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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

2017年07月31日

せんぷうき が やってきた


実に驚嘆(というか呆然)の事実なのだが
仙台に来て、ここ数年アパートの部屋には
エアコンどころか、扇風機もなかった・・・

エアコンの方は、いまのアパートに入る時に、
大家さんが部屋に付けてくれるという話だった
のだが、その前にわたしが大量の荷物を部屋に
入れてしまって、工事の人に入ってもらうのが
面倒になったので、「いいです」と言ってしまった・・
という。まあ、東北だからエアコンなんてなくても
大丈夫だろう・・・とたかをくくっていたのだな。

で、もちろん東京から引っ越してくる時に、
持ってきた扇風機があったのだけど、これが
頂きものの安もので、なぜかプラスチックのハネが
ぱっきん、と折れてしまったという・・・
以来、なかなか買い換えなかったのだが、それも
なんだかプラスチックの扇風機はいやだなあと
思って、「理想の金属製」を追い求めていた、という
のもあった。それでこのたび、ようやく限りなく、
理想に近いモノが発見できたので、めでたく購入
やっぱり、自分で撮った写真は載せられないみたい
なので、ネット上の某サイトより写真をお借りして・・
こんなやつです。


50年代頃の、アメリカで使われたものを再現して
作ってあるのだとか・・(メーカーは鎌倉にあり)
実用的なのはもちろんだが、この姿!
とにかく、「早くアイツの風に当たりたい!」といって
帰るくらいに(あったかハイムか)惚れこんだ。
このハネ、金属製なだけでなく、この細い形がいい。
ただのデザインではなく、風の効率を極めた形なのだ
そうだ。実は、仙台のロフトにもこういうレトロなのは
置いてあったのだが、このハネの形などもろもろ
中途半端感があり、ネット上で探したら、値段は倍以上
だったが、比較してこの徹底性に触れ、やはり長く使う
ものならば、と思い決断に時間はかからなかった。

で、使ってみてあらためてわかった事なのだが、
「やはり仙台ではエアコン必要ない」
(とは言わないが、なくてもなんとか大丈夫!笑)
昨年までは夏は部屋にいられなかったが、
せんぷうきがあれば一日中いる事ができる。
コイツがあるだけでこれだけ違うとは、驚きだ。
ちなみに、電気代はエアコンだと一日約100円。
せんぷうきだと一ヶ月で約100円だそうだ・・・


  


2017年07月21日

夏のカゼ


夏のカゼをひいていた。

あまり書きたくもないのだが・・あまり書かんのもなあ。

ある仙台の街なかでの仕事のあと、事故で二つほど
ものすごいストレスが2重3重で一気にきて、
それが10時間、メシも休憩もナシという仕事のあとだった
ので、余計に心身に効いたらしかった。

そのストレスの、駄目押しってやつを、書いとこうかな・・
仕事のあと「もうこれ以上は駄目だわ」ってとこで、ようやく
蕎麦屋に入った訳だが(もっと栄養のあるもん食えよ・・)
カウンターに誰も客がいなくて、ほっとしながら一番はしに
座ったのだけど、その次に入ってきたサラリーマンの客が
「端から詰めておかけ下さい~」
という店員の言葉を真に受けたのか、わたしの真どなりに
座りやがったんですな・・・・・・
「!?!??ちょ、ちょっとまて・・・・・?」
こ、こんだけがらーんと、空いているのに、全く見ず知らず
の人間の、真どなりに、座る?ふつう。

わたしは、実は、かなり神経質だ。はっきりいうと、いわゆる
『強迫性障害』むかしでいう「強迫神経症」もちである。
知人や友人の前ではほぼ完全に隠せてはいるが、それでも
例えば牛丼の吉野家のような、知らない誰かと向かい合わせ
になるような店には極力入らないようにしているほどである。

他に誰もいない(いるんだけど)空間で全く知らないオッサンが
真どなりでスマホ見ながらコ汚く蕎麦をすする・・・
本気でこいつ、絞め殺そうかな?と思った(怖)
俺も、他の席が空いているのだから立って移ってもよかった
だろうに、この客が気を悪くするんじゃないかと
(この客を気遣いたいのか殺したいのかどっちなんですか!)
結局、この客が食い終わり出て行くまでわたしは自分の蕎麦に
手をつけぬまま、タメイキをついてましたよ・・やな奴だよな、俺
随分また、内向きな人間に戻ってしまった気がする。

こんな感じで、いらぬストレスまで頂戴して帰ったもんだから
次の日から、鼻水がなんだか変なニオイし出して、気分も悪くなり
それでもしばらくは休みがないまま、なんとか働いておりました。
しかしどうにもやばくなって、何年か振りで歯医者以外のお医者
・・・耳鼻咽喉科さんに行ってきた訳です。
「風邪から発展して、副鼻腔炎」というところ・・蓄膿症の手前です。

ところで、上記のような、見ず知らずの人間との必要な距離感覚
は「パーソナルスペース」というのだったかな・・やはりあれは
後から考えても、わたしの強迫神経症がというより、あのオッサン
の方が異常というか、無神経としか思えませんね。
よけいなストレスに殺されかけるより、こういうヤカラには毅然とした
態度で挑むべきだな・・今日で46歳も終わる。生きたければ、そろ
そろ何かを変える必要がある。
ちなみに、最近は蕎麦屋じゃなくて、定食が食える店を発掘して
通ってますよ・・抗生物質が効いたようだ、いろいろと美味い。



  


Posted by げん at 02:05Comments(0)えみし普通の日記

2017年06月29日

夏の自炊


昨日は、久しぶりにうちでメシを炊いた。

冬と同じように3食分炊くと、夏はすぐに悪くなってしまうし
冷蔵庫にもなかなか入れるスペースがないので
(特に何が入ってるって訳ではない。だが入らないのだ 謎)
1食分・・1合半だけ炊く。(うち、4半合は麦である)
これで、松前漬と納豆 インスタント味噌汁で食す。
(インスタントかいっ)
松前漬は数ある全国の漬物の中でも塩分が最強という事で
知られており、ゆえに納豆にはもはや何もかけない。
ちなみに、うちで食う松前漬は新潟で仕込まれている^^
あっそうそう 五目たまごやきという奴も一緒に食べた。
これも新潟製。松前漬の強い味を中和してくれて、いい塩梅。

今日は、空き缶・空き瓶を出す日だった。
夏になると、暑くて長時間の大そうじが難しくなる。
(っていうか、まだやってたんかい)
なので、とにかく毎日10分間、例の「ひとつかみ作戦」続行。
(例の・・って?という人、気にしないで下さい)
必ず毎日10分間。その代わり10分以上やってはいけない。
やってはいけない、となるとやりたくなってしまう、のが人間・・
だが、俺はやらないだろう(どっちだ)

ところで、久しぶりにメシを炊いた と書いたが、実際 夏は
いつもこんな調子で、だいたい、外食かスーパーの弁当で
冷やし中華とか、冷やしラーメンとか、冷たい肉そばとか、
ざるそばとかばかり食べて乗り切ってしまう。爆

とはいえ、外食ばかりして暮らすには、仙台は微妙な土地
である。いや、お店自体はもはや、自分にとって東京以上に
充実している といっても過言ではない(というのも、山形系
のお店が多いからだ^^)問題は、わたしの住む台原という所
が、仙台中心部から離れた、「郊外の入口」である事にある。
ようするに、近くに、お店が・・・ない・・・のだ。

ゆえに、別に天気のいい日などはいいのだが、雨などの日
には、もうわざわざ中心部まで出かけていかず、暑くても
たまにはメシを炊く という事もある訳である。

しかしながら、この、適度に不便 なところって、割と大事な
事なんじゃないか などとも思うのである。
そのむかし、東京の高円寺という超住宅密集商店街に住んで
いたのだが、ここはもう、アパートを出るとすぐのところに安い
ラーメン屋・定食屋が並び立っていたのでもはや一年中自炊
する必要もなく毎日外食三昧なんて時期もあった。
ところが、やはりこの、自分でメシすら炊かない という暮らし
ぶりが、若者を廃人にするのである。
これが俗にいう?中央線の呪い のひとつなのだ ぉぃぉぃ


  


Posted by げん at 19:08Comments(0)えみし普通の日記

2017年06月09日

6月も、大掃除


大掃除は、続いている。
しかし、夏がいいかげん、近づいている。
エアコンのない、この部屋で 夏の大掃除・・・・・・・・
考えるだけで、イヤになってしまうわけで
そこで、ひとよんで『ひとつかみ片付け大作戦』を決行
とにかく、仕事の日でも、帰ってきたあとでも
ひとつかみ分、どこかに手をつける事
とりあえず、新しい扇風機と、新しい本棚を
それぞれひとつ置くスペースを作る。それ目標。
なにか部屋に入れるスピードより、出すスピードを
上げていく事。部屋を中心に暮らす事を忘れず
いつでも部屋のゴミの事を考えゴミ出しを意識の外に
置かず、常に念頭に置き・・・ってどんだけゴミ屋敷だ

今回、2013年から書き始めて、ネット上の新聞に毎月
連載させてもらっている「小説のようなもの」を一応、
完結という形にもっていく事ができた。
実は、小説を書いてる みたいな事は、この3年間
ほとんど人に話さないで貫き通してきた。
いや、ホントのところは、まだ全然終わっていなくて
これからまだ書いていかないといけないのだが、
一段落というか、節目とはいえるところまではきたので、
そろそろ何かしら、少し語ってもいいのじゃないか?と
考える事もあるのである。

なぜ、今まで人に話さないできたか、というと まあ
いろいろあって、まず

@小説をほんとうに書いていると、人に話せなくなる

というのが、一番大きい。実のところ、20代の頃の自分は
「俺はマンガを描いてる」「俺は映画を撮ってる」といいながら
ろくな事をしていなかった。ポーズのようなもので、カッコだけ
つけているというか、ようするに「夢見ていた」だけだった。
いずれも確かに好きな分野で、華やかな外面があるから、
憧れていた。好きだから才能もあるはずだと、信じたかった。

ところが、小説というのは決して好きな分野ではないし、
才能は正直、一番ないと今でも思っている。
(皮肉にも、才能が最もない と思っている小説と音楽
 だけ、いまでもやってる。どうしてだ)
ふつう、小説を目指す人は 本屋に自分の本が平積み
されている図を夢見るそうなのだが、わたしにはそういう
憧れや夢が、一切ない。つまり、むかしの自分からは
想像もつかない事なのだが、いまの自分には「夢」という
ものがない。一種の失望の果てに、書いているとさえ、
言えるのである。

そんなんで、なぜ書いているのか という話はまた後々に
するとして、なぜ書いてると人に話せなくなるか というと
小説というのは、内に、内に、こもっていく行為だから、と
いうのがまずある。実はこれ、わたしのもともとの気質なの
で、そもそも小説は自分に合っている、といえなくもないのだが、
映画を目指していた頃は協調性が大事だというので割りと
外向的だった(笑)のに、小説に転じた途端、孤独癖がぶり
返して最近はいわゆるコミュ症みたいなまでに内向的に
戻ってしまっている。
あと、やはり本気で書きたい事を書いていると、逆に自分の
才能のなさ、というか限界が見えてくる。自信喪失、自分が
書いているものなんてろくなもんじゃない、という意識が常に
あるので、すすんで人に話すなんて気分でもない訳である。

だから、そんなんでなぜ書いているのか という話になるの
だが(爆)まあそれはまた次回 (おいおい
  


Posted by げん at 03:51Comments(0)えみし普通の日記

2017年05月11日

ライト・ノヴェル って何ですか?(書きかけ)


昨日、泊りがけで青森県東部は三沢市から戻ってきた
と思ったら、明日は新潟に泊りがけ・・土曜の夜に戻ると
日曜には2泊3日で秋田→青森 という今日この頃
一体、なんの仕事なのやら・・・
(またセッションも、行けないか・・あとこの10年で初めて、
青葉まつり まったく見れないかも知れないな。)
まあ、三沢の町にアメリカ村みたいな所があって、
そこの「萬屋」さんみたいなところが本物の軍用品とか
溢れてて向こうの兵隊さんも普通に利用 その他
アメリカ直輸入の雑貨や食材なども面白かった。
普通に中古コミックやCDの棚も楽しんだのだが、
いま、わたしが毎日聴いてるガーネット・クロウの
今やなかなか入手できないアルバムを見つけて
これもまた遠征時の思いがけぬ収穫。

さて、前回『フルメタル・パニック!』の原作である所謂
「ライト・ノヴェル」というジャンルの定義は?みたいな話
したかったのだが、なぜこんな疑問が沸いたかというと

いま、自分が書いてるものって、らいと・のヴぇるなの?

と胸騒ぎwがしたからである。

というのも、わたしが今、書いているものの大きな参考
というか、指標となっている作品・『帝都物語』(荒俣宏)
を「現在全盛のライト・ノヴェルのハシリ」と言っている人が
ネット上にいたからである。

イメージ的には、一般的なこむずかしい?大人の小説
でもなく、童話でもない、少年少女のための読み物として
「ジュブナイル」という呼び方があった。主人公が少年少女
であり、挿絵がある。大人が主人公の小説を、主人公を
少年に書き換えて出してある本も、あった。

いかん・・時間がない 爆 つづくよ!






  


Posted by げん at 22:59Comments(0)えみし普通の日記

2017年05月07日

5月7日(日)


昨日、久々の労働を言い訳に、怠けましたが
大そうじは、続行中です。 笑
実はそうじだけではなく、いろいろ寝床とか机とかの
位置も変える計画なので、一年がかりです。
大そうじ「月間」ではなく「年間」ですね・・・
夏などはとても部屋ん中でぱたぱた動く気もなくなる
のですが、少しでも動きやすくする為に備えなければ
なりません (なんてね じゃなくて)

最近、漫画熱はちょい落ち着いて(っても、そんなに
読んでた訳じゃないのだが)小説などに傾いてたの
だが、またまた面白い漫画に出会ってしまった。



近年、漫画がクールジャパンとかいって全盛のように
言われているが、むかしのように、若い人が誰でも
読んでいるマンガ作品というのは、たぶんないだろう
と思う。『ゴールデンカムイ』なんて、奇跡的に、かなり
周囲の知人も知っているが、本当にこれは例外だ。

今作品の作者・カサハラテツローは、かなりマイナー
な作家である。なにしろ、集英社とか講談社とか小学館
とかそういう知名度の高い出版社からは一度も作品を
出した事がない。私より少し年上で、勿論むかしから
描いてはいるのだが・・CRコミックスとか、MFコミックス
とか、富士見書房とかIKKIとか・・知らねーつーの 爆

いまどきのマンガというのは、メジャーじゃなくて3年も
たつと、どんどん後から新作が押し寄せるのでとっとと
書店の棚から消えてしまう。だから遅れて注目して
探してもなかなか見つからない、という事になってしま
うのだ。儚い・・・彼らは、ちゃんと生活できているのか
(他人事とは思えなくなる・・そのうち)

かくいう私も、この作家を知ったのは、ごく近年である。
3年ほど前、彼は新作を出した。その最新の5巻目



わたしが注目したマンガというのは、はじめ無名でも
のちのち漫画賞を取ったり、アニメ化・映画化したりする
作品が多い。これはわたしの兄もそういうところがあって、
要するに、マンガを見る眼はある、という事だ(えっへんw)

この『アトム・ザ・ビギニング』も、なんと最近NHKでアニメ化
されてしまい、放送中である。これは、予測がつかなかった。

冒頭で書いたように、むかしのまさに「誰もが読んでいた、
もしくは知らない者はいなかった」マンガの時代、その代表
である『鉄腕アトム』その誕生前史を描いたものである。
将来アトムの生みの親となる天馬博士と、育ての親となる
御茶ノ水博士が大学時代の親友だった、という設定で、二人
が共同開発するアトムの「前身」というか「前世」ともとれる
ロボット「A106(エー・テン・シックス と読む)」の活躍を描く
ものである。

『アトム』を別視点から描いたものとしては、かつて浦沢直樹
の『プルートゥ』があったが、あちらはあまりにもダークで深刻
になり過ぎていたのに対して今作は子供でも充分楽しめる
エンターテイメントである。

実はカサハラテツローはオリジナル作品よりも、原作・企画
つきの、作画・漫画担当、という仕事が多い。オリジナルと
しては近未来の乗り物に女の子が乗るSFスポーツもの、と
いう独自のジャンルでアニメ化もされているらしいのだが・・
とことんマニア向きなんだなあ
今回も、手塚治虫の息子・手塚眞、ゆうきまさみといった
強力な監修・助言役でバックを固めているようなのだが、
正直設定は面白いとはいえ、はじめ数巻はあまりキャラクター
を生かしきれていず、話はこびも上手くいっていない気がした。

俄然、面白くなってくるのは今巻、アトムの妹・ウランにあたる
ロボット「A107」が登場してからである。今回、A107は兄・A106
よりも最新で、先んじて空も飛ぶなどあらゆる能力が優れている、
という点が面白い。聖人のような兄に対し、妹は子供の残酷さを
さらけ出す危険な「兵器」でもあり、この兄妹がいかにして心を
通わせるか?が今回の一番の読みどころとなっている。
(それにしても、人間の表情を持たない機械であるA107をここまで
女の子っぽく、かわいく描いてしまうカサハラのセンスはすごい!)

他のロボット・キャラクターにしても、『アトム』ファンならば周知
の『史上最大のロボット』に登場したスコットランドの「ノース2号」
の1号機(これも女性的曲線をもっていて、極めてエロい!!爆)、
『イワンのばか』に登場したロシアの軍用ロボ・イワンなど往年の
名作を知る者ならば思わず唸るような工夫が凝らされている。

ロボットだけではなく、人間のキャラクターの設定工夫もなかなかだ。
あのヒゲオヤジ(伴俊作)も少年時代の姿で登場するのだが、彼の
曽祖父が悪徳の町医者であり、御茶ノ水の祖父がその病院の地下
に下宿していた、という話が出てくる。

これ、実は『アトム』の最終エピソード『アトム今昔物語』の中で、
物語の中1970年頃の設定で、町医者はヒゲオヤジの父親、そして
下宿していたのは若き御茶ノ水本人であった。というのも、『アトム』
は当初、2000年代初めの物語で、アトムの誕生も2003年だったの
だが、実際のロボットの進歩状況も鑑みて 笑 『アトム・ザ・ビギ
ニング』はまだ少し先の設定になった為、このような設定変更を行わ
ざるを得なくなった・・・という訳だ。

とはいえ、こうしてかつてのエピソードが無視されず、尊重され
再生産された事は、往年のファンとしてはつくづく感激しないで
はおられない次第だ。

ちなみに、主人公「A106」というのはよく見ると「A・10・6」(ア・ト・ム)
と読めるのがわかる。これ、なんと単なる語呂合わせではなく、実際
「A10」というのは人間の精神面で重要な働きを担う神経細胞の名称
らしい。天馬らのロボット研究はこのA10をAI研究の基軸としている
事から「A101」に始まる試作を続けてきた・・という訳である。
この、奇跡的な一挙両得のネーミングで、今作品の成功は半ば約束
されたようなものかも知れない。

で、最初にあげた「またまた出会った面白い漫画」に戻るのだがw
(長いんだよ・・・)
この『フルメタル・パニック』も実はカサハラのオリジナルではなく、
原作つきである(『アトム・・』の直前に手がけているので、比較的
新作ではある)・・というか、原作はかなり昔から知られた所謂
「ライト・ノヴェル」で、これまで何度もマンガ化、アニメ化、ゲーム化
がされてきた有名なところではあまりにも有名な作品世界らしい・・
だから、今さらなんで、という声も当初あったらしく「絵柄」が従来の
ものとはあまりにも違って、戸惑いを覚えた人も多かったようだ。

ちなみに、こちらが従来の絵柄とか



うーん・・この絵柄だと、わたしは読まなかったかも知れないw
つくづく、マンガというのは絵との相性だなと思ってしまう。
話の方も抜群に良いので、絵で読まない というのは勿体無い
事ではあるのだが、逆に小説でも話の内容はいいのに、文体
が読みづらくて断念、という事もあるのだから、仕方がない・・

今作の絵を見て、驚いたのだが、『アトム・ザ・ビギニング』
の時より圧倒的に、絵がいい!!笑 全体的にキレがよく
生き生きとしている。まだちょっと、『アトム・・』のカサハラは
どこか設定に窮屈さを感じているのかも知れない?
前述の通り、カサハラはオリジナルだと女の子を主人公に
したSFものを好んで描いているので、ストレートに女の子の
活躍が描ける『フルメタル・・』の方が乗り気だったのかも
知れない・・笑

ところで、この原作となった「ライト・ノヴェル」という小説の
一ジャンル?についても多少、思うところあるのだが・・・
これはもう、長くなってしまったんで、次回にしましょう 笑





  


2017年05月03日

5月3日(水・祝)


5月になってます。
奥羽越現像、仙台移住11年目がスタート、ですな。

大そうじは、続いております。
ご存知?のように当ブログ、写真がどうも載せられない為
部屋がすごい状態から、徐々に片付いていく様子など
レポートでもできたらいいのでしょうが・・
(いやいや、写真が載せられないのは今回、幸いでしょうw)

いま、毎月の原稿にとりかかっているのでGW中とはいえ
旅行なども行かずにアパートに籠もっておる次第です。
昨日一昨日などは行き詰まるとバイクでちょい遠乗りとか
文字通り「逃避」してたのですがw今日明日はもうかんねん
して、行き詰まったら「大そうじ一時間」です。

しかしまあ、これも今のような、まとまった休日があれば
こそです・・また労働日が重なるようになったら、大そうじ
もどうしても怠けがちになるでしょう。それが悔しいです。

とりあえず、靴の脱ぎ場・足の踏み場・座り場・寝場・・
ぐらいはあるのですが、他はほぼ、ナシです 爆
これに、棚ひとつ新たに置く場、を作るのが目標 ですかな。

  


Posted by げん at 17:22Comments(0)えみし普通の日記

2017年04月29日

4月28日(金)


今日は洗濯のため、山を降りる(いや、せいぜい丘だが)
麓?の街・宮町あるいは小田原の、コインランドリーへ。

ところが、一昨日から自転車の前タイヤがいよいよ老朽して
この春一番のCUB・バルⅡ駆り出しを行う事になった。
年明けから、4ヶ月もかけていなかったエンジンが、やはり
一発でかかった・・・相変わらず、驚異的なマシンだ。
(つーか、やっぱりかわいそうな事してるよな・・)

その勢いで、泉区方面や青葉山まで走ってきたいところ
だったが、今日は自転車を修理に出しにいかねばならない。

自転車もCUBも、上杉にあるハヤサカサイクルまで持っていく
事にしている。ここは、仕事が速くて、間違いもない。
前タイヤ・チューブともに交換で、しめて5000円也。
預けていくつもりだったが、10分かそこらで仕上げてしまった。

帰りは、久々に東北大学農学部前(って、もう言えなくなるん
だな・・・)の純連で、みそラーメンを。ここも、アルバイト不足で
一時は営業時間短縮に追い込まれていたが、最近は何人も
バイトさんが来ているのがわかる。今日の一杯は、特に完成度
が高く感じた。今や本州唯一の支店純連・・がんばってほしい
の一言です!

本日の大そうじは・・あれっ忙しすぎて忘れたわ(おい)



  


Posted by げん at 01:43Comments(0)えみし普通の日記

2017年04月28日

4月27日(木)




大そうじ は少しだけ。どこが大そうじだ・・・
年末など、冬にしないのは掃除に水では耐えられず、
ガス代がかかってしまうからだ。またうちのアパートは
プロパンで、これがやたらと高価いときたもんだ。
水が普通に使える季節になると、ああ~長い冬だった、
と感激してしまう。仙台だと、5ヶ月は冬なのだから。
今日は、ビンやカンを出す日だったが、出しそびれた。

ここしばらくは労働日が続いていて、先日も青森県むつ市
から同じ県内でも津軽方面の五所川原市へと泊まり歩い
ていた。せっかくの、弘前公園の桜の見頃に重なっていた
のだが、観ることはできなかった。
この月末は久々に数日空くのだが、旅に出たりはせず
いつもの原稿書きに集中したいと思っている・・・
とはいえ、ふつうの仙台ぐらしも、いくらか楽しみたい。

今夜は、映画を観る。やはりSFで『パッセンジャー』
駅前のTOHOシネマでレイトショー、しかも今日が最終上映
だという!開館以来、わたしはここでスターウォーズ新作
2本に『シンゴジラ』と観てきたが、今のところここでハズレ
だった事は一度もない。今回のチョイスも見事アタリで、
素晴らしい作品だった。
人類が移住可能な惑星めざして、五千人が人口冬眠状態
で120年の旅をしている、という設定。けっこう昔からSF好き
の想像を駆り立てていた古いテーマでもあるが、近年は
本当に地球に酷似した惑星が発見されるなど、ここにきて
にわかに現実味を帯びてきた?というところなのか。

それにしても、もはや特撮というかCGというか、何度か書い
てると思うが技術がくるところまできていて、もう何というか、
文句のつけようがない。冒頭の、巨大宇宙船のデザインや
構造にも唸らされ、一気に引き込まれた。

俳優陣では、まあ主だったのは4人しか出ていないのだが、
特にジェニファー・ローレンスが魅力的で参りました 笑 
米オザーク高原に住むスコットランド系移民の子孫を演じた
『ウィンターズ・ボーン』で見て以来、いまアメリカでは一番
好きな女優さんかな・・とにかく今回、喜怒哀楽の表情変化
がそのハスキーボイスと相まって強烈に印象的だった。

それに対して主人公の青年を演じたクリス・プラット・・・先日
フォーラムで観た西部劇『マグニフィセント・セブン』の主役格
を演じていたのだが、ハンサムだけどなんというか、無個性。
ベン・アフレックとか、『ターミネーター4』『アバター』と立て続け
に出たサム・ワーシントンとか、ハリウッドってこういう2,3本
立て続けに出て消えてしまうイケメンが多いですよね?

あと、クライマックスの方でローレンス・フィッシュバーンが
ビックリ登場?!するのだけど随分太って貫禄ついたなあ・・
『イベント・ホライズン』『マトリックス』に出てた頃のスマートさ
からは想像できないくらい。でもこれも好きな俳優だな。

話としては、んなあほな的なツッコミ所もあるんだろうけれど、
出会いとか、人生というものについて帰り道ずっと考えさせる
くらい、こちらの心を動かし支配した秀作でありましたよ。



  


Posted by げん at 01:39Comments(0)えみし普通の日記

2017年04月27日

あらたな10年のために?




北方謙三の戦乱小説と平行して、これも読んでいる。
もちろん、昔から知っていたが、ふと読んでみたくなって、
衝動的に買ってしまった
(いまどき文庫でも300円台で買えるものはそうない)
主人公は作者の自画像的な50代の遊廓好きの男だが
なんとなく自分も重ねて共感すらできるのはわたし自身が
その老境に近づいてきた証なのか・・・

舞台は昭和初期の東京。関東大震災後の、それ以前の
旧き東京の風景・民俗が失われつつある時代。
この頃はもちろん、新宿や渋谷まして高円寺だの吉祥寺だの、
成城学園だの自由が丘だの存在していたのかもわからない、
東京といえば北は千住、南は品川、西はせいぜい四谷あたり
までしかなかったような状態・・・ではないかな。
ようするに現在の仙台市全域ぐらいの規模で、移動感覚も
かなりいまの地方都市に近い感じなので、この時代の東京は
非常に親近感を以って捉える事ができる。

ところで、この4月末でわたしの仙台生活も10周年を終えて
11年目に入ったところになります。この10年、ずっと都市生活
とは何か ここから自分は再び巨大都市に戻るのか、それとも
より小都市、あるいは町ですらない場所へ移っていくのか を
考えてきました。ともかくも、今年はなにかと重要ですので
いろいろ引き締めてやっていきたいと思っています。

まず、部屋を片付けて(爆)10年前のまっさらな状態に、できるだけ
リセットして始め直したい、と思います(すでに無理そうですが)
ちょっと、この部屋そうじ日記だけでも毎日に近い感じで続けて
みたいところです。
とりあえず、今日4月26日は、少し机周りと、台所流しを片付け。


  


Posted by げん at 01:40Comments(0)えみし普通の日記

2017年03月14日

東京行き2017・・は、どうなった!


3月となったが、仙台・東北ではまだ冬である。
4月になると、ようやく冬と春が同居を始め、
5月にやっと、完全な春になる。
6月になると、はや春と夏が同居を始めるので、
仙台における完全な春が、いかに短いかと
気がつく事であろう・・・それはさておき

3月に企んでいた、久々の東京行き であるが
どうも、なんと「一泊二日」になってしまいそうな

通常、東京に出る時は一週間はいられるよう
都合をつけるのだが、今回は上手くいかなかった

あー・・一泊二日か しかも土曜夜は遅くまで
繁華街にいるから、泊まりはネットカフェかな爆
いろいろやりたい事、会いたい人、いるのだけど

5月ぐらいにあらためて一週間ほど行こうかな・・
いや、一度東京行くと、今度は岩手に行きたく
なってるだろうし・・笑

いや、4・5月は大仕事があったな
仕事といっても、金とは無関係なものだが
こいつに集中しなければならんかも知れん。

  


Posted by げん at 22:29Comments(0)えみし普通の日記

2017年03月14日

七人の西部野郎(ちがう) の続き




マグニフィセント・セブン 内容的にはどうだったか・・というと

なかなか面白かった! だが、いろいろ書きたい事もある。

まず、よかったのは、恋愛エピソードを作らなかった事。
って、それってよかったのか?とも思われるかもしれんが

そもそものオリジナル『七人の侍』では恋愛パートがかなり
長く、わたしは観た時 非常にうざったく感じたのだった・・
しかし考えてみると、ここは映画の重要なテーマである、
武士と農民の身分差の生むドラマの中での恋愛であるので、
必要なパートだったのである。
ところが、ユル・ブリンナー主演の『荒野の七人』になると、
身分差の問題は一応?なくなってしまうのでただのメロドラマ
パートになってしまうのであった・・・

今作では物語の展開上、重要な役回りに魅力的な未亡人さん
が活躍してくれるのだが、やはり夫の復讐が最優先事項であ
って、そこはガンマンとの恋なんてやってる場合でない、という
良識?的なところは、きちんと手堅くしてくれた様子であった。

ちなみに、日本には『七人の侍』SFアニメ版がある(爆)
『SAMURAI7』というやつで、なかなか面白いのに最後に
見事に破綻していくという・・『七人の侍』では「侍集め」に
村の青年らが出かけていくのだが、このアニメ版では村の
巫女さんまでが外世界へ繰り出していっていた。それで
今作を見ると、未亡人さんも「ガンマン集め」に同行していく
ので、やはりいいアクセントになっているな、と思った。
まあ、言ってしまえば女性がいた方が営業的にいいだろう
な、という下世話な感覚なのだが。

今回、非常によかったのが、多様な民族や職業集団から
成り立った七人だからこその、また多様な武器や戦い方が
披露された事である。
やはり主流は銃なのだが、アメリカ先住民の弓は強い印象
を残したし、マウンテン・マンの斧も「すげえ」と思った 笑
(マウンテン・マンとは、基本的に白人なのだが日本でいう
 マタギのような存在らしく、個人または組織的な狩猟で
 生計をたてていた・・ただ作品の時代には廃れていた?)
銃器も様々登場するが、残念なのは凄腕スナイパーまでが
「ウィンチェスター」連発銃を使っていた事。そこは単発の
強力・正確・頑丈を誇った「シャープス」でしょう・・・って
どうでもいいマニア話すいません。

『七人の侍』は当然ながら日本人の感覚で作られているの
で、西部劇でのリメイク版で最も違和感を覚えるのが、刀
から銃へと、武器が切り替わっているところだと思う。
男たちが拳銃をくるくると回したり、ガチャコンと弾を装填する
ところは確かにカッコイイのだが、日本人としては街で人が
普通に拳銃を腰に下げているなんて信じられない。

日本では武士階級が太刀だの打刀だの下げていた時代は
遠い昔だし、近年は刃渡り6センチ以上の刃物は持ち歩く
べからずなどという、過剰な法律すら敷かれているが刃物で
立ち向かうとか、護身するという感覚そのものは決して遠い
非現実的なものではないと思う。
だから『七人の侍』は先祖の時代の話としてリアルにも感じ
られるが、西部劇リメイクはどうもファンタジーにしか思えない
のである・・・そのむかし、日本にも『スワロウテイル』という
映画で、日本人がバンバン銃をぶっぱなしてたけれど、
さすがにあれはシラけました。

刀や斧で人を殺す場合、接近戦である為危険はあるし返り
血も浴びる。心身の痛みもあるだろう。だから『七人の侍』を
観ていて始めにくるのは「カッコイイ」より「すさまじい」という
感覚だ。自分だったらこの場にはいたくない・・・本来、戦争
とはそういうものであり、そういう感覚を疑似体験させるのが、
戦争シーンの使命?だろう。
しかし、銃で人を殺すシーンは皆、何というか、無表情だ。
遠くの標的を仕留め、こちらには痛手がない。だから簡単に
人が死に、大量の死者も出る。それにもかかわらず、「すさ
まじい」より「カッコイイ」が先にきてしまう・・

多様な人種・民族の存在と活躍をリスペクトし、現政権には
ノー!を突きつけてやったような今作品だが、
「国や警察は助けてくれない。自分の身を守るのは、自分だ」
という、よくもわるくもアメリカの伝統的意識を体現した作品
でもあったというか・・・『七人の侍』も、実は根底ではそういう
事を言っている作品なのだけど、イコール銃社会肯定!に
結びつくか否か、という違いが両作品にはあるのだよな。



  


2017年03月10日

荒野の七人の侍のリメイクのリメイク!




ちょっと前になるが、いろいろ語りたくなる映画を観たので

『マグニフィセント・セブン』

前回記事の、『ローグ・ワン』も『七人の侍』リスペクトだった
日本映画が生み出したこの物語構図がいかに世界を揺るがしたか
という事かも知れないが・・いや今回のは単なるハリウッドの
ネタ切れ というべきなのか(こらっ)

このタイトル、まことに言いづらいがユル・ブリンナー主演の名作
『荒野の七人』のそもそもの原題「偉大なる七人」で、今作は
そのものズバリのリメイクである。
しかし、ただのリメイクではない事は宣伝ポスターを見ただけで
明白であった。
なんと、ユル・ブリンナーの演じた主人公が黒人になっており、
そればかりか他の仲間も東洋人やネイティブ・アメリカンなど
非・白人が半数を超えている。時代の流れ、という事もあるの
だろうけれど、監督自身が、実は黒人の映画作家なのである。

『スターウォーズ』シリーズの新作「フォースの覚醒」でも
聞かれたのだが、人によっては、日本人でさえも、こうした
近年のハリウッドの「人種的配慮」傾向に批判的な意見を
持つようである。
これはあくまで「配慮」であって、ハリウッドすなわちアメリカの
「伝統的」本心は奥に潜めてあるだけではないのか・・という
疑念から来るものかも知れない。
という事は、ニュージーランドで作られた純白人のみ大活躍の
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのような映画こそが、今や
純白人主義の人々の心の拠り所、とでもいうのだろうか・・・

考えてみると、ユル・ブリンナー主演の『荒野の七人』自体、
七人全員が白人だった訳で、むかしは特に何とも思わなかった
のだが、これは今となっては異常な事だった、と思うのが正常な
感覚ではないだろうか・・・だって、アメリカというのは建前上、
全世界すべての人々の移住を受け入れる、自由の国である
はずだから。そして舞台であるアメリカ大陸に、主役の人種も、
脇役の人種も、本来あるはずなどないのだから。

それでもある白人たちの本音としては、
「そもそも西部劇とは白人が生み出した文化。ヒスパニックや
黒人が主人公の西部劇なんて観る気が起きない」
というところがあるのかも知れない。しかし、むかしから西部劇
を観てきた人間に言わせれば、
「西部劇とは、こういうジャンルで、こうでなければならない」
という固定観念こそが、西部劇を衰退させてきた元凶としか
思えないのである。
ならばこそ、今作の意義は
「西部劇というのはジャンル以前に、祖先たちの人間ドラマだ」
という観点に立ち戻った、伝統への挑戦であり、
新たに起こったトランプ政権という、排他的アメリカの本音爆発
に対する「これこそがアメリカだ!」という意志表明に他ならない
だろう。

つづく 爆 つまり途中です。寝ます!



  


2017年02月05日

ならず者1号




1月は会社が制御不能的に仕事を入れてきたので
よくわからんカオス状態なアルバイト生活だった。
2月もこの状態らしいが月はじめはがらっと空いたので
腰を落ち着けて毎月恒例の原稿を書けた・・・
といいたいところなのだが、なんと2012年から毎月
書いてきて、たぶん?はじめて締め切り間に合わなかった・・
といっても、それでも翌日には何とかしたのだが
連載もクライマックスで、いろいろ難しくなってきたというか
まあ 言い訳はするまい 爆 ちゃんと書こう

映画の話をするかな・・前回はやたらと『君の名は』に
突っかかってしまったが
仙台駅前に大型劇場・TOHOシネマができてから、妙に
最近の映画が気になるようになった まあ東口にも
ミニシアターはずっとあったのだが、やはり西口の方が
元来から「仙台の顔」であって、そこにどどーんと
「ここ、映画館だぞー!」という建物があるとないとじゃ
全然ちがう というものだ。

ここ最近は、「2度観に行く」事がなにげに多い気がする。
ここTOHOシネマで初めて観た『シンゴジラ』も面白くて、
2度観に行った。どうも、近年は東京にいた頃と違って
ミニシアターで観るような中小の作品はあまり観ず、
大画面で観てこそ、というのが多いからかも知れない。
で、今回も2度目 観に行きそうなのがこの
『スターウォーズ ローグワン』
なのだな。実は一度目は、年明けの帰省中に鶴岡市の
『まちなかシネマ』で久々に観たいなと思い、足を運んだ。
ここも、あらためて素敵な劇場だなあ・・まさに地元の誇りだ。



本作品、思った以上に素晴らしい!面白かったですよ。
(ここから、なぜかですます調に・・映画評だからか)
一番最初に作られた1977年の所謂「エピソード4」の物語
が始まる、なんと10分前までの話という事で
本来の主人公たちが活躍するシリーズとは違う、実はその
陰で、こんな一般人?たちが暗躍していたんだよ、という
よくいうところの「スピンオフ」。かといって、全く関係のない
人たちが作った全く関係のない人物ばかりの映画かという
と、これがとんでもなくて、あのダース・ヴェーダーがゲスト
出演する・・という噂を聞いて観たら、なんか最後の方で
エライ大立ち回りの見せ場を持ってたりしてビックリしてし
まう、感涙どころをいろいろ持ってる一品なのでした。

今回も、しっかりフィルム撮影してくれたのかな・・エピソード
1~3とは違う、本来のスターウォーズの重厚な雰囲気を
出していましたが、印象に残ったすごい点が少なくとも2点。
なにしろ10分後の「続編」が、40年も昔に作られた作品
なので、看板悪役の1人モフ・ターキン演じたピーター・カッ
シングさんなどはもちろんとっくに亡くなってしまっています。
だからもちろん現代の、できるだけよく似た俳優さんで・・と
従来ならばなるところですが、我らがスターウォーズ そん
な手で満足する訳がありません。

とにかく今まで誰もやった事のない手法を繰り出して、あっと
言わせてきたのが、スターウォーズシリーズなのです・・

まあ早い話が(?)カッシングさんに極力そっくりな骨格を
持った俳優さんをベースにして、CG画像を肉付けし、完全
なモフ・ターキンを再現した訳なんですが、この完璧度が
実に、実に驚愕でした・・・絶句、でした。
これはもう、来るとこまで来ましたね 本当に。
ちなみに、最近亡くなってしまったキャリー・フィッシャーさん
演じたレイア姫も、同じくCGで一瞬!登場するのですが、
なぜかターキンほどの完璧度に及ばなかった気が・・
(のちにこちらは骨格が多少違う女優さんをベースにした、
 と知った次第ですが)

おっと2点目は、デス・スターの破壊の映像表現です。
デス・スターというと、ありじごくみたいなクレーターみたいな
発射口から出す光線で、一瞬にして惑星を破壊する、という
スターウォーズの専売特許的なアイディアですが、今回は
破壊が一瞬ではありません。
水平線か地平線に光線が落下しますと、はるか向こうから
星がどどどどど・・・と壊れてきます。壮大な、かたすとろふぃ
です。これは、おそろしいです。

今までは、どの作品でも主人公がその破壊される星の上に
立ってる事はありませんでした・・
当たり前ですね、死んでしまいますから。
ところが、今回の作品では、なんと主人公 この破壊される
星に2度も立ちます!!爆 もう、めくれ上がった大地が
津波のように目前に押し寄せてくる壮絶なシーンなのです。
デス・スターによる惑星の破壊が、他人事ではなく自分の身
に降りかかってくる災害であると実感できる、はじめての作品
・・という訳なのです。40年もたって、これは少なからぬ衝撃
でした。これをもう一度体験するために、2度目観に行こうと
しているくらいです 笑 

ほかにも、ネット上では「新キャラクター誰も魅力がない」とか
書かれてましたが、全然そんな事ありませんでした。
物語としては基本、『七人の侍』で、まあちょいネタばれします
と、主人公たちが次々に死んでいくのですが、これが悲しい。
皆、愛すべきキャラクターなのですよ。今回、仲間に加わる
ロボットは『ラピュタ』の影響か!?と即ツッコミたくなりますが
これもちょっとヒネった性格づけで、面白いロボットでしたね。

この作品では、シリーズ中はじめて音楽がジョン・ウィリアムス
ではありません・・・!宮崎駿作品の音楽が久石譲じゃない
みたいなものですが、いいかげんこの偉大な音楽家も御歳
なのでこのあたりで思い切って世代交代ができればいいです
ね。越えられると、尚素晴らしいんですが 果たして!?

  


Posted by げん at 14:41Comments(0)えみし普通の日記

2017年01月22日

東京への複雑な想い・・(まあ雑記です)




実は3月上旬頃、8ヶ月?ぶりぐらいに東京へ出ようと思っている。

東京へ出るのは、いつも大きな楽しみである。

何だかんだ言っても、わたしは東京が大好きだったりする
ただし、東京だからという訳ではなくて、基本的に札幌でも、
盛岡でも、好きな町に出るのはいつも大きな楽しみなのだが。

どの町に行っても、久々に訪れて変わらないところ、変わったところ
それぞれを感じ取るのも自分の喜怒哀楽に刺激を与えるようで、
楽しい・・というかそういう感覚を欲しているように思うのだ。

東京に関していうと、やはりここでの生活は長かったし、20代始め
から30代前半という遅めではあるが割と多感な青春期を過ごした
だけあって、思うところは多い。
単純に、親戚や友人たちは元気か、よく食べていたラーメン屋は
健在か、確認して歩くだけでも充実するが、いまはやはり何と
いってもアイルランド音楽の日本での圧倒的な「本場」として
どうしても注目せざるを得ない場所だ。

仙台に移住して10年、その間に旧い友人たち4人が結婚し、
ラーメン屋といえば第一の行きつけ・高円寺えぞ龍が閉店し、
札幌「純連」の東京支店全店舗が撤退したほか、あの有名な
「恵比寿ラーメン」もいつの間にか無くなっていた。
音楽関連ではわたしの20代前半大ファンだったZABADAKの
吉良知彦氏が50代の若さで亡くなった。
多くの失われたものたちに代わって、新たなものたちが生まれて
きてはいるのだろうが、わたしの感覚ではやはり1990年代の東京
は輝いていたし、失われたものはその最盛期を象徴する存在だった
気がする。

昨年末、話題のアニメ映画である『君の名は』を観る為劇場に足を
運んだ。この作品は今や外のアジア圏でも好評を受け、更に飛躍
しているようなのだが、宮崎駿の次世代を担うという評は正直わたし
にはピンとこなかった。宮崎駿は時代に逆らい、自らの時代を「作った」
ゆえに、今や時代を「先取りした」と言われている訳だ。
しかし、この若い世代の新作は、時代に逆らったものではない。
時代の流れに迎合し、客に媚びたものだ。独自のメッセージに乏しく、
今は評価されても、やがて忘れ去られる怖れがある。

実をいうと、映画を観ている途中で前代未聞?の腹痛に襲われ、
トイレに駆け込んで(いや、這って行った、というのが正しいな・・)
しまって全ては観れなかったのだが、前半だけ観てもわたしには
かなり不愉快な点が目立った。
まず、物語は現実にある東京と、架空の田舎町の2極舞台なの
だが、東京・新宿の男子高校生の暮らしぶりがいかにも華やかで、
楽しそうである。それに対して、架空の田舎町はいかにも都会人
がイメージするようなユートピアで、女子高校生は例に洩れず田舎
に窮屈さを感じ、東京に憧れている。

この先は所謂ネタばれなので注意?なのだが、この女子高生が
なんとも都合よく東京の男子高校生と心が入れ替わるという事が
起こり、ここでJポップ調で話がヘンに盛り上がったりするのだが
このへんの感覚もついていけなかった。
そのあとも、特にわたしとしては興味を引く展開もなく、腹痛がきて
トイレから戻った時には、なんと田舎町は彗星が落ちて滅亡しており、
生き延びた女子高生は東京に移住して、やがて男子高校生と再会?
する、という結末・・・のようであった 苦笑

ようするに、話のベクトルが全て東京に向いている という・・・
東京が無批判に素晴らしい環境であると描写し、田舎の若者は
田舎を嫌い、結果的に望みどおりに田舎は消滅し、東京に出て
いい出会いに恵まれる・・・これは一体、誰のための物語なのか?

いま、地方消滅 という事が盛んに言われている。
遠くない未来、世界中のかなりの割合の人々が、都市に住むよう
になる・・と何かのCMでも言っていたが、これはわたし自身、都会
指向なので感覚はわかる。しかし日本の場合特に首都一極集中
の傾向が強く、明治、戦後を通じて顕著だったものが人口減少時代
を迎えて拍車がかかってくる、という。

北海道なら札幌、東北なら仙台、地方各々の中核都市に集まるの
ならば、小さな町村の多くが消滅したとしても地方の記憶は残り、
後の時代に再生できるかもしれない、という希望もある。
しかし、それらを越えて大半が中央の最上層を求めて東京圏に
集中していくならば、そこで地方の記憶も消滅してしまう。

今の時点でも、東京圏はかつての、地方から出てきた若者で溢れた
「地方の集合体」では もはや、ないと言われている。
地方から出てきた若者たちは今、親となって地方の記憶は次の世代
に引き継がれず、子供たちは「東京圏出身」の若者となる。
いまや東京の大学に進学する大半は彼ら「地方出身2世・3世」であり
地方から出てくる若者は少数派となりつつあるのだ。
そうなると、かつては地方の集合体として、地方への眼差しを多くの
人が持っていた東京ではもはやなく、外の世界を実感として持たない、
地方への共感のない巨大都市へと変貌してしまう、という事になる。

『君の名は』はそのような未来への不安を映し出し警鐘を鳴らす事なく
むしろ今後のその傾向に乗っかって、地方の若者を「煽る」形にすら
なってしまっている。大ヒットというのも、現に東京に住んでいる人々、
田舎や海外から東京に憧れている人々の心には響いたという事だろう
が、東京に長く住み、疑問を持ち地方都市に移り住んだようなわたしの
ような人間の心には、響かないのだ。
(わたしだけではない。作中の田舎町は岐阜の山間にある設定なのだ
が、映画を観た名古屋に住む人が「なぜ名古屋ではなく東京なのか」と
疑問を投げかけていたのだ・・・)

これから、東京は、地方は、日本は、どういう形になっていくのだろう?

最近、『ふらいんぐうぃっち』の新刊が出た(上の写真)。
弘前出身・在住の漫画家による、弘前が舞台の作品で、1、2巻めは
物語、絵柄ともにぎこちなかったが、巻を重ねるごとに完成度が高まっ
てきた。主人公は首都圏の出身だがほとんど言及する事もなく、逆に
東北が舞台である事をことさらに喧伝する訳でもなく、あくまで自然体
の展開を徹底しているのがすごい。
隣県・秋田からは今や全国的に話題の『地方は活性化するか否か』
が発信されている。北海道を舞台にし、これも今や漫画界1,2を争う
傑作となった『ゴールデンカムイ』は東京で描かれているが、これも
もちろん北海道出身の作者が綿密な地元での取材の上で描き出し
ている。地方の人間が、地方の人間である事を武器にして、今こそ
立ち上がり、戦いを始めているのだ。

ふう・・・(書き疲れた) 
俺も、自分の何か を書き出すしかないのだよ ここ、仙台から。



  


2017年01月05日

なんと・・・としあけ


年末になって、神奈川県川崎市の親族が亡くなり、急遽
正月としてのお祝い事は一切なし、という事になった。
わたしは年賀状というのを、クリスマスが終わるまで手をつけない
と決めているのだが、今や大晦日近く ひどいと年明けてから
書いたりするようになっており、これから年賀はがき買おうかと思った
矢先、知らせが入ったのだった。そのような訳で、お年賀下さった方々
には、後日あらためて寒中お見舞い申し上げたいと存じます・・・

さて、新年三が日は、いつもの原稿、いつもの遅筆のため、
もとから正月がないつもりで、家に籠もって筆を・・もといキー
を執っていた・・いや叩いていた。
で、4日になってようやく、久々に親父とクルマで出かけたのだが、
なんと!湯野浜温泉で長年唯一だったガソリンスタンドが閉店!!
してしまったという・・・ここはコンビニもやっと一店舗しかなく、
スーパーもなく本屋もない町(町と言えるのか・・)なのだが、
いくらなんでもGSがないって、夏なんか大勢クルマで押し寄せる
のに、どうするつもりなのか・・・まあ、郷里の衰退に手を貸している
「棄郷者」に言われたくないだろうが。

このネタ、Facebookにも書きかけたのだが、めんどくさい事長々と
書き始めたので、やめた 爆 なんだろう、やっぱり私情を少し
爆発させると、反応が気になってしまうのだな・・だからFacebook
という場ではなかなか素の自分をさらけ出せないかも知れない。
中には、Facebook内で、政治思想が真逆でいつも堂々真っ向対決
してらっしゃる先輩方もいるのに・・・情けない限りだ。
といっても、本当に「素の自分をさらけ」出せるのは、他の誰も読まない
紙のノートに書いた日記しかないと思うけどね。

Facebookに書きかけた、めんどくさい事というのは、以下のような内容

「湯野浜温泉唯一の、ガソリンスタンドがなくなってしまっていた・・
コンビニもやっと一つしかない(スーパーもない)所だが、夏賑わう
時期なんか、クルマの人達大変なんじゃないだろうか?
新年三が日は完全に家にこもって書き事(世捨て人だ・・)
4日久々に家族のクルマで町に出た。私は四輪は自分に合わない
と思っていて、持つ気も運転する気もない厄介な性質なので、
湯野浜のような所に住むのはほぼ有り得ない選択になっている。
といって、完全に切れる気もない・・まことに中途半端な距離感?
いや、これが自分としては絶妙な距離感なのだが。
わたしはこのある意味極端な環境に生まれついた事もあって、
10代からこのかたずっと「理想の場所」のようなものを探してきた
のかも知れない。東京も好きなのだが、住んでいるのは杉並なのに
用を済ますのは新宿や渋谷・・・「俺の町」って、どこ?みたいな感覚
が不安だった。仙台は何をするにもこの町で済ませられるので、
初めて「俺の町」と思えた場所。かといって東京ほど何でも揃ってる
訳ではなく、足りないところもある。そのくらいの、「飢える感覚」が
ある方がちょうどいい(東京も、ある意味飢えるのだが笑)
おそらく、わたしはどこに住んでいても不満なのだ・・そんなわたしを
最終的に身動きできなくさせる(言い訳できなくさせる?)驚異的な
バランスを持つ場所―それが仙台なのかも知れない。」

・・・てな感じ。久々に持病?の長文癖が炸裂してきたか。
ともあれ、本年もよろしければよろしく?お願い致します。」



  


Posted by げん at 12:15Comments(0)えみし普通の日記

2016年12月25日

なんと・・・年末


お久しぶりです。
来る日も来る日も労働労働という感じの毎日で、
まともに文章を書く気も起こらなかった次第です・・
あと今年の労働日は2日だけにしておりますが
まだこまごまやる事があって、即・里帰りとは
なりません。

自らデジカメで撮った写真を載せる際は、姉妹ブログ
『落葉樹林帯』に書き込み、こちらには文章だけの
日記とか、本の紹介とかだけ書きとめていこうかと
思っております。めんどうくさくてアレですが・・

市内での労働は、仙台の東部地域が多いです。
わたしは仙台のどちらかというと北の方が好きで、
東の方は何年たっても苦手な感じがあります。
殺風景な街並みが延々と続いていて、いかにも
物流や倉庫などの労働のための町、という気が
するからでしょうか・・とはいっても結局、自分には
都心の飲食や娯楽の接客仕事よりは、こうした郊外の
黙々とやる肉体労働の方が向いている、という事
なのですが。

その、仙台の東部には、近年ようやく地下鉄が通った
ので、労働にも通いやすくなりました。
元来、仙台の北から東への通勤となると、バスは
わかりにくいし、JRも本数が少なく乗り換えに不安が
あったりして、大変不便なものでした。
地下鉄東西線は建設段階から「赤字経営必至」とか、
青葉通のケヤキ並木伐採問題とかで揉めていました
が、結果的には個人的にも行く機会の多い西の青葉山
や東の卸町も通るので(しかも遠くへ行くほど安いので)
重宝はします。
苦しい経営状況を予測しての事かわかりませんが、
東西線の車両は南北線のものに比べ小さく、狭い感じ
ではあります。ただこれも個人的にはロンドンの地下鉄
のような形状で、面白くて好きではあるのですが。

ところでこの南北線・東西線ともに、かつての城下町の
範囲の駅数が同じな事に最近気づきました・・
南北線・・
北仙台―北四番丁―勾当台公園―広瀬通―仙台―五橋―愛宕橋
東西線・・
川内―国際センター―西公園―一番町―仙台―宮城野通―連坊

ともに7駅ずつです。仙台城下町が、ほぼ円形だったという事
を意味しましょうか・・・それとも何か他の意味があるのか・・・
(ないだろ)

  


Posted by げん at 13:50Comments(0)えみし普通の日記

2016年10月01日

ブログの、出戻り いたします。


大変長らく、怠慢かましております・・・
奥羽越現像です。
生きております。

やはり写真がシステム上、載せにくいのと
長い文章がどうも億劫になってしまったのとで
どちらかというとFacebookなどに書き込んだり
してたのですが、こちらだって微々たる発信です。

しかし少なくとも、Facebookに載せたのと同じ
写真ぐらいはブログでも同時紹介したいと思うので、
このたび写真野載せるには問題のなかった
「第一のブログ」に帰ってみる事にしました。

http://blogs.yahoo.co.jp/ta1620n

実は2014年に一度、ブログタイトルをいじって
『落葉樹林帯 活動日誌』になっちゃってます。
落葉樹林帯 というのは、むかし筋肉少女帯という
バンドがあって(あっいまも解散はしてないか)
なので、わたしのバンド名も落葉樹林帯 にしました。
(爆 うそです。バンドは組んでません)

このふっるーいブログには、2010年以前の、わたしの
ちょいと若々しい記事が残されております。

しかし、ここ『番外地』にもたまに帰ってくるかもしれません。

てなことで、なにとぞよろしゅう。

  


Posted by げん at 22:39Comments(0)えみし普通の日記

2016年06月09日

Facebookに負けるな 爆




一ヶ月以上、更新してなかったのだが、実はもっぱら、Facebook
に書いていた 爆

内容的には、TRAD♀さんに頂いた茨城の誇り(!)『電気ブラン』
の事だったり、いぶりがっこの事だったり、青葉まつり、仙台の
ラーメン屋、民俗資料館や東北大工学部、いつも行ってる珈琲豆屋
とか、外国人作家が作り出したヘンな日本人の名前とか、実にさまざま。

どうしてこちらのブログでは書かないかというと、まあ何度か試して
いるのでおわかりの方もいるかと思うが、このブログシステム?
デジカメの写真が大きすぎて入らないのだ・・よくわからんのだが。
「第三のブログ」を検討する事もあり得ようかな

あと、ブログだとつい長文になるので、時間の節約のためにも
さらっと書くのが身上の?Facebookに短時間で書いてすとんと
載せる事が多くなった、という感じ。
いつも「いいね!」とか、反応して下さる皆さん、有難うございます

実はここ3年以上書いてきた「小説・・・のようなもの」をそろそろ
まとめはじめているので、あまりネットに時間をかけていられない
(なんて・・ほとんど手をつけてないです。
 こうでも書いて自分を追い込んでいかないとな)

それにしても、Facebookを見ててつくづく思うのは、音楽関係の
友人たちの、音楽に対するひたむきさだ。更新する内容が、ほぼ
全て自分の音楽に関する事 という人が多い・・・
ひるがえって、自分の更新内容を見てみるがいい。
音楽に関する話、ほとんどナシだ。爆
わたしにとって、音楽とは何なのか?欠かせないものであるのは
確かだが、かといって現時点では決して一途に探究する道、とも
言い切れない。まあ、他人と比べても仕方ない
(というか、比べ始めるとよくない気がする)
どこまでも、自分なりにやっていくしかない、というところだ。

で、またマンガのはなしとなりぬ 笑
しばらく、愛読コミック新刊の流れがないので、兼ねてから気に
なっていたものをたまにチョイスしてみる。
今回は、『くーねるまるた⑧』
①~⑦は実は部分的に読んでいるだけで、いきなり8巻目購入。
理由は明白で、表紙が岩手・盛岡だからである 爆
これは、確か昨年 盛岡のさわや書店で発見した。もちろん手が
伸びたのだが、やはりいきなり8巻目だったので、保留としたのだった。

内容としては、本来は岩手とは関係なくて、ポルトガル出身の
女性主人公マルタさんが、東京の大学院で都市工学を修めたの
だが、日本があまりに気に入ってしまったので滞在を大幅に延長
して、貧乏しながらも楽しく過ごす、というもの。今回の8巻目は、
そんな日本滞在中の、はじめての地方遠征の回だという。
なんと・・・7巻までずっと東京こもりきり、ですか・・・・・

作品のウリは、どうやら貧乏なために様々な工夫をして自炊する、
という「グルメマンガ」?的内容と、料理や食材、酒を口にした時の
主人公の「かわいい顔」らしい 笑 
なんでポルトガル?と思ったのだが、まあ外国人キャラクターを
設定しようとした場合、すてれおタイプ的取り捨て選択として、
@味覚おんち、という点でアメリカ人、英国人はナシ(いいのか)
@暗い性格、では周囲を巻き込む勢いがつかないので、北欧は
 ナシ(ごめん)
 あとグルメでもプライドの高いフランスは却下(申し訳ねえ)
残るはスペイン系、イタリア系だが・・ここまで来るとなぜ敢えて
ポルトガルだったのかは謎だ。スペイン、イタリアもある意味ヘタに
イメージがつき過ぎているので、ここは盲点をついてポルトガルに
白羽の矢が立った??

作者として、個人的に思い入れがあるのかも知れないが、特に
読んでいてポルトガルである必然性は感じられなかった 笑 
とはいえ、日本において外国人キャラクターとして主人公に据え
やすいと思われる欧米系の中でも、ポルトガルは一応の意外性を
持っていたかも知れない。なにより、「クウネル」という姓が作品の
性格上、とても大事なものなのは一目瞭然な訳だが、これが
ポルトガルの姓かどうか、という辺りの知識は、わたしにはない。

ただケルト贔屓としては、近年アイルランド、スコットランドもかなり
グルメ化しているみたいよ・・・とささやいても、おきたかったりして。
スペインのバスク人、とかも面白かったかも知れないが、どうも内容
的に深い民族性に踏み込む・・・というような感じでもない。

で、肝腎の盛岡編はどうだったのかと、いいますと
まず言っておかねばならぬのは、表紙の「さんさ踊り」、本編には
ありません 笑 まだ岩手山が雪かぶってる時期に、一泊二日の
旅行券が当たった!という話ですので。岩手にはまた来たい、と
言ってるので、未来の話かな?と期待。

内容としてはまあ、ライトな紀行もの、になってる。盛岡の美味い
ものを食べ、いい人たちに会い、現地の人たちの好意にて、旅は
二泊三日に延長ともなる。じゃじゃ麺の白龍(ぱいろん)、福田パン
など、手堅い名所を出してきて、盛岡人にはきっと嬉しいところ。
個人的には、まだ行った事のない神子田(みこだ)朝市で、ひっつみ
を食べるところ、印象に残った。

しかし、本当にこの盛岡編、一瞬で終わる 笑
こういう、地方遠征の方が絶対面白いはずなのに、一体東京で
7巻分も、何をやっているというのだ?(ぉぃぉぃ
マルタさんの状況としては、とにかく貧乏なのでおいそれと旅行
などにはいけない、というところらしい。アルバイトなどは一応、
しているようなのだが、都市工学の学位を持つという元来エリート
な訳で、なにゆえ敢えて貧乏なのか?は疑問。
時代の空気としてはグルメものとしてももはやバブル的な傾向
は現実的でない、というか反感さえ買う怖れもあるから、共感を
呼ぶという点でも「わざわざ欧米から来て都会で貧乏」という
のは異色というか、新しいのかも知れない。
(かといってラーメン屋にチャーシュー持参するのはどうか・・・
 と思うのだが)

都市工学、というと思い出すのが、越谷オサムの小説『いとみち』
主人公の少女「いと」は青森から東京の大学を目指すが、最終的
に東北大学の都市工学科に魅かれ、第一志望としたのだった。
なのでマルタさん仙台という選択肢もあったと思うのだが 笑
(調べてみたら、東北大にポルトガルの大学との提携はなかった
・・・って なに住んでもらいたがってんだか)

文京区の風呂なしアパートに住み、別部屋の友人からシャワー
を借りているのだが、週一回は銭湯へ通うのを楽しみとする・・
なるほど、確かに銭湯を愛する者としては、東京は離れがたい
かも知れない。調べてみると、東京の銭湯は現在入浴460円。
わたしが上京した1991年時点で290円だったのが、以後なんと
毎年10円ずつ上がって(ウソみたいなホントの話です)
最後に使った2004年には420円になっていた・・・おそらくその後、
なんらかの策がとられたのだろう。住んでいた高円寺でもどんどん
銭湯は廃業していたが、わたしが利用していた数店は、今も
がんばっておられるようである。

とはいえ、毎日入れば1万円以上。貧乏人にはなかなか厳しい
出費だったりするのだ(なにしろ、91年からこのかた、労働賃金
の方はは全く上がっていない・・貧しい人はますます大変な訳だ)
銭湯好き、という時点で仙台や盛岡など北の都市に住む選択
肢はなくなる・・という事か。仙台の人は日帰り温泉とか普通に
するみたいだが、これも貧乏な人がするような事ではなかろう・・
しかし青森市は隠れた温泉都市で、銭湯が多いぞ。まあそもそも、
ポルトガル人はあまり寒い土地を好まないかも知れないが
(だから、なに住んでもらいたがってるんだっての)


  


2016年05月10日

気がつけば、城下町


Facebookにも少し書いたのだが、なにぶんあちらには
あまり長文でだらだら書けないので、こちらに書く 笑

わたしは仙台の北・台原から、南の五橋にあるアイリッシュ
・パブまで自転車か、悪天候なら地下鉄で行く。
この距離、およそ3km半だ。
実は今わたしが書いてる小説(・・のようなもの)も関係
してるのだが、仙台のもともとの城下町というものの、
北端が台原周辺、南端が五橋周辺だったようで、つまり
わたしはたびたび仙台城下町を縦断往復している事になる。

もちろん、パブにてお酒を飲めば、自転車には乗らず
押して歩いて3km半の道のりを帰る事になるが、決して
これは無理な距離ではない。
ちなみに城下町の西の端は大崎八幡宮周辺、東の端は
榴ヶ岡公園周辺で、この歩いて回れるこんぱくとな範囲内に、
10万人の人口を想定して政宗公は街づくりをされた・・・と
言われる。もちろん、のちにこの範囲外に晩年の居城である
若林城と、別個の城下町も作るのだが、台原より北、楽天
球場より東、などは完全に郊外だった。
戦後は北・東・南に拡大して、城下町のこんぱくとさが信じら
れない程に仙台は広大になったが、その上での100万人
都市であって、もとの城下町の範囲内なら、依然数十万人
なのだろう、と思う。

このように、かつての城下町の多くは個人が歩いて回れる
範囲の、こんぱくとなしてぃーだったに違いない。
実のところ、東京でいえば3km半は、上野駅~東京駅間、
新宿駅~渋谷駅間ぐらいの距離にすぎず、いかに東京が
多くの人にとって「歩いて帰りづらい」都市かがわかる。

しかし東京の原型である江戸城下町というのは、北は浅草
や今の文京区あたり、西は四谷あたり、南は港区あたり
までしかなく、新宿、渋谷以西は完全に郊外だった。
江戸は糞尿などの処理サイクルが非常に上手く回っていた
先進都市だったが、このこんぱくとな都市サイズが膨張を
始めると、その均衡が崩壊していったようだ。

それでも昭和初期までは基本的に東京の人々の中で、
江戸城下町の範囲の感覚は生き続けていたように思われる。
例えば東京帝大や明治大学に通う学生らは、本郷や遠くても
おそらく早稲田周辺に住み、歩いても通学できるようにしていた。
今ではほぼ考えられないような事だが、そういえば早稲田大学
などは「都の西北」の歌の通り、郊外に近い立地だったのだ。

ふと気がついた事に、わたしの一族は大半が首都圏に出て
しまっているのだが、ただのひとりも「江戸城下町」の範囲内
には住んだ事がない という驚きの事実?がある。
というのも、みんな東京なら世田谷区、あとは神奈川県で、
川崎や相模大野に住んでいる。完全な東北ルーツなのに、
誰も荒川区や、江東区方面に寄り付かなかった(笑)のだ。
よっぽど、東北と切れたかったのかな 爆 さみしい

わたしの兄は札幌に住んでいて、これはもちろん城下町では
ないし、故郷の山形県鶴岡市は城下町だけれど、一族の誰も
いわゆる城下の範囲には住んだ事がない。

という事は、一族の中でかつての「城下町」に住んだ事のある
人間が、唯一わたしだけ・・・という衝撃の事実が!!爆
いや、台原というのは城下なのか?郊外のはじまりではない
のか?いやギリギリ城下ではないのか?(どうでもいい)

まあともかくも、偉大な武将が様々な趣向を凝らして作り上げた
城下町 その名残の上に生きている事の面白さ それを意識
せずして、やはりずっと楽しんできた事に、気づかされるので
あった。