2015年12月23日
珈琲は切らしても紅茶は切らすな
実はもう随分な日数、豆を挽いて珈琲を飲んでいない。
ここしばらく、まあ勤め人としては普通だと思うが
朝はやい出勤が連日続いたもので、朝めしをゆっくり
とる、という事ができない。じゃあ早く起きればいいだろ
と思うが、それもなかなかできない。
結局、大慌ての朝めしカッコミになるか、出勤しながら
コッペパンをかじったりする事になる。
かろうじて家でカッコミできるなら、冬の飲み物は紅茶
になる。優雅に思えるが、極めて手軽なティーバッグだ。
日東やリプトンではなかなか満足いかず、最低でも
とわいにんぐ である 笑 個人的にはアイリッシュや
スコティッシュ といきたいところだが、手軽に入手という
訳にはいかないし、あいにくちょっと濃すぎるのが多い。
カップ一杯にバッグ一個でちょうどいい濃さで出るのが、
とわいにんぐ なのだ。そのあたりは、さすが洗練された
イングリッシュ と認めざるを得ないかも知れない。
わたしの紅茶好き歴は小学生ぐらいからで、珈琲より
断然、長い。要はケーキなど、洋菓子に合うからで、
珈琲だとドーナツとかバタークッキーとか、あぶらの
強い菓子ならば合うが、合う菓子のバリエーションの
多さは到底、紅茶にかなわない。
いまでも、森永マリービスケットやブルボンバウムロール
などと一緒に飲んで(笑)仕事の疲れを癒している具合。
また、珈琲と違って体調の良し悪しで身体が受け付けない、
という事もあまりない。
喫茶店に通うようになってから、珈琲という飲み物の面白さ、
奥深さに惹かれたが、紅茶専門喫茶店という存在を知って
外で飲む紅茶も見直してきた。
英国やアイルランドは言うまでもなく紅茶飲み国、
アメリカやフランスは古くからの珈琲飲み国である。
血縁的には英国なアメリカで何故紅茶がポピュラーでないか
というと、どうも反英の歴史からのようだ。
なんとももったいない。
しかし、日本のように紅茶も珈琲も同じように定着している国
も珍しいようだ。
日本では紅茶はまだ優雅、というか英国的、というイメージが
残っている気がするが、珈琲がアメリカ的とか、フランス的とか
感じている人はほとんどいないのではないだろうか。
珈琲は、まったく独自に、日本が自分のものにしてしまった。
日本で発達した珈琲文化の素晴らしさに影響されて、アメリカ
西海岸地域などで「サードウェーブ」なる喫茶革命が起きてい
るほどである。その日本では全国的にスターバックスが席巻
して、昔ながらの喫茶店の脅威となっているが、わが岩手・
盛岡ではこのスタバがなかなか定着しない。というのも、盛岡
が強靭なる古くからの喫茶店文化を保持しているからではない
か、とわたしなどは思っているのだが。
(おれは、スタバは人が多すぎるのでまず行かない
ミスドやどとーるは時々行くけど 爆)
一気に、ばばーっと書いてみた。
なぜこんな、ばばーっと書けたかといえば、たぶん、紅茶を
飲んでいたからだ。
喫茶店といえば議論とかおしゃべりだが(席向かい合って、
ふたりともスマホいじってる変な連中がすごく多いけれど)
人間の脳の、会話・議論を司る部分を活性化させるのは、
珈琲よりも実は紅茶の方らしい・・・と何かTVで観た。
Posted by げん at 20:49│Comments(0)
│えみし普通の日記