2016年01月29日
写真のない東京紀行2016 爆 (2)
昨日28日、仙台長町でようやく『スターウォーズ』の新作を観た。
東京に行った時、新宿かどこかで観ようかと思ってたのだが、
さすがにそこまでの余裕は持てなかった。
観ている間は本当に面白かったのだが、あとで脚本のあちこち
かなり重要な部分まで問題が多すぎて、満足度は残念ながら
高いとは言えなかったので、まあ仕方なし?とするが
映画といえば、今回の東京行きの目的の大きなところが、
長年渋谷で勤めた(といっても、6年間だが自分としては最長!)
映画館の、30年の歴史に幕を閉じる最後のシーンに、旧い仲間
たちと立ち会う、というものであった。
*
わたしがここに勤めたのは26歳になる1996年始めから、
32歳になる2002年の始めまで。
東京に出てきてからの、20代前半というのは、愚かな若者であっ
たわたしにとって、道を定められず、出会いもすれ違いばかりで、
実家の事情にも翻弄されっぱなしの、まさに混沌の時代だった。
とにかく自分の好きな、映画の(機械に触れる)仕事に就こうと、
映画業界へのアプローチ ことごとく失敗の末にたどりついたの
が映写技師、という選択肢。ただひとつ、拾ってくれたこの映画館
も、映写室に入るには一筋縄ではいかない一癖ある職場だったが、
ここで初めて長いつきあいのできる(一緒にバカ騒ぎもできる)
仲間もでき、わたしの東京生活は一変したのだった。
とはいえ、実はわたしの「ふたたび東北に回帰して生きる」という
ビジョンは、皮肉にも勤め始めの27歳ぐらいには脳裏に定着しつつ
あって、この映画館も3年ぐらいの勤続が限界だろうと思っていた。
結果的にはいろいろの事情で2倍の勤続になったが、やはり映写
技師というのは本来望んだ職種ではなかった事もあり、30歳に
なる頃には行き詰まりのピークを迎えていたのだった。
*
さて、今回の「閉館記念の宴」?には映画業界、配給会社など
多くの関係者が集まり、また直接観客をこの職場で迎え続けた
わたしの旧い仲間たち・・社員もアルバイトも集結した。
わたしはかつてのアルバイト仲間6~7人とは退職後も10年以上
つきあいがあるので、彼らと待ち合わせて一緒に行ったのだが、
映画館自体に足を運ぶのはまさに退職後15年ぶりであった。
15年ぶりに会う、元社員やアルバイトたちはある者はレストランを
経営していたり、介護施設を立ち上げたり、映画監督になったりと
立派な躍進を遂げていたが、見かけは皆、驚くほど変わらなかった。
現社員の映写技師に、かつてわたしが働いた映写室にも入れても
らい、今はほとんど引退してデジタル機械に出番を譲った2台の
映写機にも再会し、触れさせてもらった時にはさすがに感激した。
劇場の、まさに最後の上映 というのを、仲間らと一列の席に並ん
で観たのだが、
なんと、わたしは途中、冒頭の10数分、寝てしまった 爆
つくづく、わたしは映画の世界から、遠のいてしまったのだ・・・
そんなことを、思った。
もちろん、懐かしかったのだが、この、怒涛のごとく押し寄せる、
「ぶ厚い過去の奔流」に、わたしは辟易しかけていた。
わたしは今、全く別の世界に生きていて、まだこれから進まねば
ならない。とにかく、現在・未来の世界へ戻らねばならない・・・
そんな風に、思ってしまっていた。
もしかすると、その場にいた皆も、そうだったのかも知れないが。
確かにわたしは、この東京で遅い青春を過ごしたが、
いまもやっぱり、東北で更に遅い青春を生き続けているのだ。
『スターウォーズ』を観ていても、わたしの興味は映画業界とか、
最新映像技術とかにはほとんど残っていないのがわかる。
わたしの求める世界、仕事とはどこにあるのか?
その答は、わかっていないようで、わかっているようで・・・
とにかく、今続けていられる事を やっていくだけだな。