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山形情報ガイド・んだ!ブログ

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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2014年12月28日

そして、仙台も冬至を過ぎ~




奥州の都も冬に至る 寒さが痛い昨今 
しかし、陽は少しずつ長くなっていくのです。

長年の悲願であった(笑)珈琲の豆挽き器を
購入。なぜか仙台駅東口からさくらの百貨店
内へ移転した、石井スポーツさんから。



そう、アウトドア用品であります。豆挽き器とい
うと、木の箱型を思い浮かべますが、数年前
北海道を旅した時、キャンプ仲間が携帯型
ミルで豆を挽いているのを見て衝撃。以来、
自分も憧れていました。しかし、なかなか理想
の型が見つからず、ずっと焙煎屋さんで挽い
てもらう年月が続いてしまったのでありました。

最近、ポーレックスさんが従来の型の更に
改良・小型化したものを発売。「ついに!?」
と入手に踏み切らせました。時まさにクリスマ
スでしたので、自分へのプレゼントとして 爆

早速、行きつけにて豆を「挽かないで」購入。
粉になっていない、豆の形のままを買う、と
いうのはかなり新鮮な感覚。飲む毎に挽く、
事で湯を注ぐ際に粉がふくらむ、という鮮度
の証を毎回、味わう事ができるのです。



面倒のようですが、意外とこの、小さな機械
を手で動かす、という行為自体が病みつき
になる感じすらあります。もともと、珈琲をドリ
ップして飲む、という面倒な作業は日本人の
茶道に通ずるような感覚がある、と思ってい
たのですが、更にその想いが深まりました。

これを面倒と思うような、慌しい朝を強いる
仕事のしかたは改めていきたい。

それにしても、珈琲豆を日本人が入手する
というのは、所謂非先進国の人々の生活サ
イクルを破壊する事で成り立ってきた事で
あり、何とかこの先、もっと幸福な形で皆が
珈琲を飲める時代が来たらいいのだが、と
願わずにはいられません・・全く、口だけで
腹立たしいですが。


ところで街には、異変が



仙台の本屋さんが、続々閉店の悲劇?

といっても、市内に3店舗展開していた、
ジュンク堂書店が1店舗に。同じく
3店舗展開していた、あゆみBOOKSが
2店舗に縮小、となった感じです。
もともとこれら、中央資本が何店舗も出店
というのがあまり正常ではなかったのかも
知れませんが、近年のAmazonとかの普
及による書店側の苦境、いよいよ表面化
という事でもあるのでしょうか。

仙台は元来、本屋が多いと言われていて
中心部でわたしが利用しているだけでも、
@ジュンク堂   @丸善
@あゆみ×2    @金港堂
@ヤマト屋(三越内) 
@金入(メディアテーク内)
@BOOOK(東北大学工学部内)
@ツタヤ(北仙台 近所です)

なんと現時点で9店!東京にいた時代
より多いかも・・(ヤマト屋、金入は震災
後に参入した東北資本 応援したい!)
なので、利便性に影響がある訳ではな
いのですが、仙台に来て最初に馴染ん
だLoft内のジュンクが突如撤退してい
たのはショックでした。次いで、震災から
復活したばかりだったはずのE-Beans
の、仙台に巨大書店あり!と謳われた
多階層店舗が引き上げ、皮肉にも?震
災後の仮店舗として営業した電気屋さん
地下に広がる新店舗が、本拠に落ち着
いた形のようです。
一方のあゆみは、一番見晴らしのいい
広瀬通交差点の店舗が撤退しました。

ちなみにわたしは、未だにネット購入は
極力利用せず、ちょっと買うの恥ずかし
いコミックとかさえも(笑)本屋さんで直接
買っております。がんばれ本屋さん!

ちなみに、今年も近所の某・お宅が飾る、
豪勢なクリスマス・・・来るとこまで来てます!







  


Posted by げん at 16:56Comments(0)えみし普通の日記

2014年12月23日

『NO NUKE』デモの現場へ行く


今回の東京行きの話のシメとして、脱原発
を叫ぶ現場に赴いた事を書き留める。
一度、是非とも足を運びたいと願っていた
場であった。

その話をすると、さるさんがもしよければ、と
案内をかって出てくれた。その現場とは、
一般都民もむやみに足を踏み入れないよう
な、閑散というか、殺伐とさえして見える、
永田町という官庁街。しかも、陽が沈んだ頃
の開始である。福島での原発災禍から3年
以上が経つ今も、毎週金曜に開催されて
いる事で知られるが、ほとんど報道はされて
いない。



以前さるさんも参加した事があったが、シュ
プレヒコールの過激さ、乱暴さなどが気になり、
足が遠のいてしまったようだ。
そういえば、どこかの新聞に載った記事で、
このデモの過激な「叫び」の件が批判され
ていた。運動家の
「とにかく何か行動をしなければ。続けなけ
れば」
というような発言が、
「もはや本来の目的はそっちのけ。デモと
いうパフォーマンス自体が目的になっている」
という批判に晒されていたように記憶する。

だから、「反原発なんて、くだらない」と一笑で
片付けたいのか。それとも
「もっと、別のやり方が必要だ」と憂うのか。

確かなのは、あの時から、年月が経過していて、
政府が「時間が解決する」とでもいうように
発電所再稼動を推し進め、人々の怒り、焦り、
憤りが高まっているという事だ。そのどうしようも
ない無力感を振り切ろうとする余りに、「叫び」
には過激さが増してしまうのかも知れない。

そういう、人の心を推し量るべきではないのか・・
いま、こうした、必死で行動する人間を、ネット上
で さらりと一言批判して終わり、で何になるのか。
両者の間には、本当に断絶があって、本当に
理解し合えないのか。俺たちに、便利なツール
はあるが 議論の場を作ろうという意志はあるか。

この日の永田町行きは、飲み客で溢れかえる
新橋駅から、歩いていってみたのだ。
予想はしていたが、やはり永田町では舞台が
閉塞的すぎるように感じた。まるで政治の中枢
がそのような場所であるのをいい事に、政治の
トップに声を届けに行っているつもりの人々を、
逆にデモという行動の強みであるはずの、
「市民に波及させる」「市民を巻き込む」
という効果が全く発揮できぬようにし、隔離状
態に陥れようという、「敵の思う壺」にはまり込
んでいるような印象にさえなっているのだ。
「街」に戻ろう。生きている、都市の中に。



帰り道さるさんが、ピーター・バラカンさんが
彼のラジオ番組で、さるさんの、原発に対す
る想いを託した投書を読んでくれた事を話し
てくれた。その番組も、いまはないという。
ご主人がこうした運動に足を運ぶのを心配な
さるようなので、さるさんこの日は内緒で来て
くれた。このblogでも名前は伏せた方がいい
かと思ったが、それは不要と許して下さった。
今回の東京旅は、つくづくさるさんの存在あっ
ての実りあるものであった。
重ね重ね、さるさんありがとう!と言いたい。





  


2014年12月21日

アイルランド音楽 と 東京一極集中 爆


最近、うちのパソコンが外につながりにくくて
なかなか更新ができなんだ
Facebookなんかも、もちろんほとんど覗けぬ
だが、こんな不便さが今はなぜか心地よい 爆

10月31日(金)

新潟に出張中のため今回は会えないかなと
思っていたおなじみ岩谷さんが、今日帰って
きて、四谷モリガンズのセッションに行くので
よかったら会いましょう、とメール来たる。

実は先日のWarrior Celtで久々お会いした
こめぐさんと、ろくに話もできなかったので
この日参加されるという池袋ダブリナーズに
行くつもりだった。しかし岩谷さんにも会って
おきたいものだと思い、では今夜はこの2店
ハシゴか!などと無茶な事を考えてしまった。

この日の夕方は新橋方面に所用があった為、
流れとしては四谷→池袋か、という事に。

しかし、やはり甘かった。
セッション、それも初めて顔を出す場に参加し
ておきながら、器用に途中で抜け出すなどとい
う芸当ができるはずもなかったのだ。

四谷モリガンズは全くの予想外で、場所もわか
らなかったが、上智大学を大きな通り沿いに
歩くと、あった。



なんと、あの愛子さんが弾いておられる。
完全に、ここ数年はお会いするのを諦めてい
た人だ。Warriorでお会いした面々も何人か。
演奏者たちにはテーブルがなく、半ステージ
状態。なんとなく緊張してしまう雰囲気。

お名前を聞きそびれた、一人の演奏者と話す。
「仙台ではセッションは月に一度くらいです。」
「ああ、でもそのくらいが、いいと思いますよ・・」

東京の人も、東京はセッションがあり過ぎる、と
感じているのだろうか・・笑
確かに、本国アイルランドやアメリカ・カナダでも
ないモンゴロイドの島国で、これだけ盛んに
アイリッシュ・セッションが行われている現状と
いうのは、考えてみるとかなり不思議だ。
特に極端に一極集中的な東京では、平日・
土日に関わらず、新宿、渋谷、上野、中野、
高円寺、吉祥寺、大崎、自由が丘、武蔵小杉
・・・と毎晩のようにどこかで繰り広げられている。

わたしが東京へ出た90年台初頭、アイルランド
音楽に魅かれバイオリンを買ったはいいが、
周りに誰一人同好の士がおらずそのまま15年、
無為に過ごした事を思うと、未だにあの状況が
普通で、今の状況は夢か、と勘ぐってしまう。
若い人たちには、逆に少し前まではほとんど
日本にアイリッシュセッションがなかった事など
想像もつかないだろう。現代は日本が勢いを
失った不幸な時代という人が多いが、ことアイ
ルランド音楽好きには全く幸福な時代である。
(アイルランド本国のTV取材とかは、来てない
のだろうか?面白い番組が作れると思うが 笑)

そういえば、最近『地方消滅』という本がベスト
セラーになったが、追って『「地方消滅」の罠』
という、批判・反論本なども出て危機感を無闇
に煽るな、という話にもなっているようだ。

首都圏には、現在3500万人が住んでいる
のだが、実は本来この圏内?は1000万人
分の水しか自給できないらしく、その許容量
の3倍以上が住むようになったため、今では
群馬方面から莫大なエネルギーを使って、
水を確保しているという。この巨大都市がそ
のような莫大なエネルギーを必要とする状況
を脱しない限り、東京が脱原発を本気で考え
る事などない、という声もある・・というか、実
際そうなのだと思う。

今こそ、首都圏に住む人々、一人一人が
「自分は本当にここに住み続けるべきか」
を問い直す時期なのだろう。
(わたしはその問に8年前解答した訳だ)

それにしても、東京の私立大学に定員以上
の入学を制限するとかいう措置は、
「地方の若者の流出を食い止める」
ためなのだそうだが、何か違うと感じる。
東京の「魅惑的な桃源郷」状態を維持して
おいて、魅かれてくる若者を締め出そう
など、虫のいい話ではないか。
とはいえ、昔の若者が「憧れて」東京へ
出たのに対し、近年は仕事がなくて
「仕方なく」出る若者が多い という話が
『「地方消滅」の罠』にあった。

ところで、首都圏3500万人から2500万人
を引き抜いて地方に分配?できたとして、
東北中にもアイルランド音楽人口が増えて
セッションがどっかんどっかんとなるか・・・
というと、それはわからない。

というのも、どうも東北でアイルランド音楽を
やるのと、東京でやるのとでは、感覚が微妙
に違う気がするからである。

そもそも、どうして東京でこれほどアイルランド
音楽が盛んなのかと考えると、当然音楽的
教育環境の充実度、海外旅行の普及度、と
やはり人口比率に見合う出会いの確率の高さ、
といろいろあるだろうが、何よりわたしには、
日本人には東西問わず、DNA的になのか、
風土的になのか、アイルランドなり、ケルト
なり、というものに対する異常なシンパシー
があるからだろう、と思われてならない。

ところが、特に東京のような超巨大都市に
なると、まあ何と言うか、当のアイルランドとは
かけはなれた風土・環境になってしまう。
とはいっても、本国のダブリンなどは随分な
大都市ではあるが・・巨大都市から与えられる
ストレスがアイルランド・ケルト的なものに対す
る憧れを増強させ、人々をアイリッシュ・セッシ
ョンへと駆り立てる そんな推理ははずれてい
るもんでしょうか 笑

これに対して、東北は本質的にかなりアイ
ルランド、スコットランド的な風土といえる。
これは、いい意味ばかりではなく、荒涼、
閑散、厳しい気候と生活・・東北では、あ
えて憧れ追い求めずとも、既にここが辛酸と
幻惑に満ちたアイルランドなのである。ここ
でアイルランド音楽を愛するというのは、云
わば津軽三味線と同じで、生活から出てくる
魂の表現という性格が強くなるかも知れない。
そういう意味では、東北に音楽人口はそれ
ほど増えないとしても、音楽そのものに込め
られるソウルは、本来のアイルランドのもの
により通ずる事ができるのかも知れない・・・

なんて書くと、東京の人たちに怒られようか。
けれど、やっぱり東京のセッションは滅法
面白い!行く度面白いのは確かだ。
願わくは、どんどん東北へ遊びに来て、
いつしかこちらへ移住して下さらん事を 爆

こちらは、四谷の翌日夜、武蔵小杉にある
マッキャンズにて。



2010年12月に来たのは、移転前のお店であ
った。新店の場所、なかなかわからず、当時
仙台Barm'sにてセッション中だったTRAD♀さ
んにさりげなく?SOSメールを送る 爆 
おかげさまで何とか到着。
なかなかのお店で、Barm'sの姉妹店として
仙台に移築させたい感じ(!)でした 


  


2014年12月05日

上野 その2!


今回、なぜか上野の科学博物館に、何年か振りに
行ってみたかった。
さてその時の写真がようやっとできあがりまして・・


       って、三葉虫かいっっっ   
  後ろで不気味にほほえむのが奥羽越現像   


ここは、幼少時、実家が世田谷にある母と一緒に、
東京に来るたびにやってきていた。いわば、わたし
にとって東京原風景なのである。

ただ、昔とは違っている。古風な外観はそのままで、
正門向かって左に巨大くじら、右に蒸気機関車も
そのままだが(くじらは、本物の骨→ざとうくじら原寸
大模型→しろながすくじら原寸大模型 と変換してきた)
正門から入ると巨大肉食恐竜タルボサウルス全身骨
格がお出迎え、というのはなくなった。恐竜の化石は
大体新館として建造された「地球館」に移されてグレ
ードアップという事になっている。

さて、実は今回、驚きの展開となった博物館歩きであ
りました。
なんと、音楽仲間の、さるさんが、ご一緒して下さる 
という・・・・・・あれは、夢だったのか? 爆

なにしろ、日本最大とも思われる科学博物館。一日で
は廻りきれまいという館内を、女性をマニアックに引っ
張り回す羽目になりはしないか・・と心配したが

なんと、今回 幸か不幸か?博物館の約半分のエリア
が(恐竜エリアも含め)改装中だか工事中で、つまり
通常の半分ぐらいしか見回る事ができなかった。
しかし、そのおかげでちょうど一日で見回れる規模に
なって、いろいろとおしゃべりなどしながら楽しめたの
であった・・さるさんも楽しんでもらえてたら幸いなのだが

さる「(江戸期の『道中まくらあんどん』を見て)すごいね。
  そろばんがあって、ろうそくがあって、あんどんがあっ
 って、まくらにもなって・・多機能な。昔は住所不定の
 人が多かったのかな 笑 そんな事ないか」
げん「旅をしながら商売してた人は多かったみたい。
  西日本では旅商人とか芸人は差別されて(以下略)
  でも娘さんたちには憧れだったみたい。寅さんも
  その流れかもね。」
さる「モテモテだもんね寅さん」
げん「いや、悲劇的な結末が多いですが(爆)」  


気の合う(しかも知的な)女性と博物館を歩くのがこれ程
楽しいとは(笑)それに博物館もいろいろあるけれど、やは
り科学・自然史関係ほど、楽しめるところはなかったので
はないかと思われた・・・


     夢じゃなかった、写真がある 爆
   さるさんにお許しいただき、載せてみました
      

なんでかというと、こうした博物館では、虫とか、タコとか、
よくわからない生物とかがいっぱい見れるので、女性の
素直な反応がかわいらしくて、おもしろい(ぉぃぉぃ)
なにより、さるさんらしいユニークな視点や言い回しが
楽しさ100倍なのである。

げん「あっメンダコだ。」
さる「うわあ・・妖怪みたいな」
げん「メンダコはマニアの間で大変受けてる、タコです」
さる「え、かわいいって?(苦笑)」
げん「うん。『きもカワユス~』『ファンタジアカワユス~』
  とかいって・・・しょこたんか誰かが」
さる「しょこたんでしょう・・・」

実はこの日、二人は各々の楽器を持参。
(ハープは受付で預かってもらった)
博物館を出た後、夕暮れの上野公園で
ハープとフィドルのベンチセッションを
してみよう、という目論見であったが・・

後悔のひとつは、日没が思った以上に
早く、蚊も出てきてかなり短時間で終わ
ってしまった事。博物館、一日で回れる
とわかってたら、入館前の午前中ぽかぽ
かの中、先にこちらをやっていたかな。


     ううむやはり携帯レンズの傷による
     ぼやぼやが・・・
    もとの写真のステキさは言うまでもない


後悔のふたつは、さるさんのハープに合
いそうなキレイな曲、何曲か考えてたのに
舞い上がってしまったか?結局ほとんど
思い出せなかった事(だめじゃん)
思い余って?いつもの早い曲キコキコ弾いた
りしてしまい、さるさんと合わせる事ができた
のは実に僅かな時間なのだった・・・
ごめんね、さるさん。

やはり、上野・東京の博物館、すごかった
けれど、宮城・東北の博物館だって、決して
遜色はない!とあらためて思う。
さるさんと、いつか東北の歴史関係の博物
館も、歩いてみたいな(ぉぃ)と夢が増えた、
今回の科博散歩なのでした。
さるさん、ありがとう。