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山形情報ガイド・んだ!ブログ

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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

2014年11月28日

上野 その1!


今回の東京行き、上野との縁が多かった。
そのひとつが、2年前に初めて訪れたブリティ
ッシュ・パブ『Warrior Celt』再訪である。
もともとが勝手に我が心の師とさせていただい
ておる(笑)モハーさんが常にミュージック・セッ
ションの舞台に選んでいる事で関心があり、上
京した際に私も参加するとたちまちそのワイルド
かつファンタスティックな雰囲気、セッションに
参加する面々やオーナーの魅力、そして何より
次々に繰り出される未知の、刺激的な曲たちの
数々に、打たれまくったものである。



ううむむむ・・・携帯カメラレンズの傷によるボヤケ
が限界に 汗

山手線上、御徒町と上野の駅のほぼ中間に
位置し、このような実に東京東部的な猥雑活況
のガード下に広がる繁華街の中に、紛れ込むよ
うにその店はある。

この東京行きは11月になるかならないかの頃、
と漠然と日程を考えていたが、モハーさんが11
月始めのセッション日は欠席との事と、10月最
後はハロウィンセッションである、という事で10月
に即決したのだった。しかしその結果、この夜は
結構すごい人数が集まってしまったようであった。



ボヤケがひどい・・・ひどすぎる

今回は、今年ドイツから帰国されたという椎野さん、
熊五郎こと山崎さんなど、凄腕フィドラーたちとの
新たな出会いに恵まれたが、ひとつ印象的だった
のが、アイルランドに一年半留学していて帰国した
ばかりの、福岡在住の若き女性アコーディオン弾き、
町田さんであった。なんでも、これから東京、関西
のセッションを渡り歩きながら福岡へ戻るという事。
隣に同席させてもらって、その見事な明るいボタン
アコの響きを堪能した。幸い、曲出しされた組み合
わせが私も知っている曲だったのでふつつかなが
ら共演を楽しむ事ができた。

それにしても、かつて四国、九州を旅して思った
のだが、かの西日本の女性たちというのは実に
冒険心にあふれている。沖縄で出会った鹿児島
の女性は、モンゴルのオートバイツアーに参加し、
北海道最果て・オホーツク海沿いの宿で住み込み
で働いていたりしていた。高知で出会った歌手は
仲間とライヴハウスを手作りして、貧しさを乗り越え
てやがて全国区のアーティストになった。私の郷里
の姉などはまず考えつかないような生き方だと思う。

大いに余談だけれど、私は仙台に移住してから
とんと本気の恋愛というのをしていない 爆
単に歳のせいなのかも知れないが、これはもしか
すると、女性が自らの武勇伝を語ってこない事、
つまりよくも悪くも東北女性の自己主張の弱さに
も原因があるかも知れない・・・などと思う。
とはいえ、それは男の私にも言える事だが 苦笑

ニューヨークのいわゆるアーティストという
人々の多くは基本的に「自称アーティスト」
なのだそうだが、それで立派に生活してい
る人が多いという。彼らに大切なのは、自ら
のストーリーを持つ事。ウォーホール、バス
キアなど、自らの人生なしには語れないア
ート、つまりは人生そのものがアートとして人
の心を打つ、というケースが多い、という訳だ。
日本のアーティストの特徴は、やたらと他人、
つまり他のアーティストや業界に詳しいのに
自分の人生やアートを理解しない、語れない
人が多い、事だという。

って、なんの話や。
  


2014年11月13日

高円寺のはなし


順序的にはおかしいのだが 笑 今回の東京行き
最後に訪れた高円寺で想った事を。

杉並区高円寺には、23歳から33歳までの10年ほど
も住んだ。その前に練馬区に3年間、後に小平市に3
年間。今の仙台もまだ8年目なので、未だ最も長い居
住年数を誇る町、という事になる。

実は、それ程この町が好きだった、という訳ではない。
住みやすかったのは確かで、ずるずると、だらだらと
住んでしまった、というのが正直なところだろう。
どこまでもこきたなく(笑)せまくるしい街並み、安い
定食屋、銭湯どころかコインシャワー。よくわからない
コンセプトの喫茶店。
何でもありなんだ、許されるんだ、その懐の広すぎさ故に
若者たちは甘えまくり、堕落する 爆 昔ここに住んでいた
若き作家みうらじゅんが、あまり長く居座っていると
大成できんぞと諭されて原宿に引っ越したという、
有名な話がある。

特にわたしがこの町に住んでいて危機感を覚えたのは、
安い定食屋、ラーメン屋の多さで、自炊を全くやらなくなった
時期があった事であった。しかし人間、コメを炊く事すらしないと
生物としてダメになる気がわたしにはした。多分、生まれ育った
のがなんにもない田舎だった事もあり、高円寺のようなある意味
過剰にモノがあり便利すぎる環境に違和感を感じ始めていたの
ではないかと思う。

しかし、この町のやめられない最大のポイントは、未だに
月の家賃2万~3万円の、四畳半・風呂なしアパートが
存在する点であった。
岡崎武志『貧乏は幸せのはじまり』(爆)に、こんな一文がある。
「四畳半は男独り暮らしには必要にして充分な広さ。これが物を
増やしていき、狭いと言い出してから、人間の堕落が始まる。」

確かに、未だに四畳半には、地方からカバンひとつで転がり込み、
住み始めた記憶を持つオールド・ボーイどもには大きな魅力を
感じさせるものがある。

しかし、時代は完全に、そうした旧き良きものを葬り去ろうと
している。
わたしが六年ほど住んでいた、四畳半風呂無し・トイレ共同、
月1万9千円のアパート、今回実に久々にその場所へ行ったら、
かつての大家さんの家族が一軒屋に建て替えて住んでいた。
まあ、無理もないけれど。

仙台などでは、逆に銭湯も少なく、また気候風土も厳しいためか、
東京にあったような四畳半ボロアパートというものがそもそも存在
し難い。わたしが今住んでいる、六畳ユニットバスの部屋、家賃は
3万円前後、というのが仙台ではおそらく最低限レベルのアパートだ。
東京都心なら6万円はする物件であるが、東京ではもはやこれが
最低限になりつつあるのかも知れない。そうなると、日本人がもう
これからかつてのような豊かさを謳歌できなくなるであろう時代、
若者にとって東京は決して裸一貫で飛び込んでいける新天地とは
言い切れなくなるだろう。

なんて事を考えながら また中央線に乗り込む・・

  


2014年11月06日

2年ぶりな東京行き




             高速バスで新宿着きますと、
             まず見上げるおさかなビル
             ここからブックファーストへ
             降りていく


石川啄木さんは書いた
「東京へ行きたい。
 むやみに東京へ行きたい。
 北海道まで来て貧乏するよりは
 東京で貧乏したほうが良い。」   爆

いや、わたしの場合、仙台でなら いくら貧乏
しても我慢できると不思議に思うのだが、
東京では怖くて貧乏できなかった。
だから、必死こいて働いたもんだった・・

って、なんの話ですか

それはさておき、「むやみに東京へ行きたい」
という気持ちは、同じでありました。
なにしろ、またしても2年ぶりです。
新宿に着くと、
「うわーっ都庁だ・・うわーっおさかなビルだ・・」
と、いぎなり新鮮なのですが、
一時間もすると、なんか普通になります 笑
やはり15年間住んだ町
都市の景観が、ふるさと的に染み付いている
のかも知れません。

今回、デジカメは持ってこなかったので、
ほとんどの写真はおなじみフィルムカメラの
闇の中です 笑

新宿に着くといつも最初にやるのは、
ブックファーストでの立ち読みと 
『やんばる』で沖縄そばを食べる事です。
ブックファーストは始め渋谷にあり、
わたしが仙台に移った後新宿に移転し
大迷路的にパワーアップした書店です。
昔も今も、おもろい本が見つかります。
今回のおもろい発見
『みんなの太陽の塔』
『スチームパンク東方研究所4 理科趣味の部屋』
『藤原氏のルーツを追って』
などなど

『やんばる』は今や東京中に多分普通にある
沖縄料理店の先駆け的存在。
しかし高円寺その他にある多くの店が
「居酒屋」の形態をとるため、ただ普通に
そばを食べたいだけのわたしなどにとって
ちょっと距離の縮まらない(笑)場所なのに
対し、『やんばる』はどこまでも庶民的で
気軽であり、そしてどこまでも こきたない 爆
大好きなお店であります。

あと、わたしが30歳、旅人生に入る時に
お世話になった、キャンプ用品店
新宿えるぶれす
相変わらずいい雰囲気です。





  


Posted by げん at 17:04Comments(0)えみし普通の日記