園や代々木公園の広大さは、東京という
都市の巨大さにも関係するのだろうが、実はそれ以上に
各都市の「公園観」にもよるのではないか、と思っている。
すなわち、

「東京にとって、オアシスは公園である が
    東北にとって、オアシスは都市である」

という事だ 笑 東京の人々にとっては、公園という場所は
「夢」である。自然、緑というものに、飢えているからだ。
一方、われわれ東北人にとって、「夢」とは大都市そのもの
である。自然・緑は膨大にあり、憧れの対象ではないのだ。

仙台の公園は、いわば理想とされる都市空間の一アイテム
として組み込まれている景色のひとつに過ぎない。
だから、絶対必要として実現化したという必死さ(?)に欠ける
ところがあるのかも知れない。
一方の東京では、無計画に膨れ上がる巨大都市への反発
として、オアシスとしての公園の実現と維持には相当本気で
取り組まねばならなかったろう、と想像される。地獄化する
都市に対応して、天国として具現化したのが、東京の公園
なのだ、という事ができるかも知れない・・(ほんとかね)

そういう訳なので、仙台というのは都市そのものが
「東北人の夢」なのであって、「公園」そのものなのだ、と
いう事ができるのではないか、と思うのである。
都会人を気取っている仙台人とて、いまだに飽くなき
「大都会への夢」に燃えている。基本的に、東北人は
永遠の田舎者 なのだ。

それにしても、東北人にとっての、理想の都市とは
どのようなものか?最近、20代の若き音楽仲間から
「このような活動をしている!」と教えてもらった。
http://www.s-renovation.com/
プレゼン映像と、そのナレーションは彼女の担当だ。
『地方は活性化するか否か?』を思い起こさせ、
いろいろと難題はあるだろうが、頼もしく、楽しみである。


  


2016年04月09日

思いがけぬ東京行き そしてゴールデンカムイ


3月の終わりと4月始めの週末、2回も東京へ

えー 今回は、出稼ぎ?に行ってきました 笑

ちょうど、その週末はセッションなどやってる所も
あったようなのだが、労働は何時に終わるかわからず
また、あまりキレイな恰好でもないので、やめておく・・
それでも夜、2時間ぐらい出歩ければ、1月に来た時
行きそびれた場所とかぐらいは行ってこれるかなと
思った。

仕事場と、宿は大森。あまりなじみのない所だが
まずはここから品川へ出て、池袋まで行ってみる。
これは行きそびれた所ではなくて、まさにこの1月
初めて行ってすっかり気に入ってしまった店
池袋駅ビル内「書籍館」の中にある科学雑貨?店
『ナチュラル・ヒストリエ』に再来店。
なんと、かの貴重な骨董ものの「星座表」がいくつか
売れていて(というか、売り物だったの!?)
残る一枚には8万円(!!!)の値がつけられている。
どんなものかというと、やはりコレクターさんがいらっし
ゃるようで、その方のブログにいろいろいい写真が
(お借りしたいが無断転載という訳にもいかんので)
http://mononoke.asablo.jp/blog/cat/kenji/?offset=70

そう、むかし『図説・宮澤賢治』か何かで見て、憧れた
星座早見である。女性店員さんが棚から出して、触ら
せて下さる(感激!!)ドイツ製らしく、なんと、皮製で
ある!店としても、本心では一枚は店の看板として
残しておきたいのだそうだが(じゃ売るなよ 笑)
つーか、皮製じゃなくていいから世界の誰か復刻して。

天文学コーナーなどは前回来た時から模様替えしており
誰かデザイナーがいるのかと訊いたら、これもなんと
「店のスタッフみんなで相談しながら作っている」のだと
いう・・・美大出か何かの、スタッフ陣なのか?
それにしても、見事なセンスだ。

その流れで、新宿へ。これぞ、1月に食い損ねた 爆
老舗沖縄そば屋『やんばる』リベンジ也。

思い切って「ゴーヤー定食」(1000円 ぐらい←ぉぃ)
長い長いカウンター、入店時はあまり客いなかったが、
食べてる間にずらーりと満席!なつかしき、場末?の
新宿ムードを堪能する。

2回目の週末はもっと早く終わったので、まだ明るい
うちに、これも前回、行きそびれた青山 表参道へ。
なんでこの俺が表参道?と思うかも知れないが、
まだこの地に表参道ヒルズが建つ前の同潤会アパート
があった頃、ここを利用した画廊で友人がよく個展を
開いていて、この大正期の香りの残る同潤会と表参道
の裏路地の多彩さに魅了されたのだった。
こんな感じ(これは代官山の同潤会か?ここももうない)



その裏路地、歩きまくる。相変わらず、新鮮!面白い!
もちろん、ここでわたしが買うようなものはまずないが。
あと、よく使ってた唯一のカフェが、なくなっていた。

表参道で特にびっくり名所といえば・・
何やら、もんのすごい教会みたいなのを、偶然見つけた
事があるのだが、あらためて足を向けてみた。
その見事な建築の名は『セントグレース大聖堂』
しかし調べると、なんと仙台でも見かける事のある
「ウェディング・チャペル」であって、つまりは本物の教会
―宗教施設―ではない。結婚式や宴のためのイベント
スペースとして、これだけのものを作ってしまうとは・・・
逆にいうと、表参道という土地ブランドにおいては、
悪くいえばイミテーションすらも豪華に、貫禄すら与えられ
本物をも凌ぐ価値を有する事ができるという事か。
それが、良い事かどうかはさておいて、だが。
(写真は、ほんとすごいのだが、あえて、載せない 笑)

さて、夜も深まれば 最終目的地・高円寺である。
ここも、なかなか開店時間にタイミングが合わなかった、
ラーメン「公楽」さんへ。ここは、夜のみ営業。
高円寺に住んでいた頃、よくわたしは塩ラーメン+ライス
を戴いていた。そういえば、わたしが外で塩ラーメンを
注文する店なんて、他に心当たりがない。
ここは本当に、気負いのない、庶民的な店。
店主も、だいぶ白髪が増えて、口髭も今はない。
前は恰幅のいい明るい奥さんが一緒に切り盛りして
いたが、今は出ていないか、お休みなだけか。
この日は、モーガン・フリーマンみたいな優しげな
おっちゃんが 笑 接客していた。



今回、高円寺はこれで満足だったのだが、ふと寄って
みたくなり、そこからごく近いおなじみの喫茶店
『アール座 読書館』へ踏み入れる。
ここも写真がないのが残念だが、是非画像検索など
してみて(爆)実にステキな内装が見れます。
ここは、おはなし厳禁(!)ひたすらサイレンスです。
キリマンジャロ(ポットサービス)を注文し、本棚から
『銀河鉄道999』の最終巻と、黒田硫黄の『大王』、
手塚治虫『シュマリ』などをチョイスし、机にて没頭。

『999』と『大王』は持ってるのだが、部屋が散らかる
うちに、紛失中(爆)しかしあらためて新鮮な驚きがある。
『シュマリ』は意外に、まだ読んでいない。今回もさわり
だけだったが、やはり同じ一昔前の北海道舞台で共通
点の多い後裔作ともいえる『ゴールデンカムイ』と比べる
と、特に女性観が全く違うように思える。手塚の描く
アイヌ女性はか弱くいかにも不幸であるのに対し、
野田の描くアイヌ女性は不幸な背景は持っていながらも
たくましく、したたかだ。
そういえば、先日その『ゴールデンカムイ』が、なんと
「漫画大賞」なるものを受賞!なされた。
まあ、長くなったのでそれについては、次回!

・・・なんだかんだいって、やっぱ東京好きだよなあ・・・






  


2016年04月07日

岩手冬名残の旅・・日記ノートより 後編


ここからは、仙台に帰ったあとに書いた日記。


盛岡のあと、遠野に行く。
思い起こせば、2011年の3月、はじめて9月の祭
以外の時期に遠野にやってきた。
理由は、たいした事ではなかった。仙台、宮古の
音楽仲間たちと盛岡で集まる機会があったので、
せっかくだから、冬の遠野にも寄っていこうかなと
いうところだったのだ。特にどこへ行くでもなく、
好きな宿でただのんびり過ごす、という予定で。
ところが、仙台に帰って一週間後に、あの大震災
が起きた。あまりの出来事の大きさ故か、この時の
岩手行き、遠野行きの記憶が吹っ飛んでしまった。
だから、3月の遠野 いま一度、なのだ。

なんでも、3月11日とかぶるので、釜石方面への
ボランティアさんなどが多いらしく予想外に宿が
とりにくい。今回、2泊はしたいと思ったが連泊
できる所はなく、いずれも初めての宿で、増田旅館
さんと、駅の反対側にある民宿ふるさとさんになった。
しかしこれでわたしにとって、遠野市街地でのお宿は
だいたい制覇したかな?笑 あと平澤屋さんとか、
民宿とおのさんとか残ってるが、少々高価めだった
かも知れない。

ごはんは、以前から気に入ってしまった「やまごや」
さんでカレーとスパゲッティが一緒になったやつ 笑
長年、愛してきた国道沿いの「ドライブインよしのや」
さんが閉店したのは痛恨の極みだったが、かわりに
こんなステキな店に出会った(というか、地元民には
昔から愛されてきた店なのに最近まで知らなかった)
ここは雰囲気としては、「名古屋の喫茶店」
本当に気軽な洋食屋といった風情で、鉄板の上に
ハンバーグやスパゲッティがじゅうじゅういって出てくる
懐かしい定食もあればラーメンもあり、また各種パフェ
も名物だという・・・遠野にあったの?こんな店

2夜めは、博物館や語り部の館の近くにある、ココカナ
さん。なんと、馬肉がいただけるお店なのだが、今回は
待望の?ひっつみ定食を。最近、登米の「はっと」とか
八戸のせんべい汁とか、こういうものが無性に食べたく
なっているのだな・・・しかしココカナさんといえば、あの
殺人的にかわいいねこ、さらちゃんにも会いたかったの
だが、なんと失踪していた・・・・・絶句
ここんちの娘さんではないのだが、小学校帰りの女の子
が立ち寄って、「さらちゃんまだ帰ってこないのー?」
と訊いてた。心配。

昼はおなじみ「うめのや」さんで、とおの味噌ラーメン。
夜はカクテルバー・パートナーにて綾さんとおはなし 笑
なかなか見ないスコッチ、グレングラントをいただく。
(なんとこの店、フェイマスグラウスまで置いてる・・・って
わたしは他にこういうバーを知らないので一般的な傾向
わからんのだけど)
その後は、リバース。マスター水野さんに頼まれてた、
「シーベグ・シーモア」の譜面、TRADさんに見つけて
作ってもらったのを渡したのだが、どうも欲しいものと
違っていたらしい。ギター伴奏に必要なタブ譜というの
が必要なのだ。それでその場で宮古のTRAD♀さんに
連絡 笑 あらためてそのタブ譜とやらをわたしのPC
へ送ってもらったのを、マスターのスマホへ送信!爆
TRAD♀さんからは「少しは自分でおさがし!」とお叱り
を 笑 受けたのだが、考えてみればそうだと思い、
あとで検索してみたら、自分には無理だったかも 爆2
けっこう、音楽に詳しくないとムズカシイかもです。
(言うまでもないが、フィドル弾くけど詳しくないです・・)
今回、わたしは楽器を持参しなかったのでマスターに
責められたが 笑 仕方ない 今回はセッションでの
失敗に意気消沈してたし また次回あらためて。

実は今回、2月に東京での長年の旧友・山本がこれも
長年のパートナーである女性とついに結婚式を挙げた!
という事で、新婚旅行で熱海へ行ったという事でなぜか
地元の特産である干物や塩辛を送ってくれたという・・
贈るのは俺のほうだろ、という訳で何かいい結婚祝いを
と考えていたのだが、花巻駅を降りたところのお土産屋
さん『はこざき民芸』 ここ、実はかわいいねこグッズも
あったりしてよく寄るのだが(どこまでねこ好きだ・・)
なんとここである南部鉄器に俺の感覚器がギュピーン!
となる。ここは関東の産物を送ってもらったのでやはり
東北の産物で と思っていたのもあり、しかし迷いもあり
遠野の帰りに買っていこうか、などと悠長に構えていたら
果たして遠野を出発したのが夕方であって、はこざきさん
の閉店時間に間に合うのかという事態に 爆
着いたところちょうど閉店時間を過ぎたところ・・(ばか)
ところが、お客さんがいたらしく、かろうじてまだ開いている。
突進し入店、例の品がまだ売れてないのを確認すると
「こっこれなんですが!」と問い合わせ。
友人の結婚祝いに、というとお店のおばあさま
「それは最高です!」とグッジョブして下さったのだった。


  


2016年04月07日

岩手冬名残の旅・・日記ノートより 中篇


3/8(火)つづき  *今回は写真、なし!!

盛岡では、やはりまず さわや書店フェザン店。
なんとあの『ゴーガイ!』の新作(*別項参照・・)
となぜか「ベスト版」が・・(全3巻しかないのに)
そして、「祝:北海道新幹線開通」にちなんで
北海道本特集が!!!自分たちの地元の事
じゃないのに・・や、やさしい
おまけに、「盛岡城」の魅力をあますところなく
紹介した城マニア本まで!!!!!
実にさわや、毎回期待を裏切らないな・・・

そして昼は鉄壁の?「不来方じゃじゃめん」
次にまたさわや書店だが、今度は大通り店。
ここではWebで見て知ってた
『まだ東京で消耗してるの?』
(*別項で書いてるが敢えて日記のまま)
この隣に『東京一極集中が日本を救う』という
新書が置いてあって、笑ってしまう。
まるっきり、真っ向対立だ。
わたし自身はもちろん、『消耗してるの?』の
イケダハヤト氏を強く支持だが、個人的には
アイリッシュセッションシーンにおいては依然
強烈なまでに東京一極集中状態で、これは
なかなか解消されないのではないか・・と思っ
ている。
確かに、才能が集中する事で個々人が磨か
れるところはあるだろう。その点からすれば、
アイリッシュセッションシーンはまさに現在も
続く東京一極集中を肯定し維持・推進する
根拠として象徴的ですらあると思う。
ただ、東北人ならば東北人なりの、東京の
シーンとの出会い方、接し方というものがあり、
わたしはこの10年間、無意識のうち否応なし
にそれを体現してきたのかも知れない。
東京の人たちにとっても、地方に対して、同じ
事が言えるだろう、と思う。

喫茶店は今回、新たに発掘。
ここ『リーベ』さん真向かいの、『六月の鹿』。
まだ新しい、小さな個人店で、大きな窓から
お堀が見えて、良い。置いてる写真集などの
本も、Good。珈琲、スコーンもなかなかに美味。
しかし後に来た女子大生2人組がかなりうるさく
て、イヤホンで音楽聴かずにはいられなかった・・
(「かわいい」「やばい」しか言わない 爆)
リーベさんぐらい広くて調度品?も多いと
他の客がなに話してようが気にならないのだが。

夕食は、かなり昔から知っていたがなかなか
開店時間にタイミングが合わず一度も食べた事の
ないカレー屋その名も『カレー工房』に入店。
紅茶の店『しゅん』や純喫茶『六分儀』の向かいに
ある、一見ほったて小屋のような建物だ。
お客さんあまり来なかったが(汗)カレールゥや
スパイスにはかなりのこだわりがある様子。
今風のスタイルで少々高価いが、長年きになって
た店でもあったので、ありがとう!と言いたい(?)

盛岡城跡の、もとお堀の一部である細長い池に
なった「庭園」には非常に仲良しの、鴨のつがい
が静かに泳いでいて、ほほえましすぎる。
仙台にも河や池はあるが、このように街なかに
あってきちんと整備されながら自然の一部のよう
になっているところは、なかなか見かけられない。


  


2016年04月06日

岩手冬名残の旅・・日記ノートより 前編


やっとこさ落ちついたので、今さらながら書こうと思う。
とはいえ、横着っぽいが旅の当時ペンで書いていた
日記から抜粋という形にしようと思う。
日記ノートは荒っぽいがやはりブログ書きよりも更に
正直な気持ちが出ている事が多い、と感じるので。
なお、「*」は今回のブログ注である。
写真はすべて、TRAD♀さんより戴いたものです・・

3/8(火) もう、3月だ。なんと、本当に岩手にいる。
(*この直前に「3月はまた岩手に行きたいが、今のところ
 未定 と書いてあった)
 盛岡、リーベである。
5日(土)はBarm'sセッション、6日(日)はなんと星港夜で
昼間、日本のアイリッシュバンド?のひとつ トリコロール
のライヴがあって、皆 集まった。
もともとは西井さんやわたしの行きつけであったのが、こう
して仲間らが集結してしまうようになるとは・・
久々に、西井さんご夫妻にもお会いしたが、西井さんとは
「震災のあと、この店で偶然、会えたよなあ」
と当時を懐かしむ。そうだ、俺にとって、震災の後といえば
この店だった。心も身も、ここが拠り所だった。

前田くんとかなさんが奔走して実現に漕ぎ着けた本イベント
なかなかに素晴らしい内容で、まさにこの店だからこその
味わいにもなった。アイルランド好きでおなじみのマスター
の、締めのスピーチもよかった。この店そのものが、店主の
アイルランド愛に満ちているのだが、それはなかなか表に
出なかった。内心もどかしさもあったのだろうか、ようやく
この場所にふさわしい「時」が訪れた、その喜びが飄々と
した中にも爆発していた そんな風に感じた。 

で、そのあとはTRAD夫妻のおクルマに便乗して、岩手へ
GO!爆 久々の宮古行き となる。
この一週間は労働日なし、とにらみまして
(日・月)宮古泊、(火)盛岡泊 以後、遠野でふらふら と
大胆なプチ長旅計画を組んだ
(と思ったら月曜・金曜 仕事の話が・・蹴ってきたが 爆)

5日のBarm'sセッションまでの3日間は、幸い?労働は
なかったのだが、原稿のしめきりや、たいせいの誕生日
(*甥っ子です 札幌の)が重なってかなり煮詰まった日々に
セッションはセッションで、また若い人たちが3人ほどいらして
おったため?もあり例によってわたしの曲出しは壊れまくった
のであった もうイヤ 若い人らを前にすると、変に身構えて
しまってどうしようもない。俺より弱い人間など存在しない。
やめようかな?とやるたんびに本気で思う。(そしてまたやる)

宮古では、さまざまな良いものに出会った。
まず、港にある道の駅で、「うにねこ」に遭遇!!邂逅ぉぉぉ!



これが・・・・・・・かっかっかっかわいい・・・・!!!!!絶句



確かにどっかで見た絵柄だが、やはり岩手人、センスがいい。
しっかりオリジナルなものにして、印象を不動のものにする。
そして、中華そばの「松の食堂」さん!



こういうお店と、ラーメン 一番いい!!!高齢のご夫婦だが
なにとぞまだまだ長く続けていただきたい
そんなお店なのだった。

あと、喫茶店は『異人館』 海沿いの高台に建つ洒落た洋館で
マスターは自転車など趣味人のようだ。しかし震災では津波が
達し、その後もいろいろ大変な中、今も続けておられる。



TRAD♀さんの頼んだ甘夏パフェ、果実だけちょっと戴いたが
素晴らしい味だった。

なつかしのTRAD家では夕方、DVDでアイルランド映画の古典
といえる名画『アラン』を鑑賞!笑 なにしろTVが大画面なので
えらい迫力・・・シンプルに生活風景を切り取った、という感じ
でもあるので、70分ほどながら長さを感じるところもあるが、
強烈な印象が残っている。

さらに夜は、みんなで同じ大画面でYouTubeを鑑賞!!爆
いや、これがしかし、面白かった。いつもはもちろん、パソコン上
で観ている訳だが、こうして友人と盛り上がる事ができるのだ。
観たのはやっぱり、アイルランド音楽関連。わたしが以前見つけた
謎の女性歌手 名前は確か・・爆
ジュリー・フォリス? あとかなり前だがカナダだと思ってて
もしかするとアメリカの人かも知れないシーラ・ノーブル?などなど

TRAD♀さん所蔵の『街道をゆく』アイルランド編もなかなかに嵌る。
特に今回、メモもとりたかったジョイス、イェイツの人生 あと
ビートルズなどについても。




  


2016年03月31日

岩手冬名残記・・の前に宮城 笑




なんか、すごい場所が北仙台駅から320円の多賀城駅前に
できた。確か、佐賀県武雄市に出来て賛否両論を起こした
「ツタヤ図書館」が東北にも進出したようなのだ。

とにかくも、そのビジュアルに、衝撃を受ける。
って、久々のぼけぼけ携帯写メ よくわからんと思うが
しかも、夜になりかけてるし
(なんなら、画像検索してみて下さいませ・・)



高い吹き抜け天井、そして壁一面が、本棚
これはスターバックスが併設された書店の方で、
この裏側に、図書館がある。
このスタイルの是非は、ともかくとして
居心地は、非常にいい。
これは明らかに、蔦屋が東京・代官山で始めて
函館にも展開した新スタイルの書の殿堂
その流れを汲んだものでひとつの成果である。

実は少し前にも、仙台北部、泉区にもかなり
広大なツタヤ書店ができたが、こちらには正直
代官山の血筋をあまり感じられなかった。
今回の多賀城の施設は書店・図書館ともに
面白い本に出会いやすい感触もあり、
またスターバックスは今まで見た事がないような
開放感を持っていて、若者だけでなく高齢の方々も
普通に利用しており
ある意味本も客層も特化されていた代官山を
超えた場所にすらなっている・・・とも思えた。

実のところ、スタバなんてまず使わないわたしなのだが、
ここはもう3時間ぐらい、珈琲やドーナツ、スコーンなど
とともに粘って、久々に手書きの日記をまとめていた。

本は、本当にいろいろ面白い発見があったのだが、
一番驚いたのは久々に手に取った『CARマガジン』で
以前わたしが乗っていたイタリア旧車フィアット500
それをメインにフィアット車を集めた「博物館」が
他ならぬ、なんと山形県鶴岡市にある、と知った事だ。
思わず、立ち読みの状態で「なんで??」と叫びかけた 笑
なんでも、愛知県にあった博物館が震災を機に東北移転を
決断したものだそう。事務所はいまも愛知にあるらしいが。
チンクエチェント博物館
http://www.museo500.com/museo500/topics/topics.cgi






  


2016年03月25日

俺は東京で消耗していたか?


イケダハヤト氏の書いた新書
『まだ東京で消耗してるの?』(幻冬舎新書)
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20160303
↑こちらかなり参考になる書評ブログ

これも先日、盛岡の「さわや書店」(大通本店)で見つけた。
これはなかなか面白かった。
実はイケダ氏の事も、この「東京で消耗」の件も、ネット上の
彼のサイトを見かけて知ってはいたが、とにかく書き方の
歯切れがいい。自分の考え方に確固とした自信があって
ブレがなく、わざと皮肉や嫌味を効かせた強烈な「煽り口調」
も、同じ考えや感覚の人間にとっては痛快そのものである。

さわや書店さんは、平積みの本書の隣に

『東京一極集中が日本を救う』(市川宏雄 ディスカヴァー携書)

を置いていたのが、笑えたというか・・攻めるねえ!さわやさん

都市政策の重鎮が書いた本と、30歳になったか否かのイケダ
氏の書いた「消耗」のどちらがインパクト大か?そして実際の
説得力があるか?これは興味津々、実読しかない。

しかしもともとネット上でいわゆる「炎上」の火種になりがちである
というイケダ氏。
横浜で生まれ育ち、早稲田大学を出て大企業にも勤めたが辞め、
ベンチャー企業にも勤めたが辞めて妻子とともに高知県の田園
に移住。プロブロガーで生計を立て、ITジャーナリスト、ソーシャル
メディアマーケッターなど高知の山中にて事業を次々に展開・・・
という、とにかく只ならぬ人物。

本書でものっけから「東京はもう終わっている」その理由を並べ、
通勤電車など移動時間のばかばかしさ、35年ローンを組んで
都内に家を買うばかばかしさを軽快に笑い飛ばす。
「あなたが通勤地獄に苦しんでいるまさにその時、僕は
 田舎の静かな自宅でコーヒーを飲みながら優雅に効率的に
仕事していますよ・・・えっまだ東京で消耗してるの?」
と、こんな具合。地道に働いて暮らしている、膨大な東京の人々
これは腹も立ってくるよなあ、と思う。
氏の、アンチサラリーマン的な立場を如実に示すのがこちら
http://www.ikedahayato.com/20150908/41559313.html?utm_content=buffer84658&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
サラリーマンの書くブログは絶対つまらない。
それはブログはアートであり、退路を保って守りに入った人間の
アートなど、面白いはずがないからだ・・・
このあたり、日頃から「安定した職業を持った人間の書く小説など
ろくなもんじゃない」と嘯いてるわたしを正当化してくれるが(爆)

地方の田舎に移住した方が圧倒的に稼げるチャンスがある、と
氏は主張するのだが、それはあんたがネットの在宅仕事を得意
にしてるからだろ!とか、収入は東京にいた頃の3倍になったが
まだまだ稼ぎは膨らむってカネの話ばっかだな!とか批判が
相次いでいるようだ。

しかしこの独特の煽り口調は、これまでいかに長い年月
「東京でなければ生活が豊かにならない」という観念に
膨大な人々が縛られてきたか、そして東京・地方双方に
多大な歪みを引き起こしてきたか その国民的なストレス
を象徴する反動のようにも思える。 
「いいかげん気づけよ」という。
東京一極集中は是か非か・・とか、少子高齢化を何とかしなきゃ
とかクダ巻いているより、実際に地方は面白いんだから、実践
する主人公にさっさとなっちまえよ!という事なのだ。

地方には仕事がない 
地方には面白い人間がいない
そんなのは全くの虚妄、真っ赤なウソだとイケダ氏は断言する。
特に人間は地方の方が断然面白い、むしろ東京の面白い人間
を地方に呼んでしまえばいい、と言う。堀江貴史氏の引用で
「一流の人に会いたいという者は多いが、むしろ一流の人が
 向こうから会いたいと思わせる人間に自らなる方が近道だ」
というくだりは大きく頷ける点だった。

しかし・・・と、ここでわたし自身の実感を振り返るのだ。
東京一極集中は、他ならぬ自分の中で、いまだ健在である、と。
そう、アイルランド音楽のセッションというシーンにおいて。

日本での、アイルランドはじめとするケルト圏の音楽環境は、
やはり東京が圧倒的で、これは到底揺るぎそうもない。
わたし個人は再び東京の環境をうらやみ、刺激を求めて上京
するようになったが、地方の音楽仲間たちはまさに堀江氏が
いみじくも言ったように、この風土に根ざして東京の人間が
むしろ会いにきたがるような音楽家へなろうとしているのでは
ないのか?ではお前が地方に生きる意味とは何なのだ?

考えてみると、わたしは「東京に消耗して」、東北に回帰した
わけではなかった。東京での生活はむしろ自分に合っていた
のだが、東北に興味が沸きすぎた事、東京に生きる意味が
見出せなくなった事、その2点に尽きたのだった。
心は東北へ、しかし身体は東京を愛し続けている、という事か・・

それにしても、長年住み慣れた東京を離れ、自分の意志ひとつ
で縁のない地方都市へ移住するなど、相当のエネルギーを
必要としたはずだ・・と我ながら思い出して驚嘆する。
そう考えれば、自分もまた、既に実践者でありイケダ氏にも
先駆けていたのだ。今さら、何を悩む事があるだろうか?
全くのところ、道半ばではあるがな・・ははは。


  


Posted by げん at 01:27Comments(0)えみし普通の日記

2016年01月31日

写真のない東京紀行2016 爆 (3)


映画の次は、音楽の事だろ・・といきたいところなのだが

グルメの話にしよう 爆

もともと旅の中撮った写真がフィルムだった以前に、
わたしには外食で出てきたメシを撮影する習慣もないので
写真そのものがないという 笑 状況だが

東京滞在中のメシ といっても、大した内容ではない。
俗に言う「ぶっちゃけ」、ラーメンとか、そばばかりである。

東京に住んでいた頃は、上京してきたおふくろと、
上野・精養軒なんかにも行った思い出がある
(おふくろは世田谷育ちのお嬢様だったから、むかしからの
 東京をよく知っていたものだ)
しかし、ひとりで行くところとなると、高円寺を中心とした
中央線沿線のラーメン屋や安い定食屋 久々上京しても
そういう所がまだやっているか、つぶれていないか確認に
行ってばかりである 笑

わたしは、どの街に住んでも、行きつけのラーメン屋を
最低6~7軒は作らないと気がすまないらしい。
東京を離れる直前だと、最終的に
@えぞ龍(高円寺 いまはもうない)
@幸楽(高円寺)
@天王(高円寺)
@満北亭(小平)
@桜吹雪が風に舞う(新宿 いまはもうない)
@やんばる(新宿)あっこれは沖縄そばだった

あれっラーメン屋5軒だけじゃん 笑

いや、実際には定評のある荻窪のラーメン屋や、
恵比寿ラーメンだって食べには行っていたが、
やはり、結局じぶんの町のラーメン屋ではないので
どうもなかなか馴染みの店、とはならないのである。
上にあげた店だって、ぜんぶ住んでいた町か、
毎日通勤で通っていた新宿の店だ。
雑誌に載ってた評判の店なんて常連になった事は
ほとんどない。
喫茶店についても同じ事で、どんなに美味い珈琲を
出す店だとしても、自分の住んでいたり通ったりする
町になければ、常連にはならないだろう。

だから東京がいくら大きな町だといっても
行動範囲はせいぜい高円寺阿佐ヶ谷レベルなので
自分としては仙台や盛岡ぐらいの町に、全ての店が
集まっていてくれた方が、ありがたい。
結果的に、東京全体で見ると、場所が散在している
だけに、愛着が定まりにくい事になってしまっている。

ともあれ 今回、行ってみたなつかしのグルメスポットは

@池袋 西口 『君塚』(立ち食いそば)
@小平駅前『満北亭』(札幌ラーメン)

・・・だけだった (だけかいっ!)

いや、実は荻窪ラーメンもあらためて味わってみたいなと
荻窪行ったら、むかし行ったと思った店がなかったり、
どこだかわからなくなったりして、結局はじめての店

@荻窪 『菊池』

・・・には入った。
あと、高円寺の生き残り『幸楽』や新宿の沖縄そば
『やんばる』も行きたかったが、今回はいつも行ってる
やんばるにも寄れないくらい、時間に余裕がなかった。

しかし、今回行けた3店舗は、どれも良かった。

『君塚』は実に昔ながらの、場末感に満ちた、くたびれた
それでいて活気にあふれたサラリーマンのオアシス。
味の濃いつゆのかけそば。かきあげには紅しょうがが
入っていて、なにげに忘れられない味になっている。
http://prononeet.org/?p=3956

『満北亭』決して「これは美味い!!」という店ではない 笑
これは、武蔵野地方?に展開する小規模チェーンだが、
いまどき580円で味噌ラーメンなんてなかなか食えない。
実に田舎っぽい札幌ラーメンで、地元の野菜感がいい・・
というか何というか。小平に住んでた10年前はそれこそ
500円だったと思う。しかし、今回 小平に来るだけで
疲れたので、もうしばらく来ないと決めた(爆 としだな・・
とりあえず、コインランドリーもスーパーも、変わらずあった
ので、安心した。それだけでじゅうぶんだ。
http://www.manhokutei.co.jp/archives/shop_info/kodaira/

『菊池』 名だたる荻窪ラーメンの店の中では、そんなに
有名な方ではないと思うが、実によかった。
http://ramenjiyuku.web.fc2.com/m.sugi.kikuchi.html
昔から有名な『春木屋』などは一杯1000円ぐらいする
上に、美味くないという人もいるのだが、ここは普通に
一杯650円で、本当に「これぞ東京のラーメン!」
「ラーメンって、これでいいんだ!いや、これがいいんだ!」
と叫びたい、特別の事のない、すんごい美味いラーメン 笑
実のところ、わが酒田のラーメンと共通項の多い、本当の
「基本的なラーメン」
で、しかも店構えが、何の気負いもなくて、うらぶれて(笑)
カウンターだけで しかも有線なんかじゃなくて、AMラジオが
聞こえていて・・・まさにこれ、『銀河鉄道999』の鉄郎が

「こ、これが・・・人類の口の永遠の友と謳われた、ラーメン
 の味!!!ぼ、僕はもう 僕はもう」

と号泣しながら食っていそうな そんな雰囲気なのだ。
これが、仙台にできた酒田ラーメンの店『満月』になると、
地元はもろ田舎っぽい木造のくせに仙台進出となると
妙にオサレな店構えに、有線BGM って・・・
http://www.sakata-mangetsu.com/sendai/index.html
違和感ありすぎだっつーの!!気取んなくていーよ!

ちなみに、ラーメンいただいてる途中、常連さんらしき
お客さんがスマホみて店主に
「青森、震度5だってよ!大丈夫!?」といい
「まあ、大丈夫だろ」と店主は答えている。
わたしが「ご出身、青森ですか」と聞くと、そうだという。
そちらも?と聞かれたので、
「いえ、山形ですが」と答えたが 爆
青森の人 東北人が作るラーメンだから、
美味かったのかもな!ははは


  


2016年01月29日

写真のない東京紀行2016 爆 (2)


昨日28日、仙台長町でようやく『スターウォーズ』の新作を観た。

東京に行った時、新宿かどこかで観ようかと思ってたのだが、
さすがにそこまでの余裕は持てなかった。
観ている間は本当に面白かったのだが、あとで脚本のあちこち
かなり重要な部分まで問題が多すぎて、満足度は残念ながら
高いとは言えなかったので、まあ仕方なし?とするが

映画といえば、今回の東京行きの目的の大きなところが、
長年渋谷で勤めた(といっても、6年間だが自分としては最長!)
映画館の、30年の歴史に幕を閉じる最後のシーンに、旧い仲間
たちと立ち会う、というものであった。
                 * 
わたしがここに勤めたのは26歳になる1996年始めから、
32歳になる2002年の始めまで。

東京に出てきてからの、20代前半というのは、愚かな若者であっ
たわたしにとって、道を定められず、出会いもすれ違いばかりで、
実家の事情にも翻弄されっぱなしの、まさに混沌の時代だった。

とにかく自分の好きな、映画の(機械に触れる)仕事に就こうと、
映画業界へのアプローチ ことごとく失敗の末にたどりついたの
が映写技師、という選択肢。ただひとつ、拾ってくれたこの映画館
も、映写室に入るには一筋縄ではいかない一癖ある職場だったが、
ここで初めて長いつきあいのできる(一緒にバカ騒ぎもできる)
仲間もでき、わたしの東京生活は一変したのだった。

とはいえ、実はわたしの「ふたたび東北に回帰して生きる」という
ビジョンは、皮肉にも勤め始めの27歳ぐらいには脳裏に定着しつつ
あって、この映画館も3年ぐらいの勤続が限界だろうと思っていた。
結果的にはいろいろの事情で2倍の勤続になったが、やはり映写
技師というのは本来望んだ職種ではなかった事もあり、30歳に
なる頃には行き詰まりのピークを迎えていたのだった。

                 *
さて、今回の「閉館記念の宴」?には映画業界、配給会社など
多くの関係者が集まり、また直接観客をこの職場で迎え続けた
わたしの旧い仲間たち・・社員もアルバイトも集結した。

わたしはかつてのアルバイト仲間6~7人とは退職後も10年以上
つきあいがあるので、彼らと待ち合わせて一緒に行ったのだが、
映画館自体に足を運ぶのはまさに退職後15年ぶりであった。

15年ぶりに会う、元社員やアルバイトたちはある者はレストランを
経営していたり、介護施設を立ち上げたり、映画監督になったりと
立派な躍進を遂げていたが、見かけは皆、驚くほど変わらなかった。
現社員の映写技師に、かつてわたしが働いた映写室にも入れても
らい、今はほとんど引退してデジタル機械に出番を譲った2台の
映写機にも再会し、触れさせてもらった時にはさすがに感激した。

劇場の、まさに最後の上映 というのを、仲間らと一列の席に並ん
で観たのだが、

なんと、わたしは途中、冒頭の10数分、寝てしまった 爆

つくづく、わたしは映画の世界から、遠のいてしまったのだ・・・
そんなことを、思った。

もちろん、懐かしかったのだが、この、怒涛のごとく押し寄せる、
「ぶ厚い過去の奔流」に、わたしは辟易しかけていた。

わたしは今、全く別の世界に生きていて、まだこれから進まねば
ならない。とにかく、現在・未来の世界へ戻らねばならない・・・
そんな風に、思ってしまっていた。
もしかすると、その場にいた皆も、そうだったのかも知れないが。

確かにわたしは、この東京で遅い青春を過ごしたが、
いまもやっぱり、東北で更に遅い青春を生き続けているのだ。

『スターウォーズ』を観ていても、わたしの興味は映画業界とか、
最新映像技術とかにはほとんど残っていないのがわかる。
わたしの求める世界、仕事とはどこにあるのか?
その答は、わかっていないようで、わかっているようで・・・
とにかく、今続けていられる事を やっていくだけだな。



  


2016年01月13日

写真のない東京紀行2016 爆 (1)


あけましておめでとうございます

とはいえ、すでに1月12、いや13日
完全に寒中お見舞いの時節です
この年始は、帰省から仙台へ戻ると
いくつものお年賀をいただいておったのですが
またすぐに東京へ飛び出さねばならなかったので
お返しは東京に着いてから書き
東京の知人たちにはギリギリ本人に手渡し
しかし仙台など遠方の方々には逆に間に合わない
結果になってしまいました・・真に申し訳ありません。

昨日、仙台へ戻ってきたのですが、
昨年末 クリスマスあたりからずっと旅のような感じで
さらには年賀状や原稿書きにも追われていたので
実にひさびさの仙台ゆったり生活・・・
とはいえ、今週数日間だけ ではありますが
ひとまず旅はしばらくの間、おあずけでいきたいです。

さて、東京行きの話なのですが、
例によって、フィルムで撮影したので写真はいまだ
できあがっておりません 笑
なので、文庫小説を読んでいると思って がまんして下さい
(がまんしてまで読むか)

5日火曜から、10日日曜までの滞在 としながら
結局一日のばして11日まで まる一週間もいました。
出来事としては、大きく分けて音楽セッション関係2日と、
むかし勤めていた映画館さようなら会関係で1日 の予定
でしたが、これも結果的に音楽セッション+1日追加で、
映画館関係も+1日追加 と華々しさ増加しました。

さらにさらに、今回わたしはこの旅に
「なつかし企画」と「新開拓企画」をぜいたくに盛り込み
とんでもなく慌しい、怒涛の一週間で 自らを血祭りに(爆
あげていってしまうのでした・・・

「なつかし企画」とは、ありていにいえば 今回は
@10年ぶりぐらいに神田神保町の楽器街に行って
  フィドルの弦を買ってみる+物欲に耐える
@10年ぶりぐらいに池袋西口の『君塚』という
  立ち食いそば屋に行ってみる
@?年ぶりぐらいに昔住んでた小平駅前の
  『満北亭』という札幌ラーメン屋に行ってみる
@むかし早稲田の学生街で髪を刈ってもらっていた
 いまは本郷で営業する理髪店さんで刈ってもらう
@あと、荻窪のラーメンか新宿の沖縄そばを食べる

などの実施がありました 笑

・・・これだけでも一週間内ではかなりあわただしく
なりそうですが、これに「新開拓」を上乗せです。
これは主に近年、特に首都圏に増えているという
喫茶施設と書店の融合「ブックカフェ」巡りです。
しかしさすがにそれだけでひとつの街にわざわざ
行くという余裕はなく、たとえば上記の神保町へ
行く用事があれば神保町のブックカフェに行く、と
いう具合で基本「ついで」として足を運んでみました。

「なつかし企画」として、池袋の西武地下にある
大書店「アール・ヴィヴァン」「LIBRO」の跡地へも
行ってみたのですが、ここが全く違う様相を呈して
いたので、「新開拓企画」へ変更でした。
地下はまるまる三省堂書店と直営?の雑貨店に
なっていましたが、別に数階からなる『書籍館』という
大型書店ができていて、そこに驚きのお店が誕生
していました なんと、昨年11月 できたてです。
こちらでその驚異的なお店構えが見れます
http://zabiena.exblog.jp/24705068/
実はこのあと、東急ハンズでも共通の商品を置く
区画ができていたのですが、最近 化石とか鉱石
流行ってるんですかね。今回は、科学博物館に行く
余裕が持てなかったので、うれしいんですけども。

この店ではさらに、土偶のレプリカとか、医療器具とか
なぜか義眼とか(笑)多様なマニアック趣味的な物品
が数々 骨董的なタイプライターとか、奇妙にでかい
オルゴールとかおそらく所謂スチームパンクという
SF的趣向の影響が現れている気もするのでした。

特にわたしが本当にぶったまげたのが、天文学関連で
むかし作られた「星座早見表」(非売品)なのですが、
これは『図説 宮澤賢治』などで写真が載っていたもの
で、とにかくふぁんたすてっくなデザイン!ひそかにずっと
憧れ、さがしていたものでした・・上記のblogにも写真あり
(市販のものはいかにも教材的で、味気ないんです)
非売品かあ そうだろうなあ 復刻しないのかなあ

個人的にもうひとつ、目が釘付けになったのが、
リアルな、しかもユーモアあふれるカエルの置物たち
http://www.gakuzan.net/amp/
なんと、福島県須賀川市で手作りされているのだそう
カエル好きにはたまらん!ですが、嫌いな人にも
なんだか強烈にオススメしたい素晴らしい作品群です。

って なぜか、そんな話からでした。




   


2015年12月23日

珈琲は切らしても紅茶は切らすな


実はもう随分な日数、豆を挽いて珈琲を飲んでいない。

ここしばらく、まあ勤め人としては普通だと思うが
朝はやい出勤が連日続いたもので、朝めしをゆっくり
とる、という事ができない。じゃあ早く起きればいいだろ
と思うが、それもなかなかできない。
結局、大慌ての朝めしカッコミになるか、出勤しながら
コッペパンをかじったりする事になる。

かろうじて家でカッコミできるなら、冬の飲み物は紅茶
になる。優雅に思えるが、極めて手軽なティーバッグだ。
日東やリプトンではなかなか満足いかず、最低でも
とわいにんぐ である 笑 個人的にはアイリッシュや
スコティッシュ といきたいところだが、手軽に入手という
訳にはいかないし、あいにくちょっと濃すぎるのが多い。
カップ一杯にバッグ一個でちょうどいい濃さで出るのが、
とわいにんぐ なのだ。そのあたりは、さすが洗練された
イングリッシュ と認めざるを得ないかも知れない。

わたしの紅茶好き歴は小学生ぐらいからで、珈琲より
断然、長い。要はケーキなど、洋菓子に合うからで、
珈琲だとドーナツとかバタークッキーとか、あぶらの
強い菓子ならば合うが、合う菓子のバリエーションの
多さは到底、紅茶にかなわない。
いまでも、森永マリービスケットやブルボンバウムロール
などと一緒に飲んで(笑)仕事の疲れを癒している具合。

また、珈琲と違って体調の良し悪しで身体が受け付けない、
という事もあまりない。
喫茶店に通うようになってから、珈琲という飲み物の面白さ、
奥深さに惹かれたが、紅茶専門喫茶店という存在を知って
外で飲む紅茶も見直してきた。

英国やアイルランドは言うまでもなく紅茶飲み国、
アメリカやフランスは古くからの珈琲飲み国である。
血縁的には英国なアメリカで何故紅茶がポピュラーでないか
というと、どうも反英の歴史からのようだ。
なんとももったいない。
しかし、日本のように紅茶も珈琲も同じように定着している国
も珍しいようだ。
日本では紅茶はまだ優雅、というか英国的、というイメージが
残っている気がするが、珈琲がアメリカ的とか、フランス的とか
感じている人はほとんどいないのではないだろうか。

珈琲は、まったく独自に、日本が自分のものにしてしまった。
日本で発達した珈琲文化の素晴らしさに影響されて、アメリカ
西海岸地域などで「サードウェーブ」なる喫茶革命が起きてい
るほどである。その日本では全国的にスターバックスが席巻
して、昔ながらの喫茶店の脅威となっているが、わが岩手・
盛岡ではこのスタバがなかなか定着しない。というのも、盛岡
が強靭なる古くからの喫茶店文化を保持しているからではない
か、とわたしなどは思っているのだが。
(おれは、スタバは人が多すぎるのでまず行かない
 ミスドやどとーるは時々行くけど 爆)

一気に、ばばーっと書いてみた。
なぜこんな、ばばーっと書けたかといえば、たぶん、紅茶を
飲んでいたからだ。
喫茶店といえば議論とかおしゃべりだが(席向かい合って、
ふたりともスマホいじってる変な連中がすごく多いけれど)
人間の脳の、会話・議論を司る部分を活性化させるのは、
珈琲よりも実は紅茶の方らしい・・・と何かTVで観た。


  


Posted by げん at 20:49Comments(0)えみし普通の日記

2015年12月23日

閉じた視界を開く


年末の労働も一区切りついたか・・・

大切な仕事で、面白さもあるが
やはり自分をある意味押し殺していないと続けられず
知らず知らず過大なストレスがかかっている事を
あとで実感する。多くの人がそうなのかなと思うが

このままの状態で小説(のようなもの)にとりかかっても
文字は書けていてもただ書いているだけ、という状況が
2日ほど続く。
自分が作り出した「世界」の全体が見渡せなくなっていて、
数日は前後不覚のまま進まざるを得ない。
(つまり毎日のように労働していると、ほぼ永久に完全な
 状態に戻れないまま書き続ける事になる)
働きながら書く、というのはこの繰り返される自己リハビリ
というジレンマとの終わりなき戦いのようである。

最近、ずいぶん前に観た映画『クラウドアトラス』の
長めの予告編を繰り返し見ている。
https://www.youtube.com/watch?v=XPQTWE-uj5k
映画そのものも大変面白いものだが、
予告編としてこれほど刺激的なものもそうそうないように
思う。作品自体は観ないで、これだけで想像をふくらませ
るのもいいかも知れない。

内容は輪廻転生に近い。
自分にはかけ離れた話のようで、実は観る者ひとりひとり
の物語でもあり得るところがこの作品の肝だと思う。


  


Posted by げん at 02:49Comments(0)えみし普通の日記

2015年11月24日

なぜ俺は東北復興を標榜する新聞に小説(のようなもの)を書くのか


失礼いたした。

いま、季節労働従事中で、あまり休みがないのである。
文章作成の仕事はほとんど手がつけられず、毎月の
小説(のようなもの)連載も、2日しめきりを伸ばさせて
もらうていたらく。Fiddleも週に一度しか弾けない。

今日、毎年恒例のケヤキ並木大電飾が始まった。
(写真撮ろうと思ったが、携帯シャメ機能?がいかれた
 かもしんない)
また、今日は仙台に新しい地下鉄が開通した
(わたしはまだ地上駅入口しか見ていない)

都市・仙台は確かに、動いている。
岩手県遠野での辛い村政生活から逃れて当時昭和初期
の隣県仙台に移住した佐々木喜善は

「ああ、都会は美しい」
「都会の夜は、魅惑的である」

と、日記に書き残している。
わたしは、昼となく夜となく、仙台の街を歩いていると
喜善のこの言葉を思い出す。

東京にいた頃は「都会は美しい」と思った事がない。
決して、仙台は美しくて東京が醜いという意味ではなく、
都会を美しく感じるには、外の山河が意識されなければ
ならない、と感覚的にわかるからだと思う。

つまり、外の山河、自然が圧倒的であるからこそ、都市
の輝きが際立つ。活気があると、さらに良いけれど、街
が大きすぎると逆にいけない。
という事は、小さすぎる鶴岡でも、大きすぎる東京でも
「都会は美しい」と感じるには問題があるのだ。

だから本当をいうと、わたしにとっては仙台よりも、盛岡
の方が「美しさを感じられる都会」として勝っている。
外の自然が、よりダイレクトに感じられながら、活気の
ある街だからだろう。

喜善は岩手県人なのに、県都・盛岡ではなく隣県の仙台
を選んだ。
もしかすると、昭和初期はまだ盛岡は、現在の鶴岡くらい
の規模で、仙台がまだ盛岡ぐらいの感じだったのかも知れ
ない。

さて、わたしがここ2年半ほど、『東北復興』と名打つインタ
ーネット上の新聞に連載しているのが、この佐々木喜善
にもご登場いただいている小説(のようなもの)である。

佐々木喜善、宮澤賢治のほか、青森の石版画家・今純三
や仙台の詩人・石川善助といった実在の東北人たちが登
場する。
物語はまさに喜善が仙台への移住を考え始めた昭和三年、
当時まさに開催されていた産業博覧会を観に集まった
彼らが、なんと七百年前の、まだ仙台が建設されていない
ほとんど原野だった時代の宮城野へ「時間的跳躍」してし
まう、というもの。時まさしく平泉藤原氏を滅ぼすため源頼朝
が20万人以上の大軍勢でここ宮城野を通過せんとするその
前日であった・・・とさ。

本来は、2011年の大災害からの地域の復興を見つめ
また地域とともに歩むというれえぞんでえとるを持って
いる新聞。創刊者も、また寄稿者も、現実のいまの被
災地を取材し、またテーマにして執筆を続けている。
わたしも創刊当初、一年間は自分なりの現実のテーマ
でエッセイ的な記事を書かせていただいていたが、
「新聞といえば連載小説とか漫画でしょう」
とか自ら言い出して、創刊2年目に入った頃合に、たまに
こんな企画も、といったノリで(だったと思う)書き始めて、
かれこれなかなか終わらず2年以上経過(爆)という状態。

果たして、「東北復興」というテーマにわたしの
小説(のようなもの)は指向が一致しているのか?

つづく






  


Posted by げん at 00:03Comments(0)えみし普通の日記

2015年11月08日

お菓子ものがたり




明がらす が美味い(ひさびさのぼやぼや写真失礼します)

これまで、わたしにとって遠野の菓子といえば、
「松焼 まつやき」
だった。これは、あまりめじゃ~ではないかも知れない。
お土産用としても売っているが、松焼は地元のすーぱーで
普通にビニールトレイにラップして売ってる。
明がらすは、緑色あざやかな松焼に比べ、見た目が地味で
一見、あまり美味そうに見えない(^^)のだが、
オトナな味というか、一度その味わい深さがわかると、
止まらなくなる。甘さが実に上品なので何個でも食べられる。

今年の遠野まつりの際、地元でいつも世話になっているBar
のマスターが我々みんなにこの明がらすをひと箱ずつ下さった。
帰ってから、わたしも周りに分けたらいいのに、全部自分で
食ってしまった 爆 それくらい、今回ははまった。

今回、お返しにこちらも菓子折をと考えたが、仙台の菓子は
おそらく仲間らが持っていってるので、ここはひとつ、お郷の
山形や庄内の名物をさがして持って行こうと思い立った。

つまり、仙台にも山形の菓子がどこかに入ってきているだろう、
と踏んだわけである。なにしろ、岩手の「かもめの玉子」などは
当たり前に出回っている。山形がないわけは、ない。

ところが、探し歩いてみると、案外、これがない。
山形の菓子として、思いつくものは「だだちゃ豆なんとか」とか
「樹氷」とかの新参や流行ものを抜きにすれば、
@のし梅   @くぢら餅 などの内陸もの
@古鏡   @おきつねはん(正式には「きつねめん」か)
@とちの実かりんとう  @ふうき豆  @からからせんべい
@とちもち  といった庄内もの・・
あと@マロン って、庄内だけなのか?
それとケンミンなにがしで紹介された「おひな菓子」も庄内だけ
と知って意外だった。 

とりあえず仙台中心部のいろいろなデパ地下を巡ったのだが、
ようやく見つけたのが、藤崎さんにて。
東北各地の、代表的な菓子を紹介しているコーナーがあって、
山形では前述の @のし梅 @古鏡 @からからせんべい
があった。(さすが藤崎・・・ふところ深い!!)
ほんとうは、わたしが大好きな @くぢら餅を遠野の人たちにも
味わって欲しかったが、ここはせっかく庄内菓子の重鎮@古鏡
があったので、これをひとつ包ませてもらった。

この@古鏡というのは、羽黒山のご神体である「池」の中に
千年前から脈々と沈められてきた、古代の鏡を模して発案された、
という正真正銘・庄内たましいの菓子 100年以上の伝統がある。

ところが、実は子供の頃、わたしはあまり好きじゃなかった 笑
もう、あんこと餅を圧縮したような、かたまりみたいだったから。
(あと、雰囲気があまりに古風というか、仏さまのお供えっぽい)
もちろん、あんこも餅も大好きだし、兄貴は好物だったようだから
いつかあらためて、自分用に買って、食べてみようと、思う。



  


Posted by げん at 19:02Comments(0)えみし普通の日記

2015年11月07日

続・もっと地元アクセントでしゃべろう


最近、文章作成の仕事を新しく始めた。
とてもそれだけで食べられる というもんではないが
わずかでも原稿料が頂けるというのは有難い事だ。

そもそも今回、あらためて自宅にネット接続環境を置いたのが
パソコンのバッテリーが限界になったから なのだが
やはり今回は娯楽のためだけではなくて たとえば
接続料金分ぐらいはこのインターネットで賄おう などと
考えていたのだった。
(つまりそれだけ生活が楽ではない、という事 はずかしいが)

最近はぼちぼち、読みたいほうの小説も出てきた
(どんだけ読んでないんだ)
あのSFの大御所(って、他の言い方ないのかね)
ロバート・A・ハインラインの『輪廻の蛇』、
SFの吟遊詩人(これはまあ、いいかな 他にいないし)
レイ・ブラッドベリの『歌おう、感電するほどの喜びを!』
とか、意外に読んでなかったものが復刻?されてきている。

むかしは、A・E・ヴァン・ヴォクトかジャック・フィニイとか、
ロバート・シルヴァーバーグとか、ジェームズ・ティプトリー・Jrとか
ハヤカワ文庫SFものをけっこう読んでいた。
日本のSF作家というと、もう大原まり子には熱中したものだ。
基本的に、わたしはSF人間だと気づかされるな・・

そういえば、井上ひさしの『吉里吉里人』がSF小説として
何かに紹介されていた事があるが・・あれってSFですか??
というのも、わたし実は読んでないので(爆)
えっあれは東北の生んだ名著だろ!
奥羽越って苗字を自分にかぶせといてとんだモグリ?だろ!
って言われそうだが
あの、「東北方言」まるだしで書かれた文体にものすごく
抵抗を感じてしまいましたもので(あと、本の厚さにヒいた 爆)
あれが自分の郷である庄内の言葉だったら、読んでたのかな・・
いかんな いずれあらためて手にとらんと

で 地元アクセントのはなしだが(まえふり長げーよ

今回、遠野や盛岡に行ってもつくづく思うのだが
たとえば釜石線で、学校帰りの子供らの会話、聞いてても
ほんと、東京言葉だわ とガクゼンとする。
わたしなども、仙台にいる時は正直、東京言葉が多く
ひとりごとすら、東京言葉の事もある 笑
しかし意識して、アクセントだけは庄内言葉でいようとする。
アクセントだけ保っていれば、たいてい東北のどこでも
東北人として通じ合える気がするのだ。
星港夜や、Barm`sのマスターの自然な地元アクセント
エリートだろうがなかろうが、地元に誇りを持つ人間は
堂々使っている。
単語や名詞はともかく、アクセントは出していきましょう、
みなさん!!


  


Posted by げん at 22:45Comments(0)えみし普通の日記

2015年11月03日

もっと地元アクセントでしゃべろう


10月31日(土)

また、遠野へ行ってきました。
持っていったカメラが、フィルムのオリンパスXAだけで、
しかもフィルムを買ってなかったので(やる気ねーなー)
写真は、ほとんどありません。
しかし、友人たちのステージは素晴らしかった。

遠野まつり以外の時期に遠野に来るのは、生涯で2度目です。
花巻駅で訊いたらまだSLの切符があったので乗ってしまい
車内で友人たちと合流できました。
彼らの座ったとなりのボックスに、仙台の職場の人がいたとか
今回も不思議な事はあったけれど、ほかはあったかな?

ひと気のない町を、スローモーションで歩くネコがいたのだが、
これがけっこうあちこち出没する行動力抜群のネコだったとか・・
そんなとこかな(もっとあったろ)

11月1日(日)

一日中、遠野を歩き、川岸でFiddleなど弾いていました。

今回、小説のしめきりがあるのと、お金も節約できるのとで、
盛岡に寄るのをやめて仙台に帰ろうと思っていたら、夕方
釜石のほうで事故があったらしく、汽車が遠野に来た時
21時近くになっていました。
鈍行以外を使う気はなかったので、仙台まで行く事は不可能
遠野にもう一泊か、それとも盛岡か、の選択肢
結局、盛岡に行く事にしました。
車内では、JR職員と東京方面からの客が大揉めしてるし、
わたしのFiddleケースがいきなり上の棚から落下するし
なんか、さんざんでした。

11月2日(月)

盛岡では、雨がぼちぼち降ってきました。
それでも傘をさして盛岡城跡の中を歩いたら、これがもう
すさまじくいい紅葉の大ぱのらま!
この時期に来たのはなるほど初めてで、これはむしろ
桜の時期より感動したかも知れません。

肴町アーケード入口の写真屋さんで、業務用フィルムを
処分セール?してたので買い、今さらながらXAにセット。
ふたたび城へ向かうも、雨の中どんより暗めの日光下で
紅葉を何枚かおさめる・・・うーん どうだったものか
それでも、やはり今回、盛岡に来てよかったな

ひるめしは、どうにもこうにも不動の、不来方じゃじゃ麺。
味だけでなく、雰囲気などもろもろ、ほかの店には行く気
がしないほど、わたしには不動の店。

喫茶は、久々に紺屋町の、クラムボンさん。
せまいのに、えらく居心地のいい店。
ここの珈琲は、濃くても優しく、なんとも奥深い。
プリンとのセットが、またいい。

さわや書店さん(盛岡駅フェザン店)が、全国区の本屋に
ついての雑誌別冊でえらく絶賛されていた。
「全国にいろいろ工夫されている本屋はあるけれど、
 本当の意味でびっくりさせられたのはこの店だけ」
「よその書店とは明らかに何かが違う。本への情熱がすごい」
すごいとは思ってたが、中央の人が感動するほどやっぱり
とんでもない店だったのだな・・・盛岡、あらためて凄し

TRAD♀さんも言っていた『これでいいのか岩手県』も
おもしろし!今回、遠野で佐々木喜善さんについての本を
買ってしまったので、こちらは購入断念。
仙台版ももちろん面白かったけれど、地元のはずの山形版
より、岩手版に釘付けになってしまうオレって・・・
仙台へのバス時間が来たので、立ち読みも中途で断念!笑
また次回ですな (バスめ 10分以上も遅れてきおった 寒い)

あっタイトル、完全に忘れてました 爆







  


Posted by げん at 14:01Comments(2)えみし普通の日記

2015年10月17日

ネット廃人化防止!? そして広島の血


パソコンのバッテリーが完全に お疲れ様でした に
なってしまったので、自宅でネットがつながるように、
一応 しまして半月がたつ。
(新しく銀行口座作らされたりして、手続きに一ヶ月
 かかりました・・・)

しかし、動画はほとんど見れぬ。
動作も、けっこう遅い時は遅い。

というのも、ひと月で7GBぶん使うと、速度制限が
かかってしまう、というアレである。よくわからぬまま、
『ブラタモリ 仙台 前編』
なんかを観ていたら、4日ぐらいで速度制限、来たーっ

まあ、ちょっと重いサイトとか見なければ、普通に動作
はする。これ、元に戻るには来月一日が来れば自動的
にリセットなのだが、あと半月もあるな・・・

速度制限なし、という会社もあるのに、なんでわざわざ
こんな不便なのにしたか、というと
(いや、予想以上に不便なんでびっくりしたんだが 笑)

やっぱり、あんまり自由に動画なんか見れると、
奥羽越現像は、ネット廃人まっしぐら であるゆえである。

とにかく、わたしは誘惑に弱い。意志が弱い。
わたしが酒に弱いのは、本当に神の助けかと思う。
酒に強かったら、水代わりに飲んで、今頃死んでた
だろうな・・・。

小説を書き続けられるのも、しめきりがあるからだ。
って、前にも書いたなそれは。

酒に弱いのは、地元庄内の町でも珍しがられた。
高知土佐と同様、クレイジーな酒飲みばかりの土地だ。
うちの家系は、男が酒弱いので知られている?が、
その中でも、わたしは突然変異的に弱いそうだ。
(といっても、一滴も飲めない ってほどじゃないが)

他にも、新しい事を始めたり、東京とか北海道とか、
やたらと移住したがったり けっこううちの家系は周囲
から浮いていると言われてきた。地元の名士的な、
優秀な人物をたびたび輩出するが、逆にわたしの
ような妙なできそこないも出てくるという極端な家柄。
(周りに誰もやってる人いない田舎で、Fiddle弾きたい
 とか13歳で思わないでしょう、普通)

これは、やはり広島の血かな と思う事がある。
四百年ぐらいむかし、福島正則の家臣だったという
うちのご先祖・藤原なにがしは、家康のはかりごとにて
主君広島を追われるを機に、流浪の末 庄内の漁村に
辿り着いた。そこで意外な商才を発揮してしまい、
地元の一大豪商に成り上がってしまったとさ。
(うちはその分家筋である 全然リッチではない。)

『マッサン』のモデル 竹鶴政孝氏は広島の人
彼の生き様を見ていて、なるほどなーと思っていた。
(いうまでもなく彼は酒つよいですけど)
ブラジルなどへの移民も広島県人が突出して多かった
とにかく、よその土地に行きたがるのが広島の血なのか

そんな訳で、ルーツを求めて、広島へ旅した事も何度か
あるが、アナザスカイと言えるほど愛着が沸いた訳では
ない。広島の血を感じる事はあるけれど、もはや
あいでんててー はほぼ完全に東北にあり なのだ。

そういえば、安倍晋三氏のご先祖に、かの平泉藤原氏
の母体である、奥州安倍氏がいるという。
古代東北へ侵略の手を伸ばした源頼義と戦い、敗れた
安倍貞任。その弟の宗任は命を助けられ、西日本へ
流罪となった・・・その末裔だというのだ。

これは考えてみると、大変な事だ。
なにしろ、古代東北の王者とも言える家系の末裔だと
いうのだから・・・東北人が彼を呼び寄せて、あらためて
東北の指導者に(!)という声が上がってもおかしくない
はずだった。

ところが、当の本人は、さらさら東北への帰属意識なん
かないようだ。東北を訪れた時に、リップサービス的に
「実はご先祖が・・」とか言ったは言ったようなのだが

考えてみると、四百年前の故地・広島にわたしが帰属
できないのに、安倍氏の場合 倍以上の千年近く前だ
爆 そりゃ東北に愛着もていうほうが無理だろ・・・

実際の彼は東北を踏みにじって明治の時代を拵えた、
長州の人。近代日本を牽引してきた土地と血族の自負
にガチガチに固められている。

おそらく、彼もリーダーになるべく・・というか、させられて
しまうような己のその資質に、「奥州王の血」を感じては
いるだろう。しかしそのあいでんててーは、もはや全く
奥羽東北にはない。

・・・だから、なに って話ですが

民族は、遺伝子ではなく、土が作るのだな と
つくづく思うのであった。





  


Posted by げん at 22:29Comments(0)えみし普通の日記

2015年10月15日

冬に向けて


前項の、シネマライズ閉館の事もあって
当時ともに勤めていたアルバイト仲間たちと
あらためて集まり、かの劇場へ行ってみよう
という事になった。
(まあ、しかし彼らとはもともと交友が続いて
 いるのだが 出会ってから20年ぐらいたっ
 ている!いい職場だったという事だろう)
年明けになりそうだ、今回の東京行きは。

仙台では、どうも「ひとり芝居」をやる事になって
しまったような・・ハメになってしまったような。
あの、イッセー尾形さんみたいな?感じでしょうか
・・・この、奥羽越現像 十数年ぶり?数十年ぶり?
に役者をやってみます。会場は、いつもの行きつけ
の喫茶店で・・・みたいな。
いや、正直とうとつな話なので何とも詳細は綴り難い。
ただ、こうして書いておくでもしないと、忘れてしまい
そうだから(ぉぃぉぃ)そのくらい、とうとつだから。
日程は、うーん 今年中には たぶん
(いいかげんだなー)

  


Posted by げん at 23:22Comments(0)えみし普通の日記

2015年10月11日

シネマライズ 閉館 その3


秋の大掃除を始めました・・
水が冷たくならないうちにね。
さておき

そう、90年代の自主制作映画野郎たちにとって、
「フィルムで撮るか?ビデオで撮るか?」
は結構、葛藤するところだった。特に95年までは、
8ミリフィルム映画の機材はまだ豊富に中古店に
出回っていて、富士フィルムはがんばってフィルム
を生産し続けてくれていた。当時のビデオ媒体である
8ミリビデオ、Hi8の編集技術・画質では、とても映画
を作っている、というレベルの満足感は得られず、
ましてや世界の映画製作自体、フィルムで行われて
いたのだから、その葛藤は当然のものであった。

ところが、わたしがシネマライズに勤め始めた頃、
かの革新的な「デジタルビデオカメラ」が発売された。
パソコンで編集でき劣化しない圧倒的な高画質。
瞬く間に自主制作の現場からフィルムは淘汰されて
いったが、この時は、よもやハリウッドの映画製作の
現場までがフィルムを廃棄しデジタルビデオへ乗り
換える事になろうとは、想像すらできなかった
(というか、したくなかった)

ハリウッドまでがビデオで映画を撮り始めた事が
何を意味するかというと、つまり世界中の映画館
から、フィルムの映写機が撤去される という事
である。
映画2時間分のフィルムというのは、大の男が息を
切らせて階段昇るくらい、けっこう重いもの。
これの運送費用も相当のものだし、映写機は常に
動かしていないとダメになってしまう精密機械である。
結局、全てにおいて費用のかかるフィルム機材を
廃し、ディスクを入れるだけのデッキと投影機だけ
に置き換える、という作業が、世界中大小全ての
劇場に課せられる事になった。

一見、これなら映画産業・興行としては問題なく、
維持していけそうに思えるが、問題はそうした
設備面の移行作業が、劇場側の負担で行われた
事である。もちろんシネコンのような大資本の所なら
いいだろうが、ミニシアターなど、決して潤っている所
ばかりでないのに、莫大な出費を強いられた。

そしてシネマライズも例に洩れず、わたしもさんざん
動かした映写機を撤去して完全デジタル化を完了。
ところが、そうした結果が、わずか数年後の、閉館
である。

先年のカンヌ国際映画祭で、フィルム上映された映画
は、何と特別上映されたQ・タランティーノ監督の
『パルプフィクション』のみだった。監督は壇上で言った。

「我々は敗北した。映画は死んだも同然だ。」と。
http://news.livedoor.com/article/detail/8869895/

一般の人の多くは、いまひとつ実感できないかも知れ
ないが、例えば20世紀初頭から連綿と作り続けられ
遺されてきたフィルム作品のほぼ全てが、本来の
フィルムでは観られない という事実を考えてもらえれ
ば、その重大さが少しわかっていただけるのではないか
と思う。絵画でいえば、世界の名画のオリジナルが全て
焼失して、画集やネット上でしか見れない、という状況
と同じである。つまり、人類の遺産の喪失 という事だ。

ともあれ、映画は続いていくだろう。
けれども、シネマライズ閉館に対し寄せられた声の中に

「観せる側にも観る側にも、かつての熱気が感じられない」

とあって、映画のひとつの時代の終焉を認めると同時に、
先立って映画を捨て文学に走ったような自分を振り返っ
たりもするのだった。



・・やっぱり、ブログ書くって いいもんだな。







  


Posted by げん at 14:02Comments(0)えみし普通の日記

2015年10月11日

シネマライズ 閉館 その2


アタマを冷やそう

とにかく、シネマライズの存在感は、相当のものだった。

しかし、今回閉館にあたって、寄せられた声というのは
ほとんど例外なく
「むかしよく観に行ったな~」
というもの。そう、つまり最近は観に行ってないのだ。
偉大なミニシアターが、過去の栄光になっていた。
なぜ、そんな事になったのだろう。

と、かく言うわたし自身、この頃とは比べ物にならない
くらい、映画を観なくなった。
まあこれは、自ら選んだ貧乏への道とも関連していて、
そもそも、うちにはTVが随分前からない(笑)ので、
DVDで映画鑑賞もできないのだ。
おまけに、仙台の街というのは、盛岡とも違って劇場公開
中の映画の看板などもほとんど見かけないので、現在
かかっている作品が何なのか、心に留める事も難しい。

しかし個人的に、映画から遠ざかったのには更なる理由
があった。シネマライズで映写の仕事をやるかたわら、
休日にはいわゆる自主制作映画を手がけていたが
(映画館の社員から『腰かけで勤務するつもりならば
 やめてほしい』と言われたにもかかわらず・・)
やがて無意識的に、映画そのものに失望していたのか、
仕事も映画作りも辞めて、長い旅生活を始めてしまった。
いま考えると、映画の中に擬似人生を求めるよりも、
自分の人生を生きたい、と思っていたのだと思う。
つまり自分は映画好きだと言っていながら、
その映画に自由を奪われて息をつまらせていたのだ。

まー脱線

自分の事はさておき、映画業界そのものもかつてない
革命的な(そして致命的な?)変化が訪れていた。

ひとつは、わたしの退職前に既に始まっていた、
シネコン―シネマコンプレックスの普及である。
これは、ただの大きな映画館ではない。
今まで、シネマライズのような「単館上映」でしか
観られなかった作品が、ほとんどこのシネコンで
回せるようになった。ミニシアターブームというのは、
つまりハリウッド大作などに対して、個人や小企業が
作った低予算映画に、「この劇場でしか観られない」
という付加価値をつける 更にはその劇場の個性と
セットとして作品を際立たせる効果も持たせる という
映画芸術への高い意識の賜物であった。
しかしシネコンでの一括上映は、大作も小作も全て
よく言えば差別なく、悪く言えば画一的に人々の前
を通過させてゆく(これがホントのロードショー?)
事になった。

もうひとつが、フィルムからデジタルへの完全移行である。

が、くたびれたので、ここで切ろう。つづくーっ





  


Posted by げん at 11:47Comments(0)えみし普通の日記