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山形情報ガイド・んだ!ブログ

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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2011年03月30日

お先にスコットランド・・・


なんと・・・故・萱野茂さんがスコットランドを旅していた!!

http://www.youtube.com/watch?v=N2FjkJluZTU

放送は2001年 とすると行かれたのは2000年頃?

わたしが行ったのが2002年だから ほとんど同時代

わたしは東北人のアイデンティティを補強(爆)するためにも
行ったのだが、萱野さんもまた、アイヌ民族のために尽力し
たスコットランド人・マンロー博士の足跡を訪ねてやってきて
そこにアイヌと同じようにかつて隣国に支配され言葉も文化
も奪われたスコットランドの真の姿を見たのだった。  


Posted by げん at 18:19Comments(2)えみし気になる世界

2011年03月27日

奥羽越東国復興記 Ⅵ


自分も含めその多くが、今回の災害後は何を書くべきか
書かざるべきか 迷い 沈黙を続けていたが・・・

ブログを書いている人たちが、少しづつ 戦いを始めた。

批判コメントとの戦い そして自分との戦いである。
中には、13歳の女の子が書いた「反原発」記事に、
‘オトナ’たちが大挙して非難を浴びせる例もある。
ちなみに、その彼女の書いた 反原発 の記事だが
実に素晴らしい内容だった 一瞬面喰うかもだが
http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html
これに水をさすオトナ 実にオトナげない というより
残念ながら、13歳少女を論破する説得力をもつ反論は
2000を越えるコメント中―皆無―である。*
(全部読んだのか?とツッコミたいあなた・・・確認してくれ)

まだ福島の「現場」では、戦いといったら比較にならぬ
永遠にも似た地獄の苦闘が続いているだろう。
そんな時に、原発は賛成か?反対か?などと言っている
場合ではない という意見もあるかもしれない。

しかし、いま現場にいる 彼ら の闘いが終わったとする。
そのあと、闘わねばならないのは、我々 一般人である。
現場の彼らにしてみても、全国民に対して
「今は 俺たちの この仕事 についてだけ 考えてくれ!」
などとは思っていないと思う。彼らの誰もが家族の未来に
若者の 子供たちの行く末に 胸が締め付けられているに
違いない。 死を覚悟していれば 
「あとの事は頼むぞ」
という一念は必ず持っているはずである。その願いを託された
人々が、厳しい受験戦争が終わったあとの学生みたいに
「あ~大変だったねえ 原発 これからは安全だといいねえ」
で思考停止になってしまわなければいいのだが。

『東京に原発を!』という随分前の、広瀬隆さんによる本が
ある。本当に、原発開発当初から 原発問題の本質を突き
嫌われながらも闘い続けた執念 アタマが下がる思いだ

「そんなに原子力発電所が安全だというなら、
 地方にではなく東京に作ればいいではないか?」

あまりにシンプルにして、暴力的にさえ感じられるメッセージ
(いや、地方に原発を置く という事自体 現実の暴力なのだが)

しかし、原発の問題点は、この「東京に原発を!」の一言に
集約されているように思う。どんなに推進の正当性を主張しよう
という人でも、この一言には何も返せまい

・・・と思っていたら、いたのです
「東京には原発は作れないのですよ だけど、安全なのです」
と反論するお人が!!
http://realwave.blog70.fc2.com/blog-entry-273.html

今回の、大災害以前に書かれた記事なので今になって名指しで
批判するのも申し訳ないのだが・・・
それを差し引いても、残念ながらほとんど納得できなかった。

「東京に原発作ったら論のおかしいのは・・・
 つまり原発建設阻止のための単なるレトリックに過ぎず」
・・・だから作者はそのつもりで書いてるんだろ っつの(汗

「原発が実用的であると言えるのは事故の危険性が十分に小さい
からです。東京原発論が誤りなのはわざわざ原発事故の被害を
大きくすることになるからです。想定被害を小さくすることは差別とは
無関係です。」
・・・このくだり、ただただびっくり アッチョンブリケ ですな

「実際には、原発が実用化されて50年以上たち現在世界に500基の
原発がありますが、原発外部に多大な被害が及ぶような事故は
1986年に旧ソ連のチェルノブイリ原発で起きたものだけです。」
・・・特にこのあたり 哀しく空しく響きますな

本当に、東京に作らなくてよかったですね 原発
まさに 狙いどおりじゃないですか 推進派のみなさん!

わたしは今回『復興記』と題した その裏には
「本当に復興できるのか?今度という今度は・・」
という疑念 恐れ がある 地震・津波の被害を直接被らなかった
人間にまでそう思わせる それが原子力発電所の災害である。
このまま10年、20年かけて、みんな死に、滅びていくのではないか?
うっかり言い出せない その不安を胸に それでも生きていくのだ。
だから、原発をこれからどうしていくか という問題は ごまかせぬ
避けて済まされぬ 奥羽越全土の闘いである。
なに?東北だけじゃない 日本全体の問題だろうって?
その通り だけど、国に何とかしてもらおう というだけではダメだ。
奥羽越の人間自ら選択し、そのあとで国という奴に、問うのだ

われわれは原発を こうしてゆく 国は どうする? と



*・・翌日見ると、彼女へのコメントは9000を越えていた 汗

  


Posted by げん at 16:14Comments(3)

2011年03月22日

奥羽越東国復興記 Ⅴ


友人からのメールより
名古屋の方から 以下の声が届いたとの事です
3月20日 掲載が遅れました

皆さん
どうかお願いがあります。
祈りを、皆さんの祈りを
今、福島原発で命がけで 我々の国、この日本を
国民を あなたをあなたの家族を救う為に
懸命に仕事をしている人々がいます。

どうか祈って下さい!
作業が成功するのを!
お願いします!

自衛隊特殊化学防護隊の隊員たちは志願者です。
しかも年齢は55歳からうえ、もう子育ても終わりに近いので
思い残す事は無いと志願者となったようです。
その様な志願者が50名


時事通信社の記事があります。
東電が全国の電力会社、協力企業に助けを求めました。
志願者です
決死隊として原発の内部作業をする原発関係者のベテランを
募ったのです。
中国電力の原発勤務40年というある男性が。
この作業は自分達のようなベテランがやるべきだ、
自分は定年まで後一年であるし、子育ても終わったとして、
志願したそうです。
ご家族は静かに思いを語る、自分の夫、父親 の決意に
何も言えなかたそうです。
その方の娘さんは,今までと違う父のもの静かな顔を
初めて見たそうです。
志願者20名
翌朝、いつも出勤する時のように。
じゃあ、いってくる。
と言って玄関を出てたそうです。

原発での作業中、放射線被爆があります。
国が定める限界被爆単位100ミリシーベルト。
それが250ミリシーベルトになりました。
何故なら、彼等が望んだからです。

100ミリシーベルトではすぐ時間が経ってしまい
数分では作業ができない。
だから国に250に上げてくれと。
その為の被爆量は覚悟の上なのです。

そのおかげで
昨日、あと一歩で臨界点と言う所で臨界が止まったのです。
もし臨界点に達していたら。
私達は今、この時を
この時間を過ごしていません。
家族と恋人と仲間、友人とこの時間が無かったかもしれないのです。

半径300キロ生物の生存率は、限りなくゼロに近かったんです。
今のこの時間は彼等のおかげなのです。

経営側幹部たちは我が身安泰の為 情報を小出しにし、
遠く離れた東京から出てきませんでした。

お願いです皆さん
祈って下さい!
皆さんの祈りを
作業が成功するように
祈って下さい!
皆さんの想念を送って下さい!

今日 放水作業が無事終わりました。

明日の作業も成功するように。
隊員たちが無事であるように。
祈って下さい!

どうかお願いします!

そして家族、友人、仲間、一人でも多く方に知ってもらい
祈ってほしいので伝えて下さい!
お願いします!

名古屋中央支部
  


Posted by げん at 01:49Comments(2)

2011年03月19日

奥羽越東国復興記 Ⅳ


3月13日(日)
昨夜、充電した携帯電話で何度か試して、一度だけ実家とつながった
親父がいう「一度、帰ってきたらどうか」
全てのライフラインが不通、食糧物資無供給なのはもちろん、隣県の
原発事故がどうも良い方向に向かっていない事からの提案だった。
わたしが思ったのは、正直 自分もそうしたいという事 反面
仙台の生活を壊されるのはゴメンだという事だった。

今日も、朝10時に職場へ。やっぱり仕事にはならないので、申し訳
なくも、無駄な時間という気がぬぐえないが・・
晴天で暖かく、駐車場の広いスペースにブルーシートなど敷いて、
食べ物や物資を持ち寄って過ごす。本当にアットホームというか、
いい職場なんだな と思う。従業員のひとりがやっと手に入れた
新聞で、東北東部を襲った災害の詳細を知る。

昼には解散し、道路へ出ると、そこはハリウッドのパニック映画
さながらの光景。クルマが片側車線に、どこまでも続く長蛇の列。
エンジンは一様に停まっていて、中には厚着し毛布をかぶった
人々・・・ここに半分住んでいる形なのだろうか。人によっては、
クルマを降りて路肩に敷物と食べ物をひろげ、語らっている。

アパートに戻ると、なんと水道と、台所だけだがガスが復旧し
ていた。これだけでもひっくり返ったようにえらい違い。
残っていた冷や飯、缶詰などで食事。あと、まともな食事は
明日いっぱいぐらいか・・・
コンビニのような所の長い列に一度並んだが、入手できるのは
ドライフルーツ数袋に、飲料数本。これでもいい方だろう。

17時頃、また県庁に出かけてみる。昨日より、人は少なめ。
食糧配給は、全くメドが立たないという。
実家の姉からメールが届いていた
「原発がまた爆発した。もう、今日中に帰ってこれない?」
妙だが、被災した当地の自分のほうが落ち着いている
職場のほうはともかく(ひどいな・・)気になるのは音楽仲間ら
のほうだ みんな無事なんだろうか?
言い知れぬ不安 そして怒りが渦巻いている
みんなとまたあの砦で酒酌み交わし音楽ができるのだろうか?
仙台はゴースト・シティになってしまうのではないだろうか?
俺にとって本当の「はじまりの街」だった仙台が・・

やはり星港夜に行く するとそこに、なんとトシさんが!!
お互いの無事を喜びあい、握手を交わす。
彼もこの店の常連なのだが、ここで顔を合わすのは初めてだ。
それにしても、先週末はともに岩手の花巻、盛岡を楽しんだ
ばかり まるで現実とは思えない。

「げんさん 仙台、出たほうがいいよ。放射能の雨が降る」

仙台が危なければ、多分実家のある庄内も小差で同様だろう
食材王国 自然の宝庫と謳われていた東北は汚染される。
トシさんは仲間たちの無事を知らせてくれた。それと、思いがけ
ない事に、あのモハーさんが仕事の関係で 仙台での任務に
当たっているらしい。
トシさんが店を出たあと、奥のビリヤード場でフィドルを練習
こんな時に、ヴァイオリン弾きまくってる奴って・・・

「『タイタニック』で、最後まで弾き続けた人みたいで いいじゃん」

トシさんかな そんな事を言われたのを憶えている。
  


Posted by げん at 21:48Comments(0)

2011年03月19日

奥羽越東国復興記 Ⅲ


3月12日(土)
大地震の翌朝。早番(未明4時出勤)だったものはとりあえず
7:00時に出勤 という事だったが、とてもそんな状況ではない
大いに遅れ8:30頃、職場へ
しかし案の定、全く仕事にはならない。皆、呆然
従業員とその家族 ほとんどは無事だが、家を流された者、
避難所に入った者もいた。
廃墟のようになった職場のテーブルに皆腰掛け、話などする
一同。結局、何人かの差し入れ(水、缶ジュース)を皆で分けて
昼前に解散。また明日、朝10時に集まろう、という事になる。

わたしは独り、仙台の中心部へ自転車を漕いでいく。
庄内の家族に連絡したいがメールさえろくにつながらないため
(実は地震当時 すでに携帯のバッテリーが切れかけていた)
公衆電話をさがすも、どこも長蛇の列「穴場的」な電話はないか?

ちょっと遠く 五橋まで走り、Barm'sを確認に行く 閉まっていた。
この付近に、あまり列のできていない電話ボックス発見。
実家に電話できた。あらためて、ここは被災地 わたしは被災者
なのだ と思う
町はすでにどの食糧店も閉まっていて それなのにどの店の前
にもこれまた長蛇の列ができている。

定禅寺通りにさしかかる メディアテークの全体を覆うガラスは
一見したところ異常なしだが、立ち入り禁止になっている。
燃料アルコールが買えればと思っていた、ダルマ薬局は、どこも
閉店している。
家方向 北へ走り 星港夜に立ち寄る 何とドアは開いている
中へ入ると、オカピさんが厚着してイスで寝ている(笑
家に帰ってないのかと聞くと

「実家は富谷で、仙台では知人の家に居候状態なんで、
この店のほうにいる時間のほうが長いし居心地もいいんですよ」

この店、電気は停まっているが水、ガスは大丈夫なのだという
ガスはプロパンだから、というが 水は地下水か何かなのだろうか

「食糧、そこの学校とか、向こうの県庁とかで配給されてます」

などいろいろ情報もくれる。新聞TVの情報はあてにならず、
ほとんど客や近所の住人からの口コミらしい これぞ、カフェ。

食糧は、少なくとも明後日ぐらいまでは大丈夫・・のはずだが、
燃料アルコールも、電気もなければコメがあっても炊けなくなる。

一度店を出て、県庁の様子を見に行ってみる。
宮城県庁 初めて入る(仙台には県庁・市役所・区役所が併存する)
果たして、県庁内部は すさまじき大難民状態。
100人近い老若男女が、廊下という廊下に毛布をかぶり座り込んで
いる。ある部屋では、大画面TVに映し出される地震・津波そして
原子力発電所の事故の映像と情報に大勢で食い入っている。

携帯電話の充電がここでできる、とオカピさん情報だった
たしかに、コンセントというコンセントはタコ足状態で誰も彼も携帯の
充電に当てていて、隙がなさそうにも見える。やっとの事で炊事場?
にひとつ空きのコンセント発見 コードをつないだまま、起動。
メール、10数件入っていて一件一件、返信し追われる そこへ
「すいませ~ん、たこあし させてくれませんか?」
と、女の子二人組み 拡張用コンセントを持っていて、三人が充電
できるタコ足状態にす

このあと、星港夜に戻り、マスターと無事を喜びあい、一見ふつうに
珈琲を飲み、フィドルを弾かせてもらう。アパートに戻れば、電気も
水もない暗闇 この店での時間は当たり前のものではなく 一瞬の
夢まぼろしのようである  


Posted by げん at 03:09Comments(0)

2011年03月18日

奥羽越東国復興記 Ⅱ 4日前からその時まで





(大震災の5日前 わたし達は盛岡市や岩手山を散策していた)

3月7日(月)
いま、遠野を訪れ続け15年目にして初めて 冬の遠野に来て
いる(3月ですが)そしてこれも初めての宿『福山荘』に泊まって
いる。旧き良き 味わい深い宿である(ネコがメチャメチャかわいい!
遠野在住のTAKUMIさんが紹介してくれた宿のひとつだ。




今回はあえて孤独に、宿にこもりっぱなしの遠野滞在を目論む。
というのも、目的が専ら原稿などに向かうための「かんづめ」状態
になる事だったからだ。そんな事がしたくなるくらい、ここ最近は
「仕事」なるものに殺されて1ページも書けない。




結局、いま夜中の3時過ぎだが(爆) ほとんど全く書けていない。
「生活のための仕事」の威力 まことに恐るべし
なにひとつ、思い浮かばない 脳が アンテナが死んでいる
これが、音楽にも影響していないなどという事が あるはずがない
これから3月・4月・5月・6月・7月・8月・・・気が遠くなる
そのあいだ、マトモには書けない それでいいのか?




いま、仙台に帰る前に花巻の『林風舎』に立ち寄っている。
落ち着いて考えてみると、ちょっと宿が豪華すぎたので
興奮しすぎて書けなかっただけかもしれない 笑
なぜかというと、ここ林風舎で、珈琲を飲みながら
ようやく書き始め 一気に3ページもいってしまった
いつも、2連休の時には、休日2日目に書けるようになる
つまり、書くための脳細胞が復活するまで、2日かかるのだ。

先ほど、店主の宮澤和樹さんに、3年振り?に再会
「あなたに会えた事で、わたしは今 音楽ができているのです」
その運命の不思議さを言い表そうとするのだが、どうもできない。

3月12日(土)
大地震 その後はじめて書く。
昨日、職場で被災。従業員は全員、無事。
ことごとく崩落し 仕事にならない。
すぐに大雪が降ってくる その間、何度も地面が揺れる。
明るいうちにガラス片だけでも一応掃除し、解散。

アパートの部屋 建物は異常見られないが予想以上に内部は
惨状。この日だけは、水道 何とか通っていた。
家の前の生協に入ると、一変した光景に愕然 あらゆる酒類
床に散乱し混合したアルコール臭の中、人々が買い物カゴを
いっぱいにして、広い店内に長蛇の列を作っている
食糧を多少調達できたが、ちり紙や燃料アルコールが心配だ。

夜 暗闇 寒さの中 キャンプ道具で乗り越える。



  


Posted by げん at 14:09Comments(4)

2011年03月18日

奥羽越東国復興記 Ⅰ 5日前 





3月6日(日)
盛岡市の「扇屋旅館」何年ぶりかで泊まっている。
昨日、岩手にやってきた。
昨夜 ちょうど一年ぶりの、花巻のアイリッシュパブ・KEG
でのセッションだったのだ。
土曜は仕事、休めないため早番(4:00~)にしてもらって、
それでも15:00までは残業し、退社後に新幹線に飛び乗る・・・
この仕事始めて、こういうの3回目だ 正直、しんどい
しかし年末年始、東京行きが続いて今回逆に、北の旅
わが魂のホームグラウンド?岩手なのである。
新幹線使うと片道5000円ちょい だがあっという間に着く。

いま、ミスドにて朝食 笑 やはり盛岡の朝はミスドになってしまう
なんと この後、駅前で待ち合わせ約束のTRAD♀さんに発見され
てしまう 爆 盛岡 せまい!仙台も知人遭遇率はかなり高いが

KEGでの素晴らしい夜をどう書き表そうか?
淡々と記すなら
新花巻駅で新幹線を降り、釜石線に乗り換え花巻へ
この乗り換えを逃すと、もう2時間後ぐらいの到着になってしまう
18:00過ぎ 花巻駅着 夜の花巻駅は初めて いい感じ
夜の街 てくてく歩き なつかしのKEGの灯の下にたどり着く
門をくぐると、美しい女性店員さんが あの達谷窟のごとき
奥深き店内へいざなってくれるぉぃぉぃ
カウンターにはTRAD♀さん そして!洞窟のつきあたりには
先頃リニューアルしたばかりでステージ風に1・2段高くなって
そこへ我が友々が勢ぞろいして陣取っていた 笑
TRAD♂さん、トシさん&TAKUMIさん、IW谷さん
そこへTRADblogでおなじみ ぷちすけさん到着
しばしKEGの酒と食を楽しみ思い切り談笑 そしてぼちぼち
・・・音楽の時間です!
  
新年セッションで仙台にいらした秋田の「ルーツミュージック」
の皆さん、超絶フィドラー?ヴァイオリニスト?KW村さん
そしてかなり遅れてやっとあの!!Wallaceさん 登場

その後の盛り上がりについては (以下余白) ←賢治さんか!



  


Posted by げん at 13:14Comments(0)

2011年03月09日

3月9日(水)甥の誕生日


朝 5時半ぐらい。
昨日、19時で寝て、さっき4時くらいに起きた 笑
というのも、岩手から戻って 翌朝4時から仕事なのに
夜23時ぐらいまでバタバタしていて、結局
2時間半しか寝られなかったからだ。
それで、昨日は朝?4時から、夕方4時まで働いて・・

死にますって

フィドルも弾きたかったが、もう3日、触ってない。

バタバタしていたというのは、札幌の甥の誕生日に
備えて・・・という事だったのだが、これも結局、宅配便
は間に合わなかったようだ 爆 もうボロボロ
これは、先週のうちにやっておくべきだったのだが、
その肝心の、先週の休日は 仕事でつぶされるし・・
いやはや 生活のための仕事なのに、生活になってない。

ともあれ、甥よ、誕生日 祝である! まだ4歳 もう4歳か
かなり引っ込み思案のようだが、それは俺も同じだった 笑

それと、岩手2泊の「まだ冬旅」も素晴らしかった!!
これについてはまた後日です。

  


Posted by げん at 05:41Comments(0)えみし普通の日記