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山形情報ガイド・んだ!ブログ

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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2011年04月30日

SF小説 久々の出会い





震災後、庄内に滞在中に何冊かの本に出会った。

わたしの郷には、広大な田んぼの中の10万人いるかどうか
の小さな町 その中にも、小さな本屋が散在するばかりだが
本との出会いは、書店の大小にかかわらず むしろ小さな
本屋でこそ多く起こるような 印象がある。
今回も、仙台に戻る直前に この本を入手いたす
まず、表紙のデザインに惹きつけられた。

創元SF文庫 『時の娘』

時間移動・時間交流テーマを背景に語られる、様々な形の
恋愛短編集。10代の終わりの頃のわたしを『盗まれた街』で
夢中にさせたジャック・フィニィをはじめ、西洋の有名無名織り
交ぜた何通りもの才能と恋愛観(笑)の凝縮

恋愛に飢えているのか 爆
いやSFの世界でこそ、恋愛というこの厄介なものは輝くのだ
なぜだろう?SFというのは日常を揺るがし疑いを抱かせるもの
恋愛もまた、平安(=退屈?)な日常を打ち砕くものだからか

わたしにとって最も重要なSF小説のひとつである
『ハイブリッド・チャイルド』ほか大原まり子初中期の作品群も
先鋭的なSFながら強烈な恋愛物語でもあった。
登場する男女は外見的に美しくもなく 肉体も精神も崩壊して
しまっていたり、甘い時間のひとつもなくひたすら破滅的だったり
人間ですらなかったりするのだが だからこそなんというか 

・・・つづくっ (こら  


Posted by げん at 11:35Comments(0)えみし気になる世界

2011年04月20日

突然の感動番組・・


真夜中です 節電しろ!ですが すごくいい番組をTVで観た
ので、忘れないうちにここへ書き留めておきます。

わたしのアパートの部屋では、何故かわたしが契約してない
BS番組が観れるのですが(そのかわり?フジ系が観れない)
そのBSで、何故か 日付変わって昨日の昼と、たった今の
深夜 2回、同じ番組をわたしに偶然観せた。
スコットランド女王 メアリー・スチュアートの物語である。

番組は、ロンドンに暮らすひとりの若い女性がウェストミンス
ター寺院を訪れエリザベス一世の棺を見つけた時に突如
「あなたはイングランド人?」
と謎の声に呼びかけられるところから始まる。
「いいえスコットランド人です」
と答えると、
「あなたがスコットランドの女なら、是非知っておいてほしい事
 がある」
導く声の主は、メアリー・スチュアート なんと、エリザベス一世
と同じくこの寺院に、彼女の棺もあるのだった。

若い女性の名はアリーン・ムンロ スコットランド北部の町
インヴァネス出身で、ロンドン在住のデザイナー。
彼女はメアリの言葉に惹かれ、スコットランドへの旅に出る。
まず訪れたのが、首都エディンバラの城 エディンバラ城。




(エディンバラ城を見上げるアリーンさん もちろん右)

ハイヴィジョンで躍動的に撮影されるエディンバラ城に、
奥羽越現像 大興奮!(爆)実際に過去歩いた事もあり
なつかしさがこみあげる 城の建造の歴史から、構造、
配置 メアリとの関わりが次々に語られる。
千年が過ぎ今尚不動の堅固さと威容を誇るこの城をもつ
エディンバラ どうしてイングランドに劣等感など持つ必要
があろうか?わが仙台の青葉城を見よ 城のあった本丸
には仙台の真の英雄も、藩祖政宗すらも祀る事が許され
ない帝国の社が鎮座する これほど露骨な征服の表現が
あろうか?仙台は誇りを取り戻せないでいるのだ。

メアリは16歳でフランス皇太子フランソワと結婚。
夫が即位しフランス王妃となって絶頂期を過ごすが、18歳
の時夫は死去 メアリはそのままフランスにとどまれば優雅
な人生が過ごせたのに、祖国スコットランド いばらの道へ
舞い戻る。わざわざパリから軍国の嵐吹き荒れる日本へ
帰国した岡本太郎のようでもあり、わざわざ楽しい東京生活
を捨てて東北へ回帰した奥羽越現像のようでもある(ちがうか

スコットランド女王メアリと、イングランド女王エリザベスは
血縁者であり、メアリはイングランド王位に就く権利を有して
いた。エリザベスにとって自分よりも美しく(! なんと番組の
終盤に、メアリの麗しいデスマスクが公開されるのだ・・・)
リーダーシップとカリスマ性をもつメアリの存在は脅威であった。
メアリはエリザベスに何度も手紙を書き助力を乞うのだが、
「イングランド王座への権利を破棄する事が条件」
という返事が返ってきた。

わたしはかつて伊達政宗公に抱いたのとよく似た疑問をメアリ
に対しても感じた。「奥州王」を自認する政宗公、よく天下取り
を目指したと言われるが、わたしは全日本統一なんてどうでも
いい 東北全体をきっちり支配しておさめてほしかったと思う。
メアリも、イングランド王座へのこだわりを捨てきれなかったよう
に感じた。スコットランドがあれば充分ではないか!
(これは番組を見ての率直な感想 不勉強でもっと奥深い事情
 があるかもしれぬと思いつつ)

アリーンさんの旺盛なる行動力か メアリの引導力なのか
舞台はスターリング、そしてアリ-ンさんのふるさと 
インヴァネスへ(どちらも行った事のある街なので懐かしかった) 
なんと!!アリーンさんのおばあさんはお城に住んでいた・・・
つまり、ここハイランドの首都インヴァネスにおいて、ムンロ家は
すんごい名家なのだった
キルトで正装した父に、あらためてお家代々の由緒を聞く




なんでも、ムンロ家のご先祖は 次々に不運に見舞われ支持者
を失っていくメアリに最後まで忠誠を尽くし、支えたらしいのだ。
まあ、何なのだろう 製作者側が意図的にそのような出自の彼女
を取り上げたのか、彼女が自分のバックグラウンドを用いて祖国
をテーマに番組を企画したかったのか それはどうでもよい
とにかく、この番組が観れてわたしには収穫でした。

自分とメアリが身近に感じられたアリーンさん
メアリの人生を自分なりに感じ取った彼女は、南下する列車の中
でもの想う
「わたしは これからもロンドンで暮らしてゆく
 だけど、あきらかにこれまでのわたしとは違うのだ」




これからも東京で暮らしていく東北人は大勢いるし
わたしはそれは大いに結構な事だと思っている。
しかしこのアリーンさんのように 時には帰郷し
自分は何者なのか を確認できるといい と思う
いや、わたしのように一年中 われ えみし!!
と自意識過剰になれ と言うんじゃなしにね・・・









  


Posted by げん at 03:19Comments(0)えみし気になる世界

2011年04月19日

もっと!さらに!楽都 仙台


榴ヶ岡公園 ここはかつて
平泉の奥州藤原氏 四代泰衡公が
鎌倉の源頼朝率いる 坂東武者軍勢
10万騎以上を 迎え撃つ際 
本陣を敷いた場所と伝えられる
しかし実際の戦場は、遥か50キロ南
伊達の厚樫(あつかし)山麓の平原
この前線の戦に敗れた報を受け
本陣の泰衡公は戦わずして北走したという
「度を失い逃亡した」と勝者側は記すが
泰衡公の真意は謎に包まれている。
この主戦場・伊達の地を授かった鎌倉武士
その末裔である政宗公が
この本陣跡西部に大都市・仙台を建設するより
400年ほども昔のことである。

それはさておき 爆




いま、その‘本陣跡’にはこのような桜が咲き誇っている。
この榴ヶ岡公園で、昨夜Barm'sにて既にうなりをあげた
TAKUMI&TOSHI そして TRAD が 急遽?
「お花見ライヴ」!!を開催したのだった




腰掛けられる打楽器・カホーンのT(C?)葉さんも加わり
2ユニット終了後はセッション形式となって見事に締めた。
会場にはBarm'sさん一家やダンサーのT橋さんなども駆け
つけた。ちなみにもうひとつ、大阪から東北を元気にする為
やってきたという、大道芸人さんの出演があったのだが、こ
れも大変にがんばっておられて、やはり浪花のパフォーマン
ス精神はすごいなと感嘆! 
よき日和 人々の笑顔がまぶしかった。

解散後、わたしはおなじみ星港夜へ。
実は、ここでも明日 ちょっとした店内コンサートが企画され
ていた。その打ち合わせも兼ねて・・
これが、その本番の様子。因みにわたしは出なかったが




ちょっとコミックバンド風 笑 わがフィドルの出番はない
ような気がした(爆 でも笑いは大切だよな
次回は、参加予定です。

できるだけいろいろのお店を見てご無事を確認したく
これまで訪れることのできたのは他に
『米沢ラーメン 置賜屋』
『カフェ モンサンルー』
あと、いつものコインランドリー 爆

  


Posted by げん at 15:57Comments(0)えみし普通の日記

2011年04月19日

奥羽越東国復興記はつづく!


仙台(中心部)は、平和であった。 春であった。
100キロ南、いや80キロ南はほとんど人が立ち入れぬ世界
それがウソのような、もとどおりの日常・・・
しかし、よく街を見回ってみると、所々がおかしい。
まず、メディアテークはいまだ、立ち入り禁止の状態だ。
近所のネットカフェも、再開していない。
JR仙台駅は、ミイラ男みたいに全体が包帯?で覆われている。
E-Beans脇の駐輪場も、閉鎖中。
店内や、地下道 夜道が 暗い。

やはり、昨日とはちがう仙台。だが、それでいいと思う。
もうここは、インパクトの薄いのほほんとしたミニ東京ではない。
瓦礫から身を起こし不安と混乱に立ち向かう 憤り闘う都である。

仙台に戻ってきて翌日の夜 我らが砦・Barm'sに行く。
そこには、やはり震災前と何も変わらぬ賑やかな顔ぶれがあっ
た。だが 街なかと同じで、誰もが恐怖と不安を共有した 命を拾
った人々なのだ。山形に逃げていたわたしを、これまで同様に暖
かく迎えて下さった皆さんに、感謝である。ギネスにもしみじみ




この宵は、津波被害甚大だった岩手県宮古市から、TRAD夫妻
がやってくる!という事で、わたしもそれをきっかけに山形を出て
きた。しかし実は、先週末もお二人、東京へ出かけた帰りに、ここ
へ立ち寄っていたのだった。その時も偶然ながら、けっこうな面々
が集まったようで、今夜は先週来れなかった面々の補足 のよう
な感じだったか 笑 まだまだ、会えない顔も多いようだが。

TRAD夫妻は震災一週間前にわたしも含めた「岩手旅」で活躍し
た自家用車と中に置いていたフィドル一丁を津波で流されてしま
ったが後日TRAD♀さんがガレキの山からクルマを発見、中から
フィドルを引っ張り出し救出したという感涙!武勇?エピソードを
その伝説的フィドルErinとともに引っさげてきていた・・・
海水はケース内のErinをも侵していたが、先週Barm's近所在住
の交響楽団ヴァイオリニストMさんの即行の修理により復活した
という。まさに奥羽越復興(!)の象徴のような存在である。

わたしが入店した時は、TRAD夫妻ほか 遠野から同行してきた
村田さん、仙台勢はトシさん U子さん I谷さん という少人数で
お客さんも少なかったが、セッションが始まると続々登場
ひろ子さん NABEさん ABEさん(勝手な表記ですいません 笑
そしてゆみさん T葉さん
とにかく今日は再会できただけで無上の喜びです

庄内の実家では、ほとんど村に閉じ込められた形だったので
とにかくネット上の動画などで拾ったフィドルの曲を弾いてたり
したのだが、今夜は(も?)あまり上手く弾けなかった。
それでも今回も村田さんが何とか合わせてくれて心強かった
のである いつもありがとう!
後半は面々集まり盛り上がった 今秋はJazzFesも開催され
ない可能性濃厚 それでも各地アイリッシュ勢はこの仙台に
集結し 勝手に(爆)何か やらかせないものだろうか!
そんな事なども話し、閉店時間は迫った。

ところがなんと、翌日まだまだお楽しみは用意されていた
桜咲く 榴ヶ岡公園にて何かが起こる・・・

今年はのっけから、音楽イベントの多い年だな、と思っていた。
しかしあのような大災害に見舞われ、それどころではない と
いう事になってしまった。実際、3月後半のいくつかの予定は
中止になったのだが・・・翌月には、このとおりである。
来月アタマには、また花巻で!という話までしてるし(爆
どこまで不屈なのか やはり今年は、ただの一年ではない。
嗚呼 奥羽越は ケルテミッシュCelt-emish は死なない!

復興記は、つづく



  


Posted by げん at 14:11Comments(3)

2011年04月19日

奥羽越現像小事典 あ


あ ・・・奥羽越現像の「本名」の姓の頭文字。
    幼稚園から高校時代まで、一貫して出席番号1番
    であり、ヘンに目立って?苦しめられた。
    「相澤さん」とか「赤坂くん」がいればなあ・・
    しかも発音しにくくて、あまり日常も使用したくない
    という申し訳なさ。
    先祖が広島で‘藤原’さんといったらしいのだが、
    400年ほど前に東北に移住し、この苗字に変えた。

愛国心・・・奥羽越現像の愛国心は、いまの東北七県
      すなわち「奥羽越」えみしの国に対してある 爆
      北海道や東京、京都 高知熊本沖縄も好きだが、
      これは「隣国愛」である・・
      ちなみに、スコットランドに対しては「遠国愛」の
      はずだが、隣国愛より強いような?

アイルランド・・スコットランドと並ぶ、奥羽越現像が愛して
        やまぬ西洋の国。2002年にウェールズから
        フェリーで渡り、スコットランド行きフェリーで
        別れを告げた(いや、出た港は北アイルランド
        だったな・・)この2国に行ければ、他の外国は
        行く必要はないとまで確信している。
        島の大きさは北海道ぐらい 風土人情はむしろ
        沖縄のよう。ケルトの末裔を自負する地方では
        唯一の独立国家であり、奥羽越現像のような
        東北独立論者(爆)にとっての主義の拠り所で
        もある。
        もともとアメリカのブルーグラス好きだった奥羽
        越だが、1991年アイルランド音楽との出会いが
        なければフィドルを始めていたかわからない事
        もあり、多方面で運命的な国といえる。
        とても書ききれん
        
               


Posted by げん at 12:37Comments(2)

2011年04月16日

奥羽越東国復興記 Ⅹ


報告:1  仙台に帰ってきました。
       アパートの部屋に入ると、先日の強い余震で
       テレビがひっくり返っていました。
       幸い、積み重なっていたゴミの山に突っ込んだ
       ので(爆)壊れてませんでした。
       ちなみに、ブラウン管の14インチで1991年から
       使っています。もうすぐ地デジだよな・・・

報告:2  在仙の友人であるハープ奏者さんより
       お知らせあり!

       被災地への支援システム
      「ふんばろう東日本プロジェクト」
         http://fumbaro.org/

     ‘被災者に物資が行き渡らない現状を打開する為に
     行政を介さず 必要なものを必要なぶん必要な所へ
     届ける’ 目的で活動中との事です

     amazonとの提携により必要な物資をギフトできる
     システムもあるそうです

     被災の大きなところはまだまだ生活そのものが
     困難なようです。
     
何卒、みなさま 宜しくお願い申し上げます。

今日は、帰仙そうそう、星港夜に行く。
津波に飲み込まれた、宮城県山元町はマスターの、母方の
実家があったそうで災害の後、何度か足を運んでいるそうで
す。 実はこの星港夜さんでも、救援物資を受け付けていた*
集まった物資を仲間たちが届けに向かっているようで
このお店でも活躍中のお琴奏者・師範さんのブログ
http://blog.canpan.info/sakura-okoto/archive/153
*こちらは現在、下記で受け付け中ですね

仙台市青葉区一番町1-5-31大友ビル2F B号
絵本と雑貨の店 coco-chi
「うるおい天使隊」宛

「物資も大事だけど、今後はむしろ、人手ですね」とマスター。

ところで、仙台でも旧い知人で’部長‘ことGさん(ベーシストで
クラシックカメラマニア)が、なぜかマスターと楽器の練習を
していて なんでも
「職場が海に近くて、丸ごと流された。俺も一時飲まれたが
 電柱をつかんでそのまま13時間、津波をやりすごしてた」
・・との事 職無しという事でミュージシャンに戻るようだ !?

        


Posted by げん at 02:20Comments(0)

2011年04月13日

奥羽越東国復興記 Ⅸ


原発に関しては、どうも読み返すとクドすぎたように思う。
復興記 と題すなら、本当はこういう事を書かねばならない
だろう。わたしは反省させられた。
http://blog.livedoor.jp/anagma5/archives/51777055.html

彼は、以前 奥州藤原氏や東北の自立案などの話題で
意見が一致するところあって 少々交流を持たせていただ
いた経緯があるが、今回の震災後 しばらくの間更新が
なかったので気にかけていたところ、なんと弟さんを亡くさ
れていた事がわかった。津波の被害甚大だった仙台市若林
区の職員で、広報車で人々に津波襲来を知らせに行ったきり
戻らなかったという。数日後ようやく更新されたのは、キーで
打っているはずなのに 血の涙で書かれたような弟さんへの
手紙であった。

その後、遺志を継ぐように綴られる東北の復興への想い
これこそが本当の現地の声であり、これからの東北を動か
していく主人公たちの代弁なのだ と痛感したのだった。

震災の数日後、実家のある隣県へ早々に逃避したわたしなど
しょせん、よそ者にすぎなかった。奥羽越などという姓を己に
冠しておきながら・・・恥ずかしい限りである。

仙台であらためて、自分の闘いを始めたい。
  


Posted by げん at 21:51Comments(2)

2011年04月12日

奥羽越東国復興記 Ⅷ


夢の レベル7 に到達した (とっくにしていた) らしい


あっ前に「悪」をつけ忘れた? いい 悪夢は聞き飽きた

皮肉ももう充分だ 腕を振り上げなければならない。

わたしが7,8年住んでうんざりしていた高円寺の街で
「反原発」のデモ行進があり、1万5千人が集まったという
これは山形新聞の記事 TVでの報道は抑圧されたか?




さすがは高円寺 というか 高円寺らしい というか
いろいろと群衆に迷惑したとか、非難もあるようだが
わたしも是非 その場にいたかった と思う。

こうした「反原発」の動きを見るたび
『いま福島の現場で戦っている人々がいるのに・・』
『騒ぐエネルギーがあるなら福島へ行け』
そんな声も聞こえてくるようだ。
確かに、日本人の最後の1人まで 福島の釜の冷却を
引継ぎ続けるハメになるかも知れない。おおげさだとしても
汚染に巻き込まれる世界中の人々にしてみれば
「全日本人が責任もって原発と心中するように」
と言いたいところだろう。 それはわかる
しかし今回のを止めたら、他は「今後気をつけて」でいいのか?
もしわたしが福島の釜の冷却に従事する事になっても、
わたしは作業しながら外へ叫び続けるだろう。

「とにかく反対運動を続けろ」 と。

わたしも実をいえば、もともとがある種 過激な人間だったり。
高円寺デモで思い出したが、かつてわたしは仙台で
なんと「単独デモ」を敢行した過去がある。
以前のブログの、最初の頃に書いていたのだが
あらためてその時の写真







2008年 仙台に移住して1年もたっていない頃の事だ。
「地下鉄東西線」建設に対し反対運動を続ける人々がおり
建設のための青葉通りのケヤキ並木伐採に対する反発も
その連動であった。

「自分の選んだこの街で、何が起こっているのか?」

俄然気になったわたしは東西線関連の裁判の傍聴にまで
通いつめ、建設推進側の論理が破綻していると結論するに
至った。
にもかかわらず、仙台市民オンブズマンの主張は取り下げられ
東西線建設は続行され、ケヤキ並木は伐採された。
反対派の人々に対し、わたしは不満を募らせていた

「もっと思い切った呼びかけをすればいいのに」

そこで、独りよがりではあろうが このような前衛芸術家気取り
なパフォーマンスを行った訳だった。
大きな白布を、今まさに切り倒されようとするケヤキの樹々に
巻きつけ、その場で大きな筆にて「怒りの形相」を描きこむ。
周囲の、通行人の目につくところに 様々な訴えかけのセリフ
を書きなぐった紙を貼り付けまくり、メガホンで吠えまくる。

もちろん、根が小心者のわたしの事 全くの独りでできた訳で
はない。反対運動をしていた方々2名にも手伝っていただいた

「こんなやり方が あるんですねえ!??!」

と彼らは驚嘆していたが(というか呆れてたかな)

結果は当然 なーんにもならなかった。
どんなに正しくても どんなに声をあげても
権力者どもの仕掛けと圧力には勝てないのだ
身をもって実感し、空しかった。
自分が選び、愛そうとしていた街でこのような事
になるのがどうしようもなく哀しかった。

高円寺の街に ネットの力で人々を集結させた
その吸引力 パワーが素晴らしい。
この力があれば、わたしにできなかった事が
彼らには果たせるかもしれない。

しかし、権力の図式は同じである。
どんなに反対しても 正論を叫んでも 権力者は
原子力発電所を建設してしまう。
これからは、本当に「敵」を打倒しなければ、何にも
ならない。

なぜ仙台での過去の活動について書いたかといえば
仙台は何かと今まで、
「恵まれすぎていて不満がなく 何かピリッとしない」
と言われ、そこに住む人々も
「俺たちが何かここで言ったりやったりしてもダメだ
 東京じゃなきゃダメだ」
と諦めきっていた
しかし、もう仙台は
決して安全でも、恵まれてもおらず 自然環境も人材も
今後危機的状況にさらされる恐れがある。
まさに、戦場なのだ。今は、もとどおりの生活を立て直す
事が最重要課題で 原発なんて、庶民がいくら騒いでも
どうにもならない事より できる事 やらねばならない事が
山ほどあるだろう。こちらからすれば、大規模デモも

「大勢で騒げる暇と体力のある大都会だからできる事」

だという見方もあるかも知れない。
だが 東京電力の 東北での原子炉建設を許したのは
我々 東北人だ。 こんなおかしな話なのに、正論すぎる
反対意見が、いくつも叫ばれていたのに 誰も阻止しては
くれなかった。
選択し 行動するのは東北人自身だ。
立ち上がるべき時には、今度こそ全東北人で
いや、新潟も絶対、入ってもらい 全奥羽越人で!爆
立ち上がりたい。
仙台こそは、その人々が集結する 巨大な公園のはずである。


  


Posted by げん at 14:25Comments(0)

2011年04月06日

奥羽越東国復興記 Ⅶ


4月6日(水)

いいかげん何か書こう。

ここ何日も、原稿用紙に字書いて、楽器弾いてばかりいる。

「生活のための仕事」は、もうしていない。

今回、奥羽越の中の特に 奥州の人間は皆、命を拾った。

しかも今尚 いやこれからも 放射能にさらされていく。

そんな状況で、私は中途半端な生き方が、もうできない。

まあ なんだかんだと かっこつけた 言い回しはさておき

私の書くものは ことごとく 仙台が舞台だ。

やはり私は 仙台 東北で闘うしか ないようである。

最近 小説でやってみようとしたら いつの間にか

セリフばかりになっている やはり「脚本脳」なのか・・・

フィドルで弾くのは「ほれた曲」

それぞれ皆 ほれる曲がちがうし 同じ曲だとしても

ちがう弾き方だとほれたりする だから個性が出る

伝統曲ばかりなのに、「おらが曲」になる

妄想すると、練習もはかどる

もしもアイルランドで演奏したら とか

もしもジャズフェスで定禅寺通の並木下で演奏したら とか

いろいろ楽しい 呆れた妄想とともに弾く

そう なかなかアイリッシュはマイナーで実現しないが

東北勢、関東勢 その他全国のアイリッシュ大集合して

ケヤキ並木の下で ドカーン とやる その日を夢見る

素晴らしいではないか みんなまず珍しさに立ち止まり

「おお 何だか意外にスゴイぞ」とやがて思うだろう

まさに仙台の 奥州の復興した姿ではないか。

   


Posted by げん at 18:32Comments(2)