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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2014年05月10日

5月10日(土)


4月~5月は大掃除の季節である。
わたしが仙台に引っ越してきたのが4月末(2007年)
だった事もある。部屋の中で動くという重労働でも発
汗が少なく、また水作業もようやく平気ででき、ガス
代もかからないからだ。

といっても、あまり根詰めると嫌になってしまうので、
2時間まででやめておく 笑
どんだけちらかってるというのか

洗濯のためコインランドリーへ出かける。
(なぜか昨夜、金もないのに9万円の洗濯機を買って
しまう夢を見た・・夢でよかった、と心底思った)
コインランドリーは、わたしが旅で仙台へ来ていた頃の
宮町・小田原の常宿に付属している。



いわゆるユースホステルだが、外観は昔ながらの旅館
である。実はこの町、明治から昭和まで東北一と言われ
た遊廓があって、この宿もその区域内にあった。建物が
当時の面影を残したものなのかはわからない。



           今はもうないが この旧式洗濯機!
            最近までここにあった。



遊廓というのは、様々な人がそれぞれの事情で暮らして
いた所で、関わった人々の多くはあまり語りたがらず、ま
た心ある人はそれを察してあれこれ尋ねにくい。

しかし、仙台移住前からここ宮町・小田原は不思議と雰囲
気のいい町と感じていた。
八百屋や韓国食材、居酒屋、沖縄そば屋など一風変わっ
た構えの店が多く、大きなスーパー・SEIYUには夜になる
とユニークな出で立ちの若者など多彩な客が闊歩する。
実はこのSEIYUの立地、遊廓の時代には「五城楼」という
名の巨大な妓楼が建っていたらしい。五城楼とは、言わず
と知れた、仙台青葉城の別名でもある。

数年前まで、『東北学』別冊に、ひとりの女性ライターがここ
小田原遊廓について取材・調査して連載していた事を最近に
なって知ったのである。
遊廓の女たちと、町の人々のつながりは密接で暖かなものが
あり、女たちは里の家族とも交流を保つ事ができた。
東京・吉原ほど過酷ではなかったようだが、それでも辛い境遇
にあった事に変わりなく、彼女たちが夏に願い事を吊るして作っ
た七夕飾りが、いまの仙台七夕の原形になったとも言われてい
る。

ここ最近、朝はダージリンばかり飲んでいたので
(かっこつけてる訳ではない・・トワイニングのティーバッグです)
久々にここの豆屋で珈琲豆を買う。
たまにドーナツなど食べると、やはり味と脂が強いな と思う。
やはり珈琲でないと、この強さを中和する事ができない・・
気がする。

さて最近は、午後出かける前にフィドルを弾くか、帰ってきた夕
方に弾くか、迷う。
感覚的には、暗くなりかけた頃に弾くのが好きなのだが、出か
けた後だと、正直何時に帰ってこれるかわからないし、夜7時以
降は、普通のアパートであるので楽器は弾かないようにしている
のだ(昼間でも弾いちゃいかんのだけど、もちろん)

もう随分、音楽面で「活動」といえる事はしていない。ジャズ・フェ
ス他、所謂ライヴ形式の演奏への参加は控えている。
わたしは音楽的語彙に乏しく、打ち合わせが必要なライヴという
形への苦手意識がある。
それでは音楽に関わる者として致命的な気もするのだが、幸い
というべきか、個人と個人が即興で音を合わせるセッションという
形が我が音楽ジャンルにはあり、それが自分に合っている、と感
じ、また喜びと感動を得る事ができるので、何とか続けていられる、
と思っている。今後、自分と音楽との関係がどうなっていくのかは、
予想がつかない。

わたしは今、書く、という作業が生活の中、多い。書く事にはかど
っている時にフィドルを弾くと、ものすごく不調に感じる。逆に、フィ
ドルが好調に弾けていると感じる時は、全く書けなくなる。これは
脳の構造が関係しているのだろうか。
何とも面倒な趣向と体質ではある。





  


Posted by げん at 19:34Comments(0)えみし普通の日記