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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

2012年11月03日

日記より 遠野・岩手行き 3


日記より 遠野・岩手行き 3

境内の石階段の上には、おじいさんが一人、腰掛けていた。
ハッピを着ていて、祭の役員さんなのかも知れなかった。
「そのハト、どうした?」(東京ことばに翻訳しています)
事情を話すと、
「ならば、こうこうすれば良い」(東京ことばに・・以下略)
と、鳥の世話の仕方を教えて下さるが
「実は私、旅の途中でして・・・」
と、奥羽越現像 言い訳。
「そうか、ではこの町のしかるべき所に連れていこう」
おじいさんは、私の手からハトを受け取り、石階段を下りて
社務所に消えていかれたのだった・・・

という、顛末である(笑)それだけかいっ
その後の、ハトの消息は、わからない。生きていれば、
「仙台育ちの都会ハトの俺が、何故、岩手の田舎に・・・」
と、困惑しているだろう。すまぬ、ハト。
しかし、もし私がバルⅡでなく新幹線なり鈍行なりで岩手を
目指していたら間違いなくこのハト、都会の藻屑と消えてい
た。神に愛され遠野に呼ばれたのだお前は、と言ってやりた
い・・・というか、そうやって自分を正当化したい(爆)

さて、八幡宮さんの行事が一通り終わっていて、岩谷さんも
私も鳥居をくぐって、町へ戻る。昨年まで遠野に住み働いて
いた我らが笛奏者・村田君 今回みんなで泊まる宿「福山荘」
に先に着いて、メールをくれていた。
「いま、どこですか?宿までご案内しますよ」

福山荘は、遠野の町の中でも、とても古い建築を保つ旅館の
ひとつ。実は過去、わたしは一度ひとりで宿泊した事がある。
なんと初めて、冬の遠野に来た昨年2011年。3月の事だ。
そう・・・あの、大震災の一週間ほど、前の事だった。
あの時は、TRAD夫妻やTOSHIさんも加えたみんなで、花巻で
セッションしたり小岩井農場や、ひみつの?りんごのお店で
楽しんだ後で、わたしは初めて、「ただゆっくり一泊するた
めだけに」遠野に立ち寄ったのだった(なんたる贅沢!)
やはり、当時遠野在住の、村田君に紹介してもらった宿だっ
た。
しかし、その素晴らしい一泊の記憶は、帰仙一週間後の、大
震災で吹き飛んでしまった感がずっとあったのである。
今回は、たまたま福山荘になったのだが、是非とも思い出リ
ベンジ?という事でいってみたい。
しかし、このお宿、まつりのパレードのある街なかのど真ん
中にあり、ものすごい人(注:遠野比)でバルⅡが入ってい
くのはなかなか大変でした。

ところで、TOSHIさんは今回、ある事情で夕方の到着となる。
それにしてもTOSHIさん、村田君、そして岩谷さんがまた今年
も、遠野まつりで結集してくれて、わたしは感無量だ。
今年はそれに加えて、わたしも参加する‘東北の新聞’の創
刊者である砂越さんも、わたしの話を聞いて、興味を持たれた
らしく、新聞の取材で訪れるという。
(注:砂越さん そしてわたしの遠野関連の記事はこちらで
 読めます 笑 http://tohoku-fukko.jp/
 第5号です。なにとぞ宜しく)
しかしなにやら電話でTOSHIさん、わたしのハトのエピソー
ドを聞いて驚いた事があったらしい。なんでも、彼もハト関
連で今回の事を予知するようなある出来事があったとか・・・

つづく

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