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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2011年06月27日

仙臺 カフェ 本日の議題 2


先日の「脱原発デモ行進」について 

「とにかく、第一段階として、‘デモ’をやり遂げた事はよかった
でしょう。けど、こうした集会で『原発いらない』『即全廃』とい
ったところで、どうにもならないという事は誰もがわかっている
でしょうね。東京・新宿における空前のデモがどれほど大規模
だったとしてもです」

「そもそも、俺らは誰に対して叫んでいたのか?もちろん、
いまだに原発推進の姿勢でいる人々 一般の 動かない
人々に対してだと思うのだけど、それならば一方的に、
『やめろ』『いらない』と投げていても受け入れられない訳で。」

「そう 推進派は必ず
『原発を止めるなら代替案を示せ さもなくば電気使うな』
 と言ってきます。そういう人たちに言わねばならないのは
『とにかく、原発をできるだけ早く、全て停めてみてください』
 という一言なんです これは、お願い 提案ですね
 つまり、原発がどれほど危険なものかという事はよくわか
 ったから、『原発やめろ』と皆言えるのですが、反面
 原発が全てなくなったら、どれほど不便なのかは誰にも
 わからない。だったら、実際に経験させてみてくれ、という
 事です。」

「なるほどね 先の震災では、全く電気が使えなくなったけど
 『この状況だから、しょうがないな ガマンしなくちゃな』
 という気持ちで乗り切れた。
 原発がなくなってそのぶん電気がなくなって、
 『すごい不便だな やっぱり原発、必要だな
  推進派のみなさん ごめんなさい』
 と思うのか、
 『このくらいなら何とかガマンできるよな』
 と思うのか という事だな。
 映画とか、電気を大量に使う芸術は滅びたり
 宇宙開発は衰退して火星どころか月にすらもう行けなく
 なるかも知れないけど、いいや と皆思えるか だな」

「あれ、でも映画って、原発のない時代のほうが面白かった
 んじゃないかと思うんですけどね・・・
 宇宙開発がどうなるかはわからんけど、資源にしろ何にし
 ろ、ハングリーなほうがいいと思うんですよ。
 限られた中で、どれだけの事ができるか
 原発って、安定した電気の供給が目的でしょう?安定志向
 ですよね。現さん、いつも言うじゃない 安定した職について
 たら芸術が死んでしまうんだ、とか 笑」

「そうだね 安定を謳うものほど、実は危険なものはないよ 爆
 仲間にも電力関係の人が多いのだけど、みんな別に原発が
 好きで電気をやってる訳じゃないんだと思う。誰もが、幸せな
 皆の生活を願って、電気を作ってる 尊い仕事だと思うよ。
 『とにかく一度全部停めてみてください』コールは、いいアイデ
 ィアだと思うがな・・・『わたくしどもは耐えます』宣言だね」

「いや、結局 原発なくても大丈夫だって事がわかっちゃうんで、
 推進派も電力も、停めようとはしないですよ。いろいろ面倒な
 事が絡んでますよ、原発は。
 デモですけど、彼らに対する訴え じゃない可能性もあるでしょ。
 自分たちの力で、強制的に停める事もあるぞ、と。」

「ああ、もちろん、その権利は充分すぎるほど国民は持ってる
 だろうけどね・・・今回は ほら 東京の電力のために、東北
 が犠牲になった っていうマイナスの構図があまりにも露骨
 に露わになった訳で 古代からの中央と東北の関係図式が
 あらためて目を覚ましたというか 原発を停めることと、東北
 を独立させること これは無関係ではあり得ないんじゃない
 かと・・・」

「現さん、『えみし』が入ってきたところで 今日はこのへんに
 しときましょうか」

「・・・思う次第なんであります どんとはれ」  


Posted by げん at 14:40Comments(2)

2011年06月27日

仙臺 カフェ 本日の議題 1


「カフェを出た後は、入る前より4倍 アタマが良くなっている」

むかし、フランス・パリのカフェに入り浸っていた政治思想家・
モンテスキューが残したという言葉
パリの「カフェ」は政治家・芸術家・学生のほかあらゆる人々
が昼から晩まで出入りして議論を交わし見識を高めあった。
いわば、大学いらず である。

日本の「喫茶店」近年になってまさに「カフェ」の名で飾られる
ようになった場所には、元来このような伝統がない。
基本的に、休息しお茶やケーキをいただく洒落た空間 である
しかし、意識してかせずしてか パリのカフェよろしく人々が集い
議論し まちの何かを変えていく原動力となる可能性を秘めた
そんな店も存在する。

わたしが通う 仙台の繁華街はずれにある店もそんな場所。
4倍とまではいかないが、1,5倍くらいはアタマよくなって出て
いけるんではないかと思っている 笑
よく、有閑貴族というか、富裕層のサロンのようになっている
カフェもあるが、ここはいい意味で 奇人変人の溜まり場である
日々、「部長」や「ハットリ君」そして「奥羽越現像」といった
学歴も金も地位も、時には仕事さえない(爆)ようなおかしな面々
が、とりとめもなく話題を展開していく。
震災後は特に、議論も熱を帯びて真剣さを増す場面が増えた
・・・ような気がしないでもない?

「彼は仙台にくすぶってるような器ではなかったですよ」
部長のそんな一言から、今日も小さな議論に火がついた

「仙台とは、‘くすぶる’しかない場所なのかね?」
つまり、何か夢がある 才能がある人材は、東京かどこかへ
さっさと出て行ってしまって当然 という昔ながらの流れ
確かに、仙台には保守的で、新しい試みを押さえつけようとする
悪しき風習が残る とよく聞く。だが、いつまでもそれでいいのか?
(一度は外へ出て世界を知る というのは重要だが)

わたしは東北へ、「映画を作るために」帰ってきた。 むしろ
「東京で映画を作る」という事が当たり前すぎて、つまらなか
ったからだ 
まさに仙台出身で、東京で成功した映画人のひとりとして、
岩井俊二さんの名前が出る。しかし、地元人・部長は言う
「彼って、本当に成功したと言えるんでしょうか?」

一見、極めてスタイリッシュでユートピア的な世界の見事な構築
しかし東京からいきなり北海道へ舞台が飛んだりする事からも
わかる、明らかな東北忌避傾向 
そして底辺の人々や普通の少年少女を描くようで、なぜか必ず
芸能界のスカウトとかデビューとかの話になる 成功願望?

結局、彼は優れた才能を駆使しながらも「田舎者」を露呈した
にすぎないのではないか?
それは仙台人を象徴するようでもあり、東北を拒否し続ける
「中央での成功者」の限界のようにも思える。
むしろ、近年活躍がめざましい俳優・松山ケンイチさんのほうが
出身地の青森訛りを隠さず、逆に田舎者を感じさせない
(関係ないでしょうが、奥さんの小雪さんも何気に東北ルーツ

さて では現さん あなたはここでどういう映画をやるつもりなん
ですか? 映画がダメだとわかったら、どうするんですか?

とにかく、わたしも限界まで行きます ここでやれるところの。



  


Posted by げん at 13:32Comments(0)えみし普通の日記