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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

2015年11月24日

なぜ俺は東北復興を標榜する新聞に小説(のようなもの)を書くのか


失礼いたした。

いま、季節労働従事中で、あまり休みがないのである。
文章作成の仕事はほとんど手がつけられず、毎月の
小説(のようなもの)連載も、2日しめきりを伸ばさせて
もらうていたらく。Fiddleも週に一度しか弾けない。

今日、毎年恒例のケヤキ並木大電飾が始まった。
(写真撮ろうと思ったが、携帯シャメ機能?がいかれた
 かもしんない)
また、今日は仙台に新しい地下鉄が開通した
(わたしはまだ地上駅入口しか見ていない)

都市・仙台は確かに、動いている。
岩手県遠野での辛い村政生活から逃れて当時昭和初期
の隣県仙台に移住した佐々木喜善は

「ああ、都会は美しい」
「都会の夜は、魅惑的である」

と、日記に書き残している。
わたしは、昼となく夜となく、仙台の街を歩いていると
喜善のこの言葉を思い出す。

東京にいた頃は「都会は美しい」と思った事がない。
決して、仙台は美しくて東京が醜いという意味ではなく、
都会を美しく感じるには、外の山河が意識されなければ
ならない、と感覚的にわかるからだと思う。

つまり、外の山河、自然が圧倒的であるからこそ、都市
の輝きが際立つ。活気があると、さらに良いけれど、街
が大きすぎると逆にいけない。
という事は、小さすぎる鶴岡でも、大きすぎる東京でも
「都会は美しい」と感じるには問題があるのだ。

だから本当をいうと、わたしにとっては仙台よりも、盛岡
の方が「美しさを感じられる都会」として勝っている。
外の自然が、よりダイレクトに感じられながら、活気の
ある街だからだろう。

喜善は岩手県人なのに、県都・盛岡ではなく隣県の仙台
を選んだ。
もしかすると、昭和初期はまだ盛岡は、現在の鶴岡くらい
の規模で、仙台がまだ盛岡ぐらいの感じだったのかも知れ
ない。

さて、わたしがここ2年半ほど、『東北復興』と名打つインタ
ーネット上の新聞に連載しているのが、この佐々木喜善
にもご登場いただいている小説(のようなもの)である。

佐々木喜善、宮澤賢治のほか、青森の石版画家・今純三
や仙台の詩人・石川善助といった実在の東北人たちが登
場する。
物語はまさに喜善が仙台への移住を考え始めた昭和三年、
当時まさに開催されていた産業博覧会を観に集まった
彼らが、なんと七百年前の、まだ仙台が建設されていない
ほとんど原野だった時代の宮城野へ「時間的跳躍」してし
まう、というもの。時まさしく平泉藤原氏を滅ぼすため源頼朝
が20万人以上の大軍勢でここ宮城野を通過せんとするその
前日であった・・・とさ。

本来は、2011年の大災害からの地域の復興を見つめ
また地域とともに歩むというれえぞんでえとるを持って
いる新聞。創刊者も、また寄稿者も、現実のいまの被
災地を取材し、またテーマにして執筆を続けている。
わたしも創刊当初、一年間は自分なりの現実のテーマ
でエッセイ的な記事を書かせていただいていたが、
「新聞といえば連載小説とか漫画でしょう」
とか自ら言い出して、創刊2年目に入った頃合に、たまに
こんな企画も、といったノリで(だったと思う)書き始めて、
かれこれなかなか終わらず2年以上経過(爆)という状態。

果たして、「東北復興」というテーマにわたしの
小説(のようなもの)は指向が一致しているのか?

つづく








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