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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

2011年04月12日

奥羽越東国復興記 Ⅷ


夢の レベル7 に到達した (とっくにしていた) らしい


あっ前に「悪」をつけ忘れた? いい 悪夢は聞き飽きた

皮肉ももう充分だ 腕を振り上げなければならない。

わたしが7,8年住んでうんざりしていた高円寺の街で
「反原発」のデモ行進があり、1万5千人が集まったという
これは山形新聞の記事 TVでの報道は抑圧されたか?

奥羽越東国復興記 Ⅷ


さすがは高円寺 というか 高円寺らしい というか
いろいろと群衆に迷惑したとか、非難もあるようだが
わたしも是非 その場にいたかった と思う。

こうした「反原発」の動きを見るたび
『いま福島の現場で戦っている人々がいるのに・・』
『騒ぐエネルギーがあるなら福島へ行け』
そんな声も聞こえてくるようだ。
確かに、日本人の最後の1人まで 福島の釜の冷却を
引継ぎ続けるハメになるかも知れない。おおげさだとしても
汚染に巻き込まれる世界中の人々にしてみれば
「全日本人が責任もって原発と心中するように」
と言いたいところだろう。 それはわかる
しかし今回のを止めたら、他は「今後気をつけて」でいいのか?
もしわたしが福島の釜の冷却に従事する事になっても、
わたしは作業しながら外へ叫び続けるだろう。

「とにかく反対運動を続けろ」 と。

わたしも実をいえば、もともとがある種 過激な人間だったり。
高円寺デモで思い出したが、かつてわたしは仙台で
なんと「単独デモ」を敢行した過去がある。
以前のブログの、最初の頃に書いていたのだが
あらためてその時の写真

奥羽越東国復興記 Ⅷ


奥羽越東国復興記 Ⅷ


2008年 仙台に移住して1年もたっていない頃の事だ。
「地下鉄東西線」建設に対し反対運動を続ける人々がおり
建設のための青葉通りのケヤキ並木伐採に対する反発も
その連動であった。

「自分の選んだこの街で、何が起こっているのか?」

俄然気になったわたしは東西線関連の裁判の傍聴にまで
通いつめ、建設推進側の論理が破綻していると結論するに
至った。
にもかかわらず、仙台市民オンブズマンの主張は取り下げられ
東西線建設は続行され、ケヤキ並木は伐採された。
反対派の人々に対し、わたしは不満を募らせていた

「もっと思い切った呼びかけをすればいいのに」

そこで、独りよがりではあろうが このような前衛芸術家気取り
なパフォーマンスを行った訳だった。
大きな白布を、今まさに切り倒されようとするケヤキの樹々に
巻きつけ、その場で大きな筆にて「怒りの形相」を描きこむ。
周囲の、通行人の目につくところに 様々な訴えかけのセリフ
を書きなぐった紙を貼り付けまくり、メガホンで吠えまくる。

もちろん、根が小心者のわたしの事 全くの独りでできた訳で
はない。反対運動をしていた方々2名にも手伝っていただいた

「こんなやり方が あるんですねえ!??!」

と彼らは驚嘆していたが(というか呆れてたかな)

結果は当然 なーんにもならなかった。
どんなに正しくても どんなに声をあげても
権力者どもの仕掛けと圧力には勝てないのだ
身をもって実感し、空しかった。
自分が選び、愛そうとしていた街でこのような事
になるのがどうしようもなく哀しかった。

高円寺の街に ネットの力で人々を集結させた
その吸引力 パワーが素晴らしい。
この力があれば、わたしにできなかった事が
彼らには果たせるかもしれない。

しかし、権力の図式は同じである。
どんなに反対しても 正論を叫んでも 権力者は
原子力発電所を建設してしまう。
これからは、本当に「敵」を打倒しなければ、何にも
ならない。

なぜ仙台での過去の活動について書いたかといえば
仙台は何かと今まで、
「恵まれすぎていて不満がなく 何かピリッとしない」
と言われ、そこに住む人々も
「俺たちが何かここで言ったりやったりしてもダメだ
 東京じゃなきゃダメだ」
と諦めきっていた
しかし、もう仙台は
決して安全でも、恵まれてもおらず 自然環境も人材も
今後危機的状況にさらされる恐れがある。
まさに、戦場なのだ。今は、もとどおりの生活を立て直す
事が最重要課題で 原発なんて、庶民がいくら騒いでも
どうにもならない事より できる事 やらねばならない事が
山ほどあるだろう。こちらからすれば、大規模デモも

「大勢で騒げる暇と体力のある大都会だからできる事」

だという見方もあるかも知れない。
だが 東京電力の 東北での原子炉建設を許したのは
我々 東北人だ。 こんなおかしな話なのに、正論すぎる
反対意見が、いくつも叫ばれていたのに 誰も阻止しては
くれなかった。
選択し 行動するのは東北人自身だ。
立ち上がるべき時には、今度こそ全東北人で
いや、新潟も絶対、入ってもらい 全奥羽越人で!爆
立ち上がりたい。
仙台こそは、その人々が集結する 巨大な公園のはずである。





Posted by げん at 14:25│Comments(0)
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