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山形情報ガイド・んだ!ブログ

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プロフィール
げん
げん
山形県鶴岡市生まれ。
札幌、東京と移り住み、放浪の旅をへて
東北回帰~ 奥羽越(えみしの国)を拠点
に危なっかしくも面白く生きます。

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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2012年01月21日

さらば「えぞ龍」


今ごろ昨年末のはなしですが 笑

東京はこのところ一年に二度ほど行く というのが
自分としてもちょうどいい感覚だったのですが
震災の事などもあり、今回は約1年ぶりの東京でした。

東京に来ると必ず立ち寄る町のひとつが、高円寺。
なにせ、24歳から33歳までの10年近くも住んだもので
(さいご31~33歳の時は長旅中でしたけども)
この町で、というか結局東京で一番食べたラーメンの
店が、ここ『えぞ龍』 やはり東京にくるたんびに食べに
行き、おやじさんとも会話を楽しむ、というのが恒例に
なってましたが




今回は冬。札幌ラーメンには絶好の季節ではありませ
んか!このお店は高田馬場にある『えぞ菊』という店か
らのれん分けしたそうで、おやじさんが独りでやってま
す。夕方6時から夜明け前4時まで、という完全夜型営
業。本場札幌のラーメンより脂など少なくしてよりさっぱ
りと、関東の人たちが食べやすい感じになってると思い
ます。仙台にはなかなかないんですなあ こういう、肩
の力が抜けた、庶民的なムードの札幌ラーメン。




ところが、入店して「ども~」といい おやじさん
「おー ひさしぶりー」といつものように返してくれたかと
思ったら次の一言
「今年で店 閉めるから~」

え?

「いやー もう疲れちゃったからさあ」
そうなんだ・・・ついにかあ また高円寺に来る理由が
ひとつ、なくなっちゃうじゃないか。
「何年になるんですか」
「39年」
えっ・・・・・!俺が2歳の時から!?そりゃすごい
「まあ、これからもこの辺り、うろうろしてっから」

今年いっぱいだから、もう閉店3日前だった・・・
きわどいなあ。
高円寺は、店がどんどん入れ替わっている。

ところで、今もたまに手に取るマンガがある




『東京物語』 ふくやまけいこ 全7巻 徳間書店

大正から昭和初期の、東京を舞台にしている。
80年代後半、わたしが高校生だった頃の作品だ。
当時は荒俣宏の『帝都物語』も映画化されたりして
「むかしの東京」がブームだったのだろうか?
わたしもすごく刺激されて、それで東京を目指すよう
になったんだった。

よくわたしは「昭和のおとこ」と呼ばれるのだけど 爆
ホントにこういう、古い時代が好きなんです。


物語は、関東大震災からも復興したばかりの東京
雑誌記者の平介が、浮浪者風の謎の青年・草二郎
に出会い、数々の怪事件に遭遇 解決してゆく。
絵は女性漫画家らしくほのぼのしてるが、草二郎の
謎が解明されていくあたりは立派なSFで、けっこう
引き込まれる。そば屋の看板娘とか、浅草の置き引き
総元締め、横浜の映画少年、ライバルの女性新聞記者
など魅力的なキャラクターが次々登場 宮澤賢治など
実在の人物までがゲスト出演 笑

主人公らの主な行動範囲は、浅草を中心に北は谷中、
南は銀座・日本橋あたりまで。当時の東京の繁華街と
いえばこのエリアだったろう。浅草の隅田川沿いは広々
とした川原で、今のコンクリートで固められた景色とは
まるで違う。
当時の東京の人口は200万~400万で、第一次大戦を
機に激増してくる時代だった。
今の札幌が人口200万なので、そうかああいう感じか
と想像できる。今の感覚だと、札幌や仙台のように都会
すぎず田舎すぎない という雰囲気が当時の東京にあっ
たのかあと思う 実際に行って見てみたいものだ。

ちなみにこの時代の仙台の人口は10万人ぐらい。
札幌はもっと少なかった。これは今のわたしの郷・鶴岡
と同じくらいだ。しかし考えてみると、1000年前 平泉の
全盛期の人口も10万人ぐらいと言われていて、当時日本
では京都に次ぐ「大都市」だったというから 大都市の感
覚は時代によって随分変わるもんだ、と思う。

*『東京物語』はのち全3巻?で文庫化されているもよう。




  


Posted by げん at 14:03Comments(0)えみし旅を想う

2012年01月17日

自分をいかして生きる


西村佳哲 著  ちくま文庫

自分を「いかして」生きるか 「ころして」生きるか・・

「わたし、まだ‘就活’を究められないでいるんです」
その学生の言葉に、著者は疑問を投げかける。

「仕事とは『選ぶ』ものなんだろうか?」

たくさんの選択肢があって、その中から選ぶ。
「仕事をさがす」 「仕事を見つける」
それは、たくさんの物があふれかえりひたすらそれを
消費していく、高度消費社会の投影ではないだろうか

その社会の中では、「多くの選択肢から選べる」ことが
豊かさの証であるとされ、何を選択したかがセンスの
良し悪しを判断する基準となる。

旅や登山に憧れてアウトドア雑誌を開く人も
さっさと出かければいいのに他人の体験談に夢中だし
普段着でも登山できるのにウェアだのギアだのの情報
収集に余念がない。

自分で考え、生み出す。行動する。
知らず知らずのうちに、当たり前のような事ができなくな
ってはいないだろうか?
ないのなら、自分で作ってしまえばいい。
「仕事」も例外ではない。まあそう簡単ではないだろうが
では、さがした中から選択した仕事で「自分をいかす」事
は簡単だろうか?その中でも自ら考え変革していく
「自分をいかす」生き方は、戦いじゃないんだろうか。

考えてみると、ここ東北には「住む場所」すら選択肢の中
から選ばず、一から都市を作り出してしまった藤原清衡や
伊達政宗がいたではないか。

自ら仕事を創造せんと走り出しながら、あまりの無謀さ
困難さに弱気になりがちなわたしをどやしつける一冊だった。  


Posted by げん at 19:16Comments(0)えみし普通の日記

2012年01月16日

新年の近況


1月14日(土)
夜、「どんと祭」行ってみる。地元の人々のお祭、というイ
メージが強かったので遠慮?していたのだが、ここはそろ
そろ仙台人の「真髄」を拝見する資格ぐらいいただいても
いいじゃないか?などと勝手に思った。
仙台に住んで5年目にして初めて!実は大崎八幡宮も初
めて。凍りつくような寒い夜の街を、笑顔の人々が行く。
巨大な鳥居をくぐると、高い高い階段を登ってゆく。
登りきった上が、うわさに聞く「火」 これはすごい
地元の人々が、役目を終えた正月飾りとか ポーンポーン
と巨大な焚き火の中へ放り投げていく。空一面、煙。
これはアイヌのイオマンテとか、マタギのクマ送り 古代の
貝塚のように、魂を「送る」行事なのかな と思った。
半裸白装束の男たちが各々片手で一斉に鳴らす鐘の音が
何とも幻想的だ。
また、境内の出店が、すごい。もう、ページェントとか七夕で
街なかの公園に出るのとは違う。文化が濃すぎる。怪しすぎ
る。「サメつり」といってサメのおもちゃを釣り上げる店がある。
これって、よくあるもんなの?わたしは初めて見た。
「名物 芭蕉だんご」とか、珍しい美味そうなものもいろいろ
あったけれど、結局山形名物玉こんにゃくにしちゃった 爆
本殿も壮大!にして、超・個性的。わたしは大勢が押し寄せ
る初詣みたいなのは無縁だけれど、この夜はそれに近い状
況を体験した。「定義さん」もそうだけど、宮城の文化は行く
とこ行けば全く東北他県に引けを取らない。またひとつ、大き
く仙台を見直した一夜であった。


1月15日(日) 音楽仲間たち年始め顔合わせ~
毎月一度の「練習会」なのだが、わたしは昨年9月の長旅
から、なぜか毎月練習会の日を忘れて全然行ってなかった。
そればかりかクリスマスのBarm'sライヴの日程まで間違え
てボロボロの下半期だったのである・・・
なので今年最初はしっかり始めましょう。
那須に引っ越されたYUMIさんも来てくれたし、U松さん・
KANAさんという南米音楽族も仲間に入ってくれてるし
I谷さんも見学と称して初めて練習会に登場(すでにメン
バーだと思うのだが 笑) ギターのTOSHIさん、最近つ
いに始めたフィドルを初披露してくれたし 新たな一年 なか
なか面白そうな予感 そんな楽しいひと時だった。

家でメシなど炊いてると、U松さんからTEL なんとYUMIさん
が出て「星港夜に来てるんだけど、来ない~?」 爆
美女のお誘いを断れるはずがない と言いながらメシはちゃ
っかり食い(笑)女性を待たせた不届きなる男 げん
昨年からフィドルを弾きはじめたU松さんとヴァイオリニストに
してフィドラーのYUMIさんが音あわせしておった。
この星港夜 もともと和楽器奏者が多く、フィドルなんてわたし
ぐらいだったが最近ABEさんや村田さんも来たし、にわかに
アイリッシュ人口が増えてきた。
YUMIさんが那須に引っ越す直前に、那須・黒磯といえば・・
とわたしが紹介した名喫茶『CAFE SHOZO』をYUMIさん
いたく気に入ってくれたようでよかった(実はわたしは行った
ことない 水戸も制覇?したし近々訪れてみたい)  


Posted by げん at 23:05Comments(0)えみし普通の日記

2012年01月07日

チャンスって


『やめること』から始めなさい

だったかな こんなタイトルの新書が書店にあった。
立ち読みしますと「こんな事はやめなさい」な事柄
「武勇伝をやめる」
「夢を語るのをやめる」
「カバンを地べたに置くのをやめる」
などなど「なるほど その通りだ」と納得な項目の他
「ネットサーフィンをやめる」
「100円ショップの常連をやめる」
「使わないものを部屋に置くのをやめる」
いろいろギクッとさせられうなずいてしまうところ多く
面白いのですが、ちょっと気になった項目もあります。

「郊外に住むのをやめる」

つまり、都心に住め 家賃をケチるな という事。
高い家賃を払うという事は、それだけ多くのチャンスを
買っているのだ、といいます。
著者は、東京の都心や大阪などの大都市にも、仙台など
にも住んできたそうなんですが、そのためその事を実感
する、と書いています・・・

まてまて・・・という事は?
「仙台は郊外(田舎)で、チャンスがない」と言いたいのか?

これ、どうなんだろうな・・・
そもそも、チャンスとは何なんだろうか
わたしなどは、東京の「都心」練馬に3年、高円寺に10年住ん
で「郊外」の小平市に3年住んで、いま 仙台5年目なのだけど
振り返ってみて、一番面白い人や出来事に出会えて、それらを
自分の糧にできて、そういう意味ですごい可能性がある つま
りチャンスがあるな と思えるのは、いま住んでる仙台だなあ
と思ってしまうのです。
それも、面白い出会い というのは仙台の中の人だけじゃなく
て、ここにいると各地のすごい人に出会えるし、こちらからも
出会いに行ける。もちろんいつも思いどおりに会える訳じゃな
くて、不便なこと我慢も必要な事もあるけれど、耐えた分だけ
喜びも大きいし。

いくら人が多くていろんな人がいて、情報が多くて何でも揃っ
てるように思える東京でも、20代の頃の自分は何だかうまく
立ち回れなかったし、自分の糧にできる事も少なかった。
面白い人や出来事に出会っても、目の前を通りすぎていくだけ
で、自分に関わらせる事ができなかったし、関われても自分で
投げ出したり・・

要するに、問題なのは、自分自身 という事だと思います。
おそらく20代のわたしが仙台に住んでもうまくいかないだろう
し、今のわたしが東京に住み直したらまた違うかも知れない。
けれど、住んでる場所と自分との相性、というか これも重要
な気がするのですね。

チャンス というのは成功 とか出世 とかの話かも知れません
でも今のわたしにとっては、アイルランド音楽とか、東北の復興
とか新たな展開とかが大事なので いわゆる世間的な成功 とい
う価値観から遠いような気がします。
映画を作る とかいうのも、東京にいたほうがチャンスあるだろ
うと言われるけれど、これも東北から始めないと自分にとっては
意味がないので(笑)厄介なもんです。
人それぞれ、チャンスと思う事柄は違う、と思う訳です。

わたしから言わせると、札幌・仙台はもちろん、盛岡・山形ぐら
いの規模の町でも全く問題ないし、それどころか鶴岡・酒田のよ
うな小さな町だって、想像以上にできる事があると思います。

しかし地元・東北に残ったからこそその業績が死後評価されてい
る宮澤賢治や佐々木喜善が、念願だった東京永住を果たしていた
らどうなっていたのでしょう。彼らは成功者とは言えなかったけ
れど、彼らが東京永住してたらイヤだなあ・・などと思う自分が
いる。勝手なものです 人生とは終わっても続く答探し哉。

明日、仙台に帰ります。



  


Posted by げん at 12:25Comments(2)えみし普通の日記

2012年01月05日

抱負のようなこと 音楽編


フィドル(ヴァイオリン)という楽器は、果物でいうと 柿 み
たいなヤツだと思う。素晴らしい果物なのだが、とっつきにくい、
ムズカシイところがある。季節が限定され温室で育てようという
雰囲気でもない?し、ジュースにしようとか思うほど応用性も考
えられない(わけでもないのかもしれんが)このあたり、決して
どんな場面でもオールマイティという訳ではないフィドルと似て
いる気がする。
アコーディオンのように、音を出した瞬間から「面白い!」と言
えるものではなく、「なにこれやりにくい」が第一印象だ。
首なども固定されてしまうし全体的に不自然な姿勢で、窮屈に感
じてしまう人も多いだろうと思う。

その楽器を、さらにわたしのような譜面は読めない、曲名は憶え
ない、ただ直感で好きだと思う曲を気持ちいいだけ弾くというア
ナクロ以前の原始人類的?な人間がやるのだから、始末におえな
いと思う 笑 自覚しているのだけど、わたしは音楽を集団行動
として組織する場面では本当に使えない人間である。それは、ブ
ログ書いてるくせしてカメラがいまだにフィルムである事にも象
徴的で、ようするに普通の人は時代の動きに合わせ自分というパ
ズルを組み替えていくのに、わたしのパズルは常にイビツで合わ
ないピースだらけである。いや時代の流れ以前の話か 社会・組織
を運営していくには稲作を国家事業にしていった弥生的思考が必要
なのだけど、わたしは基本が個人主義 縄文的思考なのである。

まあいいんです そんなこた 爆
わたしは不器用な人間です。音楽というのは、やればやるほど自分
はこの先、フィドルしかないなと思います。これはフィドルの才能
があるという話では全くなくて、逆に一番才能がないと思っている
のです。だからこそ、今の時点で他の楽器にも手を出したりしたら
フィドルを弾く資格自体なくなってしまう恐怖がある。どんなに下
手でも非才でも、人前で弾く覚悟は見せたい。他の楽器、マンドリ
ンやコンサーティナを知ってその魅力も難しさもわかったからこそ
言えるのですけれども
まあそれだけ、フィドルが自分にとって特別、ということです。

でもそんな深刻なこと普段は考えてなくて、楽天的にそれとなく
弾いているだけです。そんな風に、まず自分があって、そのうえ
で仲間たちとのセッションという喜びがある。これが続けていけ
て、少しずつでも進化していけたらいいな、と思っています。  


Posted by げん at 14:31Comments(0)えみし普通の日記

2012年01月02日

2012


元旦過ぎてしまってました

山形県 湯野浜に帰省しております。

年末は、東京に3、4日行っておりました

生まれて初めて入った新宿のネットカフェがなくなっていたり
東京で一番多く食べたラーメンである高円寺の『えぞ龍』が
閉店3日前だったり 時の流れを感じました。
6月に亡くなった等々力の伯父のお宅に伺いお線香あげさせて
いただいたり 映画館時代の旧い仲間で集まって飲んだり
念願だった水戸のアイリッシュパブkellsのセッションへの参加
を果たしたり 出会い 再会にも恵まれました。

ともあれ今年もなにとぞ 宜しくお願い致します

  


Posted by げん at 00:45Comments(4)