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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

2011年03月19日

奥羽越東国復興記 Ⅲ


3月12日(土)
大地震の翌朝。早番(未明4時出勤)だったものはとりあえず
7:00時に出勤 という事だったが、とてもそんな状況ではない
大いに遅れ8:30頃、職場へ
しかし案の定、全く仕事にはならない。皆、呆然
従業員とその家族 ほとんどは無事だが、家を流された者、
避難所に入った者もいた。
廃墟のようになった職場のテーブルに皆腰掛け、話などする
一同。結局、何人かの差し入れ(水、缶ジュース)を皆で分けて
昼前に解散。また明日、朝10時に集まろう、という事になる。

わたしは独り、仙台の中心部へ自転車を漕いでいく。
庄内の家族に連絡したいがメールさえろくにつながらないため
(実は地震当時 すでに携帯のバッテリーが切れかけていた)
公衆電話をさがすも、どこも長蛇の列「穴場的」な電話はないか?

ちょっと遠く 五橋まで走り、Barm'sを確認に行く 閉まっていた。
この付近に、あまり列のできていない電話ボックス発見。
実家に電話できた。あらためて、ここは被災地 わたしは被災者
なのだ と思う
町はすでにどの食糧店も閉まっていて それなのにどの店の前
にもこれまた長蛇の列ができている。

定禅寺通りにさしかかる メディアテークの全体を覆うガラスは
一見したところ異常なしだが、立ち入り禁止になっている。
燃料アルコールが買えればと思っていた、ダルマ薬局は、どこも
閉店している。
家方向 北へ走り 星港夜に立ち寄る 何とドアは開いている
中へ入ると、オカピさんが厚着してイスで寝ている(笑
家に帰ってないのかと聞くと

「実家は富谷で、仙台では知人の家に居候状態なんで、
この店のほうにいる時間のほうが長いし居心地もいいんですよ」

この店、電気は停まっているが水、ガスは大丈夫なのだという
ガスはプロパンだから、というが 水は地下水か何かなのだろうか

「食糧、そこの学校とか、向こうの県庁とかで配給されてます」

などいろいろ情報もくれる。新聞TVの情報はあてにならず、
ほとんど客や近所の住人からの口コミらしい これぞ、カフェ。

食糧は、少なくとも明後日ぐらいまでは大丈夫・・のはずだが、
燃料アルコールも、電気もなければコメがあっても炊けなくなる。

一度店を出て、県庁の様子を見に行ってみる。
宮城県庁 初めて入る(仙台には県庁・市役所・区役所が併存する)
果たして、県庁内部は すさまじき大難民状態。
100人近い老若男女が、廊下という廊下に毛布をかぶり座り込んで
いる。ある部屋では、大画面TVに映し出される地震・津波そして
原子力発電所の事故の映像と情報に大勢で食い入っている。

携帯電話の充電がここでできる、とオカピさん情報だった
たしかに、コンセントというコンセントはタコ足状態で誰も彼も携帯の
充電に当てていて、隙がなさそうにも見える。やっとの事で炊事場?
にひとつ空きのコンセント発見 コードをつないだまま、起動。
メール、10数件入っていて一件一件、返信し追われる そこへ
「すいませ~ん、たこあし させてくれませんか?」
と、女の子二人組み 拡張用コンセントを持っていて、三人が充電
できるタコ足状態にす

このあと、星港夜に戻り、マスターと無事を喜びあい、一見ふつうに
珈琲を飲み、フィドルを弾かせてもらう。アパートに戻れば、電気も
水もない暗闇 この店での時間は当たり前のものではなく 一瞬の
夢まぼろしのようである


Posted by げん at 03:09│Comments(0)
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