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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

2017年04月29日

4月28日(金)


今日は洗濯のため、山を降りる(いや、せいぜい丘だが)
麓?の街・宮町あるいは小田原の、コインランドリーへ。

ところが、一昨日から自転車の前タイヤがいよいよ老朽して
この春一番のCUB・バルⅡ駆り出しを行う事になった。
年明けから、4ヶ月もかけていなかったエンジンが、やはり
一発でかかった・・・相変わらず、驚異的なマシンだ。
(つーか、やっぱりかわいそうな事してるよな・・)

その勢いで、泉区方面や青葉山まで走ってきたいところ
だったが、今日は自転車を修理に出しにいかねばならない。

自転車もCUBも、上杉にあるハヤサカサイクルまで持っていく
事にしている。ここは、仕事が速くて、間違いもない。
前タイヤ・チューブともに交換で、しめて5000円也。
預けていくつもりだったが、10分かそこらで仕上げてしまった。

帰りは、久々に東北大学農学部前(って、もう言えなくなるん
だな・・・)の純連で、みそラーメンを。ここも、アルバイト不足で
一時は営業時間短縮に追い込まれていたが、最近は何人も
バイトさんが来ているのがわかる。今日の一杯は、特に完成度
が高く感じた。今や本州唯一の支店純連・・がんばってほしい
の一言です!

本日の大そうじは・・あれっ忙しすぎて忘れたわ(おい)



  


Posted by げん at 01:43Comments(0)えみし普通の日記

2017年04月28日

4月27日(木)




大そうじ は少しだけ。どこが大そうじだ・・・
年末など、冬にしないのは掃除に水では耐えられず、
ガス代がかかってしまうからだ。またうちのアパートは
プロパンで、これがやたらと高価いときたもんだ。
水が普通に使える季節になると、ああ~長い冬だった、
と感激してしまう。仙台だと、5ヶ月は冬なのだから。
今日は、ビンやカンを出す日だったが、出しそびれた。

ここしばらくは労働日が続いていて、先日も青森県むつ市
から同じ県内でも津軽方面の五所川原市へと泊まり歩い
ていた。せっかくの、弘前公園の桜の見頃に重なっていた
のだが、観ることはできなかった。
この月末は久々に数日空くのだが、旅に出たりはせず
いつもの原稿書きに集中したいと思っている・・・
とはいえ、ふつうの仙台ぐらしも、いくらか楽しみたい。

今夜は、映画を観る。やはりSFで『パッセンジャー』
駅前のTOHOシネマでレイトショー、しかも今日が最終上映
だという!開館以来、わたしはここでスターウォーズ新作
2本に『シンゴジラ』と観てきたが、今のところここでハズレ
だった事は一度もない。今回のチョイスも見事アタリで、
素晴らしい作品だった。
人類が移住可能な惑星めざして、五千人が人口冬眠状態
で120年の旅をしている、という設定。けっこう昔からSF好き
の想像を駆り立てていた古いテーマでもあるが、近年は
本当に地球に酷似した惑星が発見されるなど、ここにきて
にわかに現実味を帯びてきた?というところなのか。

それにしても、もはや特撮というかCGというか、何度か書い
てると思うが技術がくるところまできていて、もう何というか、
文句のつけようがない。冒頭の、巨大宇宙船のデザインや
構造にも唸らされ、一気に引き込まれた。

俳優陣では、まあ主だったのは4人しか出ていないのだが、
特にジェニファー・ローレンスが魅力的で参りました 笑 
米オザーク高原に住むスコットランド系移民の子孫を演じた
『ウィンターズ・ボーン』で見て以来、いまアメリカでは一番
好きな女優さんかな・・とにかく今回、喜怒哀楽の表情変化
がそのハスキーボイスと相まって強烈に印象的だった。

それに対して主人公の青年を演じたクリス・プラット・・・先日
フォーラムで観た西部劇『マグニフィセント・セブン』の主役格
を演じていたのだが、ハンサムだけどなんというか、無個性。
ベン・アフレックとか、『ターミネーター4』『アバター』と立て続け
に出たサム・ワーシントンとか、ハリウッドってこういう2,3本
立て続けに出て消えてしまうイケメンが多いですよね?

あと、クライマックスの方でローレンス・フィッシュバーンが
ビックリ登場?!するのだけど随分太って貫禄ついたなあ・・
『イベント・ホライズン』『マトリックス』に出てた頃のスマートさ
からは想像できないくらい。でもこれも好きな俳優だな。

話としては、んなあほな的なツッコミ所もあるんだろうけれど、
出会いとか、人生というものについて帰り道ずっと考えさせる
くらい、こちらの心を動かし支配した秀作でありましたよ。



  


Posted by げん at 01:39Comments(0)えみし普通の日記

2017年04月27日

あらたな10年のために?




北方謙三の戦乱小説と平行して、これも読んでいる。
もちろん、昔から知っていたが、ふと読んでみたくなって、
衝動的に買ってしまった
(いまどき文庫でも300円台で買えるものはそうない)
主人公は作者の自画像的な50代の遊廓好きの男だが
なんとなく自分も重ねて共感すらできるのはわたし自身が
その老境に近づいてきた証なのか・・・

舞台は昭和初期の東京。関東大震災後の、それ以前の
旧き東京の風景・民俗が失われつつある時代。
この頃はもちろん、新宿や渋谷まして高円寺だの吉祥寺だの、
成城学園だの自由が丘だの存在していたのかもわからない、
東京といえば北は千住、南は品川、西はせいぜい四谷あたり
までしかなかったような状態・・・ではないかな。
ようするに現在の仙台市全域ぐらいの規模で、移動感覚も
かなりいまの地方都市に近い感じなので、この時代の東京は
非常に親近感を以って捉える事ができる。

ところで、この4月末でわたしの仙台生活も10周年を終えて
11年目に入ったところになります。この10年、ずっと都市生活
とは何か ここから自分は再び巨大都市に戻るのか、それとも
より小都市、あるいは町ですらない場所へ移っていくのか を
考えてきました。ともかくも、今年はなにかと重要ですので
いろいろ引き締めてやっていきたいと思っています。

まず、部屋を片付けて(爆)10年前のまっさらな状態に、できるだけ
リセットして始め直したい、と思います(すでに無理そうですが)
ちょっと、この部屋そうじ日記だけでも毎日に近い感じで続けて
みたいところです。
とりあえず、今日4月26日は、少し机周りと、台所流しを片付け。


  


Posted by げん at 01:40Comments(0)えみし普通の日記

2017年03月14日

東京行き2017・・は、どうなった!


3月となったが、仙台・東北ではまだ冬である。
4月になると、ようやく冬と春が同居を始め、
5月にやっと、完全な春になる。
6月になると、はや春と夏が同居を始めるので、
仙台における完全な春が、いかに短いかと
気がつく事であろう・・・それはさておき

3月に企んでいた、久々の東京行き であるが
どうも、なんと「一泊二日」になってしまいそうな

通常、東京に出る時は一週間はいられるよう
都合をつけるのだが、今回は上手くいかなかった

あー・・一泊二日か しかも土曜夜は遅くまで
繁華街にいるから、泊まりはネットカフェかな爆
いろいろやりたい事、会いたい人、いるのだけど

5月ぐらいにあらためて一週間ほど行こうかな・・
いや、一度東京行くと、今度は岩手に行きたく
なってるだろうし・・笑

いや、4・5月は大仕事があったな
仕事といっても、金とは無関係なものだが
こいつに集中しなければならんかも知れん。

  


Posted by げん at 22:29Comments(0)えみし普通の日記

2017年03月14日

七人の西部野郎(ちがう) の続き




マグニフィセント・セブン 内容的にはどうだったか・・というと

なかなか面白かった! だが、いろいろ書きたい事もある。

まず、よかったのは、恋愛エピソードを作らなかった事。
って、それってよかったのか?とも思われるかもしれんが

そもそものオリジナル『七人の侍』では恋愛パートがかなり
長く、わたしは観た時 非常にうざったく感じたのだった・・
しかし考えてみると、ここは映画の重要なテーマである、
武士と農民の身分差の生むドラマの中での恋愛であるので、
必要なパートだったのである。
ところが、ユル・ブリンナー主演の『荒野の七人』になると、
身分差の問題は一応?なくなってしまうのでただのメロドラマ
パートになってしまうのであった・・・

今作では物語の展開上、重要な役回りに魅力的な未亡人さん
が活躍してくれるのだが、やはり夫の復讐が最優先事項であ
って、そこはガンマンとの恋なんてやってる場合でない、という
良識?的なところは、きちんと手堅くしてくれた様子であった。

ちなみに、日本には『七人の侍』SFアニメ版がある(爆)
『SAMURAI7』というやつで、なかなか面白いのに最後に
見事に破綻していくという・・『七人の侍』では「侍集め」に
村の青年らが出かけていくのだが、このアニメ版では村の
巫女さんまでが外世界へ繰り出していっていた。それで
今作を見ると、未亡人さんも「ガンマン集め」に同行していく
ので、やはりいいアクセントになっているな、と思った。
まあ、言ってしまえば女性がいた方が営業的にいいだろう
な、という下世話な感覚なのだが。

今回、非常によかったのが、多様な民族や職業集団から
成り立った七人だからこその、また多様な武器や戦い方が
披露された事である。
やはり主流は銃なのだが、アメリカ先住民の弓は強い印象
を残したし、マウンテン・マンの斧も「すげえ」と思った 笑
(マウンテン・マンとは、基本的に白人なのだが日本でいう
 マタギのような存在らしく、個人または組織的な狩猟で
 生計をたてていた・・ただ作品の時代には廃れていた?)
銃器も様々登場するが、残念なのは凄腕スナイパーまでが
「ウィンチェスター」連発銃を使っていた事。そこは単発の
強力・正確・頑丈を誇った「シャープス」でしょう・・・って
どうでもいいマニア話すいません。

『七人の侍』は当然ながら日本人の感覚で作られているの
で、西部劇でのリメイク版で最も違和感を覚えるのが、刀
から銃へと、武器が切り替わっているところだと思う。
男たちが拳銃をくるくると回したり、ガチャコンと弾を装填する
ところは確かにカッコイイのだが、日本人としては街で人が
普通に拳銃を腰に下げているなんて信じられない。

日本では武士階級が太刀だの打刀だの下げていた時代は
遠い昔だし、近年は刃渡り6センチ以上の刃物は持ち歩く
べからずなどという、過剰な法律すら敷かれているが刃物で
立ち向かうとか、護身するという感覚そのものは決して遠い
非現実的なものではないと思う。
だから『七人の侍』は先祖の時代の話としてリアルにも感じ
られるが、西部劇リメイクはどうもファンタジーにしか思えない
のである・・・そのむかし、日本にも『スワロウテイル』という
映画で、日本人がバンバン銃をぶっぱなしてたけれど、
さすがにあれはシラけました。

刀や斧で人を殺す場合、接近戦である為危険はあるし返り
血も浴びる。心身の痛みもあるだろう。だから『七人の侍』を
観ていて始めにくるのは「カッコイイ」より「すさまじい」という
感覚だ。自分だったらこの場にはいたくない・・・本来、戦争
とはそういうものであり、そういう感覚を疑似体験させるのが、
戦争シーンの使命?だろう。
しかし、銃で人を殺すシーンは皆、何というか、無表情だ。
遠くの標的を仕留め、こちらには痛手がない。だから簡単に
人が死に、大量の死者も出る。それにもかかわらず、「すさ
まじい」より「カッコイイ」が先にきてしまう・・

多様な人種・民族の存在と活躍をリスペクトし、現政権には
ノー!を突きつけてやったような今作品だが、
「国や警察は助けてくれない。自分の身を守るのは、自分だ」
という、よくもわるくもアメリカの伝統的意識を体現した作品
でもあったというか・・・『七人の侍』も、実は根底ではそういう
事を言っている作品なのだけど、イコール銃社会肯定!に
結びつくか否か、という違いが両作品にはあるのだよな。



  


2017年03月10日

荒野の七人の侍のリメイクのリメイク!




ちょっと前になるが、いろいろ語りたくなる映画を観たので

『マグニフィセント・セブン』

前回記事の、『ローグ・ワン』も『七人の侍』リスペクトだった
日本映画が生み出したこの物語構図がいかに世界を揺るがしたか
という事かも知れないが・・いや今回のは単なるハリウッドの
ネタ切れ というべきなのか(こらっ)

このタイトル、まことに言いづらいがユル・ブリンナー主演の名作
『荒野の七人』のそもそもの原題「偉大なる七人」で、今作は
そのものズバリのリメイクである。
しかし、ただのリメイクではない事は宣伝ポスターを見ただけで
明白であった。
なんと、ユル・ブリンナーの演じた主人公が黒人になっており、
そればかりか他の仲間も東洋人やネイティブ・アメリカンなど
非・白人が半数を超えている。時代の流れ、という事もあるの
だろうけれど、監督自身が、実は黒人の映画作家なのである。

『スターウォーズ』シリーズの新作「フォースの覚醒」でも
聞かれたのだが、人によっては、日本人でさえも、こうした
近年のハリウッドの「人種的配慮」傾向に批判的な意見を
持つようである。
これはあくまで「配慮」であって、ハリウッドすなわちアメリカの
「伝統的」本心は奥に潜めてあるだけではないのか・・という
疑念から来るものかも知れない。
という事は、ニュージーランドで作られた純白人のみ大活躍の
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのような映画こそが、今や
純白人主義の人々の心の拠り所、とでもいうのだろうか・・・

考えてみると、ユル・ブリンナー主演の『荒野の七人』自体、
七人全員が白人だった訳で、むかしは特に何とも思わなかった
のだが、これは今となっては異常な事だった、と思うのが正常な
感覚ではないだろうか・・・だって、アメリカというのは建前上、
全世界すべての人々の移住を受け入れる、自由の国である
はずだから。そして舞台であるアメリカ大陸に、主役の人種も、
脇役の人種も、本来あるはずなどないのだから。

それでもある白人たちの本音としては、
「そもそも西部劇とは白人が生み出した文化。ヒスパニックや
黒人が主人公の西部劇なんて観る気が起きない」
というところがあるのかも知れない。しかし、むかしから西部劇
を観てきた人間に言わせれば、
「西部劇とは、こういうジャンルで、こうでなければならない」
という固定観念こそが、西部劇を衰退させてきた元凶としか
思えないのである。
ならばこそ、今作の意義は
「西部劇というのはジャンル以前に、祖先たちの人間ドラマだ」
という観点に立ち戻った、伝統への挑戦であり、
新たに起こったトランプ政権という、排他的アメリカの本音爆発
に対する「これこそがアメリカだ!」という意志表明に他ならない
だろう。

つづく 爆 つまり途中です。寝ます!



  


2017年02月05日

ならず者1号




1月は会社が制御不能的に仕事を入れてきたので
よくわからんカオス状態なアルバイト生活だった。
2月もこの状態らしいが月はじめはがらっと空いたので
腰を落ち着けて毎月恒例の原稿を書けた・・・
といいたいところなのだが、なんと2012年から毎月
書いてきて、たぶん?はじめて締め切り間に合わなかった・・
といっても、それでも翌日には何とかしたのだが
連載もクライマックスで、いろいろ難しくなってきたというか
まあ 言い訳はするまい 爆 ちゃんと書こう

映画の話をするかな・・前回はやたらと『君の名は』に
突っかかってしまったが
仙台駅前に大型劇場・TOHOシネマができてから、妙に
最近の映画が気になるようになった まあ東口にも
ミニシアターはずっとあったのだが、やはり西口の方が
元来から「仙台の顔」であって、そこにどどーんと
「ここ、映画館だぞー!」という建物があるとないとじゃ
全然ちがう というものだ。

ここ最近は、「2度観に行く」事がなにげに多い気がする。
ここTOHOシネマで初めて観た『シンゴジラ』も面白くて、
2度観に行った。どうも、近年は東京にいた頃と違って
ミニシアターで観るような中小の作品はあまり観ず、
大画面で観てこそ、というのが多いからかも知れない。
で、今回も2度目 観に行きそうなのがこの
『スターウォーズ ローグワン』
なのだな。実は一度目は、年明けの帰省中に鶴岡市の
『まちなかシネマ』で久々に観たいなと思い、足を運んだ。
ここも、あらためて素敵な劇場だなあ・・まさに地元の誇りだ。



本作品、思った以上に素晴らしい!面白かったですよ。
(ここから、なぜかですます調に・・映画評だからか)
一番最初に作られた1977年の所謂「エピソード4」の物語
が始まる、なんと10分前までの話という事で
本来の主人公たちが活躍するシリーズとは違う、実はその
陰で、こんな一般人?たちが暗躍していたんだよ、という
よくいうところの「スピンオフ」。かといって、全く関係のない
人たちが作った全く関係のない人物ばかりの映画かという
と、これがとんでもなくて、あのダース・ヴェーダーがゲスト
出演する・・という噂を聞いて観たら、なんか最後の方で
エライ大立ち回りの見せ場を持ってたりしてビックリしてし
まう、感涙どころをいろいろ持ってる一品なのでした。

今回も、しっかりフィルム撮影してくれたのかな・・エピソード
1~3とは違う、本来のスターウォーズの重厚な雰囲気を
出していましたが、印象に残ったすごい点が少なくとも2点。
なにしろ10分後の「続編」が、40年も昔に作られた作品
なので、看板悪役の1人モフ・ターキン演じたピーター・カッ
シングさんなどはもちろんとっくに亡くなってしまっています。
だからもちろん現代の、できるだけよく似た俳優さんで・・と
従来ならばなるところですが、我らがスターウォーズ そん
な手で満足する訳がありません。

とにかく今まで誰もやった事のない手法を繰り出して、あっと
言わせてきたのが、スターウォーズシリーズなのです・・

まあ早い話が(?)カッシングさんに極力そっくりな骨格を
持った俳優さんをベースにして、CG画像を肉付けし、完全
なモフ・ターキンを再現した訳なんですが、この完璧度が
実に、実に驚愕でした・・・絶句、でした。
これはもう、来るとこまで来ましたね 本当に。
ちなみに、最近亡くなってしまったキャリー・フィッシャーさん
演じたレイア姫も、同じくCGで一瞬!登場するのですが、
なぜかターキンほどの完璧度に及ばなかった気が・・
(のちにこちらは骨格が多少違う女優さんをベースにした、
 と知った次第ですが)

おっと2点目は、デス・スターの破壊の映像表現です。
デス・スターというと、ありじごくみたいなクレーターみたいな
発射口から出す光線で、一瞬にして惑星を破壊する、という
スターウォーズの専売特許的なアイディアですが、今回は
破壊が一瞬ではありません。
水平線か地平線に光線が落下しますと、はるか向こうから
星がどどどどど・・・と壊れてきます。壮大な、かたすとろふぃ
です。これは、おそろしいです。

今までは、どの作品でも主人公がその破壊される星の上に
立ってる事はありませんでした・・
当たり前ですね、死んでしまいますから。
ところが、今回の作品では、なんと主人公 この破壊される
星に2度も立ちます!!爆 もう、めくれ上がった大地が
津波のように目前に押し寄せてくる壮絶なシーンなのです。
デス・スターによる惑星の破壊が、他人事ではなく自分の身
に降りかかってくる災害であると実感できる、はじめての作品
・・という訳なのです。40年もたって、これは少なからぬ衝撃
でした。これをもう一度体験するために、2度目観に行こうと
しているくらいです 笑 

ほかにも、ネット上では「新キャラクター誰も魅力がない」とか
書かれてましたが、全然そんな事ありませんでした。
物語としては基本、『七人の侍』で、まあちょいネタばれします
と、主人公たちが次々に死んでいくのですが、これが悲しい。
皆、愛すべきキャラクターなのですよ。今回、仲間に加わる
ロボットは『ラピュタ』の影響か!?と即ツッコミたくなりますが
これもちょっとヒネった性格づけで、面白いロボットでしたね。

この作品では、シリーズ中はじめて音楽がジョン・ウィリアムス
ではありません・・・!宮崎駿作品の音楽が久石譲じゃない
みたいなものですが、いいかげんこの偉大な音楽家も御歳
なのでこのあたりで思い切って世代交代ができればいいです
ね。越えられると、尚素晴らしいんですが 果たして!?

  


Posted by げん at 14:41Comments(0)えみし普通の日記

2017年01月22日

東京への複雑な想い・・(まあ雑記です)




実は3月上旬頃、8ヶ月?ぶりぐらいに東京へ出ようと思っている。

東京へ出るのは、いつも大きな楽しみである。

何だかんだ言っても、わたしは東京が大好きだったりする
ただし、東京だからという訳ではなくて、基本的に札幌でも、
盛岡でも、好きな町に出るのはいつも大きな楽しみなのだが。

どの町に行っても、久々に訪れて変わらないところ、変わったところ
それぞれを感じ取るのも自分の喜怒哀楽に刺激を与えるようで、
楽しい・・というかそういう感覚を欲しているように思うのだ。

東京に関していうと、やはりここでの生活は長かったし、20代始め
から30代前半という遅めではあるが割と多感な青春期を過ごした
だけあって、思うところは多い。
単純に、親戚や友人たちは元気か、よく食べていたラーメン屋は
健在か、確認して歩くだけでも充実するが、いまはやはり何と
いってもアイルランド音楽の日本での圧倒的な「本場」として
どうしても注目せざるを得ない場所だ。

仙台に移住して10年、その間に旧い友人たち4人が結婚し、
ラーメン屋といえば第一の行きつけ・高円寺えぞ龍が閉店し、
札幌「純連」の東京支店全店舗が撤退したほか、あの有名な
「恵比寿ラーメン」もいつの間にか無くなっていた。
音楽関連ではわたしの20代前半大ファンだったZABADAKの
吉良知彦氏が50代の若さで亡くなった。
多くの失われたものたちに代わって、新たなものたちが生まれて
きてはいるのだろうが、わたしの感覚ではやはり1990年代の東京
は輝いていたし、失われたものはその最盛期を象徴する存在だった
気がする。

昨年末、話題のアニメ映画である『君の名は』を観る為劇場に足を
運んだ。この作品は今や外のアジア圏でも好評を受け、更に飛躍
しているようなのだが、宮崎駿の次世代を担うという評は正直わたし
にはピンとこなかった。宮崎駿は時代に逆らい、自らの時代を「作った」
ゆえに、今や時代を「先取りした」と言われている訳だ。
しかし、この若い世代の新作は、時代に逆らったものではない。
時代の流れに迎合し、客に媚びたものだ。独自のメッセージに乏しく、
今は評価されても、やがて忘れ去られる怖れがある。

実をいうと、映画を観ている途中で前代未聞?の腹痛に襲われ、
トイレに駆け込んで(いや、這って行った、というのが正しいな・・)
しまって全ては観れなかったのだが、前半だけ観てもわたしには
かなり不愉快な点が目立った。
まず、物語は現実にある東京と、架空の田舎町の2極舞台なの
だが、東京・新宿の男子高校生の暮らしぶりがいかにも華やかで、
楽しそうである。それに対して、架空の田舎町はいかにも都会人
がイメージするようなユートピアで、女子高校生は例に洩れず田舎
に窮屈さを感じ、東京に憧れている。

この先は所謂ネタばれなので注意?なのだが、この女子高生が
なんとも都合よく東京の男子高校生と心が入れ替わるという事が
起こり、ここでJポップ調で話がヘンに盛り上がったりするのだが
このへんの感覚もついていけなかった。
そのあとも、特にわたしとしては興味を引く展開もなく、腹痛がきて
トイレから戻った時には、なんと田舎町は彗星が落ちて滅亡しており、
生き延びた女子高生は東京に移住して、やがて男子高校生と再会?
する、という結末・・・のようであった 苦笑

ようするに、話のベクトルが全て東京に向いている という・・・
東京が無批判に素晴らしい環境であると描写し、田舎の若者は
田舎を嫌い、結果的に望みどおりに田舎は消滅し、東京に出て
いい出会いに恵まれる・・・これは一体、誰のための物語なのか?

いま、地方消滅 という事が盛んに言われている。
遠くない未来、世界中のかなりの割合の人々が、都市に住むよう
になる・・と何かのCMでも言っていたが、これはわたし自身、都会
指向なので感覚はわかる。しかし日本の場合特に首都一極集中
の傾向が強く、明治、戦後を通じて顕著だったものが人口減少時代
を迎えて拍車がかかってくる、という。

北海道なら札幌、東北なら仙台、地方各々の中核都市に集まるの
ならば、小さな町村の多くが消滅したとしても地方の記憶は残り、
後の時代に再生できるかもしれない、という希望もある。
しかし、それらを越えて大半が中央の最上層を求めて東京圏に
集中していくならば、そこで地方の記憶も消滅してしまう。

今の時点でも、東京圏はかつての、地方から出てきた若者で溢れた
「地方の集合体」では もはや、ないと言われている。
地方から出てきた若者たちは今、親となって地方の記憶は次の世代
に引き継がれず、子供たちは「東京圏出身」の若者となる。
いまや東京の大学に進学する大半は彼ら「地方出身2世・3世」であり
地方から出てくる若者は少数派となりつつあるのだ。
そうなると、かつては地方の集合体として、地方への眼差しを多くの
人が持っていた東京ではもはやなく、外の世界を実感として持たない、
地方への共感のない巨大都市へと変貌してしまう、という事になる。

『君の名は』はそのような未来への不安を映し出し警鐘を鳴らす事なく
むしろ今後のその傾向に乗っかって、地方の若者を「煽る」形にすら
なってしまっている。大ヒットというのも、現に東京に住んでいる人々、
田舎や海外から東京に憧れている人々の心には響いたという事だろう
が、東京に長く住み、疑問を持ち地方都市に移り住んだようなわたしの
ような人間の心には、響かないのだ。
(わたしだけではない。作中の田舎町は岐阜の山間にある設定なのだ
が、映画を観た名古屋に住む人が「なぜ名古屋ではなく東京なのか」と
疑問を投げかけていたのだ・・・)

これから、東京は、地方は、日本は、どういう形になっていくのだろう?

最近、『ふらいんぐうぃっち』の新刊が出た(上の写真)。
弘前出身・在住の漫画家による、弘前が舞台の作品で、1、2巻めは
物語、絵柄ともにぎこちなかったが、巻を重ねるごとに完成度が高まっ
てきた。主人公は首都圏の出身だがほとんど言及する事もなく、逆に
東北が舞台である事をことさらに喧伝する訳でもなく、あくまで自然体
の展開を徹底しているのがすごい。
隣県・秋田からは今や全国的に話題の『地方は活性化するか否か』
が発信されている。北海道を舞台にし、これも今や漫画界1,2を争う
傑作となった『ゴールデンカムイ』は東京で描かれているが、これも
もちろん北海道出身の作者が綿密な地元での取材の上で描き出し
ている。地方の人間が、地方の人間である事を武器にして、今こそ
立ち上がり、戦いを始めているのだ。

ふう・・・(書き疲れた) 
俺も、自分の何か を書き出すしかないのだよ ここ、仙台から。



  


2017年01月05日

なんと・・・としあけ


年末になって、神奈川県川崎市の親族が亡くなり、急遽
正月としてのお祝い事は一切なし、という事になった。
わたしは年賀状というのを、クリスマスが終わるまで手をつけない
と決めているのだが、今や大晦日近く ひどいと年明けてから
書いたりするようになっており、これから年賀はがき買おうかと思った
矢先、知らせが入ったのだった。そのような訳で、お年賀下さった方々
には、後日あらためて寒中お見舞い申し上げたいと存じます・・・

さて、新年三が日は、いつもの原稿、いつもの遅筆のため、
もとから正月がないつもりで、家に籠もって筆を・・もといキー
を執っていた・・いや叩いていた。
で、4日になってようやく、久々に親父とクルマで出かけたのだが、
なんと!湯野浜温泉で長年唯一だったガソリンスタンドが閉店!!
してしまったという・・・ここはコンビニもやっと一店舗しかなく、
スーパーもなく本屋もない町(町と言えるのか・・)なのだが、
いくらなんでもGSがないって、夏なんか大勢クルマで押し寄せる
のに、どうするつもりなのか・・・まあ、郷里の衰退に手を貸している
「棄郷者」に言われたくないだろうが。

このネタ、Facebookにも書きかけたのだが、めんどくさい事長々と
書き始めたので、やめた 爆 なんだろう、やっぱり私情を少し
爆発させると、反応が気になってしまうのだな・・だからFacebook
という場ではなかなか素の自分をさらけ出せないかも知れない。
中には、Facebook内で、政治思想が真逆でいつも堂々真っ向対決
してらっしゃる先輩方もいるのに・・・情けない限りだ。
といっても、本当に「素の自分をさらけ」出せるのは、他の誰も読まない
紙のノートに書いた日記しかないと思うけどね。

Facebookに書きかけた、めんどくさい事というのは、以下のような内容

「湯野浜温泉唯一の、ガソリンスタンドがなくなってしまっていた・・
コンビニもやっと一つしかない(スーパーもない)所だが、夏賑わう
時期なんか、クルマの人達大変なんじゃないだろうか?
新年三が日は完全に家にこもって書き事(世捨て人だ・・)
4日久々に家族のクルマで町に出た。私は四輪は自分に合わない
と思っていて、持つ気も運転する気もない厄介な性質なので、
湯野浜のような所に住むのはほぼ有り得ない選択になっている。
といって、完全に切れる気もない・・まことに中途半端な距離感?
いや、これが自分としては絶妙な距離感なのだが。
わたしはこのある意味極端な環境に生まれついた事もあって、
10代からこのかたずっと「理想の場所」のようなものを探してきた
のかも知れない。東京も好きなのだが、住んでいるのは杉並なのに
用を済ますのは新宿や渋谷・・・「俺の町」って、どこ?みたいな感覚
が不安だった。仙台は何をするにもこの町で済ませられるので、
初めて「俺の町」と思えた場所。かといって東京ほど何でも揃ってる
訳ではなく、足りないところもある。そのくらいの、「飢える感覚」が
ある方がちょうどいい(東京も、ある意味飢えるのだが笑)
おそらく、わたしはどこに住んでいても不満なのだ・・そんなわたしを
最終的に身動きできなくさせる(言い訳できなくさせる?)驚異的な
バランスを持つ場所―それが仙台なのかも知れない。」

・・・てな感じ。久々に持病?の長文癖が炸裂してきたか。
ともあれ、本年もよろしければよろしく?お願い致します。」



  


Posted by げん at 12:15Comments(0)えみし普通の日記

2016年12月25日

なんと・・・年末


お久しぶりです。
来る日も来る日も労働労働という感じの毎日で、
まともに文章を書く気も起こらなかった次第です・・
あと今年の労働日は2日だけにしておりますが
まだこまごまやる事があって、即・里帰りとは
なりません。

自らデジカメで撮った写真を載せる際は、姉妹ブログ
『落葉樹林帯』に書き込み、こちらには文章だけの
日記とか、本の紹介とかだけ書きとめていこうかと
思っております。めんどうくさくてアレですが・・

市内での労働は、仙台の東部地域が多いです。
わたしは仙台のどちらかというと北の方が好きで、
東の方は何年たっても苦手な感じがあります。
殺風景な街並みが延々と続いていて、いかにも
物流や倉庫などの労働のための町、という気が
するからでしょうか・・とはいっても結局、自分には
都心の飲食や娯楽の接客仕事よりは、こうした郊外の
黙々とやる肉体労働の方が向いている、という事
なのですが。

その、仙台の東部には、近年ようやく地下鉄が通った
ので、労働にも通いやすくなりました。
元来、仙台の北から東への通勤となると、バスは
わかりにくいし、JRも本数が少なく乗り換えに不安が
あったりして、大変不便なものでした。
地下鉄東西線は建設段階から「赤字経営必至」とか、
青葉通のケヤキ並木伐採問題とかで揉めていました
が、結果的には個人的にも行く機会の多い西の青葉山
や東の卸町も通るので(しかも遠くへ行くほど安いので)
重宝はします。
苦しい経営状況を予測しての事かわかりませんが、
東西線の車両は南北線のものに比べ小さく、狭い感じ
ではあります。ただこれも個人的にはロンドンの地下鉄
のような形状で、面白くて好きではあるのですが。

ところでこの南北線・東西線ともに、かつての城下町の
範囲の駅数が同じな事に最近気づきました・・
南北線・・
北仙台―北四番丁―勾当台公園―広瀬通―仙台―五橋―愛宕橋
東西線・・
川内―国際センター―西公園―一番町―仙台―宮城野通―連坊

ともに7駅ずつです。仙台城下町が、ほぼ円形だったという事
を意味しましょうか・・・それとも何か他の意味があるのか・・・
(ないだろ)

  


Posted by げん at 13:50Comments(0)えみし普通の日記

2016年10月01日

ブログの、出戻り いたします。


大変長らく、怠慢かましております・・・
奥羽越現像です。
生きております。

やはり写真がシステム上、載せにくいのと
長い文章がどうも億劫になってしまったのとで
どちらかというとFacebookなどに書き込んだり
してたのですが、こちらだって微々たる発信です。

しかし少なくとも、Facebookに載せたのと同じ
写真ぐらいはブログでも同時紹介したいと思うので、
このたび写真野載せるには問題のなかった
「第一のブログ」に帰ってみる事にしました。

http://blogs.yahoo.co.jp/ta1620n

実は2014年に一度、ブログタイトルをいじって
『落葉樹林帯 活動日誌』になっちゃってます。
落葉樹林帯 というのは、むかし筋肉少女帯という
バンドがあって(あっいまも解散はしてないか)
なので、わたしのバンド名も落葉樹林帯 にしました。
(爆 うそです。バンドは組んでません)

このふっるーいブログには、2010年以前の、わたしの
ちょいと若々しい記事が残されております。

しかし、ここ『番外地』にもたまに帰ってくるかもしれません。

てなことで、なにとぞよろしゅう。

  


Posted by げん at 22:39Comments(0)えみし普通の日記

2016年06月09日

Facebookに負けるな 爆




一ヶ月以上、更新してなかったのだが、実はもっぱら、Facebook
に書いていた 爆

内容的には、TRAD♀さんに頂いた茨城の誇り(!)『電気ブラン』
の事だったり、いぶりがっこの事だったり、青葉まつり、仙台の
ラーメン屋、民俗資料館や東北大工学部、いつも行ってる珈琲豆屋
とか、外国人作家が作り出したヘンな日本人の名前とか、実にさまざま。

どうしてこちらのブログでは書かないかというと、まあ何度か試して
いるのでおわかりの方もいるかと思うが、このブログシステム?
デジカメの写真が大きすぎて入らないのだ・・よくわからんのだが。
「第三のブログ」を検討する事もあり得ようかな

あと、ブログだとつい長文になるので、時間の節約のためにも
さらっと書くのが身上の?Facebookに短時間で書いてすとんと
載せる事が多くなった、という感じ。
いつも「いいね!」とか、反応して下さる皆さん、有難うございます

実はここ3年以上書いてきた「小説・・・のようなもの」をそろそろ
まとめはじめているので、あまりネットに時間をかけていられない
(なんて・・ほとんど手をつけてないです。
 こうでも書いて自分を追い込んでいかないとな)

それにしても、Facebookを見ててつくづく思うのは、音楽関係の
友人たちの、音楽に対するひたむきさだ。更新する内容が、ほぼ
全て自分の音楽に関する事 という人が多い・・・
ひるがえって、自分の更新内容を見てみるがいい。
音楽に関する話、ほとんどナシだ。爆
わたしにとって、音楽とは何なのか?欠かせないものであるのは
確かだが、かといって現時点では決して一途に探究する道、とも
言い切れない。まあ、他人と比べても仕方ない
(というか、比べ始めるとよくない気がする)
どこまでも、自分なりにやっていくしかない、というところだ。

で、またマンガのはなしとなりぬ 笑
しばらく、愛読コミック新刊の流れがないので、兼ねてから気に
なっていたものをたまにチョイスしてみる。
今回は、『くーねるまるた⑧』
①~⑦は実は部分的に読んでいるだけで、いきなり8巻目購入。
理由は明白で、表紙が岩手・盛岡だからである 爆
これは、確か昨年 盛岡のさわや書店で発見した。もちろん手が
伸びたのだが、やはりいきなり8巻目だったので、保留としたのだった。

内容としては、本来は岩手とは関係なくて、ポルトガル出身の
女性主人公マルタさんが、東京の大学院で都市工学を修めたの
だが、日本があまりに気に入ってしまったので滞在を大幅に延長
して、貧乏しながらも楽しく過ごす、というもの。今回の8巻目は、
そんな日本滞在中の、はじめての地方遠征の回だという。
なんと・・・7巻までずっと東京こもりきり、ですか・・・・・

作品のウリは、どうやら貧乏なために様々な工夫をして自炊する、
という「グルメマンガ」?的内容と、料理や食材、酒を口にした時の
主人公の「かわいい顔」らしい 笑 
なんでポルトガル?と思ったのだが、まあ外国人キャラクターを
設定しようとした場合、すてれおタイプ的取り捨て選択として、
@味覚おんち、という点でアメリカ人、英国人はナシ(いいのか)
@暗い性格、では周囲を巻き込む勢いがつかないので、北欧は
 ナシ(ごめん)
 あとグルメでもプライドの高いフランスは却下(申し訳ねえ)
残るはスペイン系、イタリア系だが・・ここまで来るとなぜ敢えて
ポルトガルだったのかは謎だ。スペイン、イタリアもある意味ヘタに
イメージがつき過ぎているので、ここは盲点をついてポルトガルに
白羽の矢が立った??

作者として、個人的に思い入れがあるのかも知れないが、特に
読んでいてポルトガルである必然性は感じられなかった 笑 
とはいえ、日本において外国人キャラクターとして主人公に据え
やすいと思われる欧米系の中でも、ポルトガルは一応の意外性を
持っていたかも知れない。なにより、「クウネル」という姓が作品の
性格上、とても大事なものなのは一目瞭然な訳だが、これが
ポルトガルの姓かどうか、という辺りの知識は、わたしにはない。

ただケルト贔屓としては、近年アイルランド、スコットランドもかなり
グルメ化しているみたいよ・・・とささやいても、おきたかったりして。
スペインのバスク人、とかも面白かったかも知れないが、どうも内容
的に深い民族性に踏み込む・・・というような感じでもない。

で、肝腎の盛岡編はどうだったのかと、いいますと
まず言っておかねばならぬのは、表紙の「さんさ踊り」、本編には
ありません 笑 まだ岩手山が雪かぶってる時期に、一泊二日の
旅行券が当たった!という話ですので。岩手にはまた来たい、と
言ってるので、未来の話かな?と期待。

内容としてはまあ、ライトな紀行もの、になってる。盛岡の美味い
ものを食べ、いい人たちに会い、現地の人たちの好意にて、旅は
二泊三日に延長ともなる。じゃじゃ麺の白龍(ぱいろん)、福田パン
など、手堅い名所を出してきて、盛岡人にはきっと嬉しいところ。
個人的には、まだ行った事のない神子田(みこだ)朝市で、ひっつみ
を食べるところ、印象に残った。

しかし、本当にこの盛岡編、一瞬で終わる 笑
こういう、地方遠征の方が絶対面白いはずなのに、一体東京で
7巻分も、何をやっているというのだ?(ぉぃぉぃ
マルタさんの状況としては、とにかく貧乏なのでおいそれと旅行
などにはいけない、というところらしい。アルバイトなどは一応、
しているようなのだが、都市工学の学位を持つという元来エリート
な訳で、なにゆえ敢えて貧乏なのか?は疑問。
時代の空気としてはグルメものとしてももはやバブル的な傾向
は現実的でない、というか反感さえ買う怖れもあるから、共感を
呼ぶという点でも「わざわざ欧米から来て都会で貧乏」という
のは異色というか、新しいのかも知れない。
(かといってラーメン屋にチャーシュー持参するのはどうか・・・
 と思うのだが)

都市工学、というと思い出すのが、越谷オサムの小説『いとみち』
主人公の少女「いと」は青森から東京の大学を目指すが、最終的
に東北大学の都市工学科に魅かれ、第一志望としたのだった。
なのでマルタさん仙台という選択肢もあったと思うのだが 笑
(調べてみたら、東北大にポルトガルの大学との提携はなかった
・・・って なに住んでもらいたがってんだか)

文京区の風呂なしアパートに住み、別部屋の友人からシャワー
を借りているのだが、週一回は銭湯へ通うのを楽しみとする・・
なるほど、確かに銭湯を愛する者としては、東京は離れがたい
かも知れない。調べてみると、東京の銭湯は現在入浴460円。
わたしが上京した1991年時点で290円だったのが、以後なんと
毎年10円ずつ上がって(ウソみたいなホントの話です)
最後に使った2004年には420円になっていた・・・おそらくその後、
なんらかの策がとられたのだろう。住んでいた高円寺でもどんどん
銭湯は廃業していたが、わたしが利用していた数店は、今も
がんばっておられるようである。

とはいえ、毎日入れば1万円以上。貧乏人にはなかなか厳しい
出費だったりするのだ(なにしろ、91年からこのかた、労働賃金
の方はは全く上がっていない・・貧しい人はますます大変な訳だ)
銭湯好き、という時点で仙台や盛岡など北の都市に住む選択
肢はなくなる・・という事か。仙台の人は日帰り温泉とか普通に
するみたいだが、これも貧乏な人がするような事ではなかろう・・
しかし青森市は隠れた温泉都市で、銭湯が多いぞ。まあそもそも、
ポルトガル人はあまり寒い土地を好まないかも知れないが
(だから、なに住んでもらいたがってるんだっての)


  


2016年05月10日

気がつけば、城下町


Facebookにも少し書いたのだが、なにぶんあちらには
あまり長文でだらだら書けないので、こちらに書く 笑

わたしは仙台の北・台原から、南の五橋にあるアイリッシュ
・パブまで自転車か、悪天候なら地下鉄で行く。
この距離、およそ3km半だ。
実は今わたしが書いてる小説(・・のようなもの)も関係
してるのだが、仙台のもともとの城下町というものの、
北端が台原周辺、南端が五橋周辺だったようで、つまり
わたしはたびたび仙台城下町を縦断往復している事になる。

もちろん、パブにてお酒を飲めば、自転車には乗らず
押して歩いて3km半の道のりを帰る事になるが、決して
これは無理な距離ではない。
ちなみに城下町の西の端は大崎八幡宮周辺、東の端は
榴ヶ岡公園周辺で、この歩いて回れるこんぱくとな範囲内に、
10万人の人口を想定して政宗公は街づくりをされた・・・と
言われる。もちろん、のちにこの範囲外に晩年の居城である
若林城と、別個の城下町も作るのだが、台原より北、楽天
球場より東、などは完全に郊外だった。
戦後は北・東・南に拡大して、城下町のこんぱくとさが信じら
れない程に仙台は広大になったが、その上での100万人
都市であって、もとの城下町の範囲内なら、依然数十万人
なのだろう、と思う。

このように、かつての城下町の多くは個人が歩いて回れる
範囲の、こんぱくとなしてぃーだったに違いない。
実のところ、東京でいえば3km半は、上野駅~東京駅間、
新宿駅~渋谷駅間ぐらいの距離にすぎず、いかに東京が
多くの人にとって「歩いて帰りづらい」都市かがわかる。

しかし東京の原型である江戸城下町というのは、北は浅草
や今の文京区あたり、西は四谷あたり、南は港区あたり
までしかなく、新宿、渋谷以西は完全に郊外だった。
江戸は糞尿などの処理サイクルが非常に上手く回っていた
先進都市だったが、このこんぱくとな都市サイズが膨張を
始めると、その均衡が崩壊していったようだ。

それでも昭和初期までは基本的に東京の人々の中で、
江戸城下町の範囲の感覚は生き続けていたように思われる。
例えば東京帝大や明治大学に通う学生らは、本郷や遠くても
おそらく早稲田周辺に住み、歩いても通学できるようにしていた。
今ではほぼ考えられないような事だが、そういえば早稲田大学
などは「都の西北」の歌の通り、郊外に近い立地だったのだ。

ふと気がついた事に、わたしの一族は大半が首都圏に出て
しまっているのだが、ただのひとりも「江戸城下町」の範囲内
には住んだ事がない という驚きの事実?がある。
というのも、みんな東京なら世田谷区、あとは神奈川県で、
川崎や相模大野に住んでいる。完全な東北ルーツなのに、
誰も荒川区や、江東区方面に寄り付かなかった(笑)のだ。
よっぽど、東北と切れたかったのかな 爆 さみしい

わたしの兄は札幌に住んでいて、これはもちろん城下町では
ないし、故郷の山形県鶴岡市は城下町だけれど、一族の誰も
いわゆる城下の範囲には住んだ事がない。

という事は、一族の中でかつての「城下町」に住んだ事のある
人間が、唯一わたしだけ・・・という衝撃の事実が!!爆
いや、台原というのは城下なのか?郊外のはじまりではない
のか?いやギリギリ城下ではないのか?(どうでもいい)

まあともかくも、偉大な武将が様々な趣向を凝らして作り上げた
城下町 その名残の上に生きている事の面白さ それを意識
せずして、やはりずっと楽しんできた事に、気づかされるので
あった。



  


2016年05月08日

手ぶらで行くか!Warrior


いわゆるGW、3・4・5日の連休日は、また東京へ出稼ぎに
出かけていた。もう今年で3回目 東京に行くのは今年もう
4回目になる(ほんとーに、仙台 仕事ないんだな・・)

今回、4日が第一水曜で、という事は・・そう!
上野のWarrior Celt でセッションがある。 かも?
Facebookにて一応の報告しますと、こめぐさんやモハーさん
反応して下さったので これは行くしかない!!

・・とはいえ、今回 会社のクルマに押し込められて行くので、
フィドルケースなどは持ち込めない。手ぶらで行かざるを得ない
ので、ウィスキー飲みながら聴くだけに徹するか とも思ったが
こめぐさんから「貸すよ!」などと畏れ多いお申し出が・・・
いやーしかし手ぶらで行ったらモロ借りる気まんまんな感じだな

さて、結局4日は・・・・・・ほんとに、手ぶらで行った 爆
楽器持たないで、東京のセッション顔出したの、はじめてだな。
仕事終わったあと、疲れがあってちょい寝てから出かけたので
20時を回ってしまって、セッション始まったところだったが
すでにミュージシャンはテーブルぐるりと満席状態で、店内自体も
座るとこなし!!外国人さん、多すぎ!混みすぎ!!笑

こりゃあほんとに聴くだけで帰る事になるかもな・・と覚悟しながら
カリラ注文。しかしやがて席が空いて、すべり込みに成功!笑
なんと、こめぐさんの他 松尾さんと斉藤さんまで「貸すよ!」
と言って下さり・・・結局、若きマルチプレイヤー斉藤さんから
スズキ製フィドルNo.520をお借り受け致した次第。
(わたしのはNo.580 廃版です)
というか、こめぐさんも松尾さんも 全員マルチだ・・・
この日はしかし、松尾さんやKimiさん 楽器弾かないで飲んで
帰られる人も多かった。

モハーさんのBlogでよくお見かけする、アイルランド女性なのだ
ろうか?この方はじめてお目にかかったのだが、素晴らしい歌
聴かせて下さった。
わたしの方は最近マンドリンをあらためていじりだした事もあって、
モハーさんの楽器に興味をしめしたら
「セット出してみようか!」
とふられて(爆)まあやっぱり失敗したのだが、出してみました・・・

やっぱり、仕事のあとのへろへろ状態では正直アレなのだが、
行けてよかったな~ 皆さん、お世話さまでした!
ホテルが大森なので、帰りの電車途中までモハーさんご一緒
したのだが、いろいろお話できて楽しかったな
大井町にあるという、丸メガネの名店 今度ぜひ行きたい!
(楽器じゃないのか!)




  


Posted by げん at 23:15Comments(0)えみし普通の日記

2016年04月25日

東北のオアシス


2007年の、ちょうど今ぐらいの季節にわたしは
東京からこの仙台へ引っ越してきたので、
そろそろ仙台10周年目が始まる という事になる。

『ゴールデンカムイ』に、北海道の季節について、
「冬が一年の大半を占め、春と秋はほとんどなく、
 夏は瞬時に過ぎ去る」
と語られる場面がある(うろおぼえ まだ単行本化
されてない箇所なので)

仙台に時たま在住(笑)の作家・伊集院静が
仙台で感じた季節の特性として「夏の短さ」を
あげていた。
わたしの場合はもうちょっと補足して
「冬は長め。春と秋は一瞬で、夏は短め」
という印象になる。

東京の場合、
「冬は短め。春と秋はそこそこ、夏は長い地獄」
という印象。
仙台と東京の間は、冬と夏の比重が逆転する
転換点と言えそうだが、わたしとしては、
夏と冬はどこも厳しいものだから、むしろ穏やかな
春と秋の短さが、仙台に来ての思いがけない印象
なのだった。

仙台はよく、「暑すぎず寒すぎず、暮らしやすい気候」
と言われるが、正直わたしはそうは思っていない。
それというのも、やはり過ごしやすい季節である春と秋
が、短いからだろう、と思う。
具体的には、東京では3・4・5月が春だとはっきり言える
のだが、仙台ではっきりと春らしいのは5月のみである。
まあ、東京の6月はもう蒸し暑くて戦慄するけれど、仙台
の梅雨は涼しいところ、確かに暮らしやすい点ではある。

ところで、意外なようなのだが、わたしは「公園」という
ものに関して、仙台より東京のものの方が気に入っている
ところがある。

わたしは吉祥寺にある井の頭公園に親しんでいたが、
こうした林の中を歩くような場所が、仙台にはなかなかない。
仙台の公園で最も古いという西公園はなんだか荒れ果てて
いるし、勾当台公園や錦町公園は小さすぎる。
北の七北田公園、東の榴ヶ岡公園は整備され過ぎている。
一番近所の、台原森林公園は林ではなく「森」過ぎて、
とても樹々の間を散歩する、という感じではない。

極めて小さな敷地ながら、最も雰囲気として近いのが、
勝山館に隣接した勝山公園だろうか。大正期までに
「森(杜)の都」の異名の元となった、屋敷杜の名残とも
言われている。ここがもっと広ければなあと思う事、しきりだ。

もちろん、井の頭公園や代々木公園の広大さは、東京という
都市の巨大さにも関係するのだろうが、実はそれ以上に
各都市の「公園観」にもよるのではないか、と思っている。
すなわち、

「東京にとって、オアシスは公園である が
    東北にとって、オアシスは都市である」

という事だ 笑 東京の人々にとっては、公園という場所は
「夢」である。自然、緑というものに、飢えているからだ。
一方、われわれ東北人にとって、「夢」とは大都市そのもの
である。自然・緑は膨大にあり、憧れの対象ではないのだ。

仙台の公園は、いわば理想とされる都市空間の一アイテム
として組み込まれている景色のひとつに過ぎない。
だから、絶対必要として実現化したという必死さ(?)に欠ける
ところがあるのかも知れない。
一方の東京では、無計画に膨れ上がる巨大都市への反発
として、オアシスとしての公園の実現と維持には相当本気で
取り組まねばならなかったろう、と想像される。地獄化する
都市に対応して、天国として具現化したのが、東京の公園
なのだ、という事ができるかも知れない・・(ほんとかね)

そういう訳なので、仙台というのは都市そのものが
「東北人の夢」なのであって、「公園」そのものなのだ、と
いう事ができるのではないか、と思うのである。
都会人を気取っている仙台人とて、いまだに飽くなき
「大都会への夢」に燃えている。基本的に、東北人は
永遠の田舎者 なのだ。

それにしても、東北人にとっての、理想の都市とは
どのようなものか?最近、20代の若き音楽仲間から
「このような活動をしている!」と教えてもらった。
http://www.s-renovation.com/
プレゼン映像と、そのナレーションは彼女の担当だ。
『地方は活性化するか否か?』を思い起こさせ、
いろいろと難題はあるだろうが、頼もしく、楽しみである。


  


2016年04月16日

なぜか東京の安宿について(あと仙台も


最近、2回週末に東京へ出稼ぎに行った、と書いた。

その時に用意してもらった宿が、カプセルホテルだった
のだが、わたしは思わずなつかしさに、興味津々とな
った。実のところ、長い旅歴でもここ20年ぐらい利用して
いなかったのではなかろうか 笑

遠いむかし、盛岡と仙台で、2回使っただけなのだ。

なぜ使わなくなったかというと、まあ性に合わなかった
という事だろう・・料金の割りに、疲れが取れないと思っ
たのかも知れない。けど今回、あらためて面白かった。
1回目は大森のカプセル、2回目は新橋のカプセルで、
大森は大浴場があったが新橋はシャワールームだけで、
いつも誰か使ってて結局入れなかったとか・・・爆

今回、30歳前の若い同僚が2人いたのだが、
「ビジネスホテルじゃないなんて信じられない!」
と不満を露わにしていた。お坊ちゃんだなあ・・・
まあ正直、俺も困惑したが 笑

会社側にしてみると、カプセルとビジネスでは3倍くらい
料金が違うので・・・という懐事情のようだった。
(自転車操業なんだね)

いや、待てよ?ビジネス以外でも安いところなかったか。
そう、むかしは代々木にユースホステルがあったし、
近年はゲストハウスなるものが続々出現してるって
いうじゃない?(誰だよ)

調べてみたら、なんと代々木ユースは2011年に閉館し
ていた!!が、かわりになんかスゴイのがどかどか
出てきましたよ・・・
http://find-travel.jp/article/3917

ユースホステル、いまは都心だと飯田橋と、上野の
2箇所だとわかった。
これを見た印象・・・東京って、ほんとに今 住むより
旅行した方が楽しい町になっちゃってるのね・・・・・
やはり近年急増中の、外国人観光客を視野に入れて
いる事は間違いないが 面白いのはほとんどが東京
東部 新宿渋谷方面じゃなくて、古くからの東京、
いわゆる下町の方に集中している事。
山の手の時代は終わり・・時代は再び江戸へ なのか

以前、浅草の北のほうの、千住とかにかつて低賃金
労働者の宿場・・ドヤ街、と呼ばれていたが、その名残
の宿が千円だか2千円だかで泊まれて、ここも外国人
が多かったのだが、あれはかなりディープな世界だ・・
個人的には好きなのだけど(ただ簡易宿泊所というと
いつかの、川崎での火災の記憶もある。)
それに比べたら、随分しゃれおつで治安もよさそうだ・・

そういえば、仙台はどうなのだろう?
仙台の外からいつもセッションに駆けつけてくれる、
音楽仲間たち 彼らはいつも、言っているではないか。

仙台の宿は高価い!!部屋もなかなか取れない!!

と。東京がこれだけスゴイ事になっているのに、仙台
それではダメではないか。
なさけねえー!(誰だよ)ではないか。
という訳で、そちらも調べてみた。
そしたら、同じサイトだけど、ありました。
http://find-travel.jp/article/1371

1千万人都市・東京で20選 に対して、
百万人都市・仙台で5選・・・これは健闘というべきか

ただ、音楽仲間たちは仙台駅周辺の宿を求めている。
このうち駅チカな宿は既に利用してるかもしれないが・・
ちと遠いかなあ どれも
わたしが昔からオススメの宿といえば、東照宮の南
かつて仙台の遊廓街だった小田原にある、
千登勢屋ユースホステルだ。



昭和23年創業、というから遊廓廃止の昭和33年前から
ある・・その事もあってか、独特の佇まいが残っている。
相部屋で、一緒の部屋になった人との相性が良ければ
楽しい夜になるが、そうでないと・・・・・・な夜かな

そもそも、ここも遠いな 爆




  


2016年04月14日

旅と人生観について・・・(長いよー


前出の、宮森さんの記事をいくつか拝読しました
何というか、「若いなー」という印象で、読んでて恥ずかしく
なってしまうところも多かったですが、いい事も書いてます。
(ぶろがー という人たちは、1時間に4本の記事を書ける
 んだそうです わたしには到底、むりですね・・・
昨日の記事一本に、3時間ぐらいかけてますから 爆)

そんな中に、旅について書かれた記事ありました

http://www.miyahaya.com/entry/2016/03/21/161220

何だか、久しぶりに旅、について考えさせられましたね

むかし、ある喫茶店に通っていて、そこは世界のいろんな
国に行っている人たちが集まるサロンみたいな所でした。
店に行くたんびに、「アフリカのどこそこ行ってきた」
「南米のどこそこ行ってきた」という話をするお客さんに
出会うのです。大学の先生や、学生さん、あと他にもいい
仕事してる人ばかりで、海外旅行は趣味のようでした。

わたしは既に50ccの元・郵政カブで日本2周ほどしたり、
沖縄・北海道何度も滞在したりとかしていたし、海外も
渾身の(!)英国「4カ国」&アイルランドだけは経験して
いたので、それなりに話は合うかと思っていたのですが、
これが容易に、かみ合わない・・・
なぜなのかと考えると、どうも彼らとはそもそもの旅の目的
や、人生観そのものが違うのではないか、と思い至りました。

実のところ、わたしの旅というのは決して人に自慢できる
ようなものではなく、「趣味」といえるものかも怪しいです。
というのも、わたしの「旅ぐせ」の始まりが、
「自分の人生に失望した」事にあったからなのです・・・
どっかーん つまり、おのれの恥部の結果が、旅なのです。

少し詳しく書きますと、20代のわたしには東京で、ある事で
成功したいという夢があったがどうにもこうにも無理な事が
わかってきた・・のと、あと失恋が重なったんですね
(ああ恥ずかしい 書きたくない 笑)
そこで、夢とは何と実現の困難なものよ・・・と世を儚むの
でしたが、しかし旅ならば、出発して帰って来さえしなければ
ずーっとできるではないか?爆 「負け組」の果て、ですね・・

そうだ、「さすらいの長旅」という中学時代以来封印してきた
夢ならば、容易に実現する!!と思い至ってしまった訳です。

このへんの事情がまた、めんどくさいので割愛したいですが
(笑)やはりちょい書きますと、中学の多感な頃、わたしは
地元の「ど田舎」に不満鬱屈を募らせると同時に、映画
『荒野の用心棒』『ロング・ライダーズ』などの西部劇に感化
され、「永遠のさすらい旅」に強烈な憧れを抱きました。

つまり、どこに行くのか というよりは、「さすらい」という
スタイルこそが、わたしにとっての旅の原点だったのです・・

ところが、今思えば「中二病」に陥っていたわたしは家出の
常習となるなど白昼夢の問題児となり(汗)さすがに親に
迷惑かけすぎてるな・・・と自覚したわたしは、いつしか
「東京を夢見る受験生」というありふれた姿に大転身を
果たしたとさ・・・・・・ザ・封印 ですね。 笑

まあ、そうやって転身?してやってきた東京で、絶望した訳
ですから、もう怖いものなしというか・・・当時、人生最長の、
正社員生活6年!やっていたので(そんな中途半端な事
やってるから夢叶わないんだよ、というジレンマもあった)
「お金」もある程度あったので、もうこのカネ尽きるまで
行ってやるべ という心境にあらためて陥ったのでした。

わたしの旅の基本は、むかしも今も変わらず
「カネはないけどあるだけ使って 
 死んでも後悔しないところにだけ行く」
です。
つまり、基本的に、ギリギリの境地なんですね。
カネなんて、旅できるかどうか怪しいくらいの額があれば
すぐ出かけるし、帰ってきた後の仕事もないからどうなるか
わかったものではない。
関西や、九州沖縄も愛すべき土地ではあったが、
「ここでは死にたくないな」と思った。なので、基本的に
いまは北海道や東北中心に旅しています。

英国とアイルランドに行ったのも、
「ここなら死んでも後悔しないな」
と思えるくらい憧れた国だったからで、フランスやアメリカも
行きたいけれど、憧れが中途半端なのでここで死んでも
後悔しないか、は未だ微妙です 笑 お金があったら、
やっぱりまたアイルランド、スコットランド、ウェールズ、
行ってしまうでしょうね。
なんで執拗に、「死んでも後悔しない」を繰り返してるのか
と申しますと(爆」)やはり基本的に旅とは危険なもので
旅ひとつひとつが、「渾身」のものだからです。まあ貧乏
なので、大切なお金をはたいてますしね・・

それで、冒頭で紹介した記事のテーマ
「旅で人生観は変わるか」なのですが

サロンで、いろいろな国に行って広めた見聞を語っている
人たちにとっても、それぞれ旅は麻薬のようなもので、
必死なものなのかも知れない。けれども、人生観は変わっ
てますかね?また同じ仕事に戻るつもりで行って、実際
戻っている訳でしょうし・・とはいえ、仕事の仕方とか、生活
の姿勢に変化があるかも知れないし、一概に旅が不要だ
とも、言い切れないですよね。

一方の、わたしのようなタイプの旅ですが・・
たとえば、北海道や沖縄というのは、さすらいとしては
まさにランズエンド 笑 「この世の果て」であって、
実際、いろいろな事情を抱えた人たちが、旅人となって
行き着いたという雰囲気を醸し出しています
(そしてわたしもその風景の中の一要素だった訳です)

もちろん、学生や趣味の人もいますが、それこそ仕事や
人間関係に絶望した人、持ち金が尽きて万事休す、の
人、そして何かマズイ事をやらかして逃げている人、も
いたかも知れません。

心境としては、東京の片隅でホームレスとかやってる
よりは、旅してた方がいいじゃん!みたいな感じで、
基本、世捨て人の世界です。現在のわたしなんか、
そう考えたらちゃっかり社会復帰を果たしたクチですね。
サロンで趣味としての旅を語ってる人たちにしてみると、
「旅行者」としての立場が現地民にかき消される、
ミイラ取りがミイラになる、みたいな状況にでもならない
と、そりゃあ話が根本のところでかみ合わないかも
知れないですね・・・

さすらいの果てとしての北海道などは、学生にはかなり
刺激的なので、人生観が変わる・・・というのは、なくも
ない気がします。ただ、個人的にはそれで生き方が変わ
った、という若者を知りません。世の中は広いな、いろん
な生き方があるな・・ぐらいに心へ留めるのがおそらくは
大半で、まあそういうものなんだと思います。

要は、いかに深刻な状況の旅人に出会ったとしても、
自分の問題にならなければ、自分が変わったりしないの
です。わたしも含め、最果てにいた旅人(笑)というのは
むしろ実生活で何かあって人生観が変わり、結果旅に
出たようなもので、つまりは、旅が人生観を変えるのでは
なく、変わった結果が、旅だったという 爆

もちろん、変わったところもありました。旅、という現実の
冒険を始めた事で、仮想の冒険である「映画」をあまり
観なくなった・・とか。旅を一通り終えると、日常を冒険し
て生きる事を学ぶようになりました。つまり自分の人生を
ちゃんと生きよう、と思うようになったのです・・これはまあ
人生観変わった、といえば変わったところなのかも知れ
ません。

はあちゅうさんの意見も、ご自身が世界一周されたから
こそ言える事だと思います。世界一周しなければ、現在の
彼女は存在しない訳で 旅は明らかに人に変化を与える
それだけは言えるのではないかな、と思います。

ただ、軽々しく「旅で人生観変わった」という類のものじゃ
ない、という感覚はわかります。書いてきたとおり、実態は
多分に負の要素を含んでいるはずですし、あと変化は後々
にならないとなかなか気づかないものだったりするので・・

ここまで書くのに、5時間ぐらいかかりました 爆
(途中、楽器弾きたかったので中断もしました)
やっぱり、わたしに ぶろがー は無理ですね。






  


2016年04月14日

両極端だが対立していない?東京論について


以前に2回ほど、このブログでもとりあげた
『まだ東京で消耗してるの?』(イケダハヤト著)
という新書ですが
「もう東京はつまらない街になってしまいましたし」
「東京には面白い人が多い、というのは全くの幻想。
 地方には東京にはいないタイプの、破格の『面白い人』
がたくさんいます。」
などなどズバリと言い切る様が少なからず衝撃でした。
こんな感じ
http://www.ikedahayato.com/20150810/39187379.html

しかし、こんな意見もありました。
http://www.miyahaya.com/entry/2016/03/27/212033

一方では「東京はもう、つまらない街になった」といい、
もう一方では「東京は本当に面白い人が多い」という。
一体、どっち?と思うけれども、これは少し考えれば、
「両者の生まれ育った場所、立場の違い」による見解
の差、と思い至ります。実のところ、どっちも本当で、
決して両者は対立する意見ではない、という事も。

どちらかというと、後者の宮森さんの意見の方が
昔ながらで、ありきたりな感じはします。
実は境遇的に、日本海側のすごい田舎の出身という
事で、わたしと似ています。だから、彼のいう
「ジモティー」がつまらない、という意見はすごくわかる
ものがあるのです。

一方のイケダさんは、横浜の出身でずっと首都圏の
中で育ち、大都会のいろいろな面を知り尽くしています。
彼は東京での生活の現状、仕事の仕方にうんざりしており
高知の田舎ではその不満が全て解決したと言います。
彼が「地方の人のほうが面白い」と断言するのには、
土佐・高知という土地柄もある、と個人的には思うのですが
(むかし旅をして何日か滞在したので、わかります
 本当に面白い人ぞろいで、一種特別な土地に感じました)

おそらく、宮森さんが田舎で多く接触する機会のあった
「ジモティー」的な人とは、イケダさんはあまり接していない
かも知れない。新しい仕事を開拓したり、自分たちで祭りを
作ってしまう人たちの話が多いので、そういう人たちは多分、
ずっと地元に住んでいても、フットワークが軽いと思うのです。

宮森さんの方はというと、「外に出なきゃダメだ!」と友人に
言われたのを、「東京に出ろ!」と解釈したと書いてますが、
そりゃ、東京が輝いて見えますって(笑)わたしも死ぬほど
わかりますが、「その土地好き好きオーラ」が出ますと、
本当にその土地の人たちが面白いと感じられるものです。

実際、わたしは東京に住んでいた頃は東京に幻滅していて、
あまり面白い人に会った記憶がありません(10年以上住んで
たんですけどね!?)ところが、東京を離れて、たまに旅行
する土地になった途端、また東京が好きになって、会う人
会う人、面白い人ばかりに思えるようになりました

まあ、これには多分、アイルランド音楽関係の出会いが多い、
というのも関係するのですが、ようするに、人間特にわたしの
ようなタイプは日常的には内に向いてしまうので外への関心
が薄れてしまう傾向があって、たまに東京に来た時には当然、
久々な土地そのものに興味がある訳なので外向きになる、と
いう事なんだと思います。

実のところ、東京にだってジモティー的な人は多いのではない
か、と疑うのです。宮森さんは地元の、中学・高校の「スクール
カースト」をくだらない、と言っていますが、東京の
「どこの大学を出たか」という、大学のランクづけ・・出身大学で
人を見る あれ、本当にくだらないとわたしは思ってました。*
「俺は中央線沿線から出た事がない」とか、
「地方の事は全然知らない、どうでもいい。東京最高」とか
いう人にも会った事があるし、かえって井の中の蛙、閉塞的
というか、むしろ果てしない街並みに覆われた巨大都市の中で
それでは、深刻度は大きいな・・と思う事もあります。
(福島原発の災禍でそのあたりが表面化しましたが)

また、長々となってしまいましたが まとめますと
お二人とも、言い分は間違ってはいないなと思います。
ただ、それぞれの置かれている状況の違いで、一方は面白く、
もう一方はつまらなく感じられてしまうのだろう、と。
また、田舎から出た事のない人は一度出た方がいい、という
のは大賛成ですが、それは東京の人にも言える事です
(かつて東京の人というと、海外の事は詳しいが国内の地方
 の事はまるで知らない・・という印象でしたが、それは
変わってきているのかな)

最後にわたくし事ですが
東京を離れてからあらためて東京を好きになったと書きました
が、また東京に住むか・・というと、まずない と思います。
というのも、わたしがつまらないと思っていたのは「東京」では
なく「東京に住んでいる自分」だったからです。
東北人が東京に住むなんて、もはやありきたりすぎる(爆
自分が東北に生まれたのには何か意味があるはずだと考え
葛藤しながらもしがみついて生きる方がずっと面白いのです。
(というか、単に東北が好きなんですね結局)

だから特に宮森さん、今は若いし東京が一番に感じられる
でしょうが、石川県の人ですのでそのうち金沢市などにも
シフトしていくと、書いている内容にもいい影響が出るんじゃ
ないかと思います。


*あとになって、ここでいう「スクールカースト」というのが
一学校内でのグループの階層の事だと気づきました・・
わたしは学校同士の階層分けと勘違いしてたのですが、
まあ内容的にあまり違いはないだろうと(爆)思い、その
ままにしときます。


  


2016年04月13日

蒸留酒を飲む




ゴールデンカムイの記事ではちょい力み過ぎた
かもな・・・熱くなって長文書いても、誰も読まねー
っつーのに

デジカメの写真、なんか「画面縮小」かけても全然
だめなんだよなー。何が問題なのかもわからない。
カメラ側の「写真サイズ」をSmallにして、この大きさ
だからなあ。まあ、スクロールして、見れない事も
ないんだが 笑

花見の写真も撮ってみた。花見といっても、わたしは
基本 出不精で、まだ寒いから人の多い公園なんて
行かなくて、近所の踏切んとこの一本桜をじ~っと
眺めにいくだけだ。実際、仙台ってとこはなにげに
咲いてる一本桜が一番良かったりする。



なんか、話題的に写真の順番、逆なんだが(ゆるいな)
一枚目の酒のはなし。少し前、新潟市に仕事で行って
地元の居酒屋でよせばいいのにいわゆる「もっきり」
という奴で、佐渡島の地酒を飲んだ。ずいぶん長いこと
日本酒を飲んでいなかったので、忘れていたようだが
一杯でぐでんぐでんになってしまうのだ。

日本酒にしても、焼酎にしてもそうだが、店でたのむと
とにかく量が多すぎて困るのである。味は美味い、と
感じられるのだが、身体は少量しか受け付けない。
日本式の居酒屋だと当然のように「酒飲み」のための
店なので、わたしはまず入らないのだ。
焼酎などは、ウィスキーと同じく蒸留酒なのであらためて
飲んでみたいのだが、おそらく自分で買って、家で
ストレート(生「き」というらしいね・・)で飲んだ方がいい
かね。まあ、店でもそうやって飲めるのかも知れないが、
どうも行く機会がない。

パブやバーだって、酒飲みのための店だろ・・って
言われるかも知れないが、わたしのような者からする
と、決してそうではない。
わたしはほとんどウィスキーをストレートで飲むが
「酒弱いくせにそんな度数高いの飲むの?」とよく
言われる。いやいや、ウィスキーのストレートって、
まさに酒好きだけどアルコール弱い人間のための
飲み方だなーってわたしは感動したもんなんだ。

わたしはウィスキーよりずっと度数の低い、ビールで
もっとひどく酔う。どうもアルコール度数で酔うという
よりは、アルコールを含んだ液体の量で酔うのでは
ないか、とわたしは疑っているのだが・・・

ビールは飲みながら、水を飲んだりは普通しないの
で、ずーっと長時間、身体がアルコールを感知し続け
る。結局、これで酔っているのではないのかと。
ウィスキーの場合、チェイサーとして水を飲む事で、
身体に休憩を与える事ができる。チェイサーの意味は
いろいろあるのだろうが、わたしが酒を楽しむためには
まさにうってつけの飲み方なのだ。

なので、最近はウィスキーと同じく蒸留酒と名のつく
ものならストレートで飲みたいと、ラムにも手を伸ばし
てみた。はじめ、先日宮古に行った時にTRAD家に
ジャマイカのマイヤーズダークラムがあったので、
そのまま飲んでみたら、その独特すぎる飲み口に
衝撃を受けた。ラムというと、カクテルベースとか
お菓子の材料とかのイメージみたいだが、どうも
カクテルに使うのは透明なホワイトラムらしく、色の
濃いダークはまさにウィスキーと同じくストレートや
ロックで、本来は飲むものらしいのだ。
Barm’sでもその話題を出すと、マスターが店内の
キューバのバカルディラムを飲ませてくれて、また
その美味さに感動した。

どうも、いろいろな酒に勝手につけられた、世間の
イメージというのは、怪しい。自分に合った酒の飲み
方しかできないのだから、自分なりのアプローチを
それぞれの酒に対して試みるのが最善だろう。
そのうち、テキーラやブランデーも試してみよう、と
思っている。

とはいえ、これは結局「ウィスキーが一番美味い!」
事を確認したいから、というのもあるかな。






  


2016年04月10日

祝:受賞 ゴールデンカムイ




ある夜、岩手県は宮古市に住む、10歳ほど年下の
姉貴から(爆)驚きの報告がユーガット亜メールだった。

「ゴールデンカムイが漫画大賞だって!!」

なんという事だ!すばらしい!!

・・・って、自分の描いた作品じゃないのに何喜んでる
のかって?なんでTRAD♀さんからお知らせ来るのか
って?

つまりは、わたしがけっこう前からこの作品をブログ上
で紹介していたのを、TRAD♀さんが読んで下さって
いたのである。
このところ、実は北海道が舞台のマンガ作品が盛況だ
・・・って、業界の事は正直わからんのだが 笑
『僕だけがいない街』もそうだし、沙村広明の新作
『波よ聞いてくれ』も札幌のラジオの話だ。
北海道新幹線開通も重なって、北の大地への熱い
視線が熱線となり温暖化するのだろうか
(なにいってんだ)

それにしても、この作品がマンガ界のトップに君臨
した、というのはすごい事だ。いや、確かにわたしが
今読んでいる5、6本の作品の中でも自分の中での
総合得点はダントツで、当然の結果とは思えるのだが、
特に本作は他の北海道舞台のマンガとは違って、
単に北海道が舞台の話 ではないところがミソである。

つまり、ある意味「問題作」であるところが、受賞した
事の意味というか、重さを感じさせるのである。

『ゴールデンカムイ』(「カムイ」がいまだにひらがなから
普通に変換せず「課無為」とかになるのがもどかしい)
の人気の秘密は、多彩である。
まず、わたしは恥じなければならないのだが、手塚治虫
の『シュマリ』という作品を、未だに読破していない。
これは、はるか昔に手塚が「アイヌの国」舞台に描いた
先駆的作品であり、成功作とはいえないが『ゴールデン
カムイ』の作者・野田サトルにも多大な影響を与えた。
今作は、『シュマリ』と共通する、いくつもの要素を取り入
れながら現代の北海道民自身の価値観と問題意識で
全く新たな作品として再生させたものでもあるのだ。

主人公の、日露戦争帰りの元兵士の名は、なんと
野田サトル自身の曽祖父の名なのだという。
つまり、本作には北海道民としての実感だけでなく、
実際に肉親が日露戦争から生還した(ゆえに、今ここに
自分が生きている)という歴史学的・生命学的?実感
が込められている。文字通り、漫画家一世一代の、
命がけの一作という事なのである。

作風そのものにも、作家のセンスのよさ、狂気にも必ず
併走する良識というものを感じさせる。
巨大なヒグマが人間の顔の皮を爪で一気に剥がす、と
いうような残酷な場面もあるが、こうした場面は敵役への
因果応報のような形で起きる場合がほとんどで、読後の
後味は悪くない。愛や絆は確かに描かれるのに、性描写
はさっぱりとしていて、いい意味で避けられてもいる。

作者の興味の広さ、引き出しの多さも魅力だ。
柔道家は握手ひとつで相手の強さを感じ取るとか、独特
の耳の形になるとか、スポーツ好きならではの知識から、
競馬における騎手の乗り方とか、賭博の際の壷振りの
技術とか、さらには秋田マタギによる犬の服従させ方
講座、サッポロビールを作ったのは新政府軍の士官で
土方歳三が「くやしいが美味い」と言ったとか、とにかく
ネタが豊富で、飽きさせない。
それに加えて、過酷な状況、一寸先は闇、の世界を描
きながら、登場人物への愛とユーモアが決して失われる
事がないのである。。
そこが、何度も読みたいと思わせる、拡大してゆく人気
の秘密だろう、と思っている。

しかし、それら多彩な魅力を束ねる屋台骨ともいえる
作品の「芯」の部分こそが、『ゴールデンカムイ』を
「問題作」にしている所以なのだ。
本作は、『シュマリ』以上にアイヌ民族の世界に踏み
込んでいるが、アイヌを「帝国侵略」の被害者として
描写する事は、避けている。避けている代わりに、
「アイヌ民族を中心とした、北海道独立国」への想い
が、物語の軸となっているのが、読むうちに明らかに
なってくるのだ。
現実のいま、アイヌ民族否定論などが飛び出して
いまだに先住民族復権が阻まれる中、この作品は
「北海道の本質」
というものを誰が何と言おうと明確にするのである。

物語の結末が、どうなるか・・・そのヒントは、言うま
でもなく、現代の北海道の姿にあるだろう。
けれども、大切なのは、北海道という土地がどういう
場所で、自分たち道民とは何者なのか、を描き出す
事だ。アイヌを否定する事なく、自らが新たな時代の
アイヌとなる事。偽りなきアイデンティティを追求する
カギを渡せたなら、『ゴールデンカムイ』にできるのは
未来の世代に委ねる事だけである。

アイヌ民族否定、ヘイトスピーチ。政府は言論、報道
の自由を民衆から奪おうとし、いつかあった(そして
もしかすると未だあった事のない)悪夢の時代へ
列島を巻き込もうとするかのようだ。
そんな時代に、北方政権を夢見た土方歳三や、「北鎮
部隊」が北海道を帝国から奪取し独立を図る、という
マンガを描く事は、決して穏やかな事ではない。
これは、時代を超えた、権力への挑戦なのである。

一方で「東北の独立」を長年夢想してきたわたし(笑)
だが、ゆえに荒唐無稽な話でも、他人事でもなく、
勝手ながら同志・戦友のごとく見守りつつ、非才なが
ら自身の物語をも紡いでいかねばならぬ、と焦燥にも
駆られる昨今なのだった。