2015年10月11日
シネマライズ 閉館 その3
秋の大掃除を始めました・・
水が冷たくならないうちにね。
さておき
そう、90年代の自主制作映画野郎たちにとって、
「フィルムで撮るか?ビデオで撮るか?」
は結構、葛藤するところだった。特に95年までは、
8ミリフィルム映画の機材はまだ豊富に中古店に
出回っていて、富士フィルムはがんばってフィルム
を生産し続けてくれていた。当時のビデオ媒体である
8ミリビデオ、Hi8の編集技術・画質では、とても映画
を作っている、というレベルの満足感は得られず、
ましてや世界の映画製作自体、フィルムで行われて
いたのだから、その葛藤は当然のものであった。
ところが、わたしがシネマライズに勤め始めた頃、
かの革新的な「デジタルビデオカメラ」が発売された。
パソコンで編集でき劣化しない圧倒的な高画質。
瞬く間に自主制作の現場からフィルムは淘汰されて
いったが、この時は、よもやハリウッドの映画製作の
現場までがフィルムを廃棄しデジタルビデオへ乗り
換える事になろうとは、想像すらできなかった
(というか、したくなかった)
ハリウッドまでがビデオで映画を撮り始めた事が
何を意味するかというと、つまり世界中の映画館
から、フィルムの映写機が撤去される という事
である。
映画2時間分のフィルムというのは、大の男が息を
切らせて階段昇るくらい、けっこう重いもの。
これの運送費用も相当のものだし、映写機は常に
動かしていないとダメになってしまう精密機械である。
結局、全てにおいて費用のかかるフィルム機材を
廃し、ディスクを入れるだけのデッキと投影機だけ
に置き換える、という作業が、世界中大小全ての
劇場に課せられる事になった。
一見、これなら映画産業・興行としては問題なく、
維持していけそうに思えるが、問題はそうした
設備面の移行作業が、劇場側の負担で行われた
事である。もちろんシネコンのような大資本の所なら
いいだろうが、ミニシアターなど、決して潤っている所
ばかりでないのに、莫大な出費を強いられた。
そしてシネマライズも例に洩れず、わたしもさんざん
動かした映写機を撤去して完全デジタル化を完了。
ところが、そうした結果が、わずか数年後の、閉館
である。
先年のカンヌ国際映画祭で、フィルム上映された映画
は、何と特別上映されたQ・タランティーノ監督の
『パルプフィクション』のみだった。監督は壇上で言った。
「我々は敗北した。映画は死んだも同然だ。」と。
http://news.livedoor.com/article/detail/8869895/
一般の人の多くは、いまひとつ実感できないかも知れ
ないが、例えば20世紀初頭から連綿と作り続けられ
遺されてきたフィルム作品のほぼ全てが、本来の
フィルムでは観られない という事実を考えてもらえれ
ば、その重大さが少しわかっていただけるのではないか
と思う。絵画でいえば、世界の名画のオリジナルが全て
焼失して、画集やネット上でしか見れない、という状況
と同じである。つまり、人類の遺産の喪失 という事だ。
ともあれ、映画は続いていくだろう。
けれども、シネマライズ閉館に対し寄せられた声の中に
「観せる側にも観る側にも、かつての熱気が感じられない」
とあって、映画のひとつの時代の終焉を認めると同時に、
先立って映画を捨て文学に走ったような自分を振り返っ
たりもするのだった。
・・やっぱり、ブログ書くって いいもんだな。