QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
庄内・村山・新庄・置賜の情報はコチラ!

山形情報ガイド・んだ!ブログ

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2016年04月25日

東北のオアシス


2007年の、ちょうど今ぐらいの季節にわたしは
東京からこの仙台へ引っ越してきたので、
そろそろ仙台10周年目が始まる という事になる。

『ゴールデンカムイ』に、北海道の季節について、
「冬が一年の大半を占め、春と秋はほとんどなく、
 夏は瞬時に過ぎ去る」
と語られる場面がある(うろおぼえ まだ単行本化
されてない箇所なので)

仙台に時たま在住(笑)の作家・伊集院静が
仙台で感じた季節の特性として「夏の短さ」を
あげていた。
わたしの場合はもうちょっと補足して
「冬は長め。春と秋は一瞬で、夏は短め」
という印象になる。

東京の場合、
「冬は短め。春と秋はそこそこ、夏は長い地獄」
という印象。
仙台と東京の間は、冬と夏の比重が逆転する
転換点と言えそうだが、わたしとしては、
夏と冬はどこも厳しいものだから、むしろ穏やかな
春と秋の短さが、仙台に来ての思いがけない印象
なのだった。

仙台はよく、「暑すぎず寒すぎず、暮らしやすい気候」
と言われるが、正直わたしはそうは思っていない。
それというのも、やはり過ごしやすい季節である春と秋
が、短いからだろう、と思う。
具体的には、東京では3・4・5月が春だとはっきり言える
のだが、仙台ではっきりと春らしいのは5月のみである。
まあ、東京の6月はもう蒸し暑くて戦慄するけれど、仙台
の梅雨は涼しいところ、確かに暮らしやすい点ではある。

ところで、意外なようなのだが、わたしは「公園」という
ものに関して、仙台より東京のものの方が気に入っている
ところがある。

わたしは吉祥寺にある井の頭公園に親しんでいたが、
こうした林の中を歩くような場所が、仙台にはなかなかない。
仙台の公園で最も古いという西公園はなんだか荒れ果てて
いるし、勾当台公園や錦町公園は小さすぎる。
北の七北田公園、東の榴ヶ岡公園は整備され過ぎている。
一番近所の、台原森林公園は林ではなく「森」過ぎて、
とても樹々の間を散歩する、という感じではない。

極めて小さな敷地ながら、最も雰囲気として近いのが、
勝山館に隣接した勝山公園だろうか。大正期までに
「森(杜)の都」の異名の元となった、屋敷杜の名残とも
言われている。ここがもっと広ければなあと思う事、しきりだ。

もちろん、井の頭公園や代々木公園の広大さは、東京という
都市の巨大さにも関係するのだろうが、実はそれ以上に
各都市の「公園観」にもよるのではないか、と思っている。
すなわち、

「東京にとって、オアシスは公園である が
    東北にとって、オアシスは都市である」

という事だ 笑 東京の人々にとっては、公園という場所は
「夢」である。自然、緑というものに、飢えているからだ。
一方、われわれ東北人にとって、「夢」とは大都市そのもの
である。自然・緑は膨大にあり、憧れの対象ではないのだ。

仙台の公園は、いわば理想とされる都市空間の一アイテム
として組み込まれている景色のひとつに過ぎない。
だから、絶対必要として実現化したという必死さ(?)に欠ける
ところがあるのかも知れない。
一方の東京では、無計画に膨れ上がる巨大都市への反発
として、オアシスとしての公園の実現と維持には相当本気で
取り組まねばならなかったろう、と想像される。地獄化する
都市に対応して、天国として具現化したのが、東京の公園
なのだ、という事ができるかも知れない・・(ほんとかね)

そういう訳なので、仙台というのは都市そのものが
「東北人の夢」なのであって、「公園」そのものなのだ、と
いう事ができるのではないか、と思うのである。
都会人を気取っている仙台人とて、いまだに飽くなき
「大都会への夢」に燃えている。基本的に、東北人は
永遠の田舎者 なのだ。

それにしても、東北人にとっての、理想の都市とは
どのようなものか?最近、20代の若き音楽仲間から
「このような活動をしている!」と教えてもらった。
http://www.s-renovation.com/
プレゼン映像と、そのナレーションは彼女の担当だ。
『地方は活性化するか否か?』を思い起こさせ、
いろいろと難題はあるだろうが、頼もしく、楽しみである。


  


Posted by げん at 05:14Comments(0)えみしの国

2014年01月16日

新聞20号目、配信


2012年夏から毎月、ネット上で刊行している
私どもの「東北の新聞」20号目が本日、出ま
した。これまた今年もよろしく、なのです。
http://tohoku-fukko.jp/

第4面、大友浩平さんの藤沢町自治の記事が
素晴らしい!自らの足元を掘り起こすとは
こういう事だな、と痛感 書き手として見習
わねばならない。わたしも何とか今月も、小
説とエッセイの組み合わせで寄稿させていた
だいてますが、小説があまりに進まない 笑
ので次回からはこれ一本に戻そうかな、と考
えます。

今月の25日(土)、17時頃から私どもお馴染
み、純喫茶・星港夜(シンガポールナイト)
にて毎月?恒例の「とにかく東北を語る会」
開催予定です。今回は、参加者が増える!?
可能性があるので、拡大版と称してやってお
ります。どなたでもお気軽にご参加下さい
(ただお茶飲んで遠目で冷やかしても可 笑
http://singaporenight.da-te.jp/  


Posted by げん at 17:25Comments(0)えみしの国

2012年06月03日

「六魂祭」と東北の未来について 3


実は、その東北関連のタブロイド紙の創刊者となる砂越さん
も、この六魂祭を「取材」するため盛岡に来ているという。
彼の場合は取材許可を得た上でのプロの取材だが、わたしの
方はあくまでいつもの祭見物にすぎない・・・しかし見て考
えた事ぐらいは書いていこう。

朝、盛岡市民の愛してやまない「福田パン」で`生姜焼きパ
ン’そして`かぼちゃクリームパン’をオーダーし、町を流
れる北上川沿いの樹々の下でいただく・・・かぼちゃクリー
ムとは、おなじみTRAD♀さんが「食べたよ〜」とメールく
れた、福田パンの新作である 爆 そんなレポートはいい・・
しかし、確かに美味かった!福田パンは盛岡旅から外せない
(それにしてもだ・・この川沿いの大樹の下の、根の部分に
 女の人が腰掛けてたりする まるで指輪物語の世界だ)

大勢の人が集まるイベントにおいて、盛岡の強みは盛岡城跡、
現在の城址公園という 最強のロケーションが存在する事だ。
仙台の場合、城跡は町から離れているし、町なかの公園の面
積も小さい。理想の都市の条件として、実は盛岡は仙台より
優れている部分が多いかも知れないのだ。
午前10時。ここ城址公園にて、「開会式」始まる。

おなじみの青森ねぶた、そして実は同じ山形県でも庄内人に
は馴染みの薄い花笠踊りだが、これらがあの盛岡の町に展開
されるという不思議さ・・・そしてこれらと「さんさ踊り」
が同じ舞台で繰り広げられる、という夢のような光景がそこ
にあった。しかし、それら愛すべき芸能たちを凌駕する勢い
なのが、なにげに今回がほとんど初めて見る、秋田の竿燈で
あった。これは少人数 というかひとりひとりの「荒業」が
命の芸能という事もあって、スター性があって観衆の集中力
も高まるのだ。
それと是非とも言及しておきたいのが、宮城の「七夕祭」で
参加した「すずめ踊り」である。実は一週間前に仙台の「青
葉祭」で感動したばかりだった。仙台の芸能は大した事がな
い、ような事を言う人がいるが、とんでもないと思う。
扇子の使い方、太鼓のリズム、お隣岩手の芸術センスにひけ
をとっていない。(七夕でどうしてすずめなんだ、などと
野暮なツッコミはよして下さい)
あと残る福島のわらじ祭だが・・大わらじは良かったのだけ
ど、あとに続く踊りが うぬぬ
わたしは近年全国に広がってるらしい「よさこい」的な流れ
がどうも苦手なのです。

「中央通り」での大パレード、も人はものすごく多いのに、
仙台であったような混乱は感じられない。どこか落ち着いて
いて、見晴らしも決して悪くない。これもさすが盛岡である。
  


Posted by げん at 03:07Comments(0)えみしの国

2012年06月01日

「六魂祭」と東北の未来について 2


昨年末から、ネット上で意見交換していた「東北好き」
4人が集まって議論する『とにかく東北を語る会(仮)』
を始めたのだけど、そこで言われていたのが

「政治的に東北がひとつになるのは困難だが、
 民間レベルでは既にそういう意識は進んでいる」

という事。この六魂祭も、その表れ と見られる。
しかし、「東北がひとつになる」とはどういう事なのか。

歴史的にみれば12世紀の平泉藤原氏の時代
そして「幕末」奥羽越列藩同盟の時代
史上の大きな転換期に、東北は行政的に「中央」からの
離脱、自立を求めて実際に動き、戦ってきた。
東北とは、歴史的に「ひとつにまとまる」可能性を秘めた
日本でも独特の土地柄なのである。決して、九州でも四国
でも、関東でもそのような事はなかったのだ。

時代は再び、そのような転換期に来た とわたしたちは語
っている。決して、仲間内だけの妄想ではない と確信し
ているのである。
しかし、人々が望まぬ「中央からの離脱・自立」はあくま
でも、妄想である。一体、東北にこれから必要な「自立」
とは、どのような形であるべきなのか。どうすれば、これ
から東北で生きていく人々のためになるのだろうか。

まず言いたいのは、「東北だけの自立」ではない という
事だ。東北は、他地方を拒絶する訳ではない。むしろ、
自立した連合体の一員同士として日本を形成していく仲間
である。よって、東北は自立に向かって動きながらも、
九州や四国にもそれぞれの自立、新編成を促していくのだ。

本当の連携とは、それぞれの「自我」を確立してはじめて
成り立つものだ。
それはわたしが音楽を続けるうえでも実感してきた事で、
まず自分がやりたい事を理屈抜きでやり続ける事が大事。
そしてはじめて、他の演奏者とのぶつかり合いが生まれ、
本当の畏敬、尊敬の念が生まれる。
今まで、地方は中央のいいなりで、ただ指示を待ち、流れ
てくるものを待っていた。そして奪われるまま奪われてい
た。個、自我を失い 結局、他地方との連携などという事
も考えられなくなってしまったのだ。

わたしは創刊されるタブロイド紙に、スコットランドと東
北の比較論のようなものを書かせていただいた。
イギリス(大英帝国)もまた征服した「地方」を搾取して
きたが、スコットランド、ウェールズは近年独自の「議会」
を復活させて、今まで「中央」に奪われていた行政の権限
の多くを取り戻している。いわば、東北の中に独自の「国
会」を持つようなものだ。完全独立ではないが、これは今
後の日本の各地方の道筋への大きなヒント、道標になるの
ではないか わたしはそう思ってきたのである。

大きな障害、壁はたちはだかるだろう。
これを読んで、あなたはわたしを批判する その一言一言
が、その障害であり、壁である。
わたしたちの『とにかく東北を語る会(仮)』はしかし、
そういうあなたの参加を、待っているのだ。

それはさておき、祭である 笑

  


Posted by げん at 11:41Comments(2)えみしの国

2012年06月01日

「六魂祭」と東北の未来について 1


漫画に感心している場合ではなかった・・・
今回、バルⅡで一日がかりの岩手盛岡旅
それにはそれなりの理由があるのだ。

「東北六魂祭」は昨年初めて、仙台で行われた。
青森のねぶた、秋田の竿燈、岩手のさんさ踊り、
山形の花笠踊り、宮城の七夕、福島のわらじ祭り
東北六県を代表する「夏祭」をひとつの町で一挙
に行なってしまおうという、思いがけない驚きの
企画だった。これが始まったきっかけは、言うま
でもなく昨年3月の大災害である。それにしても、
災害は主に東北の太平洋側で、関東東部にも及ん
で必ずしも「東北」にくくられるものではない、
という見方もある。にもかかわらず、あえて
「東北をひとつに」
という主旨の、こうした大企画が組まれた。

もちろん、わたしのブログをある程度読まれてい
る方(いらっしゃるのかな)はわかるかも知れな
いけれど、わたしなどは震災のはるか以前から
「東北をひとつに」と考えていて、その想いは震
災で更に強まった。だが、それはあくまでわたし
のようなある意味変人のマニアック趣向の夢想か
とも自覚しているようなところがあったのだ。

ところが、そうではなかったようだ。
今回の災害を、「日本の」ではなくまず「東北の」
問題として捉える人間が、少なからず存在している
 わたしはその可能性に、打たれたのである。

なにしろ前例のない事である。おそらく、北海道で
も、関西でも、四国でも、九州でも、同じように
各地の祭を集めたとしてもこれほど盛り上がるまい。
それほどに、東北の祭は各地ものすごいのである。
仙台は東北一、などと言っているが とても東北の
力を全て収容できるような「器」ではない。
逆にいえば、東北とは「首都」に全て取り込まれる
ような性質の土地ではなく、都会>田舎という中央
の図式が当てはまらない世界なのである。
結果、仙台の町は「六魂祭」の未知のパワーによっ
て大混乱に陥った。

そして今年は、岩手・盛岡市で第2回の開催だという。
盛岡は、わたしにとって15年来の特別な思い入れの
ある町。東京からの「東北回帰」を実行する際に最後
まで迷った移住候補地である。
さて、盛岡では どうか?
これは行かずにはいられなかった訳である。
  


Posted by げん at 03:09Comments(0)えみしの国

2011年08月30日

東北本 続々





『東北は、首都へ供給するための兵士も、若い労働力も電力も
 そして自動車の部品も食糧も・・・・・あるだけのものを全て
 出し尽くしたと思う。このうえ土壌も海も汚染されてしまったら
 いったい、何が残るというのだろう』

一番手前の本『「東北」再生』の執筆者のひとりで、宮城県出身
で東京の大学院に通う山内明美さんの一文。

最近、こうした震災を機に出版される東北関連の本が多い。
はじめは、今年9月のストリートジャズフェスの説明会のため
仙台に集まったアイリッシュ演奏家のひとり・村田さんが
「岩手ではなかなか見つからなかったのに、仙台の書店では
 平積みでしたよ」
と見せてくれた一番後ろの本『仙台学vol11 東日本大震災』
だった。
そういえば、震災後の『仙台学』は、赤坂憲雄氏ほか執筆者達
はどうしているのか、と気になってはいた。
不覚にも、この時になって「ああちゃんと新刊出していたんだ」
と知った訳だったが

わたしも是非買わねば、と思い 後日書店に行ったが、同じ
「あゆみBooks」でも青葉通沿いの店と広瀬通沿いの店では
置いてある本が違っていて、最初に入った広瀬通沿いの店には
この『仙台学』のほうがなくて、代わりに?平積みになっていた
のが、写真一番手前の『「東北」再生』だった。

こちらも赤坂先生が参加しているが、『仙台学』のほうが10人
以上の執筆者が4ページずつ書いたものを集めているのに対し
『「東北」再生』は3人の論者がじっくり話し合い生まれたものだ
った。ちょっと立ち読みしただけで、これは自分に必要な情報に
満ちている、と直感したので、こちらも購入した。

つづく ぉぃっ






 









  


Posted by げん at 00:37Comments(0)えみしの国

2010年12月20日

けると の国


かなり前の記事のようですが、ふと覗いたサイトより勝手に一部抜粋
させていただきたく
「独立しそうでしないスコットランド」
http://www.tanakanews.com/990524scotland.htm

(前略) またもう一つ、イギリスで起きている変化として、公共放送
であるBBCが、スコットランドやウェールズ人を指すときに「イギリス
人」(British)と呼ばず、「スコットランド人」「ウェールズ人」と呼ぶよう
にする、と決めたことがある。スコットランド人などは、「イギリス人」と
して、イングランド人とひと括りにされることを嫌がるから、というのが
理由だ。
(中略)
こうしたBBCの決定に対して、新聞のタイムス紙は、
「われわれは自分の国の名前を呼ぶことも、許されなくなってしまったのか」
と主張する見出しをつけた社説を載せ、「イギリス」(Britain)や「イギ
リス人」という名称は、正式なものとして認められつづけるべきだ、とい
う論陣を張った。

 「イギリス」という存在そのもののアイデンティティをめぐる議論にまで、
発展しているのである。そのうち日本語の呼び方も、「イギリス人」という
のは使えなくなり、「イングランド人」「ウェールズ人」などと呼ばねばなら
なくなるかもしれない。

(抜粋 おわり)


・・・わたしなんかは、もう既に「イギリス」という呼び方に抵抗ある訳で
すが
(ただ海外で行った国はどこか、と聞かれた時は いちいち
 「スコットランド、イングランド、ウェールズ・・・」などと言うの
 は面倒だし嫌味っぽい 爆 ので「イギリスとアイルランド」
 って言ってしまいますが)

まあ、わたしが

『「日本人」と一括りにされたくない まずは東北人なのだ!』

と主張するようなものですな スコットランドとは違って、すごい
少数派だとは思いますが・・・・・どうなの? 笑


 

  


Posted by げん at 11:54Comments(3)えみしの国

2010年12月09日

青森新幹線開通記念

 
30ウン数年の悲願だったそうである・・・

むかし、仙台まで新幹線が開通する頃のこと
わが郷土の作家・藤沢周平氏が、そのエッセイに

「果たして新幹線は東北にとって幸福を運ぶ列車となるのか」

と疑いと憂いを込めて綴った。
例えば、京都などはいくら観光客が来たとしても破壊されるよ
うな事はない、したたかな文化があるが、東北にあるのはそれ
とは全く別の、繊細で傷つきやすい自然や人情である、と
けれども最後には、「全くの杞憂かもしれない」とも書く。
東北もまた、簡単には滅びないしぶとさ、柔軟さがあるのだ、と

さて、今さらながらの新幹線、これは青森に何をもたらすのか?

かつて新幹線のない時代、庄内から東京までは特急列車一本
で約6時間かかった。幼少の頃、母と姉と3人で東京へ行く時は
これに乗って、楽しい時間を過ごし苦痛は感じた覚えがないが、
青森から東京までは8時間かかったそうだ。
『3丁目の夕日』の時代などはSLで15時間か、それ以上だ。

青森出身の東京在住者が、山形や仙台からの上京者よりもどこ
か意志強固なものを感じさせるところは九州からの上京者などに
近いところがあり、それはやはり

「故郷には簡単には帰れない」 「故郷は捨ててきた」

という諦観や覚悟があったからかもしれない
おそらく、そのあたりの強烈な気質などは、今後変化していくの
かもしれない。

それにしても、今回の事で思いを巡らすのは、次のような事だ。

@東京が近くなった事で、仙台までで留まっていた青森人たち
 が素通りして大勢、東京へ向かってしまうのではないか(笑

 ・・実は、仙台には青森出身者がとても多い。もともと、東北中
 から人々が集まってきているが、仙台に親近感を持ち自ら乗り
 込んでくる山形人と違い、底知れぬ爆発力を秘めた青森人は、
 本心では仙台では満足せずに、できればもっと遠く、東京まで
 出てしまいたいと考えるものなのではないか・・・と勝手に想像
 するのである。それが行きやすくなったとなれば、尚更だ。
 
 更なる東京一極集中、富を吸い上げられる地方の疲弊
 とくに、東北地方の人口の減り方は近年すさまじいものがある
 という。豊かな大都市に住みたいと思うのは自然の事。だが、
 その富は地方、この東北の困窮と引き換えのものなのだ。
 わたしは東京が好きだが、その理不尽にせめて抵抗するため
 にも、この東北へ戻ってきたのである。

もちろん、新幹線の持つ将来性はそんな面ばかりではない。
藤沢周平氏は、こうも書いていた

「私の望む、東北の『中央並み』とは、東北が中央に染まる事
 ではない 逆に中央を東北に取り込んでしまう事である」

(*手元にその本がないので正確な抜粋ではないが、要点は
 おさえた)

仙台も、盛岡も、新幹線によって「ミニ東京化」は確かに進んで
しまったかもしれない。けれども東北人たちの東北への眼差し
は変わり、人々は確実に集まり、住み続けている。
青森もまた、その独特の才能で東京を逆に取り込んで、青森人
を育て独自に発展した姿を見せて欲しい 心から願う。
  


Posted by げん at 20:52Comments(0)えみしの国

2010年12月08日

衝撃の書!!(爆 そして青森新幹線開通






できるだけ本は買わずにすませたい・・・という訳で
書店で見つけた本を図書館にさがしてみる

わたしが今まで訪れた日本の図書館では、沖縄は石垣島
にある、石垣市立図書館 そして隣県福島市にある福島市
立図書館 が特に感動的で、居心地も最高でした
なぜか、県立よりも市立、区立といった小さめの図書館の方
が魅力的ですね・・・それはさておき

仙台市内で利用しているのは、メディアテークにある図書館
と、榴ヶ岡図書館です。榴ヶ岡のほうは、駅東口にあり、結構
古めかしくて規模も小さいので敢えて行かない事多いのですが
実はこういう所にこそ、「なんだ この本!?」という掘り出し物
が眠っているものなのです。

今回さがしていた本、例によって東北関連の本で(笑
それも見事にあったのですが、もう一冊 一瞬でぶっとんだ
すごいタイトルの本が・・・これ!!

これぞ、全ての仙台出身者、在住者が言われたくなくて、かつ
誰もが心に秘めている不安、不満、そして本音のズバリ!では
ないか、と思うのです。反面、誰もがこの街の素晴らしい所を
知ってもいる その衝動が、この一冊を書かせたと言えそうです。

実はこの本、1992年に書かれたものです 20年近く昔です。
光のページェントやストリートジャズフェスが始まったばかりで
まだまだ定着しておらず、楽天球団もなく、もちろんメディアテーク
もなく、この街に住みながら小説を書く作家たちもほとんどおらず、
「文学不毛の地」とさえ言われていた時代 
(そしてアイルランド音楽をやる人間もいなかったでしょう・・笑)

また反面、仙台駅東口の街並はまだ古き良き生活の香りを残し、
大きな映画館も駅前に生きており今よりも自然な街の姿があった
時代だったかもしれません
わたしはその頃、東京暮らしに夢中 仙台なんて全く眼中になく、
まさか10数年後にその街に住む事になろうとは思いもしません。

仙台は、よく言われるように、この10年 ましてや20年随分変化
したようです。その要因は実にさまざまでしょうが、やはりこんな
本を書かせるくらい「つまらない」ように思える街を、それならば
面白くしてみせようじゃないか!という想いが、人々の中にあった
のではないでしょうか。

ところで内容ですが、この本は『おとうさん委員会』という人たちに
よって書かれていて、素人なりの力技で雑然とはしていますが、
さすがにいちいち的を得た考察、洞察に満ちています

「昔のものや自然を残そう、とか やみくもに守れっていうんじゃなく
『活かす』という意識が低い」

「建築物はあるんだけど、人というソフトが存在しない。
 人にお金を出さないから、ただの箱があるだけ」

「仙台は’点‘で構成されている 名所はあるんだけど、そこまで行く
 間になにもいいものがない」

まあ、仙台批判だけではなくて、基本はユーモアと愛にあふれた
情報豊富なガイドブックであり、まだ「ビブレ」「アムス」などの時代
で貴重な歴史的記録でもあります。
「転入者の出身地別 ふるさとの味スポット」とか、「単身者のため
の仙台」とかかなりディープにとりくんだ読み応えある一冊なのです。

・・・って 長くなりすぎて青森新幹線書く余地がなくなってしもた 爆

つづきはまた次回~
  


Posted by げん at 22:14Comments(0)えみしの国

2010年11月17日

東北に逆移住 の訳 Ⅰ

仙台 東北に住んでいる事

その事実について、ぐだぐだ語る事は楽しい(爆

どんなに寒くても、貧乏でも、人とケンカしても、
東北に住むという事は面白く、その事自体がひとつ
の、心意気である 笑

ここでは時たま、かいつまんで思い出す事を語ろう 
あまり くどくなりすぎないように 

東京を離れる前、友人が言ったものである

「東北に戻るなんて、年取ってからでいいじゃないか」

どうしても、首都圏の人にとっては、「都落ち」とか
定年後の余生暮らし、みたいなイメージになってしまう
ようだ わたしの中では、一度としてそんなつもりは
なかったのだが
皆が皆、わたしが実家に帰って家業でも継ぐのだと思った
ようなのだが、そのつもりも全くなかった。

考えていたのは、ただただ「新天地」としての東北だけである

そういえば、仙台に来てから、知り合う人や仕事の面接係(笑
に決まって聞かれること

「どうして仙台に?転勤で?」

最初は、どう答えていいものか困った
「東北にあらためて住みたくて」 「東北が好きで街も好きなんで」
「東北が・・・」 「東北が!」 ・・・く、くどい

今は「東京に飽きたんで」と答えるようにしている 爆
そうすると、今度は
「東京に飽きるようなら、仙台なんてもっと早く飽きませんか?」
などと返されるしまつ
・・・もっと自分の街に自信をもて!!

なるほど、転勤でもないのにわざわざ故郷でない、身寄りもない
仙台に移住するなんて、よっぽどの変人、酔狂と思われよう
けれども、進学・転勤以外に外の人がここに住む理由がない、と
いうのも、さみしい気がしませんか?

  


Posted by げん at 17:14Comments(0)えみしの国

2010年11月08日

んだ


ブログの引越し、というか別荘建設(爆)するにあたり
どこにしようか?と思ったのだが、やはりここはできるだけ
ありきたりじゃないところがいいなと・・・思いさがしました

結果、「そういや山形でやってるところがあったな」と
思い出し、ここになった 笑 そんなマイナーな?ところ
で大丈夫か と(何がだ)思ったのだが、まあ無問題

実は、宮城県には『伊達ブログ』がある
たたずまいが似ているので、兄弟ブログサービスといえる
かも?しかしわたしは仙台在住でもあくまで山形人、庄内
人だと思っているので、ここは んだ!ブログになった次第

この んだ!ブログを知ったきっかけは、『龍馬伝』である。
そう、現在放映中のN○K大河ドラマだ
実はこのドラマ中盤、夏あたりだったが、実在の庄内人が
登場したのだ。
勝麟太郎(海舟)率いる勝塾・軍艦操練所にて厳しく練習
生を指導する塾頭、佐藤与之助(政養)である。
勝に師事する事となり勝塾を訪れた坂本龍馬と近藤長次郎
を迎えて第一声

「勝しぇんしぇいがら 何そわいできたなだ?」

龍馬と長次郎 「は!?」

つまり「勝先生から、何を言われてきたんだ?」という意味
俳優の有薗 芳記さんはよく庄内ことば指導を受けて、ほぼ
完璧な庄内弁を演じていた。なかなかない事である。

ちなみにこの佐藤与之助は、この後横浜での開港を幕府に
提案したり、維新後は日本初の鉄道建設に尽力したりと、
相当の偉人

ようするに、大河ドラマで初めて描かれたといえるこの地元
の偉人について、この んだ!ブログで綴っておられた方を、
わたしは発見し、拝読していた訳である。

ところで、「んだ!(そうだ!)」は山形の特権?ではなく、
たぶん東北へたすると関東甲信越まで共通の、方言単語
でも、なんとなく、山形がそれを代表しちゃってるところがある。

山形県というのは、われながら不思議なところ
一般的には、東北は「北東北」と「南東北」に分けられている
が、わたし個人はこの郷土を「中東北」と呼んでいる。
東北的な風土は北東北三県に特に濃厚、と学者はいうが、
それにしては山形のことを
「東北の中でも精神文化が厚く堆積している」
だとか
「最も謎が多い」 「最も東北らしい」
とか矛盾している(笑

わたしが思うに、ここは宮城と並び、ヤマト文化に接する
文化・民族の混交地帯で、古来何ごとも曖昧であった。
別の見方をすれば、西日本の人々が最も奥羽文化に接し
やすい地帯でもあり、「東北=山形」と認識されてきた部分
があるのかな、と
出羽三山にしても、東北には他にも霊峰群、修験の山と
いうのはあるのだが、東北だけでなく東日本一帯に信仰を
広めていたのは「あんまり北すぎなかった」というところも
あったのかもしれない

そういう「親しみやすさ」も持ちながら、やはり山だらけと
いう事で、宮城ほどには中央に染まりにくく、謎多き東北
でい続けられた という事か

そういえば、なぜ庄内人・山形人であるわたしが、
「東北回帰」
する際に郷土である山形県ではなく、仙台を選択したのか?
というのも、よく周囲に聞かれる事で答えるにめんどくさい
事である(爆 しかしおいおいその事も書いてみよう・・

おしまい

  


Posted by げん at 11:54Comments(2)えみしの国

2010年11月01日

山形に「芸大」あり



久々に、メディアテークで『g*g』を見つけて、持ち帰り、読む。

『g*g』とは、東北芸術工科大学の、広報誌 フリーペーパーである。

この長い名前の大学、なんと山形県山形市にある「芸術総合大学」
(ただし音楽学部はない 残念)
公立として設立され、民営されるという珍しい例らしいのだが、それに
しても東北最大の都市であるおとなり・仙台にならともかく、なにゆえ
山形に芸術大学?と設立前後には内外ともども疑問と戸惑いの声が
聞かれたようである。
「この山形で、芸術なんて学んでも食っていけないだろう」
という訳だ。まあ、今だって誰でもそう思うだろう。
しかし、この大学の設立者は非常にロマンティックな人なのか、縄文
の伝統を宿した東北にこそ芸術の要素はあり、またそれが日本、世界
を絶望から救う力になる、と熱く語り、またその拠点についてこう断ずる

『はじまりの場所は、あくまでも山形である』

それにしても偉いのは、「山形芸術・・」ではなくて「東北芸術・・」とした
事だと思う。山形だけではなく、東北の代表、東北の権化なのだ。
まさに山形人として、誇るべき強靭な夢と意志の具現化といえるだろう。
藤原清衡が平泉を作ったように、宮澤賢治が家柄を捨て農業を実践した
ように、東北人とはとんでもない事をマジメに実現してしまうところがある、
と高橋富雄氏が言っていたが、そのDNAは今も引き継がれているようだ。

実はこの大学、設立が1990年代はじめ。
この頃というと、山形では今や世界に名高きドキュメンタリー映画祭も
はじまったばかり。となり仙台でも、光のページェントやストリートジャズ
フェスティバルがはじまったばかり。つまり現在、東北を彩る大イベント
の多くがやっと出てきて、それまで何もない、元気のないように見えた
東北から何かが噴出し始めた時代だった。
そしてまさにそんな頃、少年のわたしは東北を捨て・逃げ出して東京へ
出て行ったのだった。

もう少しこの大学の登場が早ければ、わたしは進路を変えたか?
というと、それはなかっただろうと思う。
というのも、ここには「映画の学科」がない。なんと今年あたりから
「映像学科」
を新設したのだが、ちょっと遅すぎると思う。
(ちなみに、かの東京芸術大学までも映画の学科を今さら新設して、
あいた口がふさがらなかった。映画は現場で学ぶもの。その現場が
新人を育てられなくて、今になって学校ばかり増やしてどうするのだ
ろうか?)

まあそれはさておき

この大学について詳細な情報が入ってきたのは、わたしが仙台に
移ってきてからである。ここができて以来、山形市に突如若者たち
が闊歩しはじめ様々なユニークな表現、そして町を巻き込んだイベ
ントで山形、東北を少しずつ活気づかせてきたようだ。今や仙台市
とも連携して、大きな芸術運動の流れをつくろうと画策しているらし
くズバリ『東北ルネッサンス』とまで謳いあげている。

大きく出たものだ(笑
しかしかくいうわたしも、その大風呂敷のはしっこを掴もうとする一人
である。

今回の表紙は、山形人の誇る旧県庁舎『文翔館』とそこに展開された
アート。明治のはじめにスコットランドの女性旅行家イザベラ・バードが
道中訪れ、絶賛した建造物である。*
今年の12月はなんと、ここでアイルランドのグループ、ルナサがコンサ
ートを開くことになっている。

*恥ずかしながら、のちの調べで大正時代の建造と判明(爆
 ああ勘違いでした・・・  


Posted by げん at 16:57Comments(0)えみしの国

2010年10月28日

写真 第3号! 運命的建造物




東北回帰いまこそ機は熟したり!
・・・と思いきや、本当にこの都市でいいのか?と
迷いながらはじめて歩いた定禅寺通り
突如目の前に現れたこの不可思議で美しい建造物
その姿をみて「この町に決めた!」と思った
優れた建築は偉大である。10周年 祝  


Posted by げん at 17:31Comments(0)えみしの国

2010年10月27日

写真 第2号!盛岡の風景




このあと盛岡のなにげな名物・ハヤシライスをいただく

ちなみに庄内名物・とちのみかりんとうは美味い!!
  


Posted by げん at 15:22Comments(0)えみしの国

2010年10月26日

写真 第1号!



9月の遠野まつりで泊まった宿の ご年配な感じのねこさんです

そういえば、前のブログで遠野のはなし途中でしたな  


Posted by げん at 20:13Comments(0)えみしの国

2010年10月23日

えみしの国 について


ここ、「えみしの国」では、そのまんまここ「えみしの国」のなかでの旅や
出来事、想いについて書き留めていきたいと思います。

しかしそもそも「えみしの国」とは何か?それはどこなのか?

「東北地方」・・・それは実は正確ではありません。
それは国境なき国 王なき国 国なき国 
わたしはあえてその国を「奥羽越」と呼んでいます。
奥は奥州、羽は羽州、越は越州(新潟)をも含む、という事と
「東北という概念・枠組みを『越える』」
という事を同時に意味します。

そもそも「えみしの国」とは遠い古代、関東や北陸つまり朝廷の都より
東方のほとんどをさす言葉だったようです。
関東と関西の敵対意識が現存するように、今もその名残はありますが
そんな関東・北陸と、ここ東北「奥羽越」にはしかし、確かな違いがあり
ます。
それは前者が権力を得て、明確に『やまと』であり『日本』となったのに
対し後者は権力に背を向けて、どこか『やまと』にも『日本』にもなりきれ
ないでいる いやむしろ確かに拒否し主張している 
われわれは『やまと』ではない と。
『やまと』でなければ、何なのか かつては、答えられなかった。

まあここであまり書きすぎるのはよしましょう
ひとつ、わたしの生活上欠かせない、スコットランドへの憧れもまた、
この「えみしの国」という概念に大きく影響している、と言えるでしょう。
大英帝国の一部でありながら、「イングランドと一緒にするな!!!」
わたしはそんな彼らスコットランド人が大好きです。

  


Posted by げん at 17:27Comments(0)えみしの国