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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

2010年12月20日

けると の国


かなり前の記事のようですが、ふと覗いたサイトより勝手に一部抜粋
させていただきたく
「独立しそうでしないスコットランド」
http://www.tanakanews.com/990524scotland.htm

(前略) またもう一つ、イギリスで起きている変化として、公共放送
であるBBCが、スコットランドやウェールズ人を指すときに「イギリス
人」(British)と呼ばず、「スコットランド人」「ウェールズ人」と呼ぶよう
にする、と決めたことがある。スコットランド人などは、「イギリス人」と
して、イングランド人とひと括りにされることを嫌がるから、というのが
理由だ。
(中略)
こうしたBBCの決定に対して、新聞のタイムス紙は、
「われわれは自分の国の名前を呼ぶことも、許されなくなってしまったのか」
と主張する見出しをつけた社説を載せ、「イギリス」(Britain)や「イギ
リス人」という名称は、正式なものとして認められつづけるべきだ、とい
う論陣を張った。

 「イギリス」という存在そのもののアイデンティティをめぐる議論にまで、
発展しているのである。そのうち日本語の呼び方も、「イギリス人」という
のは使えなくなり、「イングランド人」「ウェールズ人」などと呼ばねばなら
なくなるかもしれない。

(抜粋 おわり)


・・・わたしなんかは、もう既に「イギリス」という呼び方に抵抗ある訳で
すが
(ただ海外で行った国はどこか、と聞かれた時は いちいち
 「スコットランド、イングランド、ウェールズ・・・」などと言うの
 は面倒だし嫌味っぽい 爆 ので「イギリスとアイルランド」
 って言ってしまいますが)

まあ、わたしが

『「日本人」と一括りにされたくない まずは東北人なのだ!』

と主張するようなものですな スコットランドとは違って、すごい
少数派だとは思いますが・・・・・どうなの? 笑


 



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Posted by げん at 11:54│Comments(3)えみしの国
この記事へのコメント
個人的にブリテンはありだと思うけど「イギリス」はなしだと……。スコットランドが辺縁ではなくイングランドと対等に連合王国の一翼を担ってるなら、誇りを持ってブリティッシュと言えば良い、と思います。一方日本語の「イギリス」は本気で改めた方がいい。

まあ、ケルトの末裔でもあるイングランド人の土地が征服者の一派にすぎないアングル族の名を冠しているのも不当と言えば不当なのではないでしょうか?歴史的にイングランド人があくどい手を使いながら主導してきたことに対するわだかまりもあるのでしょうが、大陸から来たアングロ=サクソンよりもアイルランドから来たスコット族よりも昔からあの島に住んでいたブリテン人に因んだ名前で島の住民を呼ぶのはそれほど間違っていないと思うのです。この話題ではタイムズ支持かな。

東北地方はイングランドから見たらコーンウォールやヨークシャーみたいな、個性は強いけどアイデンティティの異なる存在ではない、というのが大方の見方かと。歴史的に蝦夷が全体としての政治的なまとまりを持ってなかったのは大きいのかも。東北人のアイデンティティというのも、独立国家を指向するというよりは本来的に周縁性と切り離せないものであるように思えます。だからこそ、中央からの眼差しに対して挑み、問いかけるような資質が生まれてくるんじゃないかな。

個人的には、アイルランドに憧れを持ちつつも、民族主義の政治的な部分には魅力を感じません。ある時代においてそれはしかたのないことだったのかもしれないけども、あくまでも「反動」にすぎなかった。アイデンティティに強引な分割線を引く思想は、最終的にそのなかで再び排除される者を生み出してしまうということは自明です。私らは血筋と土地の歴史を背負って生きますが、ナントカ民族として生まれてくるわけではない。よっぽど中央が暴力的に周縁を排除してくるわけでないのなら、なるべく静かに、創造的に、自らのルーツに向き合うべきだという考えがあります。

興味ある話題なんで長くなってしまいました……。
Posted by 村田 at 2010年12月21日 00:00
おお村田さん、熱いコメントありがとうござい
ます!こうした話題は是非とも酒酌み交わし
ながら といきたいところ。小さなコメント欄
ではもどかしい限りです・・・

東北がコーンウォールやヨークシャーという
のは、個人的にはちょっとふさわしくないなと
思います。コーンウォールを日本の地方に
重ねるなら、熊襲や隼人の南九州、王朝の
あったと言われる出雲かな 一時期勢力が
あっても、のちはほとんど帝国の脅威となら
なかったところで共通しているかと

それに対し、東北は政治的まとまりがなか
ったと言うけれど平泉や奥羽越同盟など、
結果はともかくとして時代を超えて「何をし
でかすかわからぬ地域」という脅威であり
続けたわけですから、単なる周縁性や強い
個性ではすまない部分が大きいと思うので
す。

因みに、わたしは非常にしばしば「えみし」と
いうアイデンティティを持ち出しますが(笑)
これは決して民族主義、他者を排除しようと
いう概念ではありません。
東北には既に縄文時代、西南からの移民が
押し寄せていたので大和と別民族という事は
ありえない にもかかわらず、東北に移って
きた人々は次世代の「えみし」と呼ばれ続け
た訳です。中央から見れば、あまりに遠いの
で得体が知れない、という強い周縁意識も
あったのでしょうが、わたしは東北の風土が
人を「えみし」に育てる!と思ってるフシがあ
るのです(爆
中央とは違う「日本人の生き方」がここでは
編み出せるのではないか?と いつも思い
ます。だから、東京はじめ日本中から人が
移住してきてほしいし、外国人もどんどん
住んでほしい、とさえ思っているのです

ちょっと夢想癖 理想郷マニアみたいになっ
てしまいまして・・・東北にはこういう人間、
生まれやすいのかな まあ近々あらためて
Posted by げん at 2010年12月22日 22:36
突然の長文でしたが、丁寧な返答頂きありがとうございます。酒飲みながらだと、もっとしどろもどろになるかな……。

コーンウォールやヨークシャーというのは、イングランド南東部から見たそれが、あくまで東国人に対する東北に近いんじゃないかってことですね。畿内人はともかく、東国人は東北を本質的に内なるものとして考えているんじゃないかな。
蝦夷概念は畿内勢力が「他者」として作り上げたものを、現代の我々が見ているに過ぎないという点があります。実際古代の北東北には北方からの文化の流れがあり、気候風土に特徴づけられた文化がありました。ただし、とうの蝦夷たちにとって東北地方の住民を一括してひとつの「民族」と考える概念は存在しなかったのではないのかと思います。
それゆえ、蝦夷という概念は畿内・東国の求心性の裏返しという面があると思います。それもそれで面白いんです。でも、東北人がそもそも何であったのかを探ろうとすれば、もっと複雑な話になる。
近頃、東北の風土というのは、むしろもっとひっそりと生きながらえてきたものなんじゃないかと思うようになりました。例えば、遠野盆地は一度も、東北地方の歴史の表舞台に躍り出たことのない地域であります。そんな地域が「東北」を強く感じさせるということが面白い。農民、山人、修験、巫女などの人たちが作り上げた風土が、いわゆる歴史と別次元に存在してるような気がします。
そういう意味で、「個」と土地の実存から出発する世界が、俯瞰的抽象的な歴史に対置して「東北的」に映るんじゃないかなと。東北の歴史は、そういう周縁性から出発して描き出すことができるんではないかと思います。東北地方、東北人という包括的な概念から出発するのでなしに。

ちょっと迷走しましたけど、考えていて面白い課題です。後戻りできなくなるというか、手がつけられなくなるというか。そういえば「パハヤチニカ」の新刊が出たようですよ。
Posted by 村田 at 2010年12月23日 00:38
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