2012年06月01日
「六魂祭」と東北の未来について 2
昨年末から、ネット上で意見交換していた「東北好き」
4人が集まって議論する『とにかく東北を語る会(仮)』
を始めたのだけど、そこで言われていたのが
「政治的に東北がひとつになるのは困難だが、
民間レベルでは既にそういう意識は進んでいる」
という事。この六魂祭も、その表れ と見られる。
しかし、「東北がひとつになる」とはどういう事なのか。
歴史的にみれば12世紀の平泉藤原氏の時代
そして「幕末」奥羽越列藩同盟の時代
史上の大きな転換期に、東北は行政的に「中央」からの
離脱、自立を求めて実際に動き、戦ってきた。
東北とは、歴史的に「ひとつにまとまる」可能性を秘めた
日本でも独特の土地柄なのである。決して、九州でも四国
でも、関東でもそのような事はなかったのだ。
時代は再び、そのような転換期に来た とわたしたちは語
っている。決して、仲間内だけの妄想ではない と確信し
ているのである。
しかし、人々が望まぬ「中央からの離脱・自立」はあくま
でも、妄想である。一体、東北にこれから必要な「自立」
とは、どのような形であるべきなのか。どうすれば、これ
から東北で生きていく人々のためになるのだろうか。
まず言いたいのは、「東北だけの自立」ではない という
事だ。東北は、他地方を拒絶する訳ではない。むしろ、
自立した連合体の一員同士として日本を形成していく仲間
である。よって、東北は自立に向かって動きながらも、
九州や四国にもそれぞれの自立、新編成を促していくのだ。
本当の連携とは、それぞれの「自我」を確立してはじめて
成り立つものだ。
それはわたしが音楽を続けるうえでも実感してきた事で、
まず自分がやりたい事を理屈抜きでやり続ける事が大事。
そしてはじめて、他の演奏者とのぶつかり合いが生まれ、
本当の畏敬、尊敬の念が生まれる。
今まで、地方は中央のいいなりで、ただ指示を待ち、流れ
てくるものを待っていた。そして奪われるまま奪われてい
た。個、自我を失い 結局、他地方との連携などという事
も考えられなくなってしまったのだ。
わたしは創刊されるタブロイド紙に、スコットランドと東
北の比較論のようなものを書かせていただいた。
イギリス(大英帝国)もまた征服した「地方」を搾取して
きたが、スコットランド、ウェールズは近年独自の「議会」
を復活させて、今まで「中央」に奪われていた行政の権限
の多くを取り戻している。いわば、東北の中に独自の「国
会」を持つようなものだ。完全独立ではないが、これは今
後の日本の各地方の道筋への大きなヒント、道標になるの
ではないか わたしはそう思ってきたのである。
大きな障害、壁はたちはだかるだろう。
これを読んで、あなたはわたしを批判する その一言一言
が、その障害であり、壁である。
わたしたちの『とにかく東北を語る会(仮)』はしかし、
そういうあなたの参加を、待っているのだ。
それはさておき、祭である 笑
2012年06月01日
「六魂祭」と東北の未来について 1
漫画に感心している場合ではなかった・・・
今回、バルⅡで一日がかりの岩手盛岡旅
それにはそれなりの理由があるのだ。
「東北六魂祭」は昨年初めて、仙台で行われた。
青森のねぶた、秋田の竿燈、岩手のさんさ踊り、
山形の花笠踊り、宮城の七夕、福島のわらじ祭り
東北六県を代表する「夏祭」をひとつの町で一挙
に行なってしまおうという、思いがけない驚きの
企画だった。これが始まったきっかけは、言うま
でもなく昨年3月の大災害である。それにしても、
災害は主に東北の太平洋側で、関東東部にも及ん
で必ずしも「東北」にくくられるものではない、
という見方もある。にもかかわらず、あえて
「東北をひとつに」
という主旨の、こうした大企画が組まれた。
もちろん、わたしのブログをある程度読まれてい
る方(いらっしゃるのかな)はわかるかも知れな
いけれど、わたしなどは震災のはるか以前から
「東北をひとつに」と考えていて、その想いは震
災で更に強まった。だが、それはあくまでわたし
のようなある意味変人のマニアック趣向の夢想か
とも自覚しているようなところがあったのだ。
ところが、そうではなかったようだ。
今回の災害を、「日本の」ではなくまず「東北の」
問題として捉える人間が、少なからず存在している
わたしはその可能性に、打たれたのである。
なにしろ前例のない事である。おそらく、北海道で
も、関西でも、四国でも、九州でも、同じように
各地の祭を集めたとしてもこれほど盛り上がるまい。
それほどに、東北の祭は各地ものすごいのである。
仙台は東北一、などと言っているが とても東北の
力を全て収容できるような「器」ではない。
逆にいえば、東北とは「首都」に全て取り込まれる
ような性質の土地ではなく、都会>田舎という中央
の図式が当てはまらない世界なのである。
結果、仙台の町は「六魂祭」の未知のパワーによっ
て大混乱に陥った。
そして今年は、岩手・盛岡市で第2回の開催だという。
盛岡は、わたしにとって15年来の特別な思い入れの
ある町。東京からの「東北回帰」を実行する際に最後
まで迷った移住候補地である。
さて、盛岡では どうか?
これは行かずにはいられなかった訳である。