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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

2011年12月13日

オホーツクの砂浜 さろまにあん





おなじみの喫茶店・星港夜のマスターに、

「海辺に出たら、貝殻や石を拾ってきてよ」

と言われていたので、海に行くことにする。
北海道の海岸は、本州のそれとは違う雰囲気がある。
しかし、これまでの旅のルートを見てわかるとおり、なかなか海に
は出られていなかった。ようやく、網走で近くまで来たのだ。
しかし、港の町ではあるがいい砂浜はあるだろうか?
バルⅡで町の北方、能取(のとろ)岬周辺を目指す。
すると、本当の北の果てに、黒っぽい広い砂浜を発見。
オホーツクの浜に打ち上げられた様々なものを眺め、石や貝殻を
集めていく。それが、上の写真
カニだけは、特別に処理しないとアレなので(笑)持ち帰らなかっ
たが・・・カバンに入れる前に、海に向かって挨拶。
石をいただくお礼に、と 青錆丸を出して弾いてしまう 爆

かつて、アイルランドの海岸で石をただ拾っていったら、自分の
持ち物が次々となくなっていって「妖精が持ち去っていく!!」
と戦慄したものである 爆 だから、ただでもらっては、いけない。

余計だが、『風の谷のナウシカ』の剣士・ユパが長旅の途中でも
「タリア川」の石を風の谷への土産に拾っていってたな・・と思い
出した。




さて、その流れで、サロマ湖まで目指してしまう。
能取湖、サロマ湖はほとんど海に面した、汽水湖である。
サロマ湖は夕日の名所 実はわたしの郷の庄内浜も夕日の絶景スポッ
トなのだが、そのわたしをも唸らせるものが、ここの夕日にはある。
しかし、この天気 この寒さ・・・果たして

夕日のほかに、実はもうひとつ、この地で気になっていた所がある。
いわゆる‘とほ宿’「さろまにあん」である。
とほ宿とは、英国のB&B(寝床と朝食)のような感じの、ビジネスホ
テル的料金の家庭的な民宿である。わたしのような貧乏旅にはあまり
縁のないものだが、ここさろまにあんにはわたしの過去の因縁?があ
ったりするのだった

むかしむかし2003年の事 沖縄・石垣島に半年ほども滞在していた
わたしは、九州・鹿児島から来た女性ライダーに出会った。
一見おとなしいのだが、実はモンゴルの大平原をバイクで走りぬける
というツアーに参加したりする豪快な気質で、正直まいってしまった(爆
で、彼女が青春を過ごしたという、北海道の果ての宿 がこの、さろま
にあん だったという訳。まあ、たどり着いた頃には、彼女への「恋心」
は冷めてしまっていたのだけど・・・でもこの宿は、わたしにはわたし
の思い出のある宿となっていったのである。

彼女が働いていた頃は、「とーさん」なる名物男がオーナーだったそうなの
だが、2003年初めて訪れた時点ではすでに三重と東京出身の若夫婦が引き
継いでいた。
この日、バルⅡで通りかかると、奥さんのよっちさん(写真)だけがいらし
た。最後に来たのは4、5年前なのだが、わたしの事を憶えていてくださり
嬉しかった。旦那さんや他の宿泊客は出かけているようだった。
今回はテントを網走に張ったままにしている事もあり、泊まる訳ではなかっ
たけれど、よっちさんお茶やお菓子を出して下さり、しかも再び走り出す際
旗まで振っていただいて 実にかたじけなかった。
(この宿では旅人が出発する時、緑色の旗を振って送り出す伝統があるのだ)

ここでくつろいでいる間だけ、陽光が指してぽかぽかしていたのだが、また
走り出すと雲行きが怪しくなってきた。サロマ湖の夕陽はやはり難しそう
あらためて思ったが、ここの夕陽を見るなら、時間的にもさろまにあんに
泊まらなければダメだ。このふたつは、切っても切れない。
  


Posted by げん at 07:05Comments(0)えみし旅を想う

2011年12月13日

網走の嵐に、沈没





さて、旅の後半は 嵐の中のテントから 爆

何が何だかわからん写真だが、とにかく、テント全体が揺れて
ます!浸水してます!つぶれかけてます!

別に、台風が来ている訳ではないのだが、なんでも、10月始め
としては北海道でも100年に一度という「大寒気」が近づいてい
るらしいのだ・・・なにそれ もっとよくない

一晩中、内側からテントを押さえて(笑)朝を迎える。
灰色の雲間から、青空が見えている。
キャンプ場にテントを張っているのは、もう一組しかいない。
「いや~ひどかったね。大丈夫だった?」
60歳は過ぎているだろう、ご高齢の男性二人組。
なんと、50cc以上ではあるがスクーターとカブで旅しておられる。
ひとりが奈良、もうひとりが沖縄の人で、10年以上前に北海道
で出会ってから共に旅を続けているのだという。

「ここの芝生、湖面と高さあまり変わらないでしょう。ひと月前の
台風ではキャンプ場全体が水没したみたいよ」

そう、昨夜ずっと、ザッパンザッパン水音がしていたのだ。
テントごと湖にさらわれる危機、だった訳ですね・・・

ともあれ、網走(アバシリ)は、大好きな町
日本一周の旅でも、今回含む北海道の旅でも、常に折り返し
点に位置し到着するたび感激が待っている。わたしの郷・庄内
の町 鶴岡と同規模の小さな町だが、異世界と接する海岸都市
は旅情に満ちている。

しかし今まで、10月に入ってここに来た事はなかった。
もうひと月もしないうちに、水平線に「流氷」が到達するか否か
という土地柄 夜のキャンプは、覚悟が必要だった

町のはずれの網走湖 その湖畔にこの無料キャンプ場はある。
無料、というともう北海道でも少なくなり、あっても荒れ果ててい
たりするのだが、ここ「呼人浦キャンプ場」はよく整備されている、
貴重な場所である。網走市の良心?意識の高さを感じさせる。

とはいえ、この網走も過疎化というか、時代の波は押し寄せて
いるのか、年々旅人におなじみの店などが消えてゆき寂しさも
増してきているのは事実である。

いつも網走まで来ると、ここで数日を過ごす。長旅の途中で一箇
所に長期間留まることを我々の世界では(笑)『沈没』と称すのだ
が 


  


Posted by げん at 02:30Comments(0)えみし旅を想う

2011年12月10日

網走 なぜか戦艦ポチョムキン


10月1日(土)

網走 これも4年振り以上の、『北方民族博物館』にいる。
アイヌ民族をはじめ、ナナイ、ネギダール、ニブヒ、オロチ・・・
それにイヌイット、エスキモーなど、サハリンや各大陸にかけ
て住む少数民族を対象とした、世界でも珍しい博物館である。
わたしは、ここが大好きだ。旅人には北を目指す北方志向と
南を目指す南方志向がいるというが、わたしは間違いなく前
者だろう、と思う。実のところ、北方民族には自分等「東北人」
も含まれているだろう、と自負したいくらいである 笑

いまも、仙台文学館で少しずつ読んで、ようやくクライマックス
に入った小説 熊谷達也『氷結の森』は、東北のマタギがサハ
リンの少数民族ニブヒや中国人、ロシア革命のパルチザンなど
と交流する話で、北方好きにはたまらない 爆

ロシアといえば、英国に旅した際、一番安いアエロフロート航空
で、モスクワで乗り換えたから、生まれて初めての海外、という
事になる 笑 それほど関心のある国ではないのだが、戦艦ポチ
ョムキンの話を中学時代に知ってから、印象的なところではある。

戦艦ポチョムキンとは、黒海において劣悪な労働環境に不満を
爆発させた船員たちに占拠された一介のロシア帝国艦船であった。
ロシア革命の先駆けとなり、ソビエト連邦時代の伝説的事件とな
った。古い古いソビエト映画『戦艦ポチョムキン』で有名である。
ちょうど同時代の日本の戦艦・三笠によく似ている。

はるか江戸前期 仙台藩で建造され世界を巡った木造帆船
『サン・ファン・バウティスタ』が最後にどうなったのか、気になる
ように、こうしたドラマティックな背景を持った乗り物の「その後」
というのは、何とも興味深いものである。

ポチョムキン、正式には『ポチョムキン・タブリーチェスキー公』
(18世紀ロシア帝国の軍人貴族の名)蜂起後はルーマニアで
物資提供を拒まれ、船員は下船し亡命化した。
船は帝国に返還されたが叛乱船の名は嫌われたため
『パンテレイモン』(ロシア正教会の聖人)と改名される。

『パンテレイモン』はその後も単発的な叛乱に参加するなどどうも
革命に因縁があったが、第一次大戦ではしばし海戦に活躍した。
ロシア革命の中、ウクライナ人組織下にて再びポチョムキンの名
を冠されたが、由来となったポチョムキンがウクライナ圧政者だった
ため、すぐにまた改名『自由の戦士』(ボレーツ・ザ・スヴォボードゥ)
となる。
しかし間もなくイギリス・フランス干渉軍によって艦隊は掌握され、
機関を爆破され、長く放置される事になった。

結局、その後解体となるのだが、事情を知るレーニンによって
マストなどの部品は各地に分配、その後も使用されまた保存
されているという・・・

いまのロシアで、戦艦ポチョムキンの軌跡はどのように人々に捉え
られているだろうか?
権力者、資本家の手から民衆の幸せを取り戻すため、共産主義社
会に理想を託した人々の数々のドラマがある。
しかし究極の「管理社会」でもあるそれは結局彼らの自由を奪うこと
になり『自由の戦士』は皮肉な艦名となってしまった。
それでも、自由と幸福を願う人々の戦いは、終わらない。
  


Posted by げん at 04:30Comments(0)えみし旅を想う

2011年12月03日

12月 仙臺はまつりが始まる





この冬も始まった! 都仙臺大電飾~

昨年の定禅寺通を彩った、55万個もの電球は海岸沿いに保管して
いたらしく、3月の津波で全て流されてしまったという。
普通だったら今年 ヘタすると今後ナシだろ・・と思う向きもあるが
(実際、節電のこともあるしいい機会だから永久中止したら?という
 市民も周囲にあり)
なんとほとんど従来と遜色のない数の電球が全国各地(秋田・大館市
はじめ東京表参道、相模原市、広島市など)より贈られたり貸し与えら
れたりし、見事実現に漕ぎつけた。 
すげえな・・・ほんと仙台、恵まれているよ
実行委員会など地元の情熱にも、胸が熱くなるものがある。
電飾なんかやめちまえ という人 俺のほうが地元のために戦ってる、
という自負でもあるのかも知れないが・・・懸命にやってる同胞を応援
する気持ちは持っていたいものだ。
電球の出身地がまちまちなので、光の色が白かったり、赤かったり
するのだが、それも意外と美しくて いいものだと思った。

最近はしばらく振りに週に1本でも映画(ほとんどDVD)を観ている
往年のハリウッドミュージカル映画『雨に唄えば』とか
タイの見事な蹴りワザを持つ娘さん主演『チョコレート・ファイター』とか
元祖ヌーベルヴァーグ『勝手にしやがれ』とか
特に最近フランス語も勉強してみたりパリって行っておきたいな
とか、思ったりするのだが、どうも心の底から楽しめない

結局、わたしはひどく一本の映画を求めていたりするのだ
それは、2006年アイルランド映画『ONCE ダブリンの街角で』
今までで一番、何回も借りてる映画ですね・・・買えばいいのに




「調子はどう?」 「シブイぜ。見てくれ・・」 「え、これだけ?」

ふっと観たくなる。街の雰囲気 物語のテンポ いいなあ
やはりパリよりダブリン フランスよりUK・アイルランドなのかな
国は全然違うのだけど、感覚的にはフランス・スペインなどの
ラテン系が日本でいうと関西とか西日本的で、アイルランドや
英国は東北や信州など東日本的気質を持っている気がする

主人公の青年の恋愛うじうじ感とか、ゲリラ演奏遠慮がちなところ
とか、バスで荒っぽく歌ってしまい乗客に「すみません」と謝ったり
するとことか、なんて控えめなんだ まるで東北人!爆 と驚いて
しまう。

主人公が路上演奏してる街角は、東京・吉祥寺にも似ているし
仙台でもよく路上が使われてる三越デパート裏の歩道にも似ている
(ローカルな・・

この主人公、音楽の成功を夢見てロンドンを目指す
アイルランドは英国から独立しているのに、まるで札幌や仙台から
東京を目指すみたいに、やっぱり青雲の志はロンドンに向かうのか

今後も何作か、観たい映画あるのだけど、ひとまず今年は、この
一作で最後にしようかな と思う。
誰でもそうだと思うけれど、ひどく忙しくなる。
とりあえず、今日返却日なので、もう一回観ようかな 爆





  


Posted by げん at 14:02Comments(0)えみし普通の日記