「六魂祭」と東北の未来について 2

げん

2012年06月01日 11:41


昨年末から、ネット上で意見交換していた「東北好き」
4人が集まって議論する『とにかく東北を語る会(仮)』
を始めたのだけど、そこで言われていたのが

「政治的に東北がひとつになるのは困難だが、
 民間レベルでは既にそういう意識は進んでいる」

という事。この六魂祭も、その表れ と見られる。
しかし、「東北がひとつになる」とはどういう事なのか。

歴史的にみれば12世紀の平泉藤原氏の時代
そして「幕末」奥羽越列藩同盟の時代
史上の大きな転換期に、東北は行政的に「中央」からの
離脱、自立を求めて実際に動き、戦ってきた。
東北とは、歴史的に「ひとつにまとまる」可能性を秘めた
日本でも独特の土地柄なのである。決して、九州でも四国
でも、関東でもそのような事はなかったのだ。

時代は再び、そのような転換期に来た とわたしたちは語
っている。決して、仲間内だけの妄想ではない と確信し
ているのである。
しかし、人々が望まぬ「中央からの離脱・自立」はあくま
でも、妄想である。一体、東北にこれから必要な「自立」
とは、どのような形であるべきなのか。どうすれば、これ
から東北で生きていく人々のためになるのだろうか。

まず言いたいのは、「東北だけの自立」ではない という
事だ。東北は、他地方を拒絶する訳ではない。むしろ、
自立した連合体の一員同士として日本を形成していく仲間
である。よって、東北は自立に向かって動きながらも、
九州や四国にもそれぞれの自立、新編成を促していくのだ。

本当の連携とは、それぞれの「自我」を確立してはじめて
成り立つものだ。
それはわたしが音楽を続けるうえでも実感してきた事で、
まず自分がやりたい事を理屈抜きでやり続ける事が大事。
そしてはじめて、他の演奏者とのぶつかり合いが生まれ、
本当の畏敬、尊敬の念が生まれる。
今まで、地方は中央のいいなりで、ただ指示を待ち、流れ
てくるものを待っていた。そして奪われるまま奪われてい
た。個、自我を失い 結局、他地方との連携などという事
も考えられなくなってしまったのだ。

わたしは創刊されるタブロイド紙に、スコットランドと東
北の比較論のようなものを書かせていただいた。
イギリス(大英帝国)もまた征服した「地方」を搾取して
きたが、スコットランド、ウェールズは近年独自の「議会」
を復活させて、今まで「中央」に奪われていた行政の権限
の多くを取り戻している。いわば、東北の中に独自の「国
会」を持つようなものだ。完全独立ではないが、これは今
後の日本の各地方の道筋への大きなヒント、道標になるの
ではないか わたしはそう思ってきたのである。

大きな障害、壁はたちはだかるだろう。
これを読んで、あなたはわたしを批判する その一言一言
が、その障害であり、壁である。
わたしたちの『とにかく東北を語る会(仮)』はしかし、
そういうあなたの参加を、待っているのだ。

それはさておき、祭である 笑


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