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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2017年06月29日

夏の自炊


昨日は、久しぶりにうちでメシを炊いた。

冬と同じように3食分炊くと、夏はすぐに悪くなってしまうし
冷蔵庫にもなかなか入れるスペースがないので
(特に何が入ってるって訳ではない。だが入らないのだ 謎)
1食分・・1合半だけ炊く。(うち、4半合は麦である)
これで、松前漬と納豆 インスタント味噌汁で食す。
(インスタントかいっ)
松前漬は数ある全国の漬物の中でも塩分が最強という事で
知られており、ゆえに納豆にはもはや何もかけない。
ちなみに、うちで食う松前漬は新潟で仕込まれている^^
あっそうそう 五目たまごやきという奴も一緒に食べた。
これも新潟製。松前漬の強い味を中和してくれて、いい塩梅。

今日は、空き缶・空き瓶を出す日だった。
夏になると、暑くて長時間の大そうじが難しくなる。
(っていうか、まだやってたんかい)
なので、とにかく毎日10分間、例の「ひとつかみ作戦」続行。
(例の・・って?という人、気にしないで下さい)
必ず毎日10分間。その代わり10分以上やってはいけない。
やってはいけない、となるとやりたくなってしまう、のが人間・・
だが、俺はやらないだろう(どっちだ)

ところで、久しぶりにメシを炊いた と書いたが、実際 夏は
いつもこんな調子で、だいたい、外食かスーパーの弁当で
冷やし中華とか、冷やしラーメンとか、冷たい肉そばとか、
ざるそばとかばかり食べて乗り切ってしまう。爆

とはいえ、外食ばかりして暮らすには、仙台は微妙な土地
である。いや、お店自体はもはや、自分にとって東京以上に
充実している といっても過言ではない(というのも、山形系
のお店が多いからだ^^)問題は、わたしの住む台原という所
が、仙台中心部から離れた、「郊外の入口」である事にある。
ようするに、近くに、お店が・・・ない・・・のだ。

ゆえに、別に天気のいい日などはいいのだが、雨などの日
には、もうわざわざ中心部まで出かけていかず、暑くても
たまにはメシを炊く という事もある訳である。

しかしながら、この、適度に不便 なところって、割と大事な
事なんじゃないか などとも思うのである。
そのむかし、東京の高円寺という超住宅密集商店街に住んで
いたのだが、ここはもう、アパートを出るとすぐのところに安い
ラーメン屋・定食屋が並び立っていたのでもはや一年中自炊
する必要もなく毎日外食三昧なんて時期もあった。
ところが、やはりこの、自分でメシすら炊かない という暮らし
ぶりが、若者を廃人にするのである。
これが俗にいう?中央線の呪い のひとつなのだ ぉぃぉぃ


  


Posted by げん at 19:08Comments(0)えみし普通の日記

2017年06月09日

6月も、大掃除


大掃除は、続いている。
しかし、夏がいいかげん、近づいている。
エアコンのない、この部屋で 夏の大掃除・・・・・・・・
考えるだけで、イヤになってしまうわけで
そこで、ひとよんで『ひとつかみ片付け大作戦』を決行
とにかく、仕事の日でも、帰ってきたあとでも
ひとつかみ分、どこかに手をつける事
とりあえず、新しい扇風機と、新しい本棚を
それぞれひとつ置くスペースを作る。それ目標。
なにか部屋に入れるスピードより、出すスピードを
上げていく事。部屋を中心に暮らす事を忘れず
いつでも部屋のゴミの事を考えゴミ出しを意識の外に
置かず、常に念頭に置き・・・ってどんだけゴミ屋敷だ

今回、2013年から書き始めて、ネット上の新聞に毎月
連載させてもらっている「小説のようなもの」を一応、
完結という形にもっていく事ができた。
実は、小説を書いてる みたいな事は、この3年間
ほとんど人に話さないで貫き通してきた。
いや、ホントのところは、まだ全然終わっていなくて
これからまだ書いていかないといけないのだが、
一段落というか、節目とはいえるところまではきたので、
そろそろ何かしら、少し語ってもいいのじゃないか?と
考える事もあるのである。

なぜ、今まで人に話さないできたか、というと まあ
いろいろあって、まず

@小説をほんとうに書いていると、人に話せなくなる

というのが、一番大きい。実のところ、20代の頃の自分は
「俺はマンガを描いてる」「俺は映画を撮ってる」といいながら
ろくな事をしていなかった。ポーズのようなもので、カッコだけ
つけているというか、ようするに「夢見ていた」だけだった。
いずれも確かに好きな分野で、華やかな外面があるから、
憧れていた。好きだから才能もあるはずだと、信じたかった。

ところが、小説というのは決して好きな分野ではないし、
才能は正直、一番ないと今でも思っている。
(皮肉にも、才能が最もない と思っている小説と音楽
 だけ、いまでもやってる。どうしてだ)
ふつう、小説を目指す人は 本屋に自分の本が平積み
されている図を夢見るそうなのだが、わたしにはそういう
憧れや夢が、一切ない。つまり、むかしの自分からは
想像もつかない事なのだが、いまの自分には「夢」という
ものがない。一種の失望の果てに、書いているとさえ、
言えるのである。

そんなんで、なぜ書いているのか という話はまた後々に
するとして、なぜ書いてると人に話せなくなるか というと
小説というのは、内に、内に、こもっていく行為だから、と
いうのがまずある。実はこれ、わたしのもともとの気質なの
で、そもそも小説は自分に合っている、といえなくもないのだが、
映画を目指していた頃は協調性が大事だというので割りと
外向的だった(笑)のに、小説に転じた途端、孤独癖がぶり
返して最近はいわゆるコミュ症みたいなまでに内向的に
戻ってしまっている。
あと、やはり本気で書きたい事を書いていると、逆に自分の
才能のなさ、というか限界が見えてくる。自信喪失、自分が
書いているものなんてろくなもんじゃない、という意識が常に
あるので、すすんで人に話すなんて気分でもない訳である。

だから、そんなんでなぜ書いているのか という話になるの
だが(爆)まあそれはまた次回 (おいおい
  


Posted by げん at 03:51Comments(0)えみし普通の日記