2015年03月17日
春の芽たらの芽 随想の雑炊
3月はじめに、ふたごの姉の結婚披露宴があり、
庄内に帰省していた。
今年に入って、結婚記念に何を贈ろうかとか、
余興に頼まれたフィドルの曲をどうしようかとか、
ずっと考えながら過ごした。小説はきっちり書き、
アルバイトも入れるだけ入ってはいたが、その他
の事はとんと無頓着。ネット上に関していえば、
Facebookはここ一ヶ月以上覗いてさえいないし、
ブログもほとんど更新していない。
本なんかも、何冊か面白いものを見つけたりも
しているが、ブログで紹介などする気もゼロ(笑)
結婚披露宴を含めて、それを前後して一族の
集まった姿とか、愛する姪っ子が冬の砂浜を走る
姿とか、素敵な動画もずいぶん撮ったのだが、
まったく、発信しようというつもりはない。(まあ、
そんなの他人に公開するもんじゃないが・・って
やってらっしゃる方ごめんなさい!!)
しかし誰もが、時には何らかの「発信」をしないと
息がつまりそうになるのも確かかも知れない。
小説のマネごとなんぞしていると、つくづく内向き
になる ネタの出し惜しみをする癖がつくというか
(笑)これは書くほどの事じゃないんじゃないか
とか・・よくも悪くも発信ネタを厳選するようになる。
まあしかし今日はくだらん随想でも書いてみよう
・・・勢いがついてちょっとでも面白くなれば
最近、ネット上の動画でYeYe(橋口なつこ)という
歌い手さんを知る。
https://www.youtube.com/watch?v=dQC5DExiSlw
どうにも気になる雰囲気を持っていて、見ていくと
京都在住で大阪・神戸も又にかけて活動中のよう
である。考えてみると、わたしは過去何度も関西
在住アーティストのファンになった事がある。仙台
にも意外と在住アーティストはいるのだが、関西の
音楽的土壌の強さ、豊かさは羨ましいところだ。
彼女は京都の隣・滋賀県の出身で都会に出て
きたといってもすぐ帰れる訳である。その辺りは
東北他県から仙台へ出てきた人間と状況は似て
いるが、彼女のゆったりしているのに妙に洗練さ
れているところ つまり地方色を持ったまま近くの
都市で表現し発信できる事の精神的・肉体的余
裕、を感じる事ができる その強みを仙台のわた
くしどもも忘れずにいたいものだ・・・などと思った。
それと先日、NHK仙台の朝のニュース取材で、
我が郷・庄内の山間部、大鳥地区で首都圏から
移り住んだ若者がいくつもの「仕事」を自ら作り出
して奮闘している様子が紹介されて軽からざる衝
撃を受けた。
http://ootoritakitarou.info/
彼は母方が山形出身。もとは大学時代に大手
企業などへの就職に疑問を持ち、アジアなど
海外に活路を見出そうとしていたが、関西や岡
山にて地方での生活と地域活性化活動に目覚
め、縁あって庄内の「地域おこし協力隊」の一員
となった。
しかしそれだけでの生活は厳しいという事で、雪
下ろしやマタギなど地域で考えられる様々な
「生業」を仕事にしてまさにバイタリティ溢れる生活
を実践している。
東京から仙台に移住するだけでも大変だ、庄内
なんか仕事なくてとてもとても、と言っていた自分
は全く、ポカンである。
いつの時代でもそうだろうが、えらい若者という
のはいるものだ。
そういえば、いつだったかここでも紹介した
『いとみち③』
という小説も、青森の少女が東京の大学を目指
していたが、仙台に目標とぴったりあった大学を
見つけ進路に定めるという話だった。
いまどきの若もんはしっかりしとるなーと、
フィクションながらやはりこれが真っ当な東北の
若者だろうなと思ったのだった。
わたしなどはとにかく東京へ出たいがために、
ただただミーハーな感覚で大学を目指していた。
結果、受験は失敗していい気味なのだが、結局
大学なんてどうでもよかった事は、それでも東京
へ出たあと、全く大学の事は忘れてしまった事実
からも明らかである。
わたしはこういう、どうしようもない若者であった。
結果は、20代前半を迷走したまま終わる事になる。
こういう馬鹿は、30代まで混迷を極めて40代に
ようやく人生の本筋に入ったりするのである。
Posted by げん at 16:36│Comments(0)
│えみし普通の日記