QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
庄内・村山・新庄・置賜の情報はコチラ!

山形情報ガイド・んだ!ブログ

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

2017年05月07日

5月7日(日)


昨日、久々の労働を言い訳に、怠けましたが
大そうじは、続行中です。 笑
実はそうじだけではなく、いろいろ寝床とか机とかの
位置も変える計画なので、一年がかりです。
大そうじ「月間」ではなく「年間」ですね・・・
夏などはとても部屋ん中でぱたぱた動く気もなくなる
のですが、少しでも動きやすくする為に備えなければ
なりません (なんてね じゃなくて)

最近、漫画熱はちょい落ち着いて(っても、そんなに
読んでた訳じゃないのだが)小説などに傾いてたの
だが、またまた面白い漫画に出会ってしまった。



近年、漫画がクールジャパンとかいって全盛のように
言われているが、むかしのように、若い人が誰でも
読んでいるマンガ作品というのは、たぶんないだろう
と思う。『ゴールデンカムイ』なんて、奇跡的に、かなり
周囲の知人も知っているが、本当にこれは例外だ。

今作品の作者・カサハラテツローは、かなりマイナー
な作家である。なにしろ、集英社とか講談社とか小学館
とかそういう知名度の高い出版社からは一度も作品を
出した事がない。私より少し年上で、勿論むかしから
描いてはいるのだが・・CRコミックスとか、MFコミックス
とか、富士見書房とかIKKIとか・・知らねーつーの 爆

いまどきのマンガというのは、メジャーじゃなくて3年も
たつと、どんどん後から新作が押し寄せるのでとっとと
書店の棚から消えてしまう。だから遅れて注目して
探してもなかなか見つからない、という事になってしま
うのだ。儚い・・・彼らは、ちゃんと生活できているのか
(他人事とは思えなくなる・・そのうち)

かくいう私も、この作家を知ったのは、ごく近年である。
3年ほど前、彼は新作を出した。その最新の5巻目



わたしが注目したマンガというのは、はじめ無名でも
のちのち漫画賞を取ったり、アニメ化・映画化したりする
作品が多い。これはわたしの兄もそういうところがあって、
要するに、マンガを見る眼はある、という事だ(えっへんw)

この『アトム・ザ・ビギニング』も、なんと最近NHKでアニメ化
されてしまい、放送中である。これは、予測がつかなかった。

冒頭で書いたように、むかしのまさに「誰もが読んでいた、
もしくは知らない者はいなかった」マンガの時代、その代表
である『鉄腕アトム』その誕生前史を描いたものである。
将来アトムの生みの親となる天馬博士と、育ての親となる
御茶ノ水博士が大学時代の親友だった、という設定で、二人
が共同開発するアトムの「前身」というか「前世」ともとれる
ロボット「A106(エー・テン・シックス と読む)」の活躍を描く
ものである。

『アトム』を別視点から描いたものとしては、かつて浦沢直樹
の『プルートゥ』があったが、あちらはあまりにもダークで深刻
になり過ぎていたのに対して今作は子供でも充分楽しめる
エンターテイメントである。

実はカサハラテツローはオリジナル作品よりも、原作・企画
つきの、作画・漫画担当、という仕事が多い。オリジナルと
しては近未来の乗り物に女の子が乗るSFスポーツもの、と
いう独自のジャンルでアニメ化もされているらしいのだが・・
とことんマニア向きなんだなあ
今回も、手塚治虫の息子・手塚眞、ゆうきまさみといった
強力な監修・助言役でバックを固めているようなのだが、
正直設定は面白いとはいえ、はじめ数巻はあまりキャラクター
を生かしきれていず、話はこびも上手くいっていない気がした。

俄然、面白くなってくるのは今巻、アトムの妹・ウランにあたる
ロボット「A107」が登場してからである。今回、A107は兄・A106
よりも最新で、先んじて空も飛ぶなどあらゆる能力が優れている、
という点が面白い。聖人のような兄に対し、妹は子供の残酷さを
さらけ出す危険な「兵器」でもあり、この兄妹がいかにして心を
通わせるか?が今回の一番の読みどころとなっている。
(それにしても、人間の表情を持たない機械であるA107をここまで
女の子っぽく、かわいく描いてしまうカサハラのセンスはすごい!)

他のロボット・キャラクターにしても、『アトム』ファンならば周知
の『史上最大のロボット』に登場したスコットランドの「ノース2号」
の1号機(これも女性的曲線をもっていて、極めてエロい!!爆)、
『イワンのばか』に登場したロシアの軍用ロボ・イワンなど往年の
名作を知る者ならば思わず唸るような工夫が凝らされている。

ロボットだけではなく、人間のキャラクターの設定工夫もなかなかだ。
あのヒゲオヤジ(伴俊作)も少年時代の姿で登場するのだが、彼の
曽祖父が悪徳の町医者であり、御茶ノ水の祖父がその病院の地下
に下宿していた、という話が出てくる。

これ、実は『アトム』の最終エピソード『アトム今昔物語』の中で、
物語の中1970年頃の設定で、町医者はヒゲオヤジの父親、そして
下宿していたのは若き御茶ノ水本人であった。というのも、『アトム』
は当初、2000年代初めの物語で、アトムの誕生も2003年だったの
だが、実際のロボットの進歩状況も鑑みて 笑 『アトム・ザ・ビギ
ニング』はまだ少し先の設定になった為、このような設定変更を行わ
ざるを得なくなった・・・という訳だ。

とはいえ、こうしてかつてのエピソードが無視されず、尊重され
再生産された事は、往年のファンとしてはつくづく感激しないで
はおられない次第だ。

ちなみに、主人公「A106」というのはよく見ると「A・10・6」(ア・ト・ム)
と読めるのがわかる。これ、なんと単なる語呂合わせではなく、実際
「A10」というのは人間の精神面で重要な働きを担う神経細胞の名称
らしい。天馬らのロボット研究はこのA10をAI研究の基軸としている
事から「A101」に始まる試作を続けてきた・・という訳である。
この、奇跡的な一挙両得のネーミングで、今作品の成功は半ば約束
されたようなものかも知れない。

で、最初にあげた「またまた出会った面白い漫画」に戻るのだがw
(長いんだよ・・・)
この『フルメタル・パニック』も実はカサハラのオリジナルではなく、
原作つきである(『アトム・・』の直前に手がけているので、比較的
新作ではある)・・というか、原作はかなり昔から知られた所謂
「ライト・ノヴェル」で、これまで何度もマンガ化、アニメ化、ゲーム化
がされてきた有名なところではあまりにも有名な作品世界らしい・・
だから、今さらなんで、という声も当初あったらしく「絵柄」が従来の
ものとはあまりにも違って、戸惑いを覚えた人も多かったようだ。

ちなみに、こちらが従来の絵柄とか



うーん・・この絵柄だと、わたしは読まなかったかも知れないw
つくづく、マンガというのは絵との相性だなと思ってしまう。
話の方も抜群に良いので、絵で読まない というのは勿体無い
事ではあるのだが、逆に小説でも話の内容はいいのに、文体
が読みづらくて断念、という事もあるのだから、仕方がない・・

今作の絵を見て、驚いたのだが、『アトム・ザ・ビギニング』
の時より圧倒的に、絵がいい!!笑 全体的にキレがよく
生き生きとしている。まだちょっと、『アトム・・』のカサハラは
どこか設定に窮屈さを感じているのかも知れない?
前述の通り、カサハラはオリジナルだと女の子を主人公に
したSFものを好んで描いているので、ストレートに女の子の
活躍が描ける『フルメタル・・』の方が乗り気だったのかも
知れない・・笑

ところで、この原作となった「ライト・ノヴェル」という小説の
一ジャンル?についても多少、思うところあるのだが・・・
これはもう、長くなってしまったんで、次回にしましょう 笑





  


Posted by げん at 16:09Comments(0)えみし気になる世界

2017年03月14日

七人の西部野郎(ちがう) の続き




マグニフィセント・セブン 内容的にはどうだったか・・というと

なかなか面白かった! だが、いろいろ書きたい事もある。

まず、よかったのは、恋愛エピソードを作らなかった事。
って、それってよかったのか?とも思われるかもしれんが

そもそものオリジナル『七人の侍』では恋愛パートがかなり
長く、わたしは観た時 非常にうざったく感じたのだった・・
しかし考えてみると、ここは映画の重要なテーマである、
武士と農民の身分差の生むドラマの中での恋愛であるので、
必要なパートだったのである。
ところが、ユル・ブリンナー主演の『荒野の七人』になると、
身分差の問題は一応?なくなってしまうのでただのメロドラマ
パートになってしまうのであった・・・

今作では物語の展開上、重要な役回りに魅力的な未亡人さん
が活躍してくれるのだが、やはり夫の復讐が最優先事項であ
って、そこはガンマンとの恋なんてやってる場合でない、という
良識?的なところは、きちんと手堅くしてくれた様子であった。

ちなみに、日本には『七人の侍』SFアニメ版がある(爆)
『SAMURAI7』というやつで、なかなか面白いのに最後に
見事に破綻していくという・・『七人の侍』では「侍集め」に
村の青年らが出かけていくのだが、このアニメ版では村の
巫女さんまでが外世界へ繰り出していっていた。それで
今作を見ると、未亡人さんも「ガンマン集め」に同行していく
ので、やはりいいアクセントになっているな、と思った。
まあ、言ってしまえば女性がいた方が営業的にいいだろう
な、という下世話な感覚なのだが。

今回、非常によかったのが、多様な民族や職業集団から
成り立った七人だからこその、また多様な武器や戦い方が
披露された事である。
やはり主流は銃なのだが、アメリカ先住民の弓は強い印象
を残したし、マウンテン・マンの斧も「すげえ」と思った 笑
(マウンテン・マンとは、基本的に白人なのだが日本でいう
 マタギのような存在らしく、個人または組織的な狩猟で
 生計をたてていた・・ただ作品の時代には廃れていた?)
銃器も様々登場するが、残念なのは凄腕スナイパーまでが
「ウィンチェスター」連発銃を使っていた事。そこは単発の
強力・正確・頑丈を誇った「シャープス」でしょう・・・って
どうでもいいマニア話すいません。

『七人の侍』は当然ながら日本人の感覚で作られているの
で、西部劇でのリメイク版で最も違和感を覚えるのが、刀
から銃へと、武器が切り替わっているところだと思う。
男たちが拳銃をくるくると回したり、ガチャコンと弾を装填する
ところは確かにカッコイイのだが、日本人としては街で人が
普通に拳銃を腰に下げているなんて信じられない。

日本では武士階級が太刀だの打刀だの下げていた時代は
遠い昔だし、近年は刃渡り6センチ以上の刃物は持ち歩く
べからずなどという、過剰な法律すら敷かれているが刃物で
立ち向かうとか、護身するという感覚そのものは決して遠い
非現実的なものではないと思う。
だから『七人の侍』は先祖の時代の話としてリアルにも感じ
られるが、西部劇リメイクはどうもファンタジーにしか思えない
のである・・・そのむかし、日本にも『スワロウテイル』という
映画で、日本人がバンバン銃をぶっぱなしてたけれど、
さすがにあれはシラけました。

刀や斧で人を殺す場合、接近戦である為危険はあるし返り
血も浴びる。心身の痛みもあるだろう。だから『七人の侍』を
観ていて始めにくるのは「カッコイイ」より「すさまじい」という
感覚だ。自分だったらこの場にはいたくない・・・本来、戦争
とはそういうものであり、そういう感覚を疑似体験させるのが、
戦争シーンの使命?だろう。
しかし、銃で人を殺すシーンは皆、何というか、無表情だ。
遠くの標的を仕留め、こちらには痛手がない。だから簡単に
人が死に、大量の死者も出る。それにもかかわらず、「すさ
まじい」より「カッコイイ」が先にきてしまう・・

多様な人種・民族の存在と活躍をリスペクトし、現政権には
ノー!を突きつけてやったような今作品だが、
「国や警察は助けてくれない。自分の身を守るのは、自分だ」
という、よくもわるくもアメリカの伝統的意識を体現した作品
でもあったというか・・・『七人の侍』も、実は根底ではそういう
事を言っている作品なのだけど、イコール銃社会肯定!に
結びつくか否か、という違いが両作品にはあるのだよな。



  


Posted by げん at 15:26Comments(0)えみし気になる世界

2017年03月10日

荒野の七人の侍のリメイクのリメイク!




ちょっと前になるが、いろいろ語りたくなる映画を観たので

『マグニフィセント・セブン』

前回記事の、『ローグ・ワン』も『七人の侍』リスペクトだった
日本映画が生み出したこの物語構図がいかに世界を揺るがしたか
という事かも知れないが・・いや今回のは単なるハリウッドの
ネタ切れ というべきなのか(こらっ)

このタイトル、まことに言いづらいがユル・ブリンナー主演の名作
『荒野の七人』のそもそもの原題「偉大なる七人」で、今作は
そのものズバリのリメイクである。
しかし、ただのリメイクではない事は宣伝ポスターを見ただけで
明白であった。
なんと、ユル・ブリンナーの演じた主人公が黒人になっており、
そればかりか他の仲間も東洋人やネイティブ・アメリカンなど
非・白人が半数を超えている。時代の流れ、という事もあるの
だろうけれど、監督自身が、実は黒人の映画作家なのである。

『スターウォーズ』シリーズの新作「フォースの覚醒」でも
聞かれたのだが、人によっては、日本人でさえも、こうした
近年のハリウッドの「人種的配慮」傾向に批判的な意見を
持つようである。
これはあくまで「配慮」であって、ハリウッドすなわちアメリカの
「伝統的」本心は奥に潜めてあるだけではないのか・・という
疑念から来るものかも知れない。
という事は、ニュージーランドで作られた純白人のみ大活躍の
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのような映画こそが、今や
純白人主義の人々の心の拠り所、とでもいうのだろうか・・・

考えてみると、ユル・ブリンナー主演の『荒野の七人』自体、
七人全員が白人だった訳で、むかしは特に何とも思わなかった
のだが、これは今となっては異常な事だった、と思うのが正常な
感覚ではないだろうか・・・だって、アメリカというのは建前上、
全世界すべての人々の移住を受け入れる、自由の国である
はずだから。そして舞台であるアメリカ大陸に、主役の人種も、
脇役の人種も、本来あるはずなどないのだから。

それでもある白人たちの本音としては、
「そもそも西部劇とは白人が生み出した文化。ヒスパニックや
黒人が主人公の西部劇なんて観る気が起きない」
というところがあるのかも知れない。しかし、むかしから西部劇
を観てきた人間に言わせれば、
「西部劇とは、こういうジャンルで、こうでなければならない」
という固定観念こそが、西部劇を衰退させてきた元凶としか
思えないのである。
ならばこそ、今作の意義は
「西部劇というのはジャンル以前に、祖先たちの人間ドラマだ」
という観点に立ち戻った、伝統への挑戦であり、
新たに起こったトランプ政権という、排他的アメリカの本音爆発
に対する「これこそがアメリカだ!」という意志表明に他ならない
だろう。

つづく 爆 つまり途中です。寝ます!



  


Posted by げん at 02:00Comments(0)えみし気になる世界

2017年01月22日

東京への複雑な想い・・(まあ雑記です)




実は3月上旬頃、8ヶ月?ぶりぐらいに東京へ出ようと思っている。

東京へ出るのは、いつも大きな楽しみである。

何だかんだ言っても、わたしは東京が大好きだったりする
ただし、東京だからという訳ではなくて、基本的に札幌でも、
盛岡でも、好きな町に出るのはいつも大きな楽しみなのだが。

どの町に行っても、久々に訪れて変わらないところ、変わったところ
それぞれを感じ取るのも自分の喜怒哀楽に刺激を与えるようで、
楽しい・・というかそういう感覚を欲しているように思うのだ。

東京に関していうと、やはりここでの生活は長かったし、20代始め
から30代前半という遅めではあるが割と多感な青春期を過ごした
だけあって、思うところは多い。
単純に、親戚や友人たちは元気か、よく食べていたラーメン屋は
健在か、確認して歩くだけでも充実するが、いまはやはり何と
いってもアイルランド音楽の日本での圧倒的な「本場」として
どうしても注目せざるを得ない場所だ。

仙台に移住して10年、その間に旧い友人たち4人が結婚し、
ラーメン屋といえば第一の行きつけ・高円寺えぞ龍が閉店し、
札幌「純連」の東京支店全店舗が撤退したほか、あの有名な
「恵比寿ラーメン」もいつの間にか無くなっていた。
音楽関連ではわたしの20代前半大ファンだったZABADAKの
吉良知彦氏が50代の若さで亡くなった。
多くの失われたものたちに代わって、新たなものたちが生まれて
きてはいるのだろうが、わたしの感覚ではやはり1990年代の東京
は輝いていたし、失われたものはその最盛期を象徴する存在だった
気がする。

昨年末、話題のアニメ映画である『君の名は』を観る為劇場に足を
運んだ。この作品は今や外のアジア圏でも好評を受け、更に飛躍
しているようなのだが、宮崎駿の次世代を担うという評は正直わたし
にはピンとこなかった。宮崎駿は時代に逆らい、自らの時代を「作った」
ゆえに、今や時代を「先取りした」と言われている訳だ。
しかし、この若い世代の新作は、時代に逆らったものではない。
時代の流れに迎合し、客に媚びたものだ。独自のメッセージに乏しく、
今は評価されても、やがて忘れ去られる怖れがある。

実をいうと、映画を観ている途中で前代未聞?の腹痛に襲われ、
トイレに駆け込んで(いや、這って行った、というのが正しいな・・)
しまって全ては観れなかったのだが、前半だけ観てもわたしには
かなり不愉快な点が目立った。
まず、物語は現実にある東京と、架空の田舎町の2極舞台なの
だが、東京・新宿の男子高校生の暮らしぶりがいかにも華やかで、
楽しそうである。それに対して、架空の田舎町はいかにも都会人
がイメージするようなユートピアで、女子高校生は例に洩れず田舎
に窮屈さを感じ、東京に憧れている。

この先は所謂ネタばれなので注意?なのだが、この女子高生が
なんとも都合よく東京の男子高校生と心が入れ替わるという事が
起こり、ここでJポップ調で話がヘンに盛り上がったりするのだが
このへんの感覚もついていけなかった。
そのあとも、特にわたしとしては興味を引く展開もなく、腹痛がきて
トイレから戻った時には、なんと田舎町は彗星が落ちて滅亡しており、
生き延びた女子高生は東京に移住して、やがて男子高校生と再会?
する、という結末・・・のようであった 苦笑

ようするに、話のベクトルが全て東京に向いている という・・・
東京が無批判に素晴らしい環境であると描写し、田舎の若者は
田舎を嫌い、結果的に望みどおりに田舎は消滅し、東京に出て
いい出会いに恵まれる・・・これは一体、誰のための物語なのか?

いま、地方消滅 という事が盛んに言われている。
遠くない未来、世界中のかなりの割合の人々が、都市に住むよう
になる・・と何かのCMでも言っていたが、これはわたし自身、都会
指向なので感覚はわかる。しかし日本の場合特に首都一極集中
の傾向が強く、明治、戦後を通じて顕著だったものが人口減少時代
を迎えて拍車がかかってくる、という。

北海道なら札幌、東北なら仙台、地方各々の中核都市に集まるの
ならば、小さな町村の多くが消滅したとしても地方の記憶は残り、
後の時代に再生できるかもしれない、という希望もある。
しかし、それらを越えて大半が中央の最上層を求めて東京圏に
集中していくならば、そこで地方の記憶も消滅してしまう。

今の時点でも、東京圏はかつての、地方から出てきた若者で溢れた
「地方の集合体」では もはや、ないと言われている。
地方から出てきた若者たちは今、親となって地方の記憶は次の世代
に引き継がれず、子供たちは「東京圏出身」の若者となる。
いまや東京の大学に進学する大半は彼ら「地方出身2世・3世」であり
地方から出てくる若者は少数派となりつつあるのだ。
そうなると、かつては地方の集合体として、地方への眼差しを多くの
人が持っていた東京ではもはやなく、外の世界を実感として持たない、
地方への共感のない巨大都市へと変貌してしまう、という事になる。

『君の名は』はそのような未来への不安を映し出し警鐘を鳴らす事なく
むしろ今後のその傾向に乗っかって、地方の若者を「煽る」形にすら
なってしまっている。大ヒットというのも、現に東京に住んでいる人々、
田舎や海外から東京に憧れている人々の心には響いたという事だろう
が、東京に長く住み、疑問を持ち地方都市に移り住んだようなわたしの
ような人間の心には、響かないのだ。
(わたしだけではない。作中の田舎町は岐阜の山間にある設定なのだ
が、映画を観た名古屋に住む人が「なぜ名古屋ではなく東京なのか」と
疑問を投げかけていたのだ・・・)

これから、東京は、地方は、日本は、どういう形になっていくのだろう?

最近、『ふらいんぐうぃっち』の新刊が出た(上の写真)。
弘前出身・在住の漫画家による、弘前が舞台の作品で、1、2巻めは
物語、絵柄ともにぎこちなかったが、巻を重ねるごとに完成度が高まっ
てきた。主人公は首都圏の出身だがほとんど言及する事もなく、逆に
東北が舞台である事をことさらに喧伝する訳でもなく、あくまで自然体
の展開を徹底しているのがすごい。
隣県・秋田からは今や全国的に話題の『地方は活性化するか否か』
が発信されている。北海道を舞台にし、これも今や漫画界1,2を争う
傑作となった『ゴールデンカムイ』は東京で描かれているが、これも
もちろん北海道出身の作者が綿密な地元での取材の上で描き出し
ている。地方の人間が、地方の人間である事を武器にして、今こそ
立ち上がり、戦いを始めているのだ。

ふう・・・(書き疲れた) 
俺も、自分の何か を書き出すしかないのだよ ここ、仙台から。



  


Posted by げん at 18:24Comments(0)えみし気になる世界

2016年06月09日

Facebookに負けるな 爆




一ヶ月以上、更新してなかったのだが、実はもっぱら、Facebook
に書いていた 爆

内容的には、TRAD♀さんに頂いた茨城の誇り(!)『電気ブラン』
の事だったり、いぶりがっこの事だったり、青葉まつり、仙台の
ラーメン屋、民俗資料館や東北大工学部、いつも行ってる珈琲豆屋
とか、外国人作家が作り出したヘンな日本人の名前とか、実にさまざま。

どうしてこちらのブログでは書かないかというと、まあ何度か試して
いるのでおわかりの方もいるかと思うが、このブログシステム?
デジカメの写真が大きすぎて入らないのだ・・よくわからんのだが。
「第三のブログ」を検討する事もあり得ようかな

あと、ブログだとつい長文になるので、時間の節約のためにも
さらっと書くのが身上の?Facebookに短時間で書いてすとんと
載せる事が多くなった、という感じ。
いつも「いいね!」とか、反応して下さる皆さん、有難うございます

実はここ3年以上書いてきた「小説・・・のようなもの」をそろそろ
まとめはじめているので、あまりネットに時間をかけていられない
(なんて・・ほとんど手をつけてないです。
 こうでも書いて自分を追い込んでいかないとな)

それにしても、Facebookを見ててつくづく思うのは、音楽関係の
友人たちの、音楽に対するひたむきさだ。更新する内容が、ほぼ
全て自分の音楽に関する事 という人が多い・・・
ひるがえって、自分の更新内容を見てみるがいい。
音楽に関する話、ほとんどナシだ。爆
わたしにとって、音楽とは何なのか?欠かせないものであるのは
確かだが、かといって現時点では決して一途に探究する道、とも
言い切れない。まあ、他人と比べても仕方ない
(というか、比べ始めるとよくない気がする)
どこまでも、自分なりにやっていくしかない、というところだ。

で、またマンガのはなしとなりぬ 笑
しばらく、愛読コミック新刊の流れがないので、兼ねてから気に
なっていたものをたまにチョイスしてみる。
今回は、『くーねるまるた⑧』
①~⑦は実は部分的に読んでいるだけで、いきなり8巻目購入。
理由は明白で、表紙が岩手・盛岡だからである 爆
これは、確か昨年 盛岡のさわや書店で発見した。もちろん手が
伸びたのだが、やはりいきなり8巻目だったので、保留としたのだった。

内容としては、本来は岩手とは関係なくて、ポルトガル出身の
女性主人公マルタさんが、東京の大学院で都市工学を修めたの
だが、日本があまりに気に入ってしまったので滞在を大幅に延長
して、貧乏しながらも楽しく過ごす、というもの。今回の8巻目は、
そんな日本滞在中の、はじめての地方遠征の回だという。
なんと・・・7巻までずっと東京こもりきり、ですか・・・・・

作品のウリは、どうやら貧乏なために様々な工夫をして自炊する、
という「グルメマンガ」?的内容と、料理や食材、酒を口にした時の
主人公の「かわいい顔」らしい 笑 
なんでポルトガル?と思ったのだが、まあ外国人キャラクターを
設定しようとした場合、すてれおタイプ的取り捨て選択として、
@味覚おんち、という点でアメリカ人、英国人はナシ(いいのか)
@暗い性格、では周囲を巻き込む勢いがつかないので、北欧は
 ナシ(ごめん)
 あとグルメでもプライドの高いフランスは却下(申し訳ねえ)
残るはスペイン系、イタリア系だが・・ここまで来るとなぜ敢えて
ポルトガルだったのかは謎だ。スペイン、イタリアもある意味ヘタに
イメージがつき過ぎているので、ここは盲点をついてポルトガルに
白羽の矢が立った??

作者として、個人的に思い入れがあるのかも知れないが、特に
読んでいてポルトガルである必然性は感じられなかった 笑 
とはいえ、日本において外国人キャラクターとして主人公に据え
やすいと思われる欧米系の中でも、ポルトガルは一応の意外性を
持っていたかも知れない。なにより、「クウネル」という姓が作品の
性格上、とても大事なものなのは一目瞭然な訳だが、これが
ポルトガルの姓かどうか、という辺りの知識は、わたしにはない。

ただケルト贔屓としては、近年アイルランド、スコットランドもかなり
グルメ化しているみたいよ・・・とささやいても、おきたかったりして。
スペインのバスク人、とかも面白かったかも知れないが、どうも内容
的に深い民族性に踏み込む・・・というような感じでもない。

で、肝腎の盛岡編はどうだったのかと、いいますと
まず言っておかねばならぬのは、表紙の「さんさ踊り」、本編には
ありません 笑 まだ岩手山が雪かぶってる時期に、一泊二日の
旅行券が当たった!という話ですので。岩手にはまた来たい、と
言ってるので、未来の話かな?と期待。

内容としてはまあ、ライトな紀行もの、になってる。盛岡の美味い
ものを食べ、いい人たちに会い、現地の人たちの好意にて、旅は
二泊三日に延長ともなる。じゃじゃ麺の白龍(ぱいろん)、福田パン
など、手堅い名所を出してきて、盛岡人にはきっと嬉しいところ。
個人的には、まだ行った事のない神子田(みこだ)朝市で、ひっつみ
を食べるところ、印象に残った。

しかし、本当にこの盛岡編、一瞬で終わる 笑
こういう、地方遠征の方が絶対面白いはずなのに、一体東京で
7巻分も、何をやっているというのだ?(ぉぃぉぃ
マルタさんの状況としては、とにかく貧乏なのでおいそれと旅行
などにはいけない、というところらしい。アルバイトなどは一応、
しているようなのだが、都市工学の学位を持つという元来エリート
な訳で、なにゆえ敢えて貧乏なのか?は疑問。
時代の空気としてはグルメものとしてももはやバブル的な傾向
は現実的でない、というか反感さえ買う怖れもあるから、共感を
呼ぶという点でも「わざわざ欧米から来て都会で貧乏」という
のは異色というか、新しいのかも知れない。
(かといってラーメン屋にチャーシュー持参するのはどうか・・・
 と思うのだが)

都市工学、というと思い出すのが、越谷オサムの小説『いとみち』
主人公の少女「いと」は青森から東京の大学を目指すが、最終的
に東北大学の都市工学科に魅かれ、第一志望としたのだった。
なのでマルタさん仙台という選択肢もあったと思うのだが 笑
(調べてみたら、東北大にポルトガルの大学との提携はなかった
・・・って なに住んでもらいたがってんだか)

文京区の風呂なしアパートに住み、別部屋の友人からシャワー
を借りているのだが、週一回は銭湯へ通うのを楽しみとする・・
なるほど、確かに銭湯を愛する者としては、東京は離れがたい
かも知れない。調べてみると、東京の銭湯は現在入浴460円。
わたしが上京した1991年時点で290円だったのが、以後なんと
毎年10円ずつ上がって(ウソみたいなホントの話です)
最後に使った2004年には420円になっていた・・・おそらくその後、
なんらかの策がとられたのだろう。住んでいた高円寺でもどんどん
銭湯は廃業していたが、わたしが利用していた数店は、今も
がんばっておられるようである。

とはいえ、毎日入れば1万円以上。貧乏人にはなかなか厳しい
出費だったりするのだ(なにしろ、91年からこのかた、労働賃金
の方はは全く上がっていない・・貧しい人はますます大変な訳だ)
銭湯好き、という時点で仙台や盛岡など北の都市に住む選択
肢はなくなる・・という事か。仙台の人は日帰り温泉とか普通に
するみたいだが、これも貧乏な人がするような事ではなかろう・・
しかし青森市は隠れた温泉都市で、銭湯が多いぞ。まあそもそも、
ポルトガル人はあまり寒い土地を好まないかも知れないが
(だから、なに住んでもらいたがってるんだっての)


  


Posted by げん at 15:12Comments(2)えみし気になる世界

2016年05月10日

気がつけば、城下町


Facebookにも少し書いたのだが、なにぶんあちらには
あまり長文でだらだら書けないので、こちらに書く 笑

わたしは仙台の北・台原から、南の五橋にあるアイリッシュ
・パブまで自転車か、悪天候なら地下鉄で行く。
この距離、およそ3km半だ。
実は今わたしが書いてる小説(・・のようなもの)も関係
してるのだが、仙台のもともとの城下町というものの、
北端が台原周辺、南端が五橋周辺だったようで、つまり
わたしはたびたび仙台城下町を縦断往復している事になる。

もちろん、パブにてお酒を飲めば、自転車には乗らず
押して歩いて3km半の道のりを帰る事になるが、決して
これは無理な距離ではない。
ちなみに城下町の西の端は大崎八幡宮周辺、東の端は
榴ヶ岡公園周辺で、この歩いて回れるこんぱくとな範囲内に、
10万人の人口を想定して政宗公は街づくりをされた・・・と
言われる。もちろん、のちにこの範囲外に晩年の居城である
若林城と、別個の城下町も作るのだが、台原より北、楽天
球場より東、などは完全に郊外だった。
戦後は北・東・南に拡大して、城下町のこんぱくとさが信じら
れない程に仙台は広大になったが、その上での100万人
都市であって、もとの城下町の範囲内なら、依然数十万人
なのだろう、と思う。

このように、かつての城下町の多くは個人が歩いて回れる
範囲の、こんぱくとなしてぃーだったに違いない。
実のところ、東京でいえば3km半は、上野駅~東京駅間、
新宿駅~渋谷駅間ぐらいの距離にすぎず、いかに東京が
多くの人にとって「歩いて帰りづらい」都市かがわかる。

しかし東京の原型である江戸城下町というのは、北は浅草
や今の文京区あたり、西は四谷あたり、南は港区あたり
までしかなく、新宿、渋谷以西は完全に郊外だった。
江戸は糞尿などの処理サイクルが非常に上手く回っていた
先進都市だったが、このこんぱくとな都市サイズが膨張を
始めると、その均衡が崩壊していったようだ。

それでも昭和初期までは基本的に東京の人々の中で、
江戸城下町の範囲の感覚は生き続けていたように思われる。
例えば東京帝大や明治大学に通う学生らは、本郷や遠くても
おそらく早稲田周辺に住み、歩いても通学できるようにしていた。
今ではほぼ考えられないような事だが、そういえば早稲田大学
などは「都の西北」の歌の通り、郊外に近い立地だったのだ。

ふと気がついた事に、わたしの一族は大半が首都圏に出て
しまっているのだが、ただのひとりも「江戸城下町」の範囲内
には住んだ事がない という驚きの事実?がある。
というのも、みんな東京なら世田谷区、あとは神奈川県で、
川崎や相模大野に住んでいる。完全な東北ルーツなのに、
誰も荒川区や、江東区方面に寄り付かなかった(笑)のだ。
よっぽど、東北と切れたかったのかな 爆 さみしい

わたしの兄は札幌に住んでいて、これはもちろん城下町では
ないし、故郷の山形県鶴岡市は城下町だけれど、一族の誰も
いわゆる城下の範囲には住んだ事がない。

という事は、一族の中でかつての「城下町」に住んだ事のある
人間が、唯一わたしだけ・・・という衝撃の事実が!!爆
いや、台原というのは城下なのか?郊外のはじまりではない
のか?いやギリギリ城下ではないのか?(どうでもいい)

まあともかくも、偉大な武将が様々な趣向を凝らして作り上げた
城下町 その名残の上に生きている事の面白さ それを意識
せずして、やはりずっと楽しんできた事に、気づかされるので
あった。



  


Posted by げん at 03:16Comments(0)えみし気になる世界

2016年04月16日

なぜか東京の安宿について(あと仙台も


最近、2回週末に東京へ出稼ぎに行った、と書いた。

その時に用意してもらった宿が、カプセルホテルだった
のだが、わたしは思わずなつかしさに、興味津々とな
った。実のところ、長い旅歴でもここ20年ぐらい利用して
いなかったのではなかろうか 笑

遠いむかし、盛岡と仙台で、2回使っただけなのだ。

なぜ使わなくなったかというと、まあ性に合わなかった
という事だろう・・料金の割りに、疲れが取れないと思っ
たのかも知れない。けど今回、あらためて面白かった。
1回目は大森のカプセル、2回目は新橋のカプセルで、
大森は大浴場があったが新橋はシャワールームだけで、
いつも誰か使ってて結局入れなかったとか・・・爆

今回、30歳前の若い同僚が2人いたのだが、
「ビジネスホテルじゃないなんて信じられない!」
と不満を露わにしていた。お坊ちゃんだなあ・・・
まあ正直、俺も困惑したが 笑

会社側にしてみると、カプセルとビジネスでは3倍くらい
料金が違うので・・・という懐事情のようだった。
(自転車操業なんだね)

いや、待てよ?ビジネス以外でも安いところなかったか。
そう、むかしは代々木にユースホステルがあったし、
近年はゲストハウスなるものが続々出現してるって
いうじゃない?(誰だよ)

調べてみたら、なんと代々木ユースは2011年に閉館し
ていた!!が、かわりになんかスゴイのがどかどか
出てきましたよ・・・
http://find-travel.jp/article/3917

ユースホステル、いまは都心だと飯田橋と、上野の
2箇所だとわかった。
これを見た印象・・・東京って、ほんとに今 住むより
旅行した方が楽しい町になっちゃってるのね・・・・・
やはり近年急増中の、外国人観光客を視野に入れて
いる事は間違いないが 面白いのはほとんどが東京
東部 新宿渋谷方面じゃなくて、古くからの東京、
いわゆる下町の方に集中している事。
山の手の時代は終わり・・時代は再び江戸へ なのか

以前、浅草の北のほうの、千住とかにかつて低賃金
労働者の宿場・・ドヤ街、と呼ばれていたが、その名残
の宿が千円だか2千円だかで泊まれて、ここも外国人
が多かったのだが、あれはかなりディープな世界だ・・
個人的には好きなのだけど(ただ簡易宿泊所というと
いつかの、川崎での火災の記憶もある。)
それに比べたら、随分しゃれおつで治安もよさそうだ・・

そういえば、仙台はどうなのだろう?
仙台の外からいつもセッションに駆けつけてくれる、
音楽仲間たち 彼らはいつも、言っているではないか。

仙台の宿は高価い!!部屋もなかなか取れない!!

と。東京がこれだけスゴイ事になっているのに、仙台
それではダメではないか。
なさけねえー!(誰だよ)ではないか。
という訳で、そちらも調べてみた。
そしたら、同じサイトだけど、ありました。
http://find-travel.jp/article/1371

1千万人都市・東京で20選 に対して、
百万人都市・仙台で5選・・・これは健闘というべきか

ただ、音楽仲間たちは仙台駅周辺の宿を求めている。
このうち駅チカな宿は既に利用してるかもしれないが・・
ちと遠いかなあ どれも
わたしが昔からオススメの宿といえば、東照宮の南
かつて仙台の遊廓街だった小田原にある、
千登勢屋ユースホステルだ。



昭和23年創業、というから遊廓廃止の昭和33年前から
ある・・その事もあってか、独特の佇まいが残っている。
相部屋で、一緒の部屋になった人との相性が良ければ
楽しい夜になるが、そうでないと・・・・・・な夜かな

そもそも、ここも遠いな 爆




  


Posted by げん at 02:44Comments(0)えみし気になる世界

2016年04月14日

旅と人生観について・・・(長いよー


前出の、宮森さんの記事をいくつか拝読しました
何というか、「若いなー」という印象で、読んでて恥ずかしく
なってしまうところも多かったですが、いい事も書いてます。
(ぶろがー という人たちは、1時間に4本の記事を書ける
 んだそうです わたしには到底、むりですね・・・
昨日の記事一本に、3時間ぐらいかけてますから 爆)

そんな中に、旅について書かれた記事ありました

http://www.miyahaya.com/entry/2016/03/21/161220

何だか、久しぶりに旅、について考えさせられましたね

むかし、ある喫茶店に通っていて、そこは世界のいろんな
国に行っている人たちが集まるサロンみたいな所でした。
店に行くたんびに、「アフリカのどこそこ行ってきた」
「南米のどこそこ行ってきた」という話をするお客さんに
出会うのです。大学の先生や、学生さん、あと他にもいい
仕事してる人ばかりで、海外旅行は趣味のようでした。

わたしは既に50ccの元・郵政カブで日本2周ほどしたり、
沖縄・北海道何度も滞在したりとかしていたし、海外も
渾身の(!)英国「4カ国」&アイルランドだけは経験して
いたので、それなりに話は合うかと思っていたのですが、
これが容易に、かみ合わない・・・
なぜなのかと考えると、どうも彼らとはそもそもの旅の目的
や、人生観そのものが違うのではないか、と思い至りました。

実のところ、わたしの旅というのは決して人に自慢できる
ようなものではなく、「趣味」といえるものかも怪しいです。
というのも、わたしの「旅ぐせ」の始まりが、
「自分の人生に失望した」事にあったからなのです・・・
どっかーん つまり、おのれの恥部の結果が、旅なのです。

少し詳しく書きますと、20代のわたしには東京で、ある事で
成功したいという夢があったがどうにもこうにも無理な事が
わかってきた・・のと、あと失恋が重なったんですね
(ああ恥ずかしい 書きたくない 笑)
そこで、夢とは何と実現の困難なものよ・・・と世を儚むの
でしたが、しかし旅ならば、出発して帰って来さえしなければ
ずーっとできるではないか?爆 「負け組」の果て、ですね・・

そうだ、「さすらいの長旅」という中学時代以来封印してきた
夢ならば、容易に実現する!!と思い至ってしまった訳です。

このへんの事情がまた、めんどくさいので割愛したいですが
(笑)やはりちょい書きますと、中学の多感な頃、わたしは
地元の「ど田舎」に不満鬱屈を募らせると同時に、映画
『荒野の用心棒』『ロング・ライダーズ』などの西部劇に感化
され、「永遠のさすらい旅」に強烈な憧れを抱きました。

つまり、どこに行くのか というよりは、「さすらい」という
スタイルこそが、わたしにとっての旅の原点だったのです・・

ところが、今思えば「中二病」に陥っていたわたしは家出の
常習となるなど白昼夢の問題児となり(汗)さすがに親に
迷惑かけすぎてるな・・・と自覚したわたしは、いつしか
「東京を夢見る受験生」というありふれた姿に大転身を
果たしたとさ・・・・・・ザ・封印 ですね。 笑

まあ、そうやって転身?してやってきた東京で、絶望した訳
ですから、もう怖いものなしというか・・・当時、人生最長の、
正社員生活6年!やっていたので(そんな中途半端な事
やってるから夢叶わないんだよ、というジレンマもあった)
「お金」もある程度あったので、もうこのカネ尽きるまで
行ってやるべ という心境にあらためて陥ったのでした。

わたしの旅の基本は、むかしも今も変わらず
「カネはないけどあるだけ使って 
 死んでも後悔しないところにだけ行く」
です。
つまり、基本的に、ギリギリの境地なんですね。
カネなんて、旅できるかどうか怪しいくらいの額があれば
すぐ出かけるし、帰ってきた後の仕事もないからどうなるか
わかったものではない。
関西や、九州沖縄も愛すべき土地ではあったが、
「ここでは死にたくないな」と思った。なので、基本的に
いまは北海道や東北中心に旅しています。

英国とアイルランドに行ったのも、
「ここなら死んでも後悔しないな」
と思えるくらい憧れた国だったからで、フランスやアメリカも
行きたいけれど、憧れが中途半端なのでここで死んでも
後悔しないか、は未だ微妙です 笑 お金があったら、
やっぱりまたアイルランド、スコットランド、ウェールズ、
行ってしまうでしょうね。
なんで執拗に、「死んでも後悔しない」を繰り返してるのか
と申しますと(爆」)やはり基本的に旅とは危険なもので
旅ひとつひとつが、「渾身」のものだからです。まあ貧乏
なので、大切なお金をはたいてますしね・・

それで、冒頭で紹介した記事のテーマ
「旅で人生観は変わるか」なのですが

サロンで、いろいろな国に行って広めた見聞を語っている
人たちにとっても、それぞれ旅は麻薬のようなもので、
必死なものなのかも知れない。けれども、人生観は変わっ
てますかね?また同じ仕事に戻るつもりで行って、実際
戻っている訳でしょうし・・とはいえ、仕事の仕方とか、生活
の姿勢に変化があるかも知れないし、一概に旅が不要だ
とも、言い切れないですよね。

一方の、わたしのようなタイプの旅ですが・・
たとえば、北海道や沖縄というのは、さすらいとしては
まさにランズエンド 笑 「この世の果て」であって、
実際、いろいろな事情を抱えた人たちが、旅人となって
行き着いたという雰囲気を醸し出しています
(そしてわたしもその風景の中の一要素だった訳です)

もちろん、学生や趣味の人もいますが、それこそ仕事や
人間関係に絶望した人、持ち金が尽きて万事休す、の
人、そして何かマズイ事をやらかして逃げている人、も
いたかも知れません。

心境としては、東京の片隅でホームレスとかやってる
よりは、旅してた方がいいじゃん!みたいな感じで、
基本、世捨て人の世界です。現在のわたしなんか、
そう考えたらちゃっかり社会復帰を果たしたクチですね。
サロンで趣味としての旅を語ってる人たちにしてみると、
「旅行者」としての立場が現地民にかき消される、
ミイラ取りがミイラになる、みたいな状況にでもならない
と、そりゃあ話が根本のところでかみ合わないかも
知れないですね・・・

さすらいの果てとしての北海道などは、学生にはかなり
刺激的なので、人生観が変わる・・・というのは、なくも
ない気がします。ただ、個人的にはそれで生き方が変わ
った、という若者を知りません。世の中は広いな、いろん
な生き方があるな・・ぐらいに心へ留めるのがおそらくは
大半で、まあそういうものなんだと思います。

要は、いかに深刻な状況の旅人に出会ったとしても、
自分の問題にならなければ、自分が変わったりしないの
です。わたしも含め、最果てにいた旅人(笑)というのは
むしろ実生活で何かあって人生観が変わり、結果旅に
出たようなもので、つまりは、旅が人生観を変えるのでは
なく、変わった結果が、旅だったという 爆

もちろん、変わったところもありました。旅、という現実の
冒険を始めた事で、仮想の冒険である「映画」をあまり
観なくなった・・とか。旅を一通り終えると、日常を冒険し
て生きる事を学ぶようになりました。つまり自分の人生を
ちゃんと生きよう、と思うようになったのです・・これはまあ
人生観変わった、といえば変わったところなのかも知れ
ません。

はあちゅうさんの意見も、ご自身が世界一周されたから
こそ言える事だと思います。世界一周しなければ、現在の
彼女は存在しない訳で 旅は明らかに人に変化を与える
それだけは言えるのではないかな、と思います。

ただ、軽々しく「旅で人生観変わった」という類のものじゃ
ない、という感覚はわかります。書いてきたとおり、実態は
多分に負の要素を含んでいるはずですし、あと変化は後々
にならないとなかなか気づかないものだったりするので・・

ここまで書くのに、5時間ぐらいかかりました 爆
(途中、楽器弾きたかったので中断もしました)
やっぱり、わたしに ぶろがー は無理ですね。






  


2016年04月14日

両極端だが対立していない?東京論について


以前に2回ほど、このブログでもとりあげた
『まだ東京で消耗してるの?』(イケダハヤト著)
という新書ですが
「もう東京はつまらない街になってしまいましたし」
「東京には面白い人が多い、というのは全くの幻想。
 地方には東京にはいないタイプの、破格の『面白い人』
がたくさんいます。」
などなどズバリと言い切る様が少なからず衝撃でした。
こんな感じ
http://www.ikedahayato.com/20150810/39187379.html

しかし、こんな意見もありました。
http://www.miyahaya.com/entry/2016/03/27/212033

一方では「東京はもう、つまらない街になった」といい、
もう一方では「東京は本当に面白い人が多い」という。
一体、どっち?と思うけれども、これは少し考えれば、
「両者の生まれ育った場所、立場の違い」による見解
の差、と思い至ります。実のところ、どっちも本当で、
決して両者は対立する意見ではない、という事も。

どちらかというと、後者の宮森さんの意見の方が
昔ながらで、ありきたりな感じはします。
実は境遇的に、日本海側のすごい田舎の出身という
事で、わたしと似ています。だから、彼のいう
「ジモティー」がつまらない、という意見はすごくわかる
ものがあるのです。

一方のイケダさんは、横浜の出身でずっと首都圏の
中で育ち、大都会のいろいろな面を知り尽くしています。
彼は東京での生活の現状、仕事の仕方にうんざりしており
高知の田舎ではその不満が全て解決したと言います。
彼が「地方の人のほうが面白い」と断言するのには、
土佐・高知という土地柄もある、と個人的には思うのですが
(むかし旅をして何日か滞在したので、わかります
 本当に面白い人ぞろいで、一種特別な土地に感じました)

おそらく、宮森さんが田舎で多く接触する機会のあった
「ジモティー」的な人とは、イケダさんはあまり接していない
かも知れない。新しい仕事を開拓したり、自分たちで祭りを
作ってしまう人たちの話が多いので、そういう人たちは多分、
ずっと地元に住んでいても、フットワークが軽いと思うのです。

宮森さんの方はというと、「外に出なきゃダメだ!」と友人に
言われたのを、「東京に出ろ!」と解釈したと書いてますが、
そりゃ、東京が輝いて見えますって(笑)わたしも死ぬほど
わかりますが、「その土地好き好きオーラ」が出ますと、
本当にその土地の人たちが面白いと感じられるものです。

実際、わたしは東京に住んでいた頃は東京に幻滅していて、
あまり面白い人に会った記憶がありません(10年以上住んで
たんですけどね!?)ところが、東京を離れて、たまに旅行
する土地になった途端、また東京が好きになって、会う人
会う人、面白い人ばかりに思えるようになりました

まあ、これには多分、アイルランド音楽関係の出会いが多い、
というのも関係するのですが、ようするに、人間特にわたしの
ようなタイプは日常的には内に向いてしまうので外への関心
が薄れてしまう傾向があって、たまに東京に来た時には当然、
久々な土地そのものに興味がある訳なので外向きになる、と
いう事なんだと思います。

実のところ、東京にだってジモティー的な人は多いのではない
か、と疑うのです。宮森さんは地元の、中学・高校の「スクール
カースト」をくだらない、と言っていますが、東京の
「どこの大学を出たか」という、大学のランクづけ・・出身大学で
人を見る あれ、本当にくだらないとわたしは思ってました。*
「俺は中央線沿線から出た事がない」とか、
「地方の事は全然知らない、どうでもいい。東京最高」とか
いう人にも会った事があるし、かえって井の中の蛙、閉塞的
というか、むしろ果てしない街並みに覆われた巨大都市の中で
それでは、深刻度は大きいな・・と思う事もあります。
(福島原発の災禍でそのあたりが表面化しましたが)

また、長々となってしまいましたが まとめますと
お二人とも、言い分は間違ってはいないなと思います。
ただ、それぞれの置かれている状況の違いで、一方は面白く、
もう一方はつまらなく感じられてしまうのだろう、と。
また、田舎から出た事のない人は一度出た方がいい、という
のは大賛成ですが、それは東京の人にも言える事です
(かつて東京の人というと、海外の事は詳しいが国内の地方
 の事はまるで知らない・・という印象でしたが、それは
変わってきているのかな)

最後にわたくし事ですが
東京を離れてからあらためて東京を好きになったと書きました
が、また東京に住むか・・というと、まずない と思います。
というのも、わたしがつまらないと思っていたのは「東京」では
なく「東京に住んでいる自分」だったからです。
東北人が東京に住むなんて、もはやありきたりすぎる(爆
自分が東北に生まれたのには何か意味があるはずだと考え
葛藤しながらもしがみついて生きる方がずっと面白いのです。
(というか、単に東北が好きなんですね結局)

だから特に宮森さん、今は若いし東京が一番に感じられる
でしょうが、石川県の人ですのでそのうち金沢市などにも
シフトしていくと、書いている内容にもいい影響が出るんじゃ
ないかと思います。


*あとになって、ここでいう「スクールカースト」というのが
一学校内でのグループの階層の事だと気づきました・・
わたしは学校同士の階層分けと勘違いしてたのですが、
まあ内容的にあまり違いはないだろうと(爆)思い、その
ままにしときます。


  


Posted by げん at 04:17Comments(0)えみし気になる世界

2016年04月13日

蒸留酒を飲む




ゴールデンカムイの記事ではちょい力み過ぎた
かもな・・・熱くなって長文書いても、誰も読まねー
っつーのに

デジカメの写真、なんか「画面縮小」かけても全然
だめなんだよなー。何が問題なのかもわからない。
カメラ側の「写真サイズ」をSmallにして、この大きさ
だからなあ。まあ、スクロールして、見れない事も
ないんだが 笑

花見の写真も撮ってみた。花見といっても、わたしは
基本 出不精で、まだ寒いから人の多い公園なんて
行かなくて、近所の踏切んとこの一本桜をじ~っと
眺めにいくだけだ。実際、仙台ってとこはなにげに
咲いてる一本桜が一番良かったりする。



なんか、話題的に写真の順番、逆なんだが(ゆるいな)
一枚目の酒のはなし。少し前、新潟市に仕事で行って
地元の居酒屋でよせばいいのにいわゆる「もっきり」
という奴で、佐渡島の地酒を飲んだ。ずいぶん長いこと
日本酒を飲んでいなかったので、忘れていたようだが
一杯でぐでんぐでんになってしまうのだ。

日本酒にしても、焼酎にしてもそうだが、店でたのむと
とにかく量が多すぎて困るのである。味は美味い、と
感じられるのだが、身体は少量しか受け付けない。
日本式の居酒屋だと当然のように「酒飲み」のための
店なので、わたしはまず入らないのだ。
焼酎などは、ウィスキーと同じく蒸留酒なのであらためて
飲んでみたいのだが、おそらく自分で買って、家で
ストレート(生「き」というらしいね・・)で飲んだ方がいい
かね。まあ、店でもそうやって飲めるのかも知れないが、
どうも行く機会がない。

パブやバーだって、酒飲みのための店だろ・・って
言われるかも知れないが、わたしのような者からする
と、決してそうではない。
わたしはほとんどウィスキーをストレートで飲むが
「酒弱いくせにそんな度数高いの飲むの?」とよく
言われる。いやいや、ウィスキーのストレートって、
まさに酒好きだけどアルコール弱い人間のための
飲み方だなーってわたしは感動したもんなんだ。

わたしはウィスキーよりずっと度数の低い、ビールで
もっとひどく酔う。どうもアルコール度数で酔うという
よりは、アルコールを含んだ液体の量で酔うのでは
ないか、とわたしは疑っているのだが・・・

ビールは飲みながら、水を飲んだりは普通しないの
で、ずーっと長時間、身体がアルコールを感知し続け
る。結局、これで酔っているのではないのかと。
ウィスキーの場合、チェイサーとして水を飲む事で、
身体に休憩を与える事ができる。チェイサーの意味は
いろいろあるのだろうが、わたしが酒を楽しむためには
まさにうってつけの飲み方なのだ。

なので、最近はウィスキーと同じく蒸留酒と名のつく
ものならストレートで飲みたいと、ラムにも手を伸ばし
てみた。はじめ、先日宮古に行った時にTRAD家に
ジャマイカのマイヤーズダークラムがあったので、
そのまま飲んでみたら、その独特すぎる飲み口に
衝撃を受けた。ラムというと、カクテルベースとか
お菓子の材料とかのイメージみたいだが、どうも
カクテルに使うのは透明なホワイトラムらしく、色の
濃いダークはまさにウィスキーと同じくストレートや
ロックで、本来は飲むものらしいのだ。
Barm’sでもその話題を出すと、マスターが店内の
キューバのバカルディラムを飲ませてくれて、また
その美味さに感動した。

どうも、いろいろな酒に勝手につけられた、世間の
イメージというのは、怪しい。自分に合った酒の飲み
方しかできないのだから、自分なりのアプローチを
それぞれの酒に対して試みるのが最善だろう。
そのうち、テキーラやブランデーも試してみよう、と
思っている。

とはいえ、これは結局「ウィスキーが一番美味い!」
事を確認したいから、というのもあるかな。






  


Posted by げん at 01:42Comments(0)えみし気になる世界

2016年04月10日

祝:受賞 ゴールデンカムイ




ある夜、岩手県は宮古市に住む、10歳ほど年下の
姉貴から(爆)驚きの報告がユーガット亜メールだった。

「ゴールデンカムイが漫画大賞だって!!」

なんという事だ!すばらしい!!

・・・って、自分の描いた作品じゃないのに何喜んでる
のかって?なんでTRAD♀さんからお知らせ来るのか
って?

つまりは、わたしがけっこう前からこの作品をブログ上
で紹介していたのを、TRAD♀さんが読んで下さって
いたのである。
このところ、実は北海道が舞台のマンガ作品が盛況だ
・・・って、業界の事は正直わからんのだが 笑
『僕だけがいない街』もそうだし、沙村広明の新作
『波よ聞いてくれ』も札幌のラジオの話だ。
北海道新幹線開通も重なって、北の大地への熱い
視線が熱線となり温暖化するのだろうか
(なにいってんだ)

それにしても、この作品がマンガ界のトップに君臨
した、というのはすごい事だ。いや、確かにわたしが
今読んでいる5、6本の作品の中でも自分の中での
総合得点はダントツで、当然の結果とは思えるのだが、
特に本作は他の北海道舞台のマンガとは違って、
単に北海道が舞台の話 ではないところがミソである。

つまり、ある意味「問題作」であるところが、受賞した
事の意味というか、重さを感じさせるのである。

『ゴールデンカムイ』(「カムイ」がいまだにひらがなから
普通に変換せず「課無為」とかになるのがもどかしい)
の人気の秘密は、多彩である。
まず、わたしは恥じなければならないのだが、手塚治虫
の『シュマリ』という作品を、未だに読破していない。
これは、はるか昔に手塚が「アイヌの国」舞台に描いた
先駆的作品であり、成功作とはいえないが『ゴールデン
カムイ』の作者・野田サトルにも多大な影響を与えた。
今作は、『シュマリ』と共通する、いくつもの要素を取り入
れながら現代の北海道民自身の価値観と問題意識で
全く新たな作品として再生させたものでもあるのだ。

主人公の、日露戦争帰りの元兵士の名は、なんと
野田サトル自身の曽祖父の名なのだという。
つまり、本作には北海道民としての実感だけでなく、
実際に肉親が日露戦争から生還した(ゆえに、今ここに
自分が生きている)という歴史学的・生命学的?実感
が込められている。文字通り、漫画家一世一代の、
命がけの一作という事なのである。

作風そのものにも、作家のセンスのよさ、狂気にも必ず
併走する良識というものを感じさせる。
巨大なヒグマが人間の顔の皮を爪で一気に剥がす、と
いうような残酷な場面もあるが、こうした場面は敵役への
因果応報のような形で起きる場合がほとんどで、読後の
後味は悪くない。愛や絆は確かに描かれるのに、性描写
はさっぱりとしていて、いい意味で避けられてもいる。

作者の興味の広さ、引き出しの多さも魅力だ。
柔道家は握手ひとつで相手の強さを感じ取るとか、独特
の耳の形になるとか、スポーツ好きならではの知識から、
競馬における騎手の乗り方とか、賭博の際の壷振りの
技術とか、さらには秋田マタギによる犬の服従させ方
講座、サッポロビールを作ったのは新政府軍の士官で
土方歳三が「くやしいが美味い」と言ったとか、とにかく
ネタが豊富で、飽きさせない。
それに加えて、過酷な状況、一寸先は闇、の世界を描
きながら、登場人物への愛とユーモアが決して失われる
事がないのである。。
そこが、何度も読みたいと思わせる、拡大してゆく人気
の秘密だろう、と思っている。

しかし、それら多彩な魅力を束ねる屋台骨ともいえる
作品の「芯」の部分こそが、『ゴールデンカムイ』を
「問題作」にしている所以なのだ。
本作は、『シュマリ』以上にアイヌ民族の世界に踏み
込んでいるが、アイヌを「帝国侵略」の被害者として
描写する事は、避けている。避けている代わりに、
「アイヌ民族を中心とした、北海道独立国」への想い
が、物語の軸となっているのが、読むうちに明らかに
なってくるのだ。
現実のいま、アイヌ民族否定論などが飛び出して
いまだに先住民族復権が阻まれる中、この作品は
「北海道の本質」
というものを誰が何と言おうと明確にするのである。

物語の結末が、どうなるか・・・そのヒントは、言うま
でもなく、現代の北海道の姿にあるだろう。
けれども、大切なのは、北海道という土地がどういう
場所で、自分たち道民とは何者なのか、を描き出す
事だ。アイヌを否定する事なく、自らが新たな時代の
アイヌとなる事。偽りなきアイデンティティを追求する
カギを渡せたなら、『ゴールデンカムイ』にできるのは
未来の世代に委ねる事だけである。

アイヌ民族否定、ヘイトスピーチ。政府は言論、報道
の自由を民衆から奪おうとし、いつかあった(そして
もしかすると未だあった事のない)悪夢の時代へ
列島を巻き込もうとするかのようだ。
そんな時代に、北方政権を夢見た土方歳三や、「北鎮
部隊」が北海道を帝国から奪取し独立を図る、という
マンガを描く事は、決して穏やかな事ではない。
これは、時代を超えた、権力への挑戦なのである。

一方で「東北の独立」を長年夢想してきたわたし(笑)
だが、ゆえに荒唐無稽な話でも、他人事でもなく、
勝手ながら同志・戦友のごとく見守りつつ、非才なが
ら自身の物語をも紡いでいかねばならぬ、と焦燥にも
駆られる昨今なのだった。




  


Posted by げん at 02:47Comments(2)えみし気になる世界

2016年03月17日

またもコミック新刊ラッシュが・・


さて、3月といえば・・・旅 である。

どんなにカネがなくとも、なんとか2ヶ月に一度はどこかへ
旅をする というか、したいのである。

例年だと、3月か5月、どちらかは岩手になる。
在住県の隣県であるので、気軽・手軽という事もいえるのだが、
それ以上に、全国・・というより全世界で最も愛する土地、という
のが大きい。じゃあ、なぜ住まないのか?
ってその話はよせ。長くなるから

ともかくも、岩手へ行ってきた。
今回は、宮古~盛岡~遠野 という道筋だ。
さて・・語るべき事は多い。どういう切り口で始めるか?

そうだな・・・・・コミックからいこう 爆

おなじみもおなじみ、盛岡の名書店「さわや書店」で
やっぱり見つけてしまう面白い本
というか、なんとこのコミックの新刊が出てまして



岩手県一関市在住の女性漫画家による作品。
実は3巻でいったん、完結していたのだが、このたび今一度の
復活となった(同時になぜか「ベスト収録版」も出てる)
岩手県内の新聞記者が岩手県内を取材しまくるという、基本
岩手探索というか岩手紹介ともいうべき作品なのだが、
2巻めが出る前に震災があり、内容柄もあって3巻からは
震災後の岩手の人々の姿を描写するようになった。
今回の復活では、震災5年後の岩手各地に取材し、新たな
4つのエピソードを起こした。単なる地域紹介ではなく、
どれもよく練られたドラマで、取材のリアリティに満ちているが
深刻すぎず、ユーモアを欠かさず人情味があるのがいい。

作者は『コミックいわて』常連作家でもあり、連載中?の
岩手の英雄・アテルイを扱った『キリコ、閉じます!』と
『ゴーガイ』をコラボした短編が巻末にある。

もう一本 こちらは旅の間に刊行されて、帰宅後に仙台で入手。



以前に紹介したが、青森県弘前市在住の漫画家による、
弘前市が舞台の作品 その4巻めである。

おどろくべき事に、この春アニメ化(!!!)されて全国放送・・・
との事。なんてこった いつの間に、そんな認知されてたんだ

横浜から、青森の親戚の家へやってきて、
居候しながら、魔女修行する少女のおはなし。
『魔女の○急便』かとツッコみたくなるが、まるで違う。
青森にはホウキではなく交通機関で来るし、ホウキは
ホームセンターで買う。なぜ東北で魔女修行かというと、
東北は日本で一番魔女が多く、魔法を育むのに優れた
風土である、との事。なんとステキな設定だろうか。

実は一巻めからのつきあいだが、はじめのうちは絵がヘタで、
話もゆるいというかたどたどしくて、そこがまたいい味出してた
のだが、すっかりこの人、いい絵を描くようになりました(えらそう

後半は、二人の魔女がナイト・ドライブで、津軽の海・鯵ヶ沢へ。
ここで、奇妙なキモカワイイ?生き物というか、精霊のような存在
に出会うのだが、これを魔女は「カチーナの一種」と言う。
カチーナ・・って何だ?とわたしは正直、思った。
調べると、アメリカ先住民のとある部族が語ってきた精霊の事で、
正しくは「カチナ」というらしい。
なぜ、アメリカの精霊の呼び名が、敢えて使われたか・・
なにか、ゲームか何かの分野で、既にみんな知っているという事
だろうか。この作品には、のっけから『ハリー・ポッター』にも登場
した奇怪な植物「マンドレイク」が出てきたり、魔術関係は割りと
東西垣根なく取り込んで、いい意味での自由さ、いいかげんさが
あると思う。とにかく、こういう作品が、東北から発信されている
事が、何より嬉しく、頼もしく思えて仕方ない。

それにしても、この3月はわたしにとっての、コミックラッシュだ。
旅の間に、『ヘルク』の新刊も出たし、明後日にはあの
『ゴールデンカムイ』も出る。ほんとに、マンガばかり読んでるなー





  


Posted by げん at 00:42Comments(2)えみし気になる世界

2016年02月21日

閑話休題がとまらない 笑 まだまだコミック


一体なんの閑話休題だっけ?ってほど、本題が遠のいた感が
ありますが・・・ちょっとこのマンガについて



実のところ、それほどオススメの作品という訳でもなく(爆)
正直、いま読んでる数作品の中では、総合点数は低い方だ・・
にもかかわらず、けっこう好きでずっと買って読んでいる(矛盾)

これは2巻目なのだが、この表紙を見て、古くからのSFマンガ
ファンならどっかで見た事あるぞ?とでじゃぶゅーではなかろうか

そう、士郎正宗の、いまや古典的名作『攻殻機動隊』1巻目の
表紙だ!!なんか、そっくりだ!



さて、この士郎正宗、当時大活躍中だった大友克洋の影響も
受けながら、個性的で見事な絵を描いていた。

大友克洋といえば『AKIRA』ですね。
その自らのマンガをアニメ映画化した作品は、
宮崎駿の作品をさしおいて、アフリカの子供たちにも
大人気だったというような記憶がある。

また、大友克洋といえば、ここ宮城県の登米出身。
その代表作『AKIRA』と、自らが影響を与えた士郎正宗の
マンガを元に押井守がやはりアニメ映画化した『攻殻機動隊』は
世界に名だたる「ジャパニメーション」の2大傑作となって、
押しも押されぬ地元の誇る世界のオオトモなのだが、

まて、地元の誇る といえば、すでに先人がいたではないか

そう、石ノ森章太郎である!さすがにここまでくると敬称略が
憚られるが・・・大先生!!以下、敬称略にて!
(友人・さるさんが『萬画館』で買ってきてくれた仮面ライダー
 耳掻き、愛用させていただいとります!!爆)

なんとこの方も登米出身で、大友と同様、映画製作を目指し
ながらも、漫画家になったという。不思議な一致だ・・
高校時代から、中央の漫画界では「宮城に天才がいる」と
評判だったらしいが、漫画の天才は1人ならず、後代に
もう1人いたのだ・・・おそるべし登米。
石ノ森といえば、やはり『サイボーグ009』

https://youtu.be/W4CjzMjcM8U

近年もまた新たにアニメ化されて先進的にカッコよくなり、
あらためて時代を感じさせないアイディアに驚かされる。
改造人間のアイディア以上に、世界中の人種・民族から
9人の仲間を集める、という発想がすごいと思うのだ・・
(まあ、チャンチャンコとか、ジェロニモジュニアとか、
 グレートブリテンとか、名前はふざけてたけど・・笑)
007なんか、身体の細胞組織を組み替える事であらゆる
ものに変身・・って、どんな改造だ(爆)しかし、こいつは
こいつだけ単体で映画が作れそうなくらい面白いな~

はなしが横道にそれっぱなしだが

本題に戻って、最初に載せた写真の『エクスアーム』は
いわゆる「ふれこみ」が
「『AKIRA』『攻殻機動隊』に続く世界的SFの旗手に!」
という感じなのだが・・・
確かに連載中の『グランドジャンプ』での存在感というか
インパクトは毎回相当なものがあり、画力は素晴らしい。

しかし!!なにかが足りないのだ。
現在も、漫画界ではさまざまな形や絵柄のSFものは
あると思うが、その中でも絵柄にクセがなく、いい意味で
万人受けする、愛される美しさ、カッコよさを備えていると
いえる気がする。

話は「クライムアクション」近未来に多発する謎の超科学
(オーバー・テクノロジー)を悪用した未曾有の凶悪犯罪。
それに立ち向かうおてんば警官とアンドロイド警官のコンビ、
更に加わるはその超科学によって脳だけの姿にされた少年・・
この3人を中心に大都市で展開する、すりりんぐなるばとる!
といった具合。

いまどき、同じような感じのSFものはなかなかないので、
それだけでも貴重な作品といえそうなのだが、なんとなく、
はなし的に、B級を脱し切れてない気がするのである。

実は先述した筋の中の、おてんば警官とアンドロイド警官
というのは、今回絵を担当している古味慎也のかつての
オリジナル作品『エクスヴィータ』の主役コンビだった。
こちらは週刊ヤングジャンプ連載で、より若者向けの軽妙な
雰囲気の作品だったが、今回の新作では別に原作者を
伴いながら、自らのオリジナルキャラを続投?するという、
複雑怪奇な事をやっている訳である。

舞台は「前作」の2050年から、2030年に前倒しされて
いるので、主役の2人も全く同一のものではなく、いわば
「パラレルワールド」と説明されているのだが、それなら
もっと大胆な変更を、この主役の設定にも与えるべきで
あった、と思う。

単行本の表紙だけでなく、雑誌の表紙もたびたび飾るのが
アンドロイド(女性型なのでガイノイドというのか)警官の
アルマなのだが、このキャラクター 非常にミステリアスな
ムードを醸しだしていて、強く惹きつけられる。
明らかに人間ではないのは確かだが、何か「闇の部分」と
いうか、「悪女」的なものも感じるのだ・・しかしフタを開けて
みると、極めて優等生的で素直なアンドロイドなのである。
コンビを組むおてんばのミナミも、正義感が強いおっちょこちょい
で愛すべきキャラだが、家族の話なんかも一切出てこなくて
いまひとつ強烈さも、深みも欠ける感じなのである。
アルマは、脳だけの姿になった少年と「接続」されて、いわば
ボディを共有する関係となるが、これも両者いい奴すぎて、
屈折がなさすぎる(笑)なんなのか、このモヤモヤ感は・・・

『AKIRA』『攻殻機動隊』に続く・・・と書いたが、実のところは、
なんといっても『AKIRA』が強烈すぎたのである。
大友の、都市を緻密に描きこむ情熱、その空前の破壊と破滅、
荒廃までをも描ききろうとする異様なまでの欲望・・そして
2人の不良少年を通して爆発させた暴力的な、屈折した感情。
すべてが内向的で、得体の知れないエネルギーの所産だった。
(大友の田舎育ちからくる都市への憧れや憎悪の表れでもあ
 ったのかな?などと同じ田舎育ちのわたしなどは思う)

なんというか、『エクスアーム』では超科学とか超能力とかが
今のところ犯罪者側にあるので、まだその狂気というか、
内向的エネルギーのようなものが、作者のものとして伝わって
こない・・気がするのだなあ。
『AKIRA』では、その狂気そのものが、主人公だったのだ。
まだ『エクスアーム』の作者は、「安全圏」にいる。
『AKIRA』その他、過去の名作のオマージュ的なものを描いて
いるに過ぎなくて、自分なりのアナーキーな欲望に踏み込めて
いないのではないか。
やはりここにも、「破壊された東京」は部分的に描かれるが、
舞台は整然とした東京である。一体、作者にとって大都市とは
何なのだろうか?という事まで考える。

ともあれ、やっぱり毎回、気になって読んでしまうという・・笑
とにかくも、迫力のある作品なので、グランドジャンプを見かける
事あれば、ちょいと覗いてみてはいかがだろうか(はずかしいか)
なんだかんだいって、オススメしていたりして・・でもススメない!

実際、書店のコミック棚に新刊の時もあんまり平積みされてなくて
ネット上の評判や書き込みもいまひとつ盛り上がらず、地味である。
なんか一皮剥けて飛びぬけてほしいなあ!と思う今日この頃・・
なのであった。(自分のもちゃんと書けよ、と)


  


Posted by げん at 04:58Comments(0)えみし気になる世界

2016年02月14日

閑話休題 SW語らせてください その2


いわゆるネタばれ はあまりないかと思いますが・・・
なんの予備知識もくれるな!という方は、さすがに
まだ読んでくだされるな・・・なのかな。

誰かが書いていたが、SW新作の物語の展開が、
『ラピュタ』であると。
外の世界に飛び出す事も叶わず、前に進む術ももたない
少年のもとに、天から少女が降りてきて(落ちてきて)
運命が一変する。今回は、少年と少女が逆になっただけ、
という事だ。



スターウォーズの物語というのは、基本的に同じ事を
意図的に繰り返している、といえる。
そもそもの語り始めが、ルーク・スカイウォーカーの視点・
立場から展開する『宝島』的な、少年冒険譚であった。
のちに、彼の父の少年期を描くという段になって、
やはり同じように砂漠の惑星から飛び出す冒険譚の形
をとってはいるが、視点は少年というよりも、彼をとりまく
ジェダイ騎士という名の「オトナ」の方に置かれていた。

今回の新作の、語り口のある意味すがすがしさは、
語りの視点・立場が再び主人公の少年・少女に戻って
いるところにあると思う。
とにかく、徹底的に主人公目線であり、前シリーズの
ような、誰が主人公かわからない世界俯瞰的な展開
は避けられている。
少女が少年?に出会い、独りだとできなかった旅立ちを
成し遂げていく、というシンプルな構成と、脚本の主人公
に対する「集中力」が作品に潔い印象を与えていた、と
いえる。

脚本の構成上、脚本家の本懐なのか、ディズニーという
スターウォーズにとっての新しい拠点が意図的に・・という
か、「路線」として導いている結果なのか、というのが今回
よく言われる点ではある。

例えば、主人公のひとりである少女を肉体的・精神的に
強い、いわば男の保護を必要としない自立した存在として
描く事、そして白人だけでなく、黒人も対等に主人公として
活躍させる事がいかにもディズニー的で、人によっては
(日本人でさえも)違和感を感じる、という意見があるようだ。
個人的には、2点とも好印象をもったところなのだが・・・
『ナウシカ』など宮崎駿作品が、ハリウッドにも影響を与えた
結果なのかな?などと思う事もある。
(宮崎駿の昔からのスターウォーズ批判は有名で、
『ナウシカ』はその答だと言われているが、いまや現実に
スターウォーズを動かしてしまっている、という事か・・・)

もし作り手が、女性差別や人種差別の意識を持ちながら、
キレイ事でやっているとしたら、脚本や作品全体に、無理が
出ているはずなのだが、そういう点は認められない。
「製作者側の社会への配慮」をマイナスとして捉える傾向は
常にあるけれども、ここは素直に製作者の意志として尊重し
歓迎したいところである。

わたしが問題にしたいのは、脚本そのものの甘さである。
たとえば最初に作られたいわゆる「エピソード4」の場合、
主人公のもとに物語の展開上重要なロボットとの出会いが
訪れるくだりは、様々な状況を考えても必然性があった。

レイア姫がジェダイ騎士の生き残りであるオビ・ワンに助け
を求めてロボットを送り込んだ惑星には、オビ・ワンが成長を
見守り続ける主人公も住んでいる訳だが、ロボットは砂漠で
ロボット売買業者に捕まって、廻りまわって主人公の家を
通り、買われる事になる。
まあ、砂漠の惑星上という広大なエリアの中で、オビ・ワン
たちのいそうな辺りを特定する事自体無理はあるが
(そんな事を言い出すとこの作品世界全体にケチをつける
 事になりキリがないのだが・・・)
こうして見れば、しかるべき場所にしかるべき人物がいて、
出会いが偶然ではなく必然的に起こっていた事が確認でき
るだろう。

今回の新作では、そういった必然性がほとんどなくて、
全くご都合主義の極致としかいいようがない。
少年(というか若者ね)はただアテもなく砂漠の惑星の一地点
に降り立って、アテもなく歩いていった結果、偶然に重要な
ロボットと出会っていた少女のいる街に辿り着いて、出くわす。
しかも、その街にはかの伝説的なミレニアム・ファルコン号が
なぜかあるのだ・・・すべてが偶然に頼りすぎてきて、まるで
神様がことごとく導いてなさるんですよとでも言わんばかりだ。

脚本担当はまったく凡才ではなく、『帝国の逆襲』『ジェダイの
帰還』も手がけたローレンス・カスダンである。旧作をリアルタ
イムで知る人間にとっては、これも久々な人選で感動もので
あり、やはり面白いところは面白いのだが、まずこの出だしは
もう少しなんとかならなかったかと思う。

とはいえ、今回は長年のファンを感激させた箇所も非常に多く
全体的に好印象の残った一作であった。
個人的によかったところ
@帝国軍の巨大戦艦が砂漠に墜落してるところ
 それを主人公が探検してるところ
 (巨神兵の残骸が残る腐海を探検するナウシカでしょ もろ・・)
@帝国軍伝統のタイ戦闘機に乗ってみるところ
 (これがありそうでなかった、憧れのシーン!)
@ファルコン号からの射撃シーン
 (これも第1作以来なかなかなかったシーン やっと再び!)
@チューバッカのしぐさがいちいち魅力的
 「帝国の逆襲」でもそうだが 脚本家がチューイを好きなのかな
@ハン・ソロもだがレイアの女優さん お歳の召し方がとにかく
 素晴らしい ずーっと帝国の逆襲を思い出しながら観てました

あと、やはり肝腎の、「あの人」がああなってしまう展開には・・・
これはネタばれというやつになるので、このへんにしときますが
まあこの段になると、たいていの人は既に観ていると思います
とにかくいくつかの問題と、大いなる期待を残してくれましたね。

仙台駅西口に、10年ぶりぐらいに大きな映画館が、新しく出現
しようとしています(外観はこないだ、みました!)
長町まで出かけるのも悪くはないのだが、やはり100万人都市
たるもの スターウォーズが観られる劇場のひとつは備えてお
いてほしいものです。まったくの、悲願です。





  


Posted by げん at 07:17Comments(0)えみし気になる世界

2016年02月11日

閑話休題 SW語らせてください その1


久々に、小説を買った。
やはり人間、コミックだけではいけない・・・



ハヤカワ文庫SF、いまちょいぶ厚いと、1400円もするのね
しかし、この表題作からして、「つかみ」が実によかった。
とんでもない所に住んでいる、顔そっくりの少年少女が出会うのだが、
とんでもない所だけに、「服をちょうだい」と少女が言うと、
さりげなくどえらい事が始まって、あっさり完了するという・・・
(なんのこっちゃ だが、気になったアナタは是非読んで下さい)
いかにもSF!な感じで、しかも不思議に優雅で詩的である。
これがコミックや映画だと、強烈なビジュアルばかりインパクトに残り
ぜんぜん違う印象になってしまうんだろうな。

ジョン・ヴァーリイ、実は初めて読んだのだけど70~80年代に活躍
した作家で、作品群はもう割りと古い けれども、近年のSFには
天才が書いたか何だか知らんがへんに読みづらいものが多くて
けっこう前のものの方がシンプルなのにかえって新鮮だったりする。

おっと今回の本題は、スターウォーズの新作だった。

先日、なんと2回目を観てきた 笑 前回は上映スケジュールの関係で
日本語吹替版を観た それも大変よかったのだが、自分にとっては
スターウォーズは生まれて初めて「英語を話す人やロボット」を目撃した
体験(1978年 8歳)で、すなわち「英語=宇宙語」だったから 爆
やはりここは原版でも観ておきたかった訳である。

しかし2回目、もうひとつ強く意識した点がある。それは・・・
今回の作品が、デジタルではなく、フィルムで撮影されている事だ。

みんな、意識していただろうか?気がついていただろうか?
前回の、いわゆる「エピソード2」や「3」と、画質や雰囲気が、全く
違っていた事に。そしてむしろ、いわゆる「旧3部作」のそれに
戻っている 回帰している事に。

単に、「舞台になっている場所が旧3部作に近いから」なのだろうか?
確かに、「2」「3」の舞台はほとんど、地球上ではありえないような
海ばかりとか、溶岩ばかりとか、巨大都市ばかりとかの風景で、
ほぼすべてCGか何かで作った映像だったと思う。
それに対して、旧3部作の舞台というのは、地球上にもありそうな
砂漠であったり、氷上であったり、森であったりで、今回の新作も、
むしろこうした現実の風景に少し手を加えたような風景がほとんど
であり、しまいには、あきらかにアイルランド辺りの島だろう!という
風景まで登場するのだった。

 実のところスターウォーズとは、宇宙とは名ばかりで 実は、
地球上のドラマだったといっても過言ではない・・
よくむかしから、「スターウォーズはSFとはいえない」と言われて
いたのだが、それは子供心にも何となく飲み込めていたものだ。

スターウォーズにおける宇宙とはロマンを広げるための味付けで
あり、実際の宇宙を描いたものではない事は、宇宙で爆音がしたり
無重力が存在しなかったり超光速航行で時間経過のギャップが
皆無だったりする事で明らかで、製作者側ももちろんわかってて
やっているのだ。

ルーカスがやりたかったのはむしろ、『指輪物語』のような冒険もの
で、あちらは地球上にいくつもの異世界が描かれるようないわば
「おとぎ話」であった。
ルーカスは新たな異世界を演出するために、彼なりの「おとぎ話」の
舞台装置として、彼なりの宇宙を作り出したのである。
しかしその舞台はすべて結局は地球上にあった。
技術的な制限もあっての事かも知れないが、スターウォーズ旧3部作
は、地球の風景を取り込む事でこの惑星の息吹を作品に反映させ、
結果的に比類なきロマンを構築する事に成功したのではなかったろうか。

ルーカス自身が深く関わり切り開いてきたCG特撮の全盛は、
スターウォーズによりSF的な舞台を創出させる可能性を開いた。
けれども、実際はどうだったのだろう?
今回の新作で、ヒロインが滑り降りていく砂丘の風景や、緑や氷雪に
覆われた森、そして(たぶんアイルランドの)島の光景におおーと感動
したりした事が、前作の、デジタル作品にあっただろうか・・・
デジタルにも、可能だったのなら是非やってほしいところだったが、
結果的にはスターウォーズは地球という惑星を写しこむ事をやめ、
どこかよそよそしく、薄っぺらい印象を残すものになっていった気が
するのだった。

スターウォーズは今後の、残り2作品も、引き続きフィルムで製作する
事が決まっているそうだ。フィルム生産廃業寸前に追い込まれていた
コダックを、スターウォーズが救った事になり、これがフィルムという
人類の文明文化史的遺産を守る事に一役買う事になるかも知れない。

ちなみに、わたしもやっぱり、フィルムを使い続けようと思った。 笑


  


Posted by げん at 10:46Comments(0)えみし気になる世界

2015年12月12日

閑話休題Ⅱ:へるく読むべし 


映画の次は例によって漫画といきます

以前、いろいろコミック紹介しました
とりあえず、最近ますます面白い
『ゴールデンカムイ』第5巻が
スターウォーズ新作公開と同じ日に
発売のようです(あわただしいな・・)



表紙は、東北読者お待ちかね?の
秋田マタギ出身の日露戦争帰還兵
谷垣さんです!
当初は脇役で敵役のひとりに過ぎません
でしたが、みるみるその出番と魅力を増し
今巻では命を救われ世話になったアイヌの
家族を救うため、ばかにしていた師匠の
単発村田銃を手に戦います。
読む者は、男も女も惚れる事うけあいです。


実はひとつ、ひそかに?オススメのコミックが
以前からあったのですが



『ヘルク』 七尾ナナキ

しばらくは、「本当にこれオススメしていいのか?」
と思っていたのです。
というのも、これはベースがいわゆるRPGというか
「魔族」とか「勇者」とか、「戦闘レベル75」とかいう
言葉やキャラクターが飛び出し暴れまわるゲームの
世界らしく、こういうゲームなどの分野は全く昔から
門外漢であるわたしが一瞬躊躇したほどだったから
です。

しかしいつも表紙を見て直感で読み始めるわたし。
2巻、3巻と読み進めるうちに魅力的なキャラクター群、
センスのいいギャグとシリアスの切り替え、深まる謎
など、急速にこの世界にはまり込んでいきます。
読み始めた当初はもろマイナーだったこの作品も
今ではひそかに熱狂的なファンを増やすようになっ
てきた模様です。

この作品、実は『裏サンデー』という、インターネット
上の漫画雑誌に連載中という、伏兵中の伏兵。
なので、ここから定期的に更新される連載を、読む
事ができます。↓

http://urasunday.com/helck/comic/10101.html

ぜひ!




  


Posted by げん at 00:24Comments(0)えみし気になる世界

2015年12月11日

閑話休題:まさか!の映画化


すっかり近年、映画から離れ映画情報にも疎くなった
わたしだが ふと先日、

「エイリアン もうひとつの 続編」

で検索をかけてみたら、驚愕すべき情報が飛び込んで
きた。

そもそも、なんでわたしはこんなキーワードで検索を
かけたのか?

わたしは『エイリアン』『エイリアン2』の長年の大ファン
である。『スターウォーズ』シリーズとともに、その感動
の記憶とともに大人になり生きてきたようなものだ。

映画好きならご存知と思うが、『エイリアン』にはさらに
『3』『4』という続編が製作されている。
『エイリアン』はもともとSFホラーながら芸術的な志向の
強い孤高の作品だったが、のちに映画界を席巻する
娯楽大作の鬼才・ジェームズ キャメロンによって、まさか
の戦争アクションエンタテインメント続編が作られてこれが
大ヒットする。この『2』(原題「ALIENS」)がその後のこの
シリーズの運命を決定的に変えたが、よろしくなかったの
が、その次に若き新鋭・デヴィッド フィンチャーが作った
『3』であった。

『2』のヒット要因は、やはりキャメロンの

「観客、そして自分自身がどんな映画を観たいか」

を本能的に知っているようなところにあったと思っている。
『エイリアン』は素晴らしい作品だが、続編で同じようなもの
を観たい、とは正直多くの人が思わない。この作品は、
とにかく強烈なエイリアン(そしてアンドロイド)への恐怖と
孤独感が、観客に強いストレスを残したのである。

よって、ラストでただ独り生き残った主人公が、仲間とともに
今度はやられっぱなしではなく徹底的に戦うという続編は
いわば観客にとってもエイリアンに対する「リベンジ」であった。
最後までともに戦う仲間が、恋人的な存在や、前作では敵
であったアンドロイド、そして母娘のような情を交わす少女
である事など、つくづく前作と対比させて計算され尽くして
いるなあ~とあらためて感心させられる。

ところが、『3』で若手フィンチャーが目指したのは、むしろ
1作目の再生産だった。主人公を再び孤独のどん底に陥れ、
ただ一匹のエイリアンとの絶望的な戦いに終始する。
そのために、冒頭であっさりと、『2』で生き残った仲間である
恋人もアンドロイドも、少女すらも死んだ事にされてしまった。

観客に媚びろ、という訳では、当然ない。
だが、観客は正直である。愛すべき登場人物がやたら死ぬ
ような作品は、結局後世まで残りづらいのだ。

『4』はフランスの個性的な映画作家がユニークな作風で
意外に盛り上げたが、やはり無理矢理な展開でキワモノ的
な位置に甘んじる事になった。
さらに、『エイリアンvsプレデター』なるお遊び企画といっても
いい負の連鎖へと続く。明らかに、エイリアンの世界は行き
詰まりを迎えたのだった。

『3』『4』は「なかったこと」にしたい・・・
つまり「黒歴史」としてこれらを捉えるのは、わたしだけでは
ない事は、以前から映画マニア的な情報から知ってはいた。

しかし、まさかこの願いが叶おうなどとは、誰も予想しなかった
のではないだろうか?

なんと、そのまさか、が起ころうとしているのだ・・・

その、冒頭の驚愕すべき情報とは(前置き長いんだってば)
『エイリアン』シリーズの新たな続編が作られる事になった、
という事(もう今年の夏に出た情報だったのね・・)なのだが、

なんでも、その続編は『4』に続く『5』ではなく、
『2』のあらためての続編になる、という。

一瞬、ぽかん なのだが、つまり先程わたしが書いたように
『3』をなかった事にする という事なのだ。
こんな事って、あるんだろうか?
フィンチャーさんにしてみると、立場なし!というところだろうが

恋人やアンドロイドは生き残り、少女が成長して新たな主人公
になるとか・・・おいおい、それって俺も考えてたシナリオだって
の!って事は、世界中 映画ファンの夢想する事は同じという
訳か。

監督に抜擢されたのは、わたしが以前、
「途中までは最悪な映画 でも後半からは怒涛の傑作!」
とこのブログでも紹介した『第9地区』の二ール・プロムガンプ。
かなり強烈なクセはあるが基本的に良い魂を持っている作家
だと思う。これは期待できるな!

近年、ハリウッドも激動で、続編という製作形態ひとつとっても
『猿の惑星』の駄作の連鎖だった続編群が「ジェネシス」とか
いってスゴイものに生まれ変わったり、『マッドマックス』が
同じ監督によって全く違う映画にこれまた塗り替えられたり、
なんだかこれまでの常識が通用しない事態になってきている
なあと感じる事が多くなった。
しばらく観ないうちに、とんでもない量の作品がたまってきて
いるので、ぼちぼち映画の世界にも戻っていかないといけない。

とりあえず、『スターウォーズ』の新作を観なければ。
30数年ぶりにあの三人を銀幕で観たら、ああ共に歳を取って
きたんだな・・・と号泣しそうだ。



  


Posted by げん at 00:11Comments(0)えみし気になる世界

2015年10月11日

シネマライズ 閉館 その3


秋の大掃除を始めました・・
水が冷たくならないうちにね。
さておき

そう、90年代の自主制作映画野郎たちにとって、
「フィルムで撮るか?ビデオで撮るか?」
は結構、葛藤するところだった。特に95年までは、
8ミリフィルム映画の機材はまだ豊富に中古店に
出回っていて、富士フィルムはがんばってフィルム
を生産し続けてくれていた。当時のビデオ媒体である
8ミリビデオ、Hi8の編集技術・画質では、とても映画
を作っている、というレベルの満足感は得られず、
ましてや世界の映画製作自体、フィルムで行われて
いたのだから、その葛藤は当然のものであった。

ところが、わたしがシネマライズに勤め始めた頃、
かの革新的な「デジタルビデオカメラ」が発売された。
パソコンで編集でき劣化しない圧倒的な高画質。
瞬く間に自主制作の現場からフィルムは淘汰されて
いったが、この時は、よもやハリウッドの映画製作の
現場までがフィルムを廃棄しデジタルビデオへ乗り
換える事になろうとは、想像すらできなかった
(というか、したくなかった)

ハリウッドまでがビデオで映画を撮り始めた事が
何を意味するかというと、つまり世界中の映画館
から、フィルムの映写機が撤去される という事
である。
映画2時間分のフィルムというのは、大の男が息を
切らせて階段昇るくらい、けっこう重いもの。
これの運送費用も相当のものだし、映写機は常に
動かしていないとダメになってしまう精密機械である。
結局、全てにおいて費用のかかるフィルム機材を
廃し、ディスクを入れるだけのデッキと投影機だけ
に置き換える、という作業が、世界中大小全ての
劇場に課せられる事になった。

一見、これなら映画産業・興行としては問題なく、
維持していけそうに思えるが、問題はそうした
設備面の移行作業が、劇場側の負担で行われた
事である。もちろんシネコンのような大資本の所なら
いいだろうが、ミニシアターなど、決して潤っている所
ばかりでないのに、莫大な出費を強いられた。

そしてシネマライズも例に洩れず、わたしもさんざん
動かした映写機を撤去して完全デジタル化を完了。
ところが、そうした結果が、わずか数年後の、閉館
である。

先年のカンヌ国際映画祭で、フィルム上映された映画
は、何と特別上映されたQ・タランティーノ監督の
『パルプフィクション』のみだった。監督は壇上で言った。

「我々は敗北した。映画は死んだも同然だ。」と。
http://news.livedoor.com/article/detail/8869895/

一般の人の多くは、いまひとつ実感できないかも知れ
ないが、例えば20世紀初頭から連綿と作り続けられ
遺されてきたフィルム作品のほぼ全てが、本来の
フィルムでは観られない という事実を考えてもらえれ
ば、その重大さが少しわかっていただけるのではないか
と思う。絵画でいえば、世界の名画のオリジナルが全て
焼失して、画集やネット上でしか見れない、という状況
と同じである。つまり、人類の遺産の喪失 という事だ。

ともあれ、映画は続いていくだろう。
けれども、シネマライズ閉館に対し寄せられた声の中に

「観せる側にも観る側にも、かつての熱気が感じられない」

とあって、映画のひとつの時代の終焉を認めると同時に、
先立って映画を捨て文学に走ったような自分を振り返っ
たりもするのだった。



・・やっぱり、ブログ書くって いいもんだな。







  


Posted by げん at 14:02Comments(0)えみし気になる世界

2015年10月11日

シネマライズ 閉館 その2


アタマを冷やそう

とにかく、シネマライズの存在感は、相当のものだった。

しかし、今回閉館にあたって、寄せられた声というのは
ほとんど例外なく
「むかしよく観に行ったな~」
というもの。そう、つまり最近は観に行ってないのだ。
偉大なミニシアターが、過去の栄光になっていた。
なぜ、そんな事になったのだろう。

と、かく言うわたし自身、この頃とは比べ物にならない
くらい、映画を観なくなった。
まあこれは、自ら選んだ貧乏への道とも関連していて、
そもそも、うちにはTVが随分前からない(笑)ので、
DVDで映画鑑賞もできないのだ。
おまけに、仙台の街というのは、盛岡とも違って劇場公開
中の映画の看板などもほとんど見かけないので、現在
かかっている作品が何なのか、心に留める事も難しい。

しかし個人的に、映画から遠ざかったのには更なる理由
があった。シネマライズで映写の仕事をやるかたわら、
休日にはいわゆる自主制作映画を手がけていたが
(映画館の社員から『腰かけで勤務するつもりならば
 やめてほしい』と言われたにもかかわらず・・)
やがて無意識的に、映画そのものに失望していたのか、
仕事も映画作りも辞めて、長い旅生活を始めてしまった。
いま考えると、映画の中に擬似人生を求めるよりも、
自分の人生を生きたい、と思っていたのだと思う。
つまり自分は映画好きだと言っていながら、
その映画に自由を奪われて息をつまらせていたのだ。

まー脱線

自分の事はさておき、映画業界そのものもかつてない
革命的な(そして致命的な?)変化が訪れていた。

ひとつは、わたしの退職前に既に始まっていた、
シネコン―シネマコンプレックスの普及である。
これは、ただの大きな映画館ではない。
今まで、シネマライズのような「単館上映」でしか
観られなかった作品が、ほとんどこのシネコンで
回せるようになった。ミニシアターブームというのは、
つまりハリウッド大作などに対して、個人や小企業が
作った低予算映画に、「この劇場でしか観られない」
という付加価値をつける 更にはその劇場の個性と
セットとして作品を際立たせる効果も持たせる という
映画芸術への高い意識の賜物であった。
しかしシネコンでの一括上映は、大作も小作も全て
よく言えば差別なく、悪く言えば画一的に人々の前
を通過させてゆく(これがホントのロードショー?)
事になった。

もうひとつが、フィルムからデジタルへの完全移行である。

が、くたびれたので、ここで切ろう。つづくーっ





  


Posted by げん at 11:47Comments(0)えみし気になる世界

2015年10月11日

シネマライズ 閉館 その1


一体、なにが 真髄 だったのか・・・

それはさておき

今日、仙台パルコ付近を久々歩いていたら、
横浜に住む、むかしの映写技師仲間(♀)から
メールが来て、
「ライズが閉まる」
と知らされた。
奇しくも、シネマライズとは、渋谷の有名な
パルコ1号店のすぐそばにある映画館。
これも知らなかったが、この偉大なる始まりの
パルコも、取り壊されリニューアルされるという。
その煽り?もあっての、劇場閉館という事らしい
渋谷の街はいま、激動の時を迎えているのだ。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1510/10/news023.html

1996年 若き日の奥羽越現像、何とか映画
業界に潜り込みたいと奮闘するも叶わず、ならば
せめて映画機械に触れる仕事を、と東京中の
映画館に電話をかけまくり
「映写技師の仕事ありませんか!?」
と掛け合って、ただひとつ拾ってくれたのが、
このシネマライズだった。

シネマライズはもともと、地下にミニシアター、
2Fに大手作品用の大劇場の2館体制だった
が、一時、メジャー館は閉めていたのを、
2Fもミニシアター(でかいけど)として開放し
ようとしていた。なので、ちょうど映写技師を
増やそうというタイミングだったのだ。

しかし、ファッションのふぁの字も知らない、
ど級田舎者のわたしにしては、かなり大それた、
不釣合いな職場だったと言えるかも知れない。
日本における映画史上、非常に重要な時期と
いえる、「ミニシアターの時代」を起こし、作り上
げた偉大なる映画館のひとつ それがこの
シネマライズだった。
特に、過激な愛のかたちとか、ドラッグとか、
犯罪、絵画とか音楽とか、戦争、民族・・・
とにかく予定調和を常にひっくりかえそうという
その姿勢が、選び抜かれた作品群に表れていた。
「渋谷から発信する映画で社会を変える!」
ぐらいの、挑戦的な勢いがあった。


・・・くたびれた 爆   つづく



  


Posted by げん at 01:06Comments(0)えみし気になる世界