2011年04月06日
奥羽越東国復興記 Ⅶ
4月6日(水)
いいかげん何か書こう。
ここ何日も、原稿用紙に字書いて、楽器弾いてばかりいる。
「生活のための仕事」は、もうしていない。
今回、奥羽越の中の特に 奥州の人間は皆、命を拾った。
しかも今尚 いやこれからも 放射能にさらされていく。
そんな状況で、私は中途半端な生き方が、もうできない。
まあ なんだかんだと かっこつけた 言い回しはさておき
私の書くものは ことごとく 仙台が舞台だ。
やはり私は 仙台 東北で闘うしか ないようである。
最近 小説でやってみようとしたら いつの間にか
セリフばかりになっている やはり「脚本脳」なのか・・・
フィドルで弾くのは「ほれた曲」
それぞれ皆 ほれる曲がちがうし 同じ曲だとしても
ちがう弾き方だとほれたりする だから個性が出る
伝統曲ばかりなのに、「おらが曲」になる
妄想すると、練習もはかどる
もしもアイルランドで演奏したら とか
もしもジャズフェスで定禅寺通の並木下で演奏したら とか
いろいろ楽しい 呆れた妄想とともに弾く
そう なかなかアイリッシュはマイナーで実現しないが
東北勢、関東勢 その他全国のアイリッシュ大集合して
ケヤキ並木の下で ドカーン とやる その日を夢見る
素晴らしいではないか みんなまず珍しさに立ち止まり
「おお 何だか意外にスゴイぞ」とやがて思うだろう
まさに仙台の 奥州の復興した姿ではないか。
Posted by げん at
18:32
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