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山形情報ガイド・んだ!ブログ

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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2013年07月24日

あまちゃん について


新聞が創刊から一周年を迎えたのでわたしは投稿記事を
フィクションに変えてみたのだが、
http://tohoku-fukko.jp/ (第6面に書いとります)
なのでノンフィクションもとい、エッセイはだいぶ
ご無沙汰になってしまった。
そこで、久々にそういう徒然なるままの独り言など
この場を借りてつぶやいて?みたい。

NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』始まってだいぶ
たつが、その社会への浸透性というか、影響力には
つくづく驚かされる昨今である。
いま、庄内の実家に帰省していて、札幌在住の姪と甥
も来ているのだが、ことある毎に「じぇじぇ!」と
連発するし「来〜て〜よ♪そ〜の火〜を〜♪」と歌っ
てるしGMTの踊りを始めるし・・・すごい。
今まで、朝ドラといえどここまで子供達にマネさせる
ネタを持った作品をわたしは知らない。

またその人気ゆえか、いろいろの批判もネットを通じ
て聞こえてくる。主人公の性格が悪すぎるとかいうの
に始まって、東京一極集中国策の陰謀だとか、GMTの
メンバーを演じる女優が福島原発事故の避難民でNHK
は反原発のプロパガンダに利用する気だ、とか・・・

わたしがこのドラマ、始まった当初から気になってい
たのは、「地方と中央」という図式がこれまでになく
ストレートに押し出されている点だった。
NHK朝ドラというのは、全作観ている訳ではないけれ
ど、大阪局で制作したものは「西日本のどこか→大阪」
東京局で制作したものは「東・北日本のどこか→東京」
と主人公や物語が流れていく図式に、基本的になって
いたと思う。これが朝ドラの構成の「オキテ」のように
なっていたのか知らないが、とにかく自然な流れという
か、都会に出て行くのが当然という意識が通底していた
ように思えるのだ。

ところが、『あまちゃん』ではこれが「アンチ東京」と
いう形でかなり強烈な地方・中央の対立意識としてクロ
ーズアップされている。結局ドラマの中盤でそれは主人
公たちの意識の変化という形で緩和されていく事になる
が、実のところわたし自身が経験した事もあるこの対東
京意識の葛藤が、ようやくリアルに描き出されている事
がわたしのみならず多くの人々を惹きつけている一要因
ではないのか、とも思う。
もし、「地方→中央」という流れがNHK暗黙のオキテだ
とするなら、東北出の脚本家・宮藤はそれを逆手にとっ
て、「その図式でやれというならこの際徹底的に」と
考えたのかも知れない。

ところで、東京出身なのに東京が嫌いで岩手が好きだと
いう主人公アキより、岩手が嫌いで早く東京に出て行き
たいと考えるユイの方に断然リアリティがあるのは、や
はり脚本家自身がユイと同じ経験をしているからだろう
し、現実的にはユイのような若者が圧倒的に多いのだと
思う。

それにしても、現実の東京というのは、例えばわたしが
東京に憧れた80年代後半、実際に住み始めた90年代始め
と比べればパワーと魅力を失ったように思える。一昔前
は文字通り憧れの対象として全国の人々を集めてきたが、
近年はむしろ地方が疲弊しすぎてやむなく東京へ移って
いる人々が多いように思われる。東京の方も、スカイツ
リーを建てたりオリンピック招致に躍起になったり、か
つての光いま一度みたいな必死さを感じてしまう事があ
る。それでも、殊マスコミ業界とか、芸能界に関しては
依然として日本の中心とされて、若者の憧れであり続け
ているのが現実だ。わたし個人的には、アイルランド音
楽関連の人材が圧倒的に豊富な地として、東京は新たに
憧れの地となっている。

しかし、あえてわたしがこのドラマに注文をつけるとす
れば、地方都市在住者として盛岡や仙台といった地方都
市の扱いに関して一言 である 笑
岩手のアイドルとして知られるようになったユイが、
「ここでできる事はやりきった。次は、東京だ。」
という。実際、盛岡の人々も否応なく納得させられてし
まっているのかも知れないが、こうして自他ともに地方
都市に「限界」を作ってしまっているところにどうして
も作為的なものを感じてしまう。本当に「やりきった」
といえるのか?東京に行く夢を絶たれたからといって、
岩手のアイドルではあるのだから根こそぎ諦める必要は
ない訳で(彼女のプライドのため、と説明されていたか)
東京か、さもなくばゼロか、という考え方は果たしてど
うなのか?岩手、盛岡の良さをよく知っていて、地元の
文人や芸能人も頑張っている事を知っている身として、
地方都市がつまらない、ような描き方はやめてくれ、と
言いたくなってしまうのだった。

とは言っても、実際の「東京編」になったら、主人公ア
キもアンベちゃんも、種市先輩も、ユイの蒸発したお母
さんも何故かみんな上野に集まってしまうというあり得
ない「世間のせまさ」 爆 まるで仙台市内の話みたい
だが、仙台在住の作家・伊坂幸太郎氏が言ったように、
実際、地方都市サイズのほうがドラマは構築しやすい、
というのは本当かも知れない。わたしも15年東京に住ん
でいて、町で知り合いにバッタリ会うなんてほとんど
なかったから。

ともあれ、今までになく結末が気になる朝ドラである。
現在、2010年始めの設定で話がすすんでいて、この後
かの震災が描かれる、と言われている。その時いったい
脚本家は何を描くのだろうか?
わたしもまた、自分の描けるだけを描こう。  


Posted by げん at 00:18Comments(0)えみし気になる世界

2013年07月22日

酒田へ行ってみる


酒田は鶴岡よりちょっと遠い(湯野浜から、という事ね)
なので、昔から鶴岡ほど頻繁に行く町ではなかった。
行く時はちょっとしたお出かけで、この町には異国情緒すら
感じていた程だ。鶴岡は田んぼの真ん中の城下町 酒田は
日本海に開かれ、ロシア人?なども闊歩する豪気な港町なの
だから。




CUBのバルⅡで北上すると、以外に30分ちょいで最上川を
渡り、酒田の町に到着した。でかい獅子頭は、酒田最大の
まつり、山王まつりに登場する立役者。

ところで、今回酒田に来た一番の目的は、




酒田ラーメン〜!    である。

全国的認知度はどうだか知らんのだが、わたしにとって
ラーメンとは、酒田含めた庄内のあっさり魚ダシ系醤油、
が基本である。なんでも、ここ三日月軒からのれん分け
したらしいお店の数々が、「満月」「新月」「花鳥風月」
など「月」のつく店名を持って街中に広がっているとか。

母は油彩画を描く人で、この町のあちこちの風景描いたり
画材買ったりするのでよく酒田に来て、わたしも同行する
事があった。そんな時、その辺りのラーメン屋にふらりと
入ったものだ。(当時まだアニメ化の話もなく、漫画とし
て連載されていた『風の谷のナウシカ』の単行本も酒田で
買った記憶がある 笑)

ちょっと前、仙台の雑誌『Kappo』に酒田ラーメンの特集
が載って、無性に食いたくなったが、仙台市内に酒田ラー
メンの店はおそらくないので、よく行っている近所の米沢
ラーメンのお店で満足した事がある。いや、実のところ、
米沢ラーメンの方が美味いかも知れないのだが(爆)やは
り酒田ラーメンのある意味洗練されていない、どこまでも
普通の中華そばであり続ける感じが好きだ、と思う。

さて、腹満たした後は実に久々、清水屋デパートや、山王
まつりの拠点・酒田山王日枝神社などを散歩。




実は山王日枝神社とは、酒田・鶴岡という庄内2大都市両
方に鎮座する当地最強?の古社である。
しかし、その規模、性格は何故か両都市で微妙に異なって
おり、そこが何だか謎だ。
例えば、写真にある鳥居だが、酒田のものは山王社独特の、
三角屋根を持った「山王鳥居」なのに、鶴岡のものはこの
三角がない。
また、酒田の社は創建年代が大同年間(9世紀)と明確で
あるのに対し、鶴岡の社は不明、もしくは用明期(6世紀)
とやたらと古い。
そして、鶴岡が荘内神社、天満宮と他にも有力なお社があ
るのに対し、酒田では山王社が圧倒的である。
港町の山王社といえば、青森は津軽の十三湖、ここの中世
遺跡、十三湊(とさみなと)の山王坊が思い出される。謎
の宗教施設とされるが、この鳥居も、三角屋根だった。

さて、この酒田山王社、鶴岡と違い高台にあるがその敷地
内にこんなすごい建造物がある。




「光丘文庫(こうきゅうぶんこ)」という。
かつて日本一の豪商とも言われた本間家3代・光丘(みつ
おか)の名にちなむ。大正14年酒田初の鉄筋コンクリート
製、本間家の蔵書ほか有志の寄贈した数万冊が収められる。
長く市民図書館として親しまれ、多くの皇族・軍人・芸術
家が訪れたという・・・まあ、よく存じないのだが。

山王社周囲には、港を望める日和山公園や、映画「おくり
びと」のロケ地になったというこんな場所とかある




そんなこんなで酒田、なかなか見どころに尽きないなと
今回実感なのであった。




  


Posted by げん at 11:55Comments(0)えみし普通の日記

2013年07月20日

帰省す 2013夏


昨日、仙台を出発 南東北を横断して庄内へ帰省。
昨年の9月 遠野行き以来の、我がCUB・バルタザールⅡによる
「ロバ旅」である。



         岩出山・道の駅にて



仙台の街なかでは自転車の「ひとごのかみあやかす号」があまり
に高性能なため、すっかりCUBは遠距離用に使用限定になってし
まっているが やはり一日150キロ、6時間もの移動には わたし
にとってこいつしかおらぬ

前日は山形・宮城を豪雨が襲い、各地土砂災害などもあったよう
で様子見ながらの出発だったが、天気予報を少し裏切り?美しい
青空と複雑魅惑の雲、気温26℃というこれ以上望めないほどの好
条件に恵まれ、当初高速バスかな?と諦めていたわたしを野生
(爆)に駆り立てたのだった。




高速バスもいいのだが、郷里・湯野浜というのは本屋ひとつまとも
にない所で、30分かけて山越えて町に行くのに自分の「あし」が
ないと不便極まりないのである。冬はともかく、夏はな・・・

朝は前日の豪雨で出かけられず何もできなかった雑用をこなした
ため遅れに遅れ昼前に出発、鳴子温泉方面から行くので仙台を
北上。八乙女ホーマックでチェーンオイルを買い、雨でダバダバ
なチェーンを潤滑して泉中央のデパ地下にて土産の菓子と昼メシ
のミスドを買い(笑)あらためて走り出す。

爽やかすぎる・・・暑すぎず、寒すぎず、風景も美しく
とにかく最高だ!



   最上川はやはり赤く荒れている・・・戸沢村・道の駅にて



野生と書いたが、確かにオートバイの旅は昨日まで眠っていた
五感を目覚めさせるものがある。150キロ、6時間と聞いて
「おせーな・・」と大抵の人は思うだろうが、時速せいぜい40
キロ巡航の旅はわたしの運動神経、視力によくかなっており、
他のクルマやトラックに合わせて走る必要もはなっから感じな
い、底なしの自由度もわたし向きである。

路上はけっこうツギハギだらけで穴もボコボコあり、40キロ走行
ならば様々な危険を察知して回避できるのであり、現にこの10年
以上の旅でそれを実感してきたのである。

そして何より、日常と違うのは、走行中ずっと空を見ている事だ。
とにかく雲の動向が気になる。行く手にバケモノみたいな雲あれ
ば「おいおい大丈夫か」と不安になり、わずかな空色の変化、雲
の造形の妙に感動する。これは古代より野天の旅を続けてきた人
類の、「地球と交わる」DNAレベルなつかしの感覚なのだ。



    庄内平野の入り口 立川町の風車を背に

           


Posted by げん at 07:34Comments(0)えみし普通の日記